第30話 競技終了、救助開始
退出門が消えた後も、天井付近の採点板だけは直前の順位を光らせていた。
《総合暫定一位:レン班(一九五〇点)》
《速度・到達首位:レグルス班》
「……ふざけんなよ。やっと一位になったのに、中止ってなんだよ!」
ダグが忌々しげに壁を殴りつける。
周囲にいた他のパーティーの冒険者たちも、突如として出口を奪われた恐怖に青ざめ、口々に不満や不安を叫び始めていた。パニックが連鎖し、救護区画の空気は一気に泥のように重く淀んでいく。
「ダグ。文句を言っても道は開きません」
俺は手元の小型晶板を操作し、表示されていたスコアの画面を容赦なく消去した。
「競技は終わりです。あんな点数はもう何の意味も持たない。これからは、生き残るための実務に切り替えます」
「レンの言う通りよ」
セレナが剣の柄に手を当て、凛とした声で周囲のざわめきを切り裂いた。
「パニックになっている暇はないわ。今この瞬間も、迷宮の奥で孤立している者たちがいる。私たちは彼らを救い出し、全員で生還するための体制を整える必要がある」
「体制って言っても、出口がないんだぞ!? どうやって……」
「俺たちがやるべきことは三つだけです」
喚きかけた冒険者の声を、俺は実務的なトーンで遮った。
「一つ、夜行性の魔獣を凌げる『安全区画候補』の選定。二つ、そこを守る『警戒線』の構築。三つ、戦力を維持するための『休息順』の原則を決めること。……セレナ、現場の班分けと救助路の指示を」
俺が方針の骨組みだけを提示すると、セレナは迷いなく頷き、その場にいる全員を統率する現場指揮官として前に出た。
「手の空いている者は前衛と後衛でペアを組みなさい! 入り口の防衛線は私とダグが構築する! レグルス、あなたは負傷者の搬送と周辺の遊撃を頼める?」
「ああ、任せておけ」
先ほどまで首位を争っていた短眠のカリスマは、己の敗北や順位の消滅に文句一つ言わず、軽々と巨大な戦斧を担ぎ直した。彼は己の《瞬眠》による短時間で判断精度を戻せる機動力を、そのまま災害救助のための最適解として機能させるつもりだ。
「俺は伝令をやろう! 通信機が死んでるなら、足で情報を繋ぐしかねえだろ!」
そこに声を上げたのは、息を切らせて救護区画へ駆け込んできたダリオだった。彼は自身の「五時間半と短い仮眠」というサイクルを見出し、昼間の行軍で高い機動力を維持していた。その脚力を活かし、各区画に散ったパーティー間の連絡網を構築しようというのだ。
「助かるわ。フィア、あなたは?」
「私はこの異常な魔力変動の推移を記録し続けるわ。迷宮の構造変化のパターンが読めれば、脱出の糸口になるかもしれない」
フィアが丸眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。
誰も、俺にどうすべきかを問い詰めたりはしない。セレナの的確な指示のもと、レグルス、ダリオ、フィアといったかつての競争相手たちが、それぞれの持ち味を最大限に活かし、ただの烏合の衆だった競技者たちを一つの『救助班』へと見事に再編していく。
『……ザザッ……聞こえるか! こちらはギルド本部!』
その時、フィアがいじっていた予備の通信晶板から、微弱だがかすかに音声が拾い上げられた。稼働管理局長、グレン・ヴォルクの声だ。
『迷宮内の魔力暴走により、外部からの転移による介入は不可能だ! 現在、物理的な掘削による救助部隊を編成しているが、到達までには時間がかかる! 内部の生存者は極力合流し、戦力を維持しろ!』
「グレン局長! 競技は中止と通達されましたが、救出活動に関する評価はどうなりますか!」
俺が通信機に向かって叫ぶと、周囲の冒険者たちが「こんな時に何を言ってるんだ」というような目で俺を見た。だが、俺にとってはここが一番重要なところだ。
『……大会中の救助点、およびこれからの緊急対応実績については、事態収拾後にギルドおよび共催機関から【正式な報奨対象】として厚遇すると約束しよう。王都《静穏区》への推薦も最大限考慮する! だから、一人でも多く生かして帰れ!』
通信はそこで再び途絶えた。
だが、必要な情報は十分に得られた。
俺は口元に浮かび上がる笑みを隠さず、手元の晶板を腰のホルダーにしまった。
「よし。タダ働きじゃないなら、やる気も出るってもんです」
「レン、あなたって人は本当に……」
セレナが呆れたように肩をすくめるが、その顔には微かな安堵が浮かんでいた。
恐怖と絶望に染まりかけていた周囲の冒険者たちも、俺のあまりに即物的な態度を見て、張り詰めていた悲壮の糸が少しだけ緩んだようだった。
大義名分なんかじゃない。俺は俺の生活目標である『誰にも起こされない静かな家』を買うために、この地獄を生き残り、ポイントを稼ぎ尽くすのだ。
「まずは、先ほどレグルスさんが運んできた負傷者や、連続稼働で疲労が限界に達している者から順に休ませます。第一陣の対象者は、奥の部屋へ移動してください」
俺は防音幕と振動遮断床布を手早く展開し、即席の仮眠所を構築した。
怪我の手当てを終えた若手冒険者や、ダリオのチームで消耗の激しかった者たちが、ふらつく足取りでその部屋へと入っていく。
これで、まずは最低限の休息サイクルが回る。そう思った矢先だった。
「た、たすけて……! 誰か……!」
救護区画の入り口のずっと奥、暗闇の通路の先から、微かな声が響いてきた。
女の声にも、子供の声にも聞こえる、悲痛な叫び。
「生存者か!?」
ダグが身を乗り出すが、俺は即座に彼を制止した。
魔獣の中には、獲物をおびき寄せるために人間の声を擬態する夜行種が存在する。あれが本物の生存者なのか、魔獣の罠なのか、この距離と反響音では判別がつかない。
「待ってください。迂闊に動けば――」
「助けに行かないと! 見捨てる気かよ!」
俺の制止を振り切るように叫んだのは、休息対象に指定され、仮眠所へ入ろうとしていた冒険者の一人だった。
彼は極度の疲労と恐怖で完全に冷静さを失っており、血走った目で俺を睨みつけた。
「こんな状況で、外で人が助けを呼んでるのに……眠れるわけがないだろうが!」
男はパニックに任せて俺を突き飛ばし、仮眠所の区画から通路の外へと飛び出そうとした。
「おい、待て!」
俺が手を伸ばすより早く、男は薄暗い通路へと駆け出していく。
その背中を見送った瞬間、俺は思い知らされた。
防音幕を張り、床を整え、「ここで休め」と場所を用意するだけでは、人は眠れないのだ。
安全が担保されていない極限の恐怖と、仲間を見捨てるかもしれないという罪悪感が渦巻く迷宮の中では、休息という行為そのものが至難の業になる。
俺たちの戦いのフェーズは変わった。
これはもう、得点を競う競技ではない。
決して眠らせてはくれない狂気の迷宮から、いかにして『休む時間』をもぎ取るかという、生存を賭けた防衛戦の始まりだった。




