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九時間寝る俺は怠け者扱いでしたが、ハズレスキル《休養》で昨日の失敗を定着させ、眠らない迷宮を生き残る  作者: 他力本願寺


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第50話 午後十時なので帰ります

《永夜潮》の主波を退けてから数日後。


 王都アルシオンのギルド本部、その最上階にある局長室に呼び出された俺は、分厚い一枚の羊皮紙を前にして静かに首を横に振った。


「お断りします」


 俺の即答に、デスク越しに座っていた稼働管理局長のグレンが、深いため息を吐き出して額を押さえた。


「レン・アルヴァ君。君はこの王都を救った最大の功労者だ。君が実証した『休息の戦術的価値』をギルドとして公式に認め、今後の制度改定の象徴として君に単独署名を求めている。悪い話ではないはずだが?」


「ええ、名誉なことだとは思います。ですが、俺の『九時間睡眠』を、今度は新しい絶対の正解として祭り上げる気なら、お断りです」


 俺は羊皮紙をグレンの方へ押し返した。


「俺が九時間寝るのは、俺の身体にそれが必要だからです。五時間半で十分に動けるダリオや、九十分で実戦に必要な集中を戻せるレグルスさんに、俺の正解を押し付けるわけにはいかない。……一つの基準で全員を縛ろうとするなら、百八十年前の『眠らぬ騎士』と何も変わりませんよ」


 俺の言葉に、グレンは苦虫を噛み潰したような顔をした後、やがて観念したように小さく笑った。


「……なるほど。君に『新しい教祖』になる気はない、ということか」


「俺はただの冒険者ですから。静かに寝て、起きて、昨日の失敗を修正して稼ぐ。それだけです」


「分かった。単独署名の件は取り下げよう。だが、君たちの残した実績は無視できない」


 グレンは別の書類を取り出し、そこにサインを書き入れた。


「従来の『連続稼働時間』を絶対視する《覚醒指数》は廃止しないが、絶対評価からは外す。今後は任務の成功率、負傷率、回復性、救助貢献度、そして長期的な継続性を含めた『複数指標』で冒険者を評価するよう、制度を改定する」


「それがいいと思います。……俺みたいな人間でも、正当に評価されるなら文句はありません」


 俺が立ち上がると、グレンは立ち上がって右手を差し出してきた。


 俺はその分厚い手をしっかりと握り返し、局長室を後にした。


 社会の熱狂は、良くも悪くも少しずつ熱を冷まし、それぞれの日常へと落ち着き始めていた。


『覚醒王』レグルス・クロウは、自身の晶板配信のチャンネルで「九十分で足りるのは俺の《瞬眠》があるからだ。適性を測らず時間だけ真似するな」と明確に公言した。彼の言葉を利用した誇大広告には、適性条件と離脱者を含む実数の表示が義務づけられ、彼は今も変わらず、最強の短眠冒険者として最前線で暴れ回っている。


 ダリオは自身の最適解である「五時間半の睡眠と短い昼寝」のサイクルを確立し、昼間隊の隊長としてめざましい活躍を見せている。フィアもまた、今回の観測データの功績が認められ、自分のペースで研究と治癒術師の仕事を両立していた。


 そして。


「――ん、右の棚はもう少し壁側に寄せて。そう、そこでストップ」


 王都の高級住宅区、《静穏区》。


 その一角に建つ、真新しい小さな一軒家のリビングで、セレナが腕を組んで的確な指示を飛ばしていた。


 俺は言われた通りに本棚を壁際に寄せ、額の汗を拭った。


「ありがとうございます、セレナ。おかげで荷解きが随分早く終わりました」


「いいのよ。防衛戦でのあなたの働きに比べれば、これくらい安いものだわ」


《永夜潮》の防衛戦における最高ランクの功労者として、俺には莫大な報奨金が支払われた。それに加えて、ギルドからの特例推薦状が発行されたことで、《静穏区》に家を買うという俺の最大の目標は、ついに達成されたのだった。


 王都の喧騒から物理的に切り離され、強力な防音・防犯結界に守られたこの空間は、まさに俺が夢見ていた『誰にも起こされない静かな家』そのものだった。


「それにしても、本当に買っちゃうなんてね。……こんなに静かで落ち着く家なら、確かに九時間ぐっすり眠れそうね」


 セレナが窓辺から外の静かな庭を眺めながら、ふっと微笑んだ。


「最高ですよ。これでやっと、迷宮での野営のストレスから解放されます」


「……で? 次の依頼も、もちろん私と付き合ってくれるわよね?」


 セレナが少しだけ上目遣いで俺を見る。


 彼女の剣技は《永夜潮》の死闘を経てさらに研ぎ澄まされていた。俺にとっても、彼女以上の相棒は考えられない。


「ええ。……お互いの休息のスケジュールが合えば、ですが」


「ふふっ、分かってるわ。あなたの九時間を邪魔する気はないもの」


 俺は背嚢から小さな金属の塊を取り出し、リビングのテーブルの上にコトリと置いた。


 それは、この真新しい家の『予備の鍵』だった。


「レン?」


「もし俺がどうしても起きないほど寝坊した時や、どうしても俺の力が必要な緊急事態が起きた時は……これを使って、俺を起こしに来てください」


 俺の言葉に、セレナの目が丸くなった。


 睡眠を邪魔されることを何よりも嫌う俺が、いつでも自分を起こせる権利を他人に預ける。それがどういう意味を持つのか、彼女なら十分に分かっているはずだ。


「……いいの? 私、手加減しないわよ」


「セレナなら、俺の休息を無駄に壊すようなことはしないと分かっていますから」


 大げさな愛の告白でもなんでもない。


 だが、これは俺たちが命と休息を預け合った、確かな信頼の証だった。


 セレナは少しだけ頬を染め、その鍵を大切そうに自分のポーチへとしまった。


* * *


 その日の夜。


 王都の大酒場は、ギルドの主催による《永夜潮》からの生還と勝利を祝う大規模な祝賀会の熱気で包まれていた。


 ジョッキがぶつかり合う音、笑い声、そして英雄たちを称える歌。


「レン! お前も飲め! 今日は朝まで寝かせねえぞ!」


「そうだそうだ! お前が一番の立役者なんだからな!」


 ダリオやボルド、ダグ、他の冒険者たちが顔を真っ赤にして俺の周りに集まり、次々と酒を勧めてくる。


 普段なら絶対に断るような喧騒だが、今日だけは少しだけ付き合ってグラスを空けた。


 だが。


 ふと酒場の壁に掛けられた時計を見た俺は、手元のグラスを静かにテーブルに置いた。


 時刻は、午後九時四十五分。


「あー、すみません。そろそろ失礼します」


 俺が立ち上がると、騒いでいたダリオたちがポカンと口を開けた。


「は? お前、まだ宴会は始まったばかりだぞ!?」


「主役が帰ってどうするのよ!」


 セレナが苦笑交じりに引き留めようとするが、俺は首を横に振った。


「午後十時なので帰ります」


 俺は呆気にとられる彼らを尻目に、足早に酒場の喧騒を抜け出した。


 外に出ると、少し冷たい夜風が火照った顔を撫でた。


 空を見上げれば、あの絶望的な暗雲はすっかり晴れ、美しい星空が広がっている。


 俺は静穏区への道を一人で歩く。


 帰るべき場所がある。


 分厚い壁と結界に守られた、誰にも邪魔されない寝室だ。


 家の扉を開けた時、時計の針は午後九時五十八分を指していた。


 上着を掛け、窓の鍵を確かめ、依頼通知の晶板を伏せる。明日のことは、明日起きてから考えればいい。


 午後十時。


 俺は自分のベッドへ横になった。


 誰にも起こされない静けさの中で、目を閉じる。


 今日もよく眠れそうだった。


(了)

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