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九時間寝る俺は怠け者扱いでしたが、ハズレスキル《休養》で昨日の失敗を定着させ、眠らない迷宮を生き残る  作者: 他力本願寺


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第18話 眠気がないのに疲れている

比較遠征も八日目に入った大断層渓谷の北側エリア。


 俺とセレナ、フィアの三人は、同じエリアを探索していた別のパーティーと陣形を並べ、渓谷特有の硬い外殻を持つ魔獣の群れと対峙していた。


「ガハハ! 俺の盾を抜けると思うなよ、虫ケラども!」


 最前線で豪快に笑いながら巨大なタワーシールドを構えているのは、B級の盾役ボルド・ガランだ。三十代前半の筋骨隆々な男で、この遠征の初日から覚醒薬(眠気遮断薬)を常用し、最前線に立ち続けているタフな冒険者だった。


「ボルドさん、薬の飲みすぎじゃないですか? 少し後ろに下がって……」


「馬鹿言えレン、眠気なんて微塵もねえよ! 主観の疲労はゼロ、むしろ初日より身体が軽く感じるくらいだ。ここが稼ぎ時だろうが!」


 ボルドは俺の忠告を笑い飛ばし、腰のポーチから濁った緑色の小瓶を取り出すと、また一本、覚醒薬を飲み干した。


 彼の言い分はこの王都ではごく普通のものだ。薬で眠気と痛覚を麻痺させ、長く起きて活動し続ける。それが冒険者としての努力であり、評価の対象なのだから。


 前方の岩肌から、二匹のブレードマンティスが飛び出してきた。


 人間の背丈ほどもある蟷螂型の魔獣で、両腕の鋭い鎌が武器だ。動きは直線的だが、踏み込む直前に一度だけ鎌を交差させて視界を塞ぐ、単調なフェイントを持っている。


(来るぞ)


 俺が剣の柄に手をかけた、その時だった。


 最前線に立つボルドの盾が、魔獣のフェイントに対して明確に『一拍』遅れた。


「――なっ!」


 本来なら難なく受け止められるはずの単調な軌道。しかし、ボルドの盾は魔獣の鎌が通り過ぎた後に虚しく持ち上がり、がら空きになった彼の右肩へ、鋭い刃が容赦なく振り下ろされた。


 ガァンッ! という重い金属音が響き、ボルドの肩の厚い装甲がひしゃげる。


「ぐおっ……! なんだ、今の変則的な軌道は!?」


 ボルドは悲鳴を上げながら体勢を崩した。


 驚くべきことに、彼は自分の反応が遅れたことにすら気づいていなかった。敵の軌道が突然速くなったのだと錯覚し、パニックを起こして後続の攻撃に対してさらに防陣を崩してしまったのだ。


「セレナ!」


「任せて!」


 崩れ落ちるボルドの首を狙って二匹目が鎌を振り上げた瞬間、俺は地を蹴った。


 昨日、セレナにこってりと絞られて上書きし直した『正しい軸の踏み込み』。俺は魔獣の死角へ正確に滑り込み、下から剣を突き上げて鎌の軌道を強引に上へ逸らす。


 敵のヘイトが俺に向き、ガラ空きになった胴体へ、後方から跳躍したセレナの白銀の剣閃が叩き込まれた。


 二匹のブレードマンティスは、俺とセレナの連携の前にあっけなく両断され、岩場に沈んだ。


「大丈夫ですか、ボルドさん」


 俺が手を差し伸べると、ボルドはひしゃげた肩の装甲を押さえながら、信じられないものを見る目で自分の震える腕を見つめていた。


「……おかしい。俺は全く疲れていないはずだ。痛みも眠気もない。なのに、なんであんな単調な攻撃に盾が間に合わなかったんだ?」


「主観ではそうでも、身体の判断精度が落ちています。薬で隠しているだけで、脳の処理速度が限界を超えているんです」


 俺が実務的に指摘すると、ボルドは言い訳や逆ギレをすることなく、重い溜息を吐いた。


「……そうか。俺の判断ミスだ。俺のせいで陣形を崩した、すまねえ。お前たちの言う通り、少し後ろへ下がる」


 彼は盾役としての強い責任感を持つ男だ。だからこそ、自分の限界を素直に認め、仲間を危険に晒す前に退くことを選んだ。


「肩の傷を見せて。すぐに塞ぐわ」


 後方で待機していたフィアが駆け寄り、ボルドの肩へ治癒魔法をかけながら、彼の腕に測定用の小型晶石を押し当てた。


 彼女は晶石の奥に浮かび上がる数値を読み取り、丸眼鏡の奥の瞳をすっと細めた。


「やっぱりね。ボルド、あなたの筋肉の記憶回路は、かなり強引な形で上書きされているわ」


「強引な形?」


「ええ。覚醒術や薬を使った者が、休まなくても成長したように見える理由が分かったわ。荒い経験まで動作へ押し込まれるから、私たちは『長く起きるほど成長する』と誤解してきたのよ」


 フィアは晶石をしまい、俺たちへ向かって簡潔に告げた。


「覚醒術や眠気遮断薬には、睡眠をとらなくても、昼間に得た未定着経験の一部を荒い形で技能へ固定する作用があるのよ。私はこれを『強制固定』と名付けるわ」


「寝なくても、経験が定着するってことですか?」


「そう。だから短眠の冒険者たちも、戦えば戦った分だけある程度は成長できる。でも、自然な休息を経た定着と違って、複数技能の統合や判断精度の伸びが極端に低いのよ」


 フィアの言葉に、俺はボルドの動きを思い返した。


 確かに、彼の盾の技術自体は遠征初日よりも上がっていた。しかし、状況の機微を読み取る判断力が決定的に欠落し、結果として致命的なエラーを引き起こしたのだ。


 短期的な討伐件数だけを見ているギルドの評価軸では、この『強制固定』の歪みは可視化されにくい。だからこそ、覚醒至上主義は百八十年もの間、誰にも疑われずに続いてきた。


「主観の疲労がないまま、身体と判断力だけが壊れていく……。恐ろしい薬だな」


 ボルドが青ざめた顔で小瓶を見つめ、それを地面に投げ捨てた。


「俺は盾役だ。痛みを隠せても、俺の判断ミスで仲間を死なせちゃ意味がねえ。……休むことも、盾役の実利ってことか」


「分かってもらえて何よりです。今日はしっかり寝てください」


 ボルドは割れた小瓶を見下ろし、それから盾を背負い直した。


「次の見張りは外してくれ。今日は休んで、明日また盾を持つ」


 その選択こそが、彼が仲間を守るために下した最初の休息判断だった。

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