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宰相なんてやめてやる!! -若き令尹、蔿艾猟の苦難-  作者: ペンギンの下僕


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9/11

楚に名将なし

 蔿艾猟いがいりょうの語った桓、武とはていの国祖たる桓公とその子である武公のことである。そして繻葛しゅかつとは、武公の子、荘公が参戦した戦いであった。

 桓公の時、まだ大陸では周王朝が権威を誇っていた。だが周王朝はやがて零落し、西方の異民族に攻められて遷都を余儀なくされてしまったのである。

 この時、周王朝のために最後まで奮戦したのが桓公であり、その後を継いで周王朝を輔佐したのが武公である。

 中国北方、楚と覇を競うしんは諸侯を束ねるための旗印として尊王を掲げている。諸侯一丸となって周を支え、その筆頭として晋があるという姿勢を取っているのだ。

 そういう観点からいけば鄭は最初に覇者となった国とも言える。

 ただし荘公の代になって周王朝と鄭との間に亀裂が生じた。周王朝は鄭を疎ましく感じ始め、やがて諸侯を率いて鄭を攻めたのである。この時、両者が戦った地の名が繻葛であった。

 荘公は兵を率いて応戦し、周王朝を破ったのだ。この敗戦で諸侯は周の零落を知り、以降はその権威を重んじることはあってもその力を頼もうとはしなかったのである。


「現にかつて鄭は晋の文公の不興を買いましたが、その子が文公に寵愛されていたために滅亡を免れました。今、楚が鄭を滅ぼせば必ず晋は諸侯を率いて鄭の地を回復し、新たな公子を立てて再び鄭を興すでしょう」

「その時はこちらも諸侯を率い、晋と雌雄を決するまでだ」


 伍参はあくまで引くつもりはないようである。

 晋楚が戦えば勝つのは楚である。伍参の前提とする考えはそれであり、ならば議論はどごでも平行線を辿るかと思われた。

 そもそも、この場で弁論を戦わせたとてそれが楚の国策となるわけではない。蔿艾猟には、続きは王の御前にて行いましょうと言って会話を打ち切ってもよかった。

 しかしそれでは釈然としない。この時、蔿艾猟の中にも、


 ――ここで退いてなるものか。


 という意地があった。


「では伍大夫にお聞きしたい。今の楚に、郤缺げきけつ士会しかいを凌ぐ将がおりましょうか?」


 郤缺、士会は共に晋で卿の要職にある人である。どちらも名将としてその名は広く知られていた。


「司馬の子反しはんどのを筆頭に、子重しちょうどの、潘党はんとうどの、養叔ようしゅくどのがおられるではないか」


 伍参が挙げた名は、いずれも楚の軍中で武勇に優れた人たちである。


「なるほど、その方々はいずれも勇将であり率いる兵も勁悍です。しかしそれは喩えて言うならば猟犬の強さであり、狩猟において算段を練り指示を下す人としての機智に優れた将は、私の見たところおられません」

「聞き捨てならんぞ!! つい先日まで田舎に引きこもっておった孺子こぞうが偉大な先達を侮辱しおって!!」


 伍参は激昂して立ち上がった。この時、伍参が礼服でなくその腰に剣を佩いていたならば、その刃は間違いなく蔿艾猟の首筋に突きつけられていたことだろう。

 それでも蔿艾猟は動じていない。田舎に引きこもっていた孺子こぞうという評を否定はしないが、自身の言葉が間違っているとは思っていなかった。


「武王から今日に至るまで、私は楚で屈瑕くつかの他に名将と呼べる人を私は知りません。その屈瑕も最後には驕慢によって死にました。楚は四方千里の大国ではありますが、その広土は強兵によって築かれたものです。勇を頼む戦いは知勇を備えた敵には勝てぬことは、かつて令尹子玉(しぎょく)城濮じょうぼくで証明しました」


 子玉とはかつて楚で令尹だった人であり、勇猛で鳴らした将でもあった。そしてこの子玉が兵を率いて晋の文公と戦った城濮の戦いこそが、晋の覇権を決定づけた会戦である。

 子玉は兵を率いて果敢に戦ったが、文公率いる強兵と、麾下の名将たちの智略の前に敗れ去ったのだ。


「将の力は強兵を凌ぎます。かつて士会が秦にあった時、その卓越した旗鼓の才をもって晋を散々に破ったことからもお分かりでしょう」


 秦は楚と同じく、晋や周王を信奉する国からは野蛮な国と蔑まれてきた国である。しかし士会という将は亡命して秦にいた時、客将として何度も晋に勝ったことがあったのだ。

 蔿艾猟の言葉はただ若さと偏見からくるものではなく、確かな知見が下敷きとしてあった。

 しかし伍参にも言い分はある。


「それは晋の兵が弱かっただけのことである」


 楚の兵の強さを他のものと比べることは出来ない。名将の指揮で他国の軍同士が争ったところで、その勝敗は楚軍の優劣を語る材料にはならないというのが伍参の主張であった。

 二人の話はどこまでも平行線である。互いに異なる方向を見ながら頑として首を曲げようとせずに一つの議論を行っているのだから、交わることがなくて当然であった。

 やがて伍参は、意見を曲げようとしない蔿艾猟に耐えかねて出ていった。

 蔿艾猟は残された申叔時に頭を下げ、


「後日、出仕いたします。今日のところはお引き取りいただきたき」


 と恭しく言った。

 申叔時も、仕方ありませんなと言って、そのまま官衙を後にしたのである。


 **


 王宮に戻った申叔時は、ありのままを楚王に復命した。

 楚王は頬杖をつき嘆息したが、その眼がわずかに笑っているのを申叔時は見逃さなかった。


「やれやれ。伍参にも蔿艾猟にも困ったものだ」

「そうですな」


 申叔時は含みを込めて頷いた。楚王は顔をわずかに上げると、


「そなたはどう見る?」


 と聞いた。


「伍氏は頑迷が過ぎますが、令尹どのは狷介けんかいに過ぎますな」

「そういうことを聞いておるのではない。どちらの言い分のほうが正しいと思うか、と聞いている」


 蔿艾猟がそうと見抜いたように、楚王には葛藤があった。

 鄭に対して強硬な姿勢を取るか、一度、他に目を向けるか。その是非について申叔時の意見を聞きたかった。何度も下問しているのだが、楚の宿老たるこの老人は一度として、どちらが良いと進言することはなかった。

 そして此度も、


「双方の言に理がございます。王が重んじるべしと思われる意見が正しきことであるかと」


 と、明言を避けてそう言うばかりであった。

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