第26話 速度と精度
松明の明かりが届かない、薄暗い第二階層の石造りの通路。
分かれ道に差し掛かるたび、俺は立ち止まることなく、ほんの一瞬だけ壁の表面に触れてから進むべきルートを指し示した。
「右です。左の通路は魔力流が淀んでいる。行き止まりか、罠の密集地帯の可能性が高い」
「了解よ」
セレナが俺の判断に一切の疑問を挟まず、最後尾のダグとフィアを先導する。
昨日、第一階層で時間をかけて集め、九時間の睡眠で翌朝までに整理した『迷宮特有の魔力流のパターン』と『空間把握能力』。それが第二階層に入っても、俺の直感を恐ろしいほどの精度で候補を絞る助けになっていた。
行き止まりにぶつかって道を引き返すような『再探索』のロスは、ただの一度もない。
「シィッ!」
通路の死角から飛び出してきた魔獣に対しても、俺たちの歩みは止まらなかった。
俺が定着したステップで敵の初撃を空振りさせ、体勢の崩れたところをセレナが的確に斬り伏せる。彼女の剣筋もまた、昨夜のまとまった休息によって極限まで研ぎ澄まされており、魔獣の反撃を許して小傷を負うような隙は一切なかった。
「……信じられないわね」
背後を歩いていたフィアが、手元の小型晶板を見つめながら感嘆の声を漏らした。
「第二階層に入ってから四時間。あなたたち、ただの一度も罠のペナルティを踏んでいないし、同じ通路を重複して歩いてもいない。負傷による減点も当然ゼロよ」
「それが俺たちの戦い方ですからね」
「ええ。でも、その結果が外の連中にどう見えているか、教えようか?」
フィアが晶板の画面をこちらへ向けた。
そこには、王都の広場に配信されている公式中継の映像と、リアルタイムのスコアボードが映し出されていた。
『――さあ、百時間迷宮も二日目の午後を回りました! 依然としてトップを爆走するのは覚醒王レグルス・クロウ! 彼の圧倒的な速度に、誰も追いつくことができません!』
実況の興奮した声が響く。だが、その直後、実況のトーンが奇妙な戸惑いを帯びた。
『しかし皆さん、総合順位の変動に注目してください。昨日、開始早々に就寝して最下位に沈んでいたレン班が……現在、なんと総合五十位にまで急浮上しています!』
『一体何が起きているのでしょうか。彼らの到達階層はまだ第二階層の終盤。速度ボーナスもほぼゼロです。しかし……ペナルティ減点が、全くありません!』
晶板の画面に、上位陣と俺たちのスコアの内訳が比較表示される。
晶板には、速度点を持たない俺たちが、地図、罠解除、素材品質を積み上げて五十位へ浮上した内訳が映っていた。昨日の嘲笑は、得点の増え方を確かめる困惑へ変わっている。
晶板の光を落とし、フィアがふふっと笑った。
「外野もようやく、あなたたちのやってることの異常性に気づき始めたみたいね。起きている時間の長さだけが偉いわけじゃない。ミスのない完璧な仕事を積む方が、最終的なリターンは大きいのよ」
「俺は自分が家を買うためのポイントを稼いでいるだけです。外の評価はどうでもいい」
俺は淡々と返し、再び前を向いて歩き出した。
俺の目標は王都の《静穏区》に家を買うことだ。そのためには、ここで上位に入り、他機関からの推薦状をもぎ取る必要がある。
俺の《休養》は万能の魔法じゃない。前日の失敗と情報を素材にして、定着させるだけの地味なスキルだ。だからこそ、今ここで油断して雑な素材を身体に入力するわけにはいかなかった。
* * *
『競技階層・第四階層/晶板中継/午後三時四十分』
フィアが開いた公式中継には、第四階層を進むレグルス班が映っていた。
レグルス自身の斧は初日と変わらず鋭い。だが、後ろの班員が「少し休憩を」と声を上げると、彼はすぐに足を止めた。
『十分休む。水を飲め。置いてはいかない』
その間にレグルスは順位表を開き、減点のない俺たちの内訳を見た。
『遅いだけじゃない。あいつらは手戻りを消して、一歩の得点を上げている。気を抜くな』
班員へそう告げる声まで、中継の集音石が拾っていた。
* * *
第二階層の探索を続けていた俺たちは、やがて巨大な黒い金属の扉の前に行き当たった。
第二階層から第三階層へ降りるための、メインの連絡通路だ。
「レン、扉の横に何か書いてあるわ」
警戒しながら進み出たセレナが、扉の脇に設置された魔導板の文字を読み上げる。
そこには、王立保険院と迷宮管理局の連名による、赤いインクで書かれた強烈な警告文が表示されていた。
『警告。これより先の第三階層は、高リスクの【転移罠区画】となります』
『罠を踏み抜いた者は、いかなる理由や救済措置があろうとも、迷宮の第一階層入り口――すなわち【三階層上部】へ強制転移(戻し)とします』
その文言を聞いた瞬間、ダグが青ざめた顔で一歩後ずさった。
「さ、三階層戻しだって……!? 冗談じゃねえぞ。ここまで来るのに丸二日かかってるんだ。もし罠を踏んだら、数十時間分の労力が一瞬でパーになるってことじゃねえか!」
それは、疲労を溜め込み、注意力が散漫になっている徹夜組の冒険者たちにとって、死刑宣告にも等しいギミックだった。
単純な怪我なら、治癒術師がいれば数時間で復帰できる。だが、物理的にスタート地点へ戻されてしまえば、もう一度この道のりを歩き直さなければならない。
百時間という制限の中で、四時間、あるいは六時間相当のロスを生む最悪のペナルティ。
「速度ボーナスの上限が低い理由が、よく分かったわね。運営は、急いで罠を踏むような思慮の浅い冒険者を、ここで一気にふるいにかけるつもりよ」
セレナが剣の柄を握りしめ、黒い扉を鋭く睨みつけた。
俺は小さく息を吐き、自分の右足の感覚を確かめる。
明日の朝になれば、今日の探索で得たさらに深い空間把握の感覚が、俺の身体に定着するはずだ。
「行きましょう。俺たちなら、確実に抜けられます」
一切の手戻りを許さない、狂気のペナルティ区画。
百時間迷宮の本当の牙が、俺たちの前にその姿を現そうとしていた。




