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九時間寝る俺は怠け者扱いでしたが、ハズレスキル《休養》で昨日の失敗を定着させ、眠らない迷宮を生き残る  作者: 他力本願寺


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49/50

第49話 昨日のすべてを持って

「次の命令切替地点は、王都の『旧鐘楼』です。奴は必ずそこを通る」


 臨時作戦拠点。三夜分の記録を自分の足で照合した翌朝、九時間の眠りから覚めた俺は、白地図の一点を指した。


 視界の隅では、控えめな光を伴ってシステムメッセージが明滅している。


《未定着経験:統合完了》


《スキル【休養】が最終進化――【統合】へ到達しました》


 それは、夢の中で神様から正解を教えてもらうような、都合のいい奇跡ではない。


 フィアが修復した旧式術式の壁裏にあった百八十年前の『中継図』。


 グレン局長から受け取った『過去の記録』に記された偽信号の法則。


 昨日、フィアと時刻を照合した『信号切替時に発生する無音』のタイミング。


 そして、昨日、ダリオと現地で確かめ直した『旧鐘楼周辺でのみ起きた数秒の時刻ずれ』。


 仲間たちが拾い、俺自身も照合して歩いた経験素材が、九時間の休息を経て一本の線として繋がった。増えたのは整理する速さだけだ。線を引けたのは、昨日、自分の足で旧鐘楼を歩き、外れた仮説を捨てたからだった。


《潮核》は常に移動しているが、その動きは完全にランダムではない。膨大な群れへ命令を切り替える瞬間だけ、奴はかつての通信網のハブであった旧鐘楼の魔力場を利用しなければならない。


「今から三十分後。奴が旧鐘楼の広場を通過し、次の偽命令を発信しようとするその瞬間、数秒間だけ隠蔽が薄れます。俺が断つのは、その際に見える『中継刻印』ただ一つです」


 作戦は至極単純だった。


 俺が全てをなぎ倒すのではない。俺の役割は、最後の盲点である露出地点へ赴き、一番厄介な結び目を一つだけ解くことだ。


「上等だ。お前が一晩かけて絞った答えなら、乗ってやる」


 レグルスが戦斧を肩に担ぎ、獰猛な牙を見せて笑う。


 セレナ、ボルド、ダリオ、フィア。この過酷な三夜を、俺を起こさずに自律して回しきった最高の仲間たちが、迷いなくそれぞれの得物を手にした。


* * *


 王都アルシオン、旧鐘楼前広場。


 夜明け前の最も暗い時間帯。広場にはすでに、《潮核》の護衛と思われる無数のシャドウハウンドがひしめき合っていた。


「さあ、こっちよ! 本命への道は一歩も通さないわ!」


 広場の入り口で、セレナの白銀の剣が舞った。


 彼女は自分で設定した撤退線を守りながら、広場に溢れる敵主力を引きつける。剣で倒し切ろうとはせず、深追いしかけるたびに半歩退き、俺たちの進路だけを空けていく。


「こっちの避難路に市民はいない! いつでもやれ!」


 ダリオが広場の裏通りから通信機で叫ぶ。彼は自らの脚力と市街地の知識を総動員し、この決戦の余波に巻き込まれる市民が出ないよう、周辺の区画から市民を退避させ、進入路を閉じ終えていた。


「鐘楼への道は、俺の盾が保証する! 安心して背中を預けな!」


 ボルドが旧鐘楼へと続く一本道に巨大なタワーシールドを突き立てる。彼が岩のように陣取ることで、セレナが引き付けきれなかった漏れの個体も、俺の元へは一匹たりとも到達しない。


「見つけたぜ。空間が不自然に歪んでやがる。……《潮核》だ。お前の言った通り、鐘楼の真下へ移動していくぞ」


 周囲の屋根の上を高速で飛び回っていたレグルスが、鋭い視力でついに敵の本体を捉えた。九十分の《瞬眠》で誰よりも早くコンディションを整えられる彼だからこそできる、即応偵察だ。


 仲間たちがそれぞれの適性を最大限に活かし、俺が目標へ到達するための一本の進路を作り上げていく。俺が眠っている間も回り続けた彼らの自律した力が、今この広場で最高潮の噛み合いを見せていた。


『――レン! 波形の乱れが来るわ! 命令切替まで、あと三秒!』


 後方の安全圏で魔力計を監視していたフィアから、悲鳴のようなカウントダウンが飛んだ。


『二秒……一秒……今ッ!!』


 フィアの叫びと同時。


 広場を埋め尽くしていた魔獣たちの咆哮が、風の音さえも巻き込んで、一瞬だけ不自然に『無音』になった。


 ダリオが報告していた通り、周囲の魔導時計の針がガクンと狂う。


 レグルスが視認した空間の歪みが、鐘楼の真下で一瞬だけその迷彩を解き、黒い水晶のような《潮核》の本体と、そこから空へと伸びる細い魔力の糸――『中継刻印』を夜気に晒した。


 俺は、動いた。


 使うのは、必殺の剣技でも、派手な破壊魔術でもない。


 新人認定試験でダリオの目をごまかすために失敗し、護送任務でセレナに修正され、百時間迷宮の高リスク転移罠区画で極限まで磨き抜いた、ただの『足運び』だ。


 昨日までに身体へ覚え込ませた、一切の無駄のない重心移動。


「スゥッ……」


 俺は深く息を吐きながら、音もなく床石を滑った。


《潮核》の周囲には自動防衛の魔力障壁が張られていたが、俺の足は障壁が展開されるよりも早く、その微細な隙間へと昨日までに反復した精度で入り込んだ。


 一歩、また一歩。


 過去のすべての失敗と休息が、この数秒間の踏み込みに収束していく。


 俺の刃が、露出した『中継刻印』の魔力糸へ触れた。


 抵抗はほとんどない。ただ正しい位置に立ち、正しい角度で剣を振るうだけだ。


 パキィィィンッ!!


 澄んだ破砕音が広場に響き渡った。


 俺の剣が中継刻印を断ち切った瞬間、《潮核》を覆っていた空間の歪みが完全に剥がれ落ち、空中に黒い水晶体が固定されたように停止した。


 移動能力と隠蔽を失った、ただの的だ。


「刻印を断ちました! 今です!!」


 俺が叫びながら後ろへ跳躍して射線を空けた、その直後だった。


「もらったァァァッ!!」


「消し飛びなさい!!」


 頭上から跳び降りたレグルスの戦斧が。


 防衛線を突破してきたセレナの白銀の剣閃が。


 ボルドのシールドバッシュと、ダリオの全力の投擲剣が。


 仲間たちの持てる最大の火力が、無防備になった《潮核》の本体へと一斉に叩き込まれた。


 凄まじい爆発音と共に、黒い水晶体が粉々に砕け散る。


 指揮中枢を失ったシャドウハウンドの大群は、一瞬にして統率を失って烏合の衆と化し、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


 厚く立ち込めていた暗雲の隙間から、黄金色の朝日が王都の広場へと差し込んでくる。


 統率を失った群れが退いたことで、《永夜潮》の主波はようやく止まった。


* * *


「レン・アルヴァ君。この度の防衛戦における君たちの多大な功績、ギルドとして深く感謝する」


 戦いが終わり、魔獣の残骸の片付けや負傷者の手当てが一段落した頃。


 臨時作戦拠点に戻った俺の前に、ギルド本部の制服を着た数人の使者が重々しい足取りで現れた。彼らは、グレン局長の直属の部下たちだった。


「我々上層部も、旧来の《覚醒指数》という単一の評価基準が限界を迎えていることは理解した。そこで、今後は君が実証した『交代制と休息の有効性』を取り入れ、大幅な制度改定を行う予定だ」


 使者の男は、一枚の豪奢な羊皮紙を俺の前に差し出した。


「ついては、この新しい制度の『象徴役』として、君に単独で署名をもらいたい。覚醒王レグルス・クロウに並ぶ、いや、彼に代わる新たな時代のカリスマとして、君を大々的に表彰する準備がある」


 彼らの言葉は熱を帯びていた。睡眠を削るのが偉いという極端な世界が、今度は俺という『九時間睡眠の英雄』を新たな神輿として担ぎ上げようとしているのだ。


 そして、使者はもう一枚、封蝋のされた手紙を俺の手に握らせた。


「それと……君が以前から提出していた、王都《静穏区》の住宅購入に関するギルドの推薦状と、審査結果の通知だ。今の君の実績であれば、文句なしで通っているはずだよ」


 俺は渡された二つの書類――社会的な名誉の象徴と、個人的な欲望の切符――を静かに見つめた。


 俺の欲しかったものは、ずっと明確だ。


 世界を正しく導くための教祖になるつもりもなければ、誰かの真似を他人に強制するつもりもない。

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