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九時間寝る俺は怠け者扱いでしたが、ハズレスキル《休養》で昨日の失敗を定着させ、眠らない迷宮を生き残る  作者: 他力本願寺


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第47話 九時間寝る男が寝られない

第五防衛線を押し戻した時、狂った時計ではなく空の色が夜明けを告げていた。


 午前四時に切るはずだった指揮を、俺は「この線が安定するまで」と二十分延ばした。二十分後には第三街区の火災が入り、その鎮火班を送り出した直後、今度は水路の負傷者搬送が詰まった。


「次の一件まで」


 そう言うたび、セレナが休息表へ引いた赤線は後ろへずれた。


 昼になって食事が置かれても、指先の震えで匙を二度落とした。そこで交代すべきだった。それでも、俺は本物の危機が続いた責任を理由に、作戦卓から離れなかった。


 夕刻。第三夜を前に、通信盤がまた悲鳴を上げた。


『――緊急! 第七区画の防壁が突破されました! 生存者が多数孤立! 至急、主力の救援を!』


 王都防衛線の後方、臨時作戦拠点に設置された通信盤から、切羽詰まった悲鳴のような報告が飛び込んできた。


 作戦卓に両手をついていた俺は、ビクッと肩を震わせ、重い頭を無理やり持ち上げた。


「第七区画……! まずい、あそこにはまだ避難しきれていない市民がいるはずだ。すぐに第三小隊と第五小隊を向かわせろ! 防衛線を一時的に放棄してでも――」


「待ちなさい、レン!」


 通信士に指示を飛ばそうとした俺の腕を、横から伸びてきた白い手が強く掴んだ。


 セレナだった。彼女は俺の命令を遮り、通信士に向かって鋭い声を放った。


「今の命令は取り消しよ! 部隊は絶対に動かさないで。代行権限を行使します」


「セレナ、何を……っ、人が死にかけてるんだぞ!」


「死にかけてなんかいないわ。ボルド、声紋照合を」


 セレナの冷徹な指示に、通信機に張り付いていたボルドが即座に答える。


「ああ、真っ赤な偽物だ。背景の悲鳴がループしてる。昨日聞いたフェイクと同じ波形だぜ」


「……え?」


 俺は絶句し、通信盤の表示と手元の白地図を交互に見比べた。


 第七区画の先には、確かに市民の避難ルートがある。だが、そこを守る主力を今動かせば、本命である第六区画の防衛線に致命的な穴が空く。


 普段の俺なら、こんな初歩的な偽装には絶対に引っかからない。必ず『二系統確認』を行い、フィアの波形測定とボルドの声紋照合を待ってから判断を下していたはずだ。


「俺は、今……」


「レン。座りなさい」


 セレナが強引に俺の肩を押し、作戦卓の椅子に座らせた。


「あなたの顔色は最悪よ。目の焦点も合っていない」


 彼女の指摘通りだった。


 午前四時の二十分だけだったはずの延期を、俺は自分の判断で夕方まで引き延ばした。その代償が、今の誤命令だった。


 睡眠時間を削った結果は、残酷なまでに俺の身体を蝕んでいた。


《休養》のスキルが全く機能していない。鉛のように重い身体。昨日までの魔獣の予備動作の記憶が頭から引き出せず、何より致命的なのは、戦場における『優先順位』を判別する思考が完全に濁りきっていることだ。


 気合や根性でどうにかなるような状態ではない。今の俺の判断力は、素人以下にまで落ちぶれていた。


「……敵の狙いは、これだったんですね」


 俺は両手で顔を覆い、乾いた声で呟いた。


 姿なき指揮中枢《潮核》。奴が執拗に偽信号を送り続け、同時多発的な危機を演出したのは、俺たちを直接殺すためじゃない。


『レン・アルヴァが判断を下さなければ動けない』という状況を作り出し、俺の脳の処理能力を過労でパンクさせることが真の狙いだったのだ。俺が倒れれば、この防衛線はシステムごと崩壊する。そう踏んでいたのだろう。


「敵の思惑通りね。でも、致命的な見落としが一つあるわ」


 セレナが剣の柄に手を当て、凛とした笑みを浮かべた。


「この戦線はもう、あなたが全てを決めなきゃ回らないような、脆弱なシステムじゃないわよ」


 彼女の言葉を証明するように、拠点の外からは安定した剣戟の音が響いていた。


 俺が判断を間違え、立ち止まっても、戦線は崩壊していない。


 セレナが俺のミスを上書きして防衛線を維持し、ボルドが偽通信を弾く。ダリオの伝令網が各隊の交代表を自律的に更新させ続け、どこかで本物の危機が起きれば、レグルスが九十分の休息を終えた万全の身体で即座に偵察と遊撃に飛び出していく。


 俺が昨日までに作った『仕組み』が、俺という個人の限界を遥かに超えて、仲間たちによって運用され、俺の誤命令まで止めていた。


「レン、聞いて。重要なデータが取れたわ」


 フィアが作戦卓に数枚の羊皮紙を広げた。


 そこには、第一夜から蓄積し続けてきた魔力波形の記録がまとめられていた。


「《潮核》が発するあの『無音の波形』……それが、敵の命令系統が切り替わる瞬間と完全に一致していることが証明されたわ。これに、ダリオが報告してくれた『時刻ずれ』のデータを重ね合わせれば、敵の本体の移動経路を割り出せるはずよ」


「……」


 フィアの言葉は、この防衛戦を終わらせるための決定的なピースだった。


 だが、俺は広げられた羊皮紙の図面を見つめたまま、ピクリとも動けなかった。


 頭に靄がかかっている。文字や波形がただの黒い染みにしか見えない。これまで集めた地図の記憶、罠の周期、魔力流の変動。それらを結びつけ、一つの答えに『統合』するための処理能力が、今の俺の脳には一ミリも残されていなかった。


「……駄目だ」


 俺は深く息を吐き出し、羊皮紙から手を離した。


「今の俺の頭じゃ、結論は出せません」


 自分が無力であることを認めるのは悔しい。だが、ここで俺が「俺がやる」と無理をして英雄ぶることは、何万という王都の市民と、目の前の仲間たちの命を危険に晒す最悪の選択だ。


 役に立つために無理をする。ここで無理を続ける方が、責任放棄になる。俺は自分の限界を認めた。


「日が落ちます。《永夜潮》の最大の波が来る、『第三夜』が始まりますね」


 俺は立ち上がり、手元にあった二夜分の記録と、第三夜へ持ち越す観測項目――地図、信号の波形、時刻ずれのデータ――を綺麗に揃え、セレナへと差し出した。


「セレナ。……みんな。俺はこれから眠ります」


「ええ。限界までよく保たせたわ」


 セレナは俺の目を真っ直ぐに見据え、その記録の束をしっかりと受け取った。


 最も重要な決断が残されている、最大の危機の夜。その全権を、俺は仲間たちに委ねる。


「全権を渡します。俺の身を守るためでも、気遣いでもなく、明日勝つための戦略的な投資として……俺を休ませてください」


 俺は防音幕と振動遮断床布が敷かれた、拠点の最も奥の区画へと歩を進めた。


「何があっても、九時間は絶対に俺を起こさないでください」


「任せなさい」


 背中越しに聞こえたセレナの力強い声。


 その響きに一切の不安がないことを確かめると、俺は防音幕を引き、外界のすべての音を遮断した。


 全てを仲間に託し、明日のための確実な一手を掴み取るために。俺は誰にも邪魔されない、深く静かな眠りへの底へと沈んでいった。

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