第39話 覚醒王、寝る側に立つ
負傷者を切り捨て、長く起きられる者だけで進め。
迷宮の広域回線に流れた偽命令は、レグルスの名を使っていた。
レグルス・クロウという『覚醒王』の肩書を騙ったその放送は、極限状態にある冒険者たちの心を容易にへし折る劇毒だった。
「……見捨てるって、本気かよ」
「俺たちは、もう助からないのか……?」
先ほど崩落から救出されたばかりの十二人の冒険者たちが、絶望に顔を歪めてへたり込む。
彼らだけではない。この迷宮内の至る所で孤立しているパーティーも、今の放送を聞いてパニックを起こしているはずだ。
だが、その絶望の空気を、重々しい金属音が叩き割った。
ガァンッ!
巨大な戦斧の石突が、白亜の床に力強く叩きつけられたのだ。
「ふざけた真似をしてくれるじゃねえか。誰がそんな三流の命令を出した」
真紅の髪を揺らし、レグルス本人が苛立たしげに吐き捨てる。
彼は手元の通信晶板を素早く操作した。ギルドのS級権限による、オープンチャンネルへの強制割り込みコードの入力だ。
「おい、迷宮の全班へ告ぐ。俺はレグルス・クロウだ。さっきの放送は俺の名を騙った真っ赤な偽物だ、真に受けるな!」
レグルスの太く通る声が、通信機を通じて迷宮全域に響き渡った。
「いいか、俺は『誰でも九十分で十分な回復ができる』なんて一言も言った覚えはねえ! 俺の九十分睡眠は、俺にしかない特別な適性だ。広告の誇張や、ギルドの都合のいい評価基準に騙されるな! 自分の身体が休めと言っているなら、休め! 休む場所は、俺たちが必ず作る!」
言い訳も、謝罪会見のような湿っぽさもない。
戦場の最前線から放たれた、己の名を利用する商業主義と制度への明確な決別宣言。
自分の成功法則を不用意に一般化させてしまった過ちを、彼は「他人に押し付けない」という行動によって、自らの手でへし折ってみせたのだ。
「……言ったな、レグルスのおっさん」
ダリオが通信機を見つめて小さく笑う。
へたり込んでいた冒険者たちの目にも、再び微かな希望の光が戻っていた。
「……情報戦、ですね。敵の狙いが分かりました」
俺は周囲の壁の反響音を確かめながら言った。
「あの偽命令の目的は、迷宮内の冒険者を分断し、恐怖でパニックに陥らせて『安全な休息区画から外へ引きずり出す』ことです。外に出てきたところを、個別に狩るつもりなんだ」
「レンの言う通りよ」
記録用晶石の光を読み取っていたフィアが、鋭い声で同調した。
「この旧式術式で守られた私たちの区画に向けて、先ほど撤退した夜行種の群れが再びUターンしてきているわ。それも、さっき以上の数で。この場所の防衛線を物理的に突破して、休息中の人間を蹂躙する気よ」
「上等だ。真っ向から叩き潰してやる」
レグルスが戦斧を肩に担ぎ、誰よりも早く石室の入り口へと進み出た。
「レグルスさん。アンタの疲労度は?」
「俺を誰だと思っている。九十分の《瞬眠》で、体力も集中力も実戦水準まで戻っている。……レン、お前は後ろで、休む奴らの管理に集中しろ」
レグルスは俺を振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「俺は、起きている時間にしか自分の価値を見出せない男だ。だから、長く休む必要があるお前たちを守って戦うのは、一番長く起きられる俺の仕事だ」
彼は己の短眠というスタイルを捨てたわけではない。短眠であることの強さをそのままに、他人の長い休息を守るための盾へと、その立ち位置を変えたのだ。
「頼もしいこと言ってくれるわね。だったら、前衛の要は譲るわ」
セレナが白銀の剣を抜き、レグルスの右斜め後ろへポジションを取る。
「ボルド、ダリオ、私たちもサポートに回るわよ。レグルスのスタミナを最大限に活かして、防衛線のローテーションを再構築するわ」
「応ッ!」
「任せろ!」
重戦士たちと伝令のダリオが素早く散開し、石室の入り口に分厚い防衛網が敷き直された。
ほどなくして、暗闇の奥から夥しい数の赤い目が現れた。シャドウハウンドの群れだ。
だが、今の防衛線は先ほどまでとは桁違いの安定感を持っていた。
「オラァッ!!」
レグルスの戦斧が空気を裂き、先頭の魔獣数匹を文字通り粉砕する。
彼の圧倒的な暴力が敵の波の勢いを殺し、漏れた個体をセレナとボルドが的確に処理していく。短眠のカリスマが最前線で暴れ回ることで、他の前衛陣の疲労蓄積は劇的に抑えられ、後方では救出されたばかりの冒険者たちが、旧式術式と俺の《安息陣》の恩恵を受けて深い眠りにつくことができていた。
「すごい……。あれが覚醒王の本当の強さか」
後ろで結界の維持を手伝っていた魔術師が、息を呑んで呟いた。
無理やり睡眠を削って虚勢を張るのではない。本物の強者が、その適性を全開にして仲間を守る姿は、圧倒的な頼もしさに満ちていた。
このまま防衛線を維持し、順番に休息を回していけば、必ず全員で地上へ生還できる。誰もがそう確信しかけた、その時だった。
ズンッ……!
迷宮の底から、腹の底を直接殴りつけられるような、異質な重圧が這い上がってきた。
ただの地鳴りではない。空気が粘り気を帯び、石室の温度が急激に下がったように錯覚するほどの、濃密な死の気配。
「……何だ、今の魔力は」
前線で戦斧を振るっていたレグルスでさえ、その異常な重圧に一瞬動きを止めた。
後方で魔力観測を続けていたフィアの晶石が、これまでにない激しい赤い警告光を明滅させ始めた。
「……駄目。さっきまでの群れとは桁が違うわ」
フィアが血の気を失った顔で、震える指を晶石の画面へ向けた。
「とてつもなく巨大な単一の魔力反応が、真っ直ぐここへ向かってくる。……最深部の主クラスよ!」
群れを差し向けるだけでは突破できないと判断したのか。
迷宮の深層に潜む巨大な悪意が、休息区画に集まった俺たちを直接蹂躙するため、その重い歩みを進めてきたのだった。




