第43話 三日で「任せて眠れる」戦場を作れ
「レンさん! 東門防衛隊の第三班ですが、魔術師の疲労が予想以上に早いです! 休息枠の前倒しを許可してください!」
「待ってくれ、こっちの物資運搬チームの交代時間はどうなる! 今のルートじゃ予定時刻までに仮眠所へ戻れないぞ!」
ギルド本部の作戦室。
《永夜潮》の襲来予測から一日が経過した王都では、急ピッチで防衛戦の構築が進められていた。俺が割り当てられた作戦卓の周りには、各部隊の隊長たちが分厚い羊皮紙の束を握りしめ、ひっきりなしに指示と判断を求めて群がってきている。
彼らは迷宮での俺たちの生還劇を見て、俺の『休息戦術』の正しさを信じている。だからこそ、些細な交代のタイミングから異常事態の対応まで、全ての正解を俺の口から聞こうとしていた。
(……これじゃ駄目だ)
俺は次々と上がってくる報告を処理しながら、内心で舌打ちをした。
全ての情報を一箇所に集め、俺一人が最適解を出し続ける。それができれば一番効率がいいのは分かっている。その全能感に身を委ねる誘惑もある。
だが、俺は九時間寝なければ頭が回らない人間だ。俺が寝ている間に通信が切れたら? 俺が判断を間違えたら?
その瞬間、この中央集権の防衛線は一瞬で崩壊する。
「レン! 緊急事態だ!」
作戦室の扉を乱暴に開け、ダリオが血相を変えて飛び込んできた。
「第四区画の伝令線が何者かに切断された! おまけに、防衛部隊のローテーションを管理している『交代表保管所』に火の手が上がった! 敵の先遣隊だ!」
「なっ……保管所が燃えているだと!?」
周囲にいた隊長たちがパニックを起こし、作戦室が騒然となる。
敵の《潮核》は、単純な力押しではなく、こちらの急所を的確に突いてきている。全ての部隊の交代スケジュールを記した原本が燃えれば、王都の防衛陣は誰がいつ休めばいいのか分からなくなり、連携が完全に麻痺する。
「レンさん! すぐに鎮火部隊を向かわせて原本を回収しないと――」
「その必要はありません」
俺は立ち上がり、手元にあった羊皮紙の束をドンと卓に置いた。
「原本なら、いくら燃やされたって構わない。俺は最初から、一枚の紙で全軍の睡眠時間を管理する気なんてありませんから」
俺が卓に置いたのは、各隊の隊長たちへ配るために用意していた『複写表』の束だった。
「基本の交代表に加えて、『通信が途絶した際の判断基準』と『現場での代行権限』を記してあります。本部からの指示がなくても、その基準を満たせば、隊長であるあなたたちの権限で強制的に部隊を休ませていい。……ダリオ」
「おう!」
「これを、別ルートを使って各防衛拠点の隊長へ物理的に届けてください」
「任せとけ。俺の足なら、どんな裏道でも十分で走り切ってやる」
ダリオは複写表の束を引ったくると、疾風のような速度で作戦室から飛び出していった。
俺は全員の顔を見回し、明確に告げた。
「敵は俺たちの頭を潰しに来ている。なら、頭を一つにしておく必要はない。現場の権限は全て現場に委ねます。……セレナ、保管所周辺の鎮圧を」
指示を待つまでもなく、入り口で待機していたセレナが白銀の剣を抜いた。
「状況は把握したわ。火災は陽動ね。敵の本命は、保管所に隣接している物資搬入路からの奇襲よ。ボルド、あなたは重装兵を率いて保管所の残存戦力を守り抜いて。私は本命を叩くわ」
「了解だ! 一歩も通さねえ!」
彼女たちは俺から細かな配置や戦術の説明など求めなかった。
俺が預けた代行権限を握り、即座に現場の指揮官としての実務を実行し始める。
三十分後。
もたらされた報告は、完璧な撃退の知らせだった。
セレナの読み通り、物資搬入路から侵入しようとした夜行種の先遣隊は、待ち構えていた彼女の遊撃によって壊滅。ボルドの盾は保管所の周囲に展開していた人員を誰一人死なせることなく守り抜き、ダリオは炎と混乱を掻き潜って、全防衛拠点への複写表の配達を完了させていた。
俺が直接手を下したわけではない。指示を事細かに飛ばしたわけでもない。
ただ、現場に権限と判断基準を渡し、彼らの即断を採用しただけだ。
中央の原本が焼けても、各隊の休息の歯車は一切止まらない。俺がいなくても回る自律運用のプロトコルが、この初回実戦において見事に機能したのだ。
「……見事な手際ね」
作戦室に戻ってきたフィアが、少し焦げた臭いのする黒い石を卓の上に置いた。
「セレナたちが倒した先遣隊が持っていた魔導具よ。どうやら、これで防衛隊の動きを探っていたみたい」
「ただの通信石ですか?」
「いいえ」
フィアは丸眼鏡の奥の瞳を鋭く細め、その石に刻まれた微小な術式を指差した。
「この術式……特定の魔力波形に干渉するように組まれているわ。それも、王都中の『魔導時計』が発している波形にね。伝令線を切り、交代表の原本を燃やした。……敵の次の狙いは、現場で個別に管理されている『時刻』そのものを狂わせることよ」
その言葉に、作戦室の空気が再びピンと張り詰める。
時刻が狂えば、俺たちが配った複写表の交代スケジュールも意味を成さなくなる。敵の《潮核》は、確実にこちらの防衛システムの息の根を止めようと知恵を回しているのだ。
そして、翌日。
王都の全住民を参加させ、個別の睡眠表を使った第一回目の大規模な避難訓練が行われている最中のことだった。
ガツンッ、と。
広場の中央にそびえ立つ、王都最大の巨大魔導時計の針が。
そして、作戦室の壁に掛けられた時計の針が、冒険者たちが腕に巻いている小型時計の針が。
一斉に、全く同じタイミングで、不自然に三十分ほど前へとズレて音を立てた。
「……始まりましたね」
俺はズレた魔導時計の盤面を見上げ、剣帯を強く締め直した。
時刻板の異常。それは、ただの訓練が終わり、個別睡眠表を使った最初の大規模な実戦が幕を開けた合図だった。




