第36話 交代した方が強い
第四階層、旧避難区画の入り口。
四時間に及ぶ絶え間ない夜行種の襲撃に、ボルドの巨大なタワーシールドは傷だらけになり、セレナの呼吸にも明確な疲労の色が混じっていた。
彼らが血の滲むような思いで維持してきた極限の防衛線。その真後ろから、第一陣の休息組――起床確認を通った前衛と、その背を支える後方組が、決めた順番で持ち場へ入った。
「ボルドさん、セレナ! 下がってください!」
俺の合図と同時に、重武装の戦士たちがボルドの前に出て、新たな岩の壁を構築する。
彼らは数時間前まで、極度の疲労と恐怖で剣を握る手すら震わせていた。今も怯えは残っている。それでも《安息陣》の補助下で休めた彼らは、味方の合図を聞き、決められた位置へ自分の足で入っていった。
「よし、押し返すぞ!」
新しく前衛に入った男の号令と共に、後列に控えていた魔術師たちが一斉に制圧魔法を放った。
休息で魔力量が戻ったわけではない。それでも制御の乱れが減り、残った魔力を使う前に射線を確認できる。闇を照らす閃光がシャドウハウンドの群れを打ち据え、怯んだところを前衛の戦士たちが迷いのない連撃で刈り取っていく。
「グルルゥッ!」
魔法の射線をすり抜けた二匹の魔獣が、陣形の隙間を縫って飛び込んできた。
だが、俺は自ら前に出て、昨日までに何度も試した『変則ステップへの迎撃動作』を使った。知っている予備動作にだけ反応し、敵の重心が右へ傾いたところで踏み込む。すれ違いざまの一撃が、一匹目の急所を貫いた。二匹目は後ろの槍兵が仕留める。
一人で全部を倒す必要はない。次の者が動ける位置を空ける一撃でいい。
俺の動きを起点として、周囲の冒険者たちもまた、恐ろしいほどの連携を見せ始めていた。
「すごい……。さっきまでパニックになっていた連中とは、別人の動きだ」
後方へ下がり、荒い息をついていたダリオが、信じられないというように呟く。
「当然よ。彼らは味方の指示を聞き、自分の役割を選べるところまで戻った。限界を越えて居残る部隊より、確認を通った者へ交代する方が、集団戦では崩れにくいわ」
剣を鞘に収めたセレナが、誇らしげに語る。
競技で磨いた『一歩の精度』を、今は全員の役割分担へ置き換える。休息を続ける者を残しても、交代前より戦線は厚くなっていた。
「ガハハ! 全くだ、こいつは痛快だぜ!」
肩で息をしていたボルドが、タワーシールドを床に突き立てて豪快に笑った。
「俺たちが死に物狂いで抑えていたラインを、あんなにあっさりと押し上げやがって。……これなら、安心して背中を任せられる。俺から『次の休息組を下げろ』と命令する日が来るとはな」
彼はもう、休息を「甘え」や「怠け」だとは思っていない。
戦線を維持し、仲間を死なせないための絶対的な『実利』として、交代制の強さをその身で理解していた。
「……フッ。見事な指揮だ、レン・アルヴァ」
壁際で戦斧の血を拭っていたレグルスもまた、俺たちの戦いぶりを見て低く笑った。
起きている時間を武器にする彼とは違うやり方だ。それでもレグルスは、交代後も戦線が崩れないという結果を、戦術として見ていた。
「押し込め! 一匹も逃がすな!」
休息組の猛攻は止まらない。
疲労の限界を迎えていた前衛陣が下がり、新鮮な部隊が息を合わせて壁を押し出していく。そのあまりの圧力と精度の高さに、獲物を狩る側だったはずの夜行種の群れは完全に勢いを失い、やがて統率を崩して暗闇の奥へと一時撤退していった。
「よし、敵の波が引いた! 今のうちに安全圏を広げるぞ!」
俺の指示に従い、冒険者たちは押し返した勢いのまま、旧避難区画のさらに奥、脱出路へと続く通路まで陣形を前進させた。
そこは、天井の一部が崩落し、大量の岩が積み重なっているどん詰まりの空間だった。
「クリア! 周辺に敵の反応なし!」
警戒の声が上がり、俺は小さく息を吐いて剣を下ろした。
怪我人は出たが、死者はゼロだ。絶望的だった防衛戦を、俺たちは『休む』という戦術によって見事にひっくり返したのだ。
「レン、ちょっと来て。崩れた岩の奥に、何かあるわ」
魔導ランタンを掲げたフィアが、壁際で手招きしている。
崩落した岩の隙間から、自然の岩肌とは違う、平らな壁面が覗いていた。表面の埃の下で、細い溝が一本だけ淡く光っている。
「触らないで。人工の回路かもしれない」
第一陣の戦線交代は、負傷者を増やさずに成立した。
その直後、迷宮の奥で眠っていた別の仕掛けが、俺たちの前に姿を見せた。




