第35話 四十人が寝ている配信
第四階層の旧避難区画。
広い石造りの空間に逃げ込んでいた約四十人の冒険者たちは、誰もが虚ろな目をして壁際で震えていた。中には軽傷を負っている者もいるが、肉体的なダメージ以上に、死の恐怖と極度の緊張による精神的な疲労が限界を超えている。
「これだけの人数となると、少数の見張りでカバーするのは不可能です」
俺は広間の構造を素早く確認し、手持ちの防音幕と振動遮断床布を総動員して、広間の中央に強固な『休息エリア』を構築し始めた。
「レン、見張りのローテーションはどうする?」
「全員を『起きている組』と『休む組』の二つに完全に分割します。中途半端な戦力でダラダラと戦うのではなく、時間を区切って前衛を丸ごと入れ替える」
俺は手元の羊皮紙に、戦力と疲労度を考慮した緻密な『交代表』を書き込んでいく。
ボルドの盾、セレナの遊撃、ダリオの伝令と補助、そしてレグルスの即応力。彼らエース級を核とした防衛陣と、今すぐ休息が必要なこの四十人の疲労者たちをパズルのように組み合わせる。
「おい、レン。マズいぞ」
広間の入り口を警戒していたダリオが、上空を指差した。
そこには、王立保険院とギルドが迷宮内に放っている、中継用の小型飛翔魔導具がふらふらと漂い、こちらの様子を映し出していた。
「この絶体絶命の状況で、数十人が集団で寝ようとしてる絵面だ。王都の配信じゃ、間違いなく袋叩きにされてるぞ」
「世論の批判で俺たちの命が守れるなら、いくらでも炎上させておけばいい」
俺は晶板のカメラなど一瞥もせず、書き上げた交代表を壁に貼り出した。
「世間の声より、この交代表の維持が最優先です。第一陣の休息組は四十名。必要時間はそれぞれ違うので、起床条件は個別に決めます。最初の交代確認は四時間後。俺は外で《安息陣》と交代表を維持し、九時間をまとめて取れる第二陣に入ります」
俺がそう告げると、怯えていた冒険者たちが信じられないという顔をした。
「正気か!? 外から魔獣の鳴き声がしてるんだぞ! こんな状況で眠れるわけが――」
「眠れます」
俺は男の言葉を遮り、入り口に立つセレナたちを指し示した。
「彼らが血を流して入り口を死守します。俺のスキルは、この区画で警戒を緩める手助けをする。外は見張りが受け持ちます。決めた条件になれば必ず起こします」
俺は休息者一人ずつに起床条件と見張りの位置を確認し、防音幕を引いた。
《安息陣》は眠りを強制する魔法ではない。外で誰が守り、どの条件で起こすか。その約束が見える場所で、張り詰めた警戒を少しだけ緩める補助にすぎない。
幕の向こうで、ばらばらだった呼吸が少しずつ長くなっていった。
* * *
『旧避難区画/晶板中継/午前二時三十分』
王都アルシオンの巨大広場。深夜にもかかわらず、多くの市民や冒険者たちが食い入るように大型晶板の配信を見つめていた。
そこに映し出されているのは、目を疑うような光景だった。
迷宮の奥深く、夜行種の魔獣がすぐそこまで迫っている絶望的な状況下で。防音幕で囲われた広間の中央に、数十人もの冒険者たちが整然と横たわり、穏やかな寝息を立てているのだ。
【おい、嘘だろ。こんな地獄のど真ん中で集団睡眠!?】
【狂ってる! 見張りの数が絶対的に足りてないぞ!】
【最下位のレン班だろ? 自分たちだけじゃなく、他のパーティーまで道連れにする気かよ!】
コメント欄は非難と嘲笑、そして明らかな恐怖で埋め尽くされていた。
だが、その非難の声は、カメラの視点が広間の『入り口』へと切り替わった瞬間、ピタリと止むことになった。
【……いや、待て。あの入り口の防衛線を見ろ】
暗闇の通路から、津波のように押し寄せる漆黒の夜行種――シャドウハウンドの大群。
それを迎え撃つのは、たった十数人の『起きている組』だった。
中央で巨大なタワーシールドを構え、文字通り岩の壁となって通路を塞ぐボルド。
その両脇から漏れ出た魔獣を、銀の閃光で的確に間引いていくセレナ。
ダリオが後方から投擲で牽制を入れ、陣形が崩れかけた場所には、真紅の髪を揺らす覚醒王・レグルスが飛び込んで戦斧を叩きつける。
「ハッ! 俺のやり方とは真逆だが、悪くないぜ!」
レグルスは魔獣の頭蓋を粉砕しながら、不敵な笑い声を上げた。
彼は少し前に九十分の休息を終えたばかりだ。本来であれば、自分のスコアを稼ぐために単独で迷宮の奥へ突き進むべき男。だが彼は今、長く眠る者たちを守るための盾役として、この防衛線に自然に溶け込んでいた。
「ここで防衛線を抜かれたら、あの九時間寝るバカの交代表が狂っちまうからな! 一歩も通すなよ!」
「言われるまでもないわ!」
セレナが剣を翻し、三匹の魔獣を同時に牽制する。
彼らの戦い方は、敵を全滅させるためのものではない。ただひたすらに、後ろの防音幕の中で眠る者たちを『絶対に起こさない』ための、時間稼ぎと防衛に特化した陣形だった。
一歩も引かない。いや、引けないのだ。彼らが一歩下がれば、それは後ろの人間たちの安息を壊すことを意味する。
配信を見守る王都の観客たちは、いつしか批判のコメントを打つ手を止め、息を呑んでその死闘に魅入られていた。
睡眠を削って戦う者が偉いとされてきた世界で。
眠っている仲間を守るために、持てる技術のすべてを注ぎ込んで死線に立つ彼らの姿は、あまりにも気高く、強烈な説得力を持っていた。
* * *
『旧避難区画/晶板中継/午前六時三十分』
激しい防衛戦は四時間に及んだ。
さすがのセレナやボルドたちの動きにも、明確な疲労の影が見え始めている。
レグルスが素早い連撃で右翼の崩壊を防ぐが、奥の暗闇からは未だに無数の赤い目が光り、夜行種の波が途切れる気配はない。
「くそっ……ボルドさん、盾が押されてるぞ!」
ダリオが焦燥に満ちた声を上げる。ボルドの巨大な盾が、魔獣の質量に押されて数センチ、後ろへ下がった。
防衛線が決壊する。誰もがそう思った、その瞬間だった。
ピピピッ、ピピピッ。
静寂を保っていた防音幕の奥から、無機質な魔導時計のアラーム音が鳴り響いた。
直後、分厚い幕が勢いよくめくられる。
中から現れたのは、四時間前まで絶望と恐怖に打ちひしがれ、自力で立つことすらままならなかった四十人の冒険者たちだった。
「――っ」
最前線で剣を振るっていたセレナが、彼らの顔を見て小さく息を吐いた。
四十人の冒険者たちは、起床確認に自分の名と役割を答えた。まだ足元の危うい者もいる。俺は前衛へ戻れる者、後方支援に回る者、休息を続ける者を、その場で分けていった。
その集団の先頭で、俺は防衛線の脇で交代表を確認し、起き上がった者から順に前へ送った。
「時間だ。代わりましょう」
俺の声が広間に響く。
その言葉を合図に、武器を握れる者が前へ出て、残る者は矢束と治療具を運んだ。四十人全員が、自分で選び直した役割へ動き出した。
「下がれ、剣姫! ここからは俺たちの番だ!」
体力を取り戻した重戦士たちがボルドと入れ替わるように盾を構え、魔術師たちが後列から一斉に制圧魔法の詠唱を始める。
それは、ただの援軍ではない。
疲労の底から引き上げられ、役割を選び直せる状態まで戻った『交代部隊』の誕生だった。
「……ふっ、時間通りだな」
レグルスが戦斧を肩に担ぎ、前線を彼らに譲って後ろへ下がる。セレナとボルドもまた、安堵の息をついて武器を下ろした。
王都の晶板配信が映し出したのは、崩壊ではなく、見事なまでの『戦線交代』が成立した歴史的な瞬間だった。




