第28話 寝る九時間が最短ルート
松明の明かりが揺れる第三階層の迷路区画。
百時間迷宮の探索も三日目の夜を迎えようとしている中、俺は石壁の表面に触れながら、わずかな違和感に眉をひそめていた。
「レン、どうしたの? そっちはさっき行き止まりだと確認したばかりよ」
「ええ。ですが、ほんの数分前から、壁の奥の魔力流のパターンがわずかに変化している気がするんです」
俺は手のひらに伝わる微弱な振動を確かめながら、セレナに答えた。
この数日間、俺たちは疲労による手戻りをなくすため、慎重に周囲の情報を収集しながら進んできた。第一階層から書き込み続けている白地図には、罠の配置、魔力流の強弱、そして魔獣の出現頻度といったデータがびっしりと記録されている。
「罠の種類も、完全にランダムというわけじゃない。一定の区画ごとに属性が偏っています。行き止まりの壁の魔力反応、罠の配置パターン……これらには何か、迷宮全体を貫く『規則性』があるはずなんです」
俺がそう呟くと、記録係のフィアが丸眼鏡を光らせて手元の晶板を叩いた。
「確かに、私が測定している環境魔力の数値も、一定の時間を境に不自然な揺らぎを見せているわ。もしその規則性が読み解ければ、罠を完全に回避できる最短ルートが見つかるかもしれない」
「マジかよ! だったら、今日はこのまま夜通し探索を続けようぜ。徹夜してデータを集めまくれば、その法則の正体が掴めるかもしれない!」
ダグが興奮気味に提案し、セレナもまた、上位陣との得点差を埋めるチャンスだとばかりに剣の柄を強く握り直した。
だが、俺は即座に首を横に振った。
「却下します。これ以上不確かな情報を集めても、疲労で判断力が鈍って罠を踏み抜くだけです」
俺は迷宮の壁から手を離し、携帯用の魔導時計を見た。時刻は午後九時半を回っている。
「必要な材料のピースは、すでに俺の頭の中に揃っています。あとは休んで、それを繋ぎ合わせるだけです」
「繋ぎ合わせるって……寝てる間に答えが降ってくるとでも言うの?」
「魔法じゃありませんよ。ただ、疲労した脳で無理にパズルを解こうとするより、休息で綺麗に整理された頭で考える方が、圧倒的に効率がいいというだけです」
俺たちは予定通り、安全な岩陰の窪みに防音幕と振動遮断床布を展開した。
午後十時。俺は寝袋に潜り込み、今日までに集めた『地図の形状』『魔力流の変動』『罠の周期』という別々の記憶のピースを頭の中で強く反芻した。
夢の中で迷宮を歩き回って隠し通路を見つけるような、そんなオカルト的なことは起こらない。俺の《休養》は、俺が実体験した素材を整理し、定着させるだけの地味なスキルだ。
ただ、その「整理する力」は、俺の想像をわずかに超えようとしていた。
* * *
翌朝、午前七時。
アラームが鳴る直前に、俺はスッキリとした頭で目を覚ました。
《未定着経験:迷宮の構造変化、魔力流の揺らぎ、および罠の属性周期――定着・連結完了》
視界の隅に浮かんだシステムメッセージを見た瞬間、俺の脳内に一つの明確な『解答』が広がっていた。
バラバラだった三つの情報を重ねると、夜のうちに考えた仮説のうち、二つは外れ、残る一つだけが今朝の測定値と噛み合った。
「……なるほど。そういうことだったのか」
「おはよう、レン。何か分かったの?」
寝袋を畳みながら聞いてきたセレナに、俺は手元の白地図を広げて見せた。
「この迷宮は、一日(二十四時間)周期で内部構造がゆっくりと変化しています。魔力流が逆転する時間帯があり、それに連動して、絶対に解除不可能な即死罠の区画が『ただの空き部屋』に変わるんです」
「一日周期の変化……!?」
「ええ。昨日の夜、俺が行き止まりだと言った壁も、魔力流の変動によって今の時間は開いているはずです」
俺の確信に満ちた言葉に、フィアが急いで晶石の数値を確かめ、驚愕に目を見開いた。
「レンの言う通りよ……。昨日の夜とは、迷宮全体の魔力の流れが完全に逆転しているわ」
「行きましょう。今の時間帯なら、罠が密集して誰も通らないはずの【西の旧水路】が、最も安全な最短ルートになります」
俺たちはすぐに出発した。
結果は、俺の脳内で組み上がったパターンの通りだった。
昨日までであれば、一歩踏み出すごとに凶悪な魔法罠が起動していたであろう危険地帯。だが、魔力流が逆転している現在の周期においては、罠の起爆式に魔力が供給されておらず、完全に沈黙していたのだ。
他のパーティーが安全な迂回路を探して遠回りをし、あるいは徹夜の疲労で罠を踏み抜いて『三階層戻し』のペナルティを食らっている中。
俺たちは一切の障害を受けることなく、ただ一直線に、誰もいない最短ルートを歩き続けた。
途中で遭遇した魔獣に対しても、セレナの極限まで冴え渡った剣と、俺の定着した足運びが完璧に噛み合い、無傷のまま最高品質の素材だけを刈り取っていく。
一切のやり直し(手戻り)がない。
疲労による判断ミスがない。
俺たちは起きている時間の短さを、一歩あたりの精度と手戻りの少なさで埋め始めていた。
* * *
そして、競技開始から九十時間が経過した。
百時間迷宮のゴールが間近に迫る中、全冒険者の携帯晶板に、運営からの終了直前を告げる『暫定集計』が速報された。
「……レン。速報が来たわ」
歩きながら晶板を確認したフィアの声が、微かに震えていた。
ダグが慌てて俺の肩を叩き、セレナも足を止めて画面を覗き込む。
そこには、部門別のトップと、百時間迷宮の総合暫定順位が明示されていた。
《九十時間時点 部門別暫定首位》
【到達・主要目標】レグルス班
【速度ボーナス】レグルス班
【地図作成・構造把握】レン班
【罠解除・謎解き】レン班
【救助・共同貢献】レン班
到達点と速度という『稼働時間の量』がモノを言う項目では、いまだに覚醒王レグルスが圧倒的な首位を守っていた。
しかし、地図の精度、罠の無力化、そして他パーティーへの安全経路提示による救助点という『行動の質』が問われる項目において、俺たちは二位以下を絶望的なまでに突き放してトップに立っていた。
「総合順位……出てるぞ」
ダグの乾いた声に促され、画面の最下部へ視線を移す。
《総合暫定一位:レン班(一九五〇点)》
《総合暫定二位:レグルス班(一九四五点)》
静寂が落ちた。
わずか五点差。競技の配当としては極めて僅差だが、俺たちは確かに、あの短眠のカリスマであるレグルス・クロウのスコアを抜き去り、トップに立っていた。
起きている時間の長さだけが得点を決めるわけではない。九時間を確保し、前日の失敗を減らして手戻りを抑える俺たちの方式が、競技でも通用した瞬間だった。
「……やったわね。本当に、追いついたわ」
セレナが、信じられないというように口元を覆う。
俺は小さく息を吐き、静かに前を向いた。
「まだ終わっていません。残りの十時間、最後まで精度を落とさずに――」
* * *
『競技階層・第五階層/晶板中継/午後一時十分』
中継晶板には、最下層の一歩手前を凄まじい速度で駆け抜けるレグルス班が映っていた。『暫定二位』の表示を見たレグルスが足を止める。
九十分の《瞬眠》で集中を戻した彼の呼吸は、長い行軍の最中とは思えないほど整っていた。
「……俺たちが、抜かれただと?」
後ろを必死についてきていた班員たちが、信じられないものを見る目で晶板を見つめ、絶句している。
だが、レグルスは晶板を睨みつける代わりに、驚いたように目を見開き、それから獰猛に口角を上げた。
「レン・アルヴァ……。やってくれるじゃないか。まさか、活動量の差を【精度】だけで埋めきるとはな」
レグルスは口角を上げ、巨大な戦斧を肩に担ぎ直した。
「面白い。点差はわずかだ。残りの時間で、すぐに抜き返して――」
彼が再び前へ踏み出そうとした、その瞬間だった。
中継の先、前方の開けた区画に、見知った顔のパーティーがフラフラと歩いてくるのが見えた。
それは、レグルスに憧れ、彼の講習を信じて自らの睡眠時間を極限まで削り、無理な徹夜行軍を続けてきた若手冒険者たちのチームだった。
彼らの顔色は土気色を通り越し、虚ろな目は完全に焦点が合っていない。
「おい、待て! そこは――!」
レグルスが制止の声を張り上げるより早く。
疲労の極致で足をもつれさせた若手の一人が、目の前にあった凶悪な転移罠の感圧板の前へ、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。




