第4話 休むのも訓練ですか?
「前方に警戒鈴の反応あり。各馬車、速度を落とさず陣形を密にしろ」
先頭を走る中堅冒険者の声が、ひなびた街道に響いた。
王都アルシオンから近隣の宿場町へ、魔導具の素材となる鉱石を運ぶ長距離護送任務。B級トップのセレナ・ヴァイスが同行するという異例の布陣に、護衛隊の空気はどこか浮き足立っていたが、当のセレナは俺と同じ最後尾の荷馬車の荷台で、静かに腕を組んでいた。
「レン」
ガタガタと揺れる荷台の上で、セレナが不意に口を開いた。
前方から微かな魔獣の気配が漂い始めている、この緊張状態の中で。
「ここから一時間。次の宿場町へ入る直前まで、交代で休息を取りたいのだけれど」
「……俺が休めってことですか?」
「いいえ、私が休むの」
俺は少しだけ驚いて、彼女の顔を見た。
目の下の隈は相変わらずだが、彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
起きている時間こそが努力の証であり、止まれば価値が落ちると信じてきた『眠らぬ剣姫』。その彼女が、魔獣警報が鳴っている最中に自ら休息を提案してきたのだ。先日の模擬戦で俺が見せた「結果」を、彼女なりに検証しようという妥協の実験なのだろう。
「分かりました。俺が見張りに立ちます」
俺は精神論で「ゆっくり休んでください」とは言わなかった。
彼女のようなタイプに必要なのは、労いの言葉ではなく、本当に休めるだけの物理的な条件だ。
俺は背負い袋から厚手の毛布を取り出し、木箱の隙間に敷き詰めて衝撃を吸う詰め物にする。さらに、走行のたびにガチャガチャと耳障りな音を立てていた金属部品を余った布で縛り上げ、騒音源を物理的に塞いだ。
「馬車から半径五メートルを警戒線とします。その線の中に魔獣を入れない限り、俺の裁量で処理するので、あなたは一切の判断を放棄して目を閉じていてください」
「……随分と、手慣れているのね」
「寝る準備には自信があるんで」
セレナは小さく息を吐き、毛布の上へ身を預けた。
彼女が目を閉じて数分後。護送隊の前方で怒声が上がり、戦闘が始まった気配がした。
同時に、森の影から三匹の中型魔獣――鋭い牙と縞模様を持つストライプボアが、手薄な最後尾の荷馬車を狙って飛び出してきた。
俺は馬車から飛び降り、剣を抜く。
突進してくる三匹。動きは直線的だが、質量がある。まともに受け止めれば腕を持っていかれるし、何より大きな金属音が響いてセレナを起こしてしまう。
(半径五メートルの線は割らせない。音も立てない)
俺は呼吸を深く沈め、一匹目の突進に対して、昨日セレナとの模擬戦で身体に刻んだ『体勢が崩れた状態からの左への踏み込み』を応用した。
ギリギリまで引きつけ、紙一重で斜め前へステップを踏む。
すれ違いざまに、猪の首筋の動脈だけを剣の先端で浅く、しかし正確に切り裂いた。
重い絶命の音が鳴る前に、俺は二匹目の射線へ滑り込む。昨日の森で覚えた『重心移動予測』が、魔獣の猪突猛進の軌道を手に取るように教えてくれた。
二匹目、三匹目と、俺は荷馬車から遠ざけるようにステップを踏みながら、最小限の剣の動きで囮の群れを処理していく。
剣戟の音はほとんど鳴らさなかった。
馬車の上では、セレナが静かな寝息を立てている。
(……よし、片付いたな)
剣の血糊を払い、馬車の縁に手を掛けようとしたその時だった。
俺が囮の処理に意識を割いていた死角。森のさらに奥から、気配を完全に殺していた巨大な個体――群れを統率するリーダー格のストライプボアが、音もなく跳躍してきた。
「しまっ――」
俺の位置からでは、どう足掻いても間に合わない。巨大な牙が、荷馬車の幌を突き破ろうとした瞬間。
凄まじい風切り音が、俺の鼓膜を叩いた。
「――そこね」
澄んだ声と共に、白銀の閃光が走る。
いつの間にか毛布から跳ね起きていたセレナの剣が、宙に浮いた巨大猪の脳天から両目にかけてを一刀のもとに叩き割っていた。
ズォン、と重い地鳴りを立てて魔獣が地面に沈む。
「起き抜けの剣としては、悪くなかったわね」
鞘に剣を納めながら、セレナが振り返った。
たった一時間の休息。それでも、先ほどまで瞳に張りついていた濁りは薄い。
俺が囮を処理して空けた射線を見つけ、起き抜けの一太刀で本命を仕留めた。疲労が消えたわけではない。それでも、判断の遅れはなかった。
「……おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ。あなたが約束通り、私に何の判断もさせない状況を作ってくれたおかげでね」
セレナは小さく口角を上げ、それから俺の足元――処理された三匹の猪の死骸を一瞥した。
「でも、あなたのその実戦での反復の仕方は雑すぎるわ」
「雑、ですか」
「フェイントを躱す足運びは定着しているけれど、剣を振る際の肩の入り方が毎回数ミリずれている。実戦の焦りの中で間違った型を反復し続ければ、あなたのその《休養》は、間違った癖まで定着させてしまうんじゃないの?」
痛いところを突かれ、俺は言葉に詰まった。
実際、俺のスキルは魔法の正解製造機ではない。昼間に集めた経験素材の質が悪ければ、翌朝の成長も歪なものになる。
「帰り道、あなたの素振りの型を私が一つずつ直してあげる。夜の休息で確実に実力へ変えられるように、最高の『経験の素材』を作ってから寝なさい」
「……手厳しいですね。でも、助かります」
帰路では、彼女が俺の肩の角度を直し、俺が荷車の金具をもう一度縛り直した。
互いに、相手が翌日まで持ち帰るものを整える。それで十分だった。
* * *
翌朝。
自室のベッドで九時間の睡眠を終えた俺は、日課の素振りの段階で、自分の足運びと肩の連動が昨日よりも明らかに一段階精密になっているのを感じた。
セレナに修正された正しい型が、睡眠というフィルターを通して淀みなく筋肉へ出力されている。
ギルドのロビーへ向かうと、そこには既にセレナが立っていた。
その顔色は昨日よりもさらに良く、剣を腰に吊るす立ち姿には一片の乱れもない。
「おはよう、レン。どうやら昨夜もきっちり寝てきたようね」
「ええ。おかげで身体の調子がいいです」
セレナはふっと微笑むと、掲示板から剥がしてきた一枚の羊皮紙を俺へ差し出した。
そこには、冒険者ギルド運営局の印章が押されている。
「今日の午後、中央闘技場で私の公開模擬戦が組まれたわ」
「模擬戦……相手は?」
「三か月前から、私が十二連敗している上位剣士よ。ギルドは私がまた負けるところを観客に見せたいみたいだけれど」
セレナは自身の右手――昨日までの立ち合いで、どうしても握り直す癖が抜けなかったその手を、強く、迷いなく握り込んだ。
「今日の私は、昨日までの私とは違う。それを証明してくるわ。検証役として、あなたも特等席で見届けなさい」




