第38話 隠すより先に、生き残る
グレン局長は旧式術式の現場利用だけを許可し、情報公開は保留した。通信の最後に混じった『ツッ、ツッ、ツー』という三連の雑音が消えぬうちに。
俺たちが開拓を進めていた脱出路の前方から、鼓膜を破るような轟音が轟いた。
「なんだ!?」
「前方の岩盤が崩れたわ! 土煙の奥、複数の魔力反応が下敷きになってる!」
フィアの叫びと共に、先行して瓦礫の撤去作業にあたっていた冒険者たちが血相を変えて逃げ戻ってきた。
「駄目だ、崩落で通路が完全に塞がった! 向こう側に、うちのパーティーを含めて十二人が取り残されてる!」
「しかも崩れた岩の隙間から、下の階層の魔獣が湧き出してきやがった! 早く瓦礫を退かさないと、向こう側の連中が食い殺されるぞ!」
パニックに陥る冒険者たちを、ボルドが「落ち着け!」と一喝して巨大な盾を構える。
事態は最悪だ。崩落した岩石の総量は凄まじく、力任せに魔法を撃ち込めば二次崩落で生存者ごと潰してしまう。岩を慎重に砕き、かつ魔獣を捌きながら救出路を確保するには、莫大な魔力と集中力が必要になる。
「本部はなんでこんな時に、旧式術式の存在を隠蔽しようとするんだよ! これを全体回線で公開して応援を呼べば――」
ダリオが通信晶板を握りしめて悪態をつくが、フィアは冷静に首を横に振った。
「グレン局長は隠蔽したわけじゃないわ。ただ、今の迷宮のパニック状態で『ここに行けば眠って回復できる安全な術式がある』なんて情報を流せばどうなるか。……疲労困憊の冒険者たちが防衛線を放棄して、無秩序にここへ押し寄せてくるわ」
「あっ……」
「罠に飛び込んで自滅する『模倣事故』の二の舞よ。局長の判断は、都市を守る稼働管理局のトップとして、至極真っ当な安全保障の理屈だわ。……でも」
フィアは崩落現場へと向き直り、両手に魔力を込めた。
「『現場での利用』は許可された。政治や制度の正しさがどうあれ、今、目の前にある命を救うためには、私たちがこれを使うしかないわ」
彼女が修復した旧式術式の壁が、青白い光を増して脈打つ。
防音幕と振動遮断床布、俺の《安息陣》、古代の休息術式を重ねた休息区画。入口を守る仲間がいて初めて使える、壊れやすい安全地帯だ。
俺は即座に、手元の交代表を崩落救助モードへと書き換えた。
「ダリオ、ボルドさん、セレナ! この区画の退路は任せます! 迫ってくる夜行種を完全にシャットアウトしてください!」
「任せなさい!」
「ここは通さねえ!」
後方の防衛線が強固に構築されたのを確認し、俺は休息を終えて活力を取り戻した魔術師と重戦士たちを前線へ呼んだ。
「これより、瓦礫撤去と救出を交代制で行います。集中が切れた者は申告して後ろへ。五分、十分の短い休止は作業ミスを減らすために使い、魔力が尽きた者は治療班へ回して次の組と交代します」
「そんな短い休止で、魔力まで戻るのか?」
「戻りません。だから無理に同じ人を戻さず、休息を終えた別の組へつなぎます」
俺の断言に、冒険者たちは意を決して崩落現場へと飛び出していった。
岩を正確に砕き、隙間から這い出てくる魔獣を処理する。極度の緊張を強いられる精密作業だ。十分もすれば彼らの集中力は途切れかける。
集中が乱れた者は後ろへ下げ、術式内で水分を取り、治癒師の確認を受ける。短い休止で手の震えが収まる者は軽作業へ戻し、魔力が尽きた者はそのまま長い休息へ回す。代わりに、先に休息を終えた者が前へ出た。
同じ一人を使い潰さず、役割ごと引き継ぐ。休息そのものが奇跡を起こすのではなく、交代が救助の手を止めなかった。
「貫けぇっ!」
最後に残った巨大な岩盤を、交代で前へ入った戦士たちが一斉に粉砕する。
土煙の向こう側で、絶望してうずくまっていた十二人の冒険者たちの姿が確認できた。
「生存者あり! 怪我はしてるが、全員生きてるぞ!」
歓声が上がる。
俺たちは素早く生存者を引き上げ、安全区画へと運び込んだ。誰一人欠けることなく、十二人全員の生還。
俺の携帯晶板に、現場限定での『旧式術式を利用した交代救助』の成功ログが刻み込まれる。単一の覚醒指標では測れない、確かな実務の結果がデータとして残った瞬間だった。
「……素晴らしい手際だ。これが、お前たちの戦い方か」
瓦礫の撤去を手伝っていたレグルス・クロウが、額の汗を拭いながら感嘆の息を漏らした。
彼は通信晶板を見下ろし、グレンからの通信ログを冷たい目で見つめ直した。
通信の中で、グレンはこうも言っていた。『ただでさえパニックに陥っている現場に、睡眠を推奨するような旧技術を公開すれば、レグルスのような覚醒者の士気を下げることにもなりかねない』と。
グレンは本気で、この王都の防衛線を支えるためには覚醒至上主義を守ることが必要だと信じているのだ。
「レグルスさん……」
「気にするな、レン。局長の判断は一つの理だ。だがな――」
レグルスは通信機を手に取り、本部への直通回線を睨みつけた。
「俺の名前を、事実を隠蔽するための『言い訳』に使われるのは反吐が出る。俺が睡眠を削るのは、俺の適性だ。他人の救命のチャンスを奪ってまで守られるべき安いプライドなんて、俺は持ち合わせていない」
彼は迷宮の奥から這い寄る闇を見据え、はっきりと宣言した。
「俺は制度の盾になるつもりはない。俺の言葉が誤解を生んだのなら、俺の行動で落とし前をつけるだけだ」
レグルスが、本部へ向けて今回の救助の全記録と旧式術式の有用性を報告しようと通信の起動ボタンを押した、その時だった。
『――全班に告ぐ。こちらはレグルス・クロウだ』
突然。
ギルドが設定している広域のオープンチャンネルから、冷たく無機質な音声が迷宮全体に響き渡った。
「なんだ……? 俺はまだ何も喋っていないぞ」
レグルスが怪訝な顔で自分の通信機を見る。だが、音声は彼の通信機からではなく、迷宮のどこか別の場所から発信されている『偽の放送』だった。
『退路は絶たれた。これより、足手まといは全て切り捨てろ。負傷者にかまう暇はない。眠らぬ者、長く起きられる者だけを優先し、迷宮の奥へ進め。それが、生き残るための唯一の正解だ』
それは、レグルス・クロウというカリスマの名と『覚醒至上主義』の極論を利用し、極限状態にある冒険者たちの疑心暗鬼と恐怖を煽り、内側から瓦解させようとする明確な悪意を持った偽命令だった。
そして。
その血も凍るような偽命令の放送が途切れる直前。
『――ザザッ……ツッ、ツッ、ツー……』
フィアが復元した中継図に記されていた『指揮核』のマーク。その横に描かれていた三連の信号印と全く同じリズムの雑音が、冷酷に鳴り響いた。
「……通信が、乗っ取られている」
俺は剣の柄を強く握りしめた。
相手はただの魔獣の群れじゃない。百八十年前の記録にある通り、俺たちの通信網に干渉し、情報を操作して同士討ちを狙う知性を持った敵。
姿なき『指揮核』が、ついにその牙を剥いたのだった。




