第23話 百時間迷宮
王都の地下深くに広がる巨大なドーム状の空間には、数百人を超える冒険者たちがひしめき合っていた。熱気と喧騒が渦巻く中、俺たちレン班の四人――俺、セレナ、ダグ、そして記録係として同行するフィアは、スタートラインの頭上に浮かぶ巨大な晶板を見上げていた。
「これね。王立保険院と迷宮管理局、そしてギルドが妥協の末にすり合わせた、災害対応総合基準の採点表……」
フィアが丸眼鏡のブリッジを押し上げながら、晶板に映し出された七つの評価軸と配点目安を読み上げる。
一、到達・主要目標:三五〇点
二、地図作成・構造把握:一八〇点
三、罠解除・謎解き:一六〇点
四、救助・共同貢献:一二〇点
五、素材・討伐品質:一〇〇点
六、休息候補地の登録:四〇点
七、速度ボーナス:上限五〇点
※重傷、救助要請、罠の起動による『戻し』ペナルティは大幅減点。
「見事に速度の価値が抑えられているわね。ギルドの《覚醒指数》なら、連続稼働時間と到達速度だけで全体の八割以上の評価が決まるのに」
「保険院からすれば、睡眠不足の冒険者が罠を踏んで大怪我をし、保険金が支払われるのが一番の損失だからな。迷宮管理局も、手探りで突っ走られるより、正確な地図を持ち帰ってほしいのだろう」
ダグの感嘆したような言葉に、俺は頷いた。
この競技は、単なるマラソンではない。百時間という長いスパンの中で、どれだけ「ミスのない仕事」を積み上げられるかを競うゲームだ。
到達点である三五〇点の比重は確かに大きいが、残りの六項目の合計点はそれを遥かに上回る。
「セレナ。あなたの見立ては?」
「私たちの戦術にも勝ち筋があるわ」
現場指揮を担うセレナは、凛とした声で断言した。
「速度ボーナスの上限がたった五〇点しかない。つまり、無理に急いで徹夜をしたところで、得られるアドバンテージはたかが知れている。逆に、疲労で集中力を落として罠にかかったり、怪我をして進行が遅れたりするペナルティの方が、遥かに致命的になるルール設計よ」
「ええ。だから俺たちは、一切の無理をしない」
俺は背負った重い背嚢の肩紐を握り直した。中には、支給枠のポイントを全振りして手に入れた、防音幕や振動吸収床布といった『休息用の装備』が詰まっている。
「毎日きっちり九時間寝て、前日の失敗と情報を定着させる。地図精度、罠の解除、そして確実な討伐品質。起きている時間の稼働密度を極限まで引き上げることで、寝ている九時間分のロスを埋めて勝つ」
方針の最終確認を終えた直後、ドーム内に百時間のサバイバルの幕開けを告げる、重々しい鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォォォン……!
「行くぞオラァッ!」
「出遅れるな! 第一階層は素通りして到達点を稼げ!」
周囲の冒険者たちが、怒号と共に一斉に迷宮の奥へとダッシュを始めた。
彼らの多くは、新制度である《覚醒指数》に最適化された思考を持っている。「長く起きていること」、そして「早く遠くへ行くこと」が偉いと信じて疑わない。
その濁流のような集団の先頭を、圧倒的な脚力で切り裂いていく男がいた。
巨大な戦斧を担いだ真紅の髪の男――『覚醒王』レグルス・クロウだ。彼の動きは、覚醒薬で無理やり神経を昂らせている他の冒険者たちとは全く違う。筋肉のバネ、重心の安定感、すべてが力みなく自然体でありながら、常人の倍近い速度で迷宮の奥深くへと消えていった。
「やっぱり、レグルスさんは本物ですね。あの速度に真っ向から付き合ったら、半日で足が潰れますよ」
「私たちは私たちのペースで行きましょう。まずは初期情報の収集よ」
俺たちは走る連中を見送り、最後尾からゆっくりと迷宮内部へ歩を進めた。
百時間迷宮の第一階層は、古い地下水路を思わせる石造りの通路だった。壁は湿り気を帯び、足元には薄く水が張っている。
「レン、右の壁から微かな魔力流を感じるわ。何か仕掛けがあるかもしれない」
「調べます。セレナとダグは、周囲の警戒をお願いします」
前方を走るパーティーが罠などお構いなしに水しぶきを上げて突き進む中、俺たちは通路の端でピタリと足を止めた。
俺は壁面に触れ、石の繋ぎ目に微かな不自然さを見つけた。目を凝らすと、そこには旧時代の感圧式トラップに繋がる魔力線が走っている。
「……なるほど。この迷宮の罠は、単純な物理式じゃなく魔力による起動遅延が組み込まれているのか。踏んですぐには発動せず、数秒後に後続を巻き込むタイプですね」
俺は罠を即座に解除せず、作動のメカニズムと解除ピンの構造をじっくりと時間をかけて観察した。
すぐに解除してしまえば、「できた」という結果しか残らない。どういう構造で、どこを弄れば失敗するのか。そのリスクと手触りを明確に『未定着経験』として脳に刻み込むのだ。
「ギチチチ……!」
通路の奥から、水音を立てて巨大な節足魔獣――ケイブセンチピードが這い出してきた。
複数の脚を蠢かせ、毒液を滴らせる顎を鳴らして迫ってくる。
「レン、来るわよ」
「ええ。ですが、一撃で殺さないでください。あの多脚の駆動パターンと、毒を吐く前の予備動作を見ておきたいんです」
「分かったわ。私が前で受けるから、あなたは観察を優先して」
セレナが前に出て、魔獣の猛攻を華麗な剣捌きで捌き始める。
彼女は決して致命傷を与えず、敵の攻撃パターンを引き出すように立ち回ってくれた。俺はその背後から、魔獣の脚の動き、地面を蹴る際の重心の移動、顎が膨らむタイミングを、一つ残らず目に焼き付けていく。
効率的な討伐とは程遠い、酷く手間の掛かる泥臭い戦闘だ。
俺たちは「今日一日でどれだけ進むか」には全く興味がなかった。「明日の朝、今日の経験をどれだけ再現できるか」のための素材集めに、全神経を注いでいるのだ。
* * *
競技開始から、六時間が経過した。
俺たちはまだ第一階層の奥、第二階層への階段すら見えない位置で、壁の材質と魔獣の分布をちまちまと記録していた。
その時、ギルドから支給された携帯用の小型晶板が、ピコンという通知音と共に第一回の中間速報を受信した。
『開始六時間経過! 暫定順位の発表です!』
フィアが晶板の画面を覗き込み、表情を引き締める。
「……予想通りというか、とんでもないわね。暫定トップはレグルス班。彼ら、もう第三階層の半分まで到達しているわ。到達点と速度ボーナスを荒稼ぎして、ぶっちぎりの一位よ」
画面に表示されたレグルス班の総合スコアは、他を圧倒していた。
彼らだけでなく、睡眠時間を削って突っ走る覚醒系のパーティーが軒並み上位を占めている。
「で、俺たちの順位は?」
ダグが恐る恐る尋ねると、フィアは表示を下へ送り、やがて苦笑いを浮かべた。
「全体の三百二十班中、三百十五位。到達点も速度点もゼロに等しいから、最下位付近ね。ギルドの公開配信サイトのコメント欄も、私たちへの嘲笑で溢れているわ」
フィアが読み上げるコメントには、『やっぱり九時間睡眠の怠け者じゃ勝負にならない』『あんな入り口付近で何時間立ち止まってるんだ』『さっさとリタイアしろ』といった辛辣な言葉が並んでいた。
客観的に見れば、絶望的な大差だ。六時間でこれほど開いた差を、これから九時間も寝て立ち止まる連中が覆せるわけがないと、誰もが思うだろう。
「……」
だが、俺の心に焦りは一切なかった。
手元の白地図には、第一階層の罠の傾向、魔力流のパターン、そして魔獣の確実な処理手順が、びっしりと書き込まれている。今日の素材集めとしては、十二分すぎる成果だ。
「放っておきましょう。外の連中には、勝手に騒がせておけばいいんです」
俺は晶板の光を落とし、懐にしまった。
「そろそろ午後四時ですね。今日の探索はこの辺で切り上げて、安全なエリアに防音幕を張りましょう。夕飯の準備をして、ゆっくりと風呂(清浄魔法)を済ませてから、予定通り九時間の睡眠に入ります」
俺の言葉に、セレナは迷いなく頷き、ダグも「ようやく飯か」と笑った。
短眠エリートたちが焦燥に駆られて暗闇を疾走する中。
俺たちレン班は、百時間のサバイバル競争の最中に、誰よりも早く深く、極上の休息に入る準備を始めた。




