第7話 朝一番の救助
早朝の冷たい空気を切り裂きながら、俺とセレナは王都近郊の『迷いの森』を疾走していた。
普段ならば、魔力を含んだ霧が視界を遮り、熟練の冒険者でも方向感覚を狂わされる難所だ。だが今の俺には、木々の配置や獣道のわずかなうねりが、ひどく鮮明な地図として頭の中に広がっていた。
「レン、右手の茂みから反応よ!」
「無視して構いません! 本命の群れはもっと奥です。ここを左へ斜めに突っ切ります!」
セレナの警告に即答し、俺は一切の減速なしに迷いの森を突き進む。
昨日の昼間、俺は森の中で不自然に高い位置にある爪痕や、深く抉られた土の感触を観察していた。その断片的な記憶は、九時間の睡眠という工程を経て、俺の脳内で『大型夜行種の生息域と移動ルート』という一つの明確な解に統合されていた。
あの足跡の深さなら、奴らはこの斜面を登らない。あの爪痕の主なら、この狭い獣道には入ってこない。
定着した予測が、俺に最短・最速の救助ルートを確信させていた。俺もセレナも、昨夜のうちに装備を整え、予定した休息を取っている。足はまだ止まらない。
やがて、血と獣の生臭い悪臭が風に乗って鼻を突いた。
森の最深部、すり鉢状になった開けた場所。そこに、ダリオたち四人の新人パーティーがいた。
「っ……くそ、来やがれ……!」
ダリオの悲痛な叫びが響く。
彼らは、通常の二倍近い巨体を持つストライプボアの変異種およそ二十匹に、完全に包囲されていた。足元にはパンパンに膨れ上がった麻袋――昨夜徹夜で稼いだ討伐証明の耳――が転がっているが、彼ら自身は既に満身創痍だった。
ダリオが振るう剣はひどく遅く、軌道がブレている。覚醒薬の効果が切れ、麻痺していた疲労と痛覚が一気に彼らの肉体を襲っているのだ。昨夜は稼げた。その代わり、薬が切れた今、退くための足が残っていなかった。
「防陣が崩れる! セレナさん、正面の三匹を!」
「了解!」
俺の指示と同時に、セレナが地を蹴った。
白銀の閃光が、朝靄を切り裂く。セレナは最も厚い正面へ迷わず入り、最初の三匹を押し返した。昨夕に撤収を選んだ分だけ、踏み込みはまだ崩れていない。
「アルヴァ……!?」
呆然とするダリオの横に滑り込みながら、俺は剣を抜いた。
群れのリーダー格が、仲間を殺された怒りで俺たちへと突進してくる。その予備動作は、昨日俺が嫌というほど観察し、一晩かけて身体に定着させた『重心移動』そのものだった。
「右に流れます!」
「合わせるわ!」
俺が定着した足運びで紙一重の回避を行い、敵の突進のベクトルをそらす。体勢が崩れ、無防備になった魔獣の横っ腹へ、俺の死角から飛び出したセレナの剣が深々と突き刺さった。
完璧な連携。俺が観察と予測に基づく判断役を担い、セレナが圧倒的な武力で突破役を担う。互いが互いの役割を理解し、万全の状態で出力するからこそ成立する戦術だった。
「立てますか! 退路は確保した、走って!」
俺はへたり込んでいたダリオの腕を掴み、強引に引き起こした。他の班員たちも、セレナの援護を受けながら、俺たちが切り開いた包囲の穴から次々と抜け出していく。
その後も俺は、定着している無駄のない足運びで後方を警戒し、追撃してくる魔獣の牽制に徹した。決して無理な深追いはしない。目的は殲滅ではなく、彼らを森の外へ連れ出すことだ。
* * *
迷いの森を抜け、朝日が完全に昇りきった街道へ出たところで、ダリオたちは力尽きたようにその場へへたり込んだ。
安全圏に到達した安堵と、極限の疲労が彼らから一切の言葉を奪っていた。
ダリオは荒い息を吐きながら、自分の足元に転がっている麻袋を見つめた。
夜通し起きて、血を吐く思いで稼いだ討伐証明。その数はおそらく、俺が昨日夕方に切り上げた数の三倍近いだろう。稼働時間をランキングの指標とするこの王都の価値観において、彼は間違いなく「誰よりも努力した新人」だった。
「……討伐数は、俺たちの方が上だ」
ダリオは麻袋から目を上げなかった。
「なのに、帰るところだけ、お前らに助けられた」
掠れた声には、言い訳にする力も残っていなかった。
「討伐数は、あんたらの勝ちだ。その袋の重さが証明してる」
俺は勝ち誇ることも、睡眠の重要性を説教することもしなかった。
ただ、腰のポーチから止血用の包帯を取り出し、ダリオの膝へ放り投げた。
「だが、死んだら金は使えない。今は早く手当てをした方がいい」
「……ああ。そうだな」
ダリオは乱暴に涙を拭うと、包帯を手に取った。
彼の目にもう、俺を「ハズレスキルの怠け者」と見下すような光はなかった。ただ、越えるべき競争相手としての、静かな闘志だけが残っていた。
* * *
『迷いの森 深部/晶板記録映像/午前七時四十二分』
王都アルシオンの各所に設置された大型晶板や、個人の情報端末に、一つの短い映像が拡散され始めていた。
それは、迷いの森に駆けつけた別の救助隊の魔導具が偶然捉えていた、救助の瞬間の記録映像だった。
画面の中央には、絶望的な状況で膝を屈する新人パーティーの姿。
そこへ、朝靄を裂いて二つの影が飛び込んでくる。
一人は、一寸の狂いもない剣筋で魔獣の壁をこじ開ける『眠らぬ剣姫』。
そしてもう一人は、まるで最初から魔獣の動きを知っていたかのように完璧な足運びで死角をカバーし、的確なルートで退避を指揮する無名の新人。
映像の端には、視聴者たちのコメントがリアルタイムで次々と流れ込んでいた。
【おい、この新人昨日「午後十時なんで帰ります」って言って定時上がりした奴だろ】
【ダリオ組は徹夜で稼いでたはずなのに、なんで寝てた側に助けられてるんだよ】
【つーか、この新人の動きヤバくないか? フェイント全部見切ってるぞ】
【起きていた側が、寝た側に助けられた……】
【マジで九時間寝てきただけなのか?】
流れる文字の中で、一つの文だけが何度も引用された。
【起きていた側が、寝た側に助けられた】
映像の最後には、救助時刻――午前七時四十二分が残っていた。




