令尹子文
箴尹の男は闘生と名乗った。
「……貴方は闘氏の人でしたか」
蔿艾猟の心中は複雑である。まさか父の死に関わっている闘氏の族員だとは思っていなかったからである。
そもそも、今の朝廷に闘氏がいること自体が意外であった。
「はい。隠していたようで、申し訳ありません」
闘生は静かに頭を下げた。素直にそう謝られると、蔿艾猟としても強く出にくい。
「貴方は、王に排斥されなかったのですね」
「はい。私は闘椒どのの乱の時には国外におりましたので」
「しかし王は、闘氏を憎んでおられるものと思っておりましたが……」
楚王と闘氏との対立は根深い。楚王は即位した時に臣下に誘拐されたことがあるのだが、その実行犯の一人は闘氏である。故に蔿艾猟は、闘椒が敗れた時に闘氏は族滅されたものと思い込んでいた。
「祖父の遺徳に助けられました」
「貴方の祖父というと、もしや子文さまですか?」
闘生は頷く。子文というのは、楚で名高いかつての令尹であり、闘氏繁栄の礎を築いた人でもある。
「王は、『子文ほどの人であっても家を残せないとなれば、私は人に善行を勧めることは出来ない』と仰せになりました。それ故に私は、恐れ多くも王の恵恤を賜ることが出来たのです」
「それは子文さまの功績もあるでしょうが、貴方の人徳でもあると思いますよ」
蔿艾猟がそう言ったのは素直な本心である。闘生は謙虚で野心のない人柄のように思え、それ故に楚王はあえて闘生を殺さなかったのだと、そう感じたのである。
「令尹どのは我らを……闘氏を憎んではおられないのですか?」
「思うところがないではありません。ですが、父を殺した闘椒どのは死んでおられますので」
怒りは人を狂わせると蔿艾猟は思っている。怨讐に囚われた者はもう人ではいられなくなり、人の姿をした鬼になるのだという考え方があり、そういう感情に呑み込まれないように己を戒めているのだ。
「闘生どのには色々とご教授いただきましたが、もう一つ教えていただきたいことがあります」
蔿艾猟は改まって闘生に言った。
「なんでしょうか?」
「私に、令尹子文さまのことを教えていただけないでしょうか?」
蔿艾猟は拝手して頼み込んだ。何故そのようなことを思ったのか、頭を下げた蔿艾猟にも巧くは言えない。ただ、令尹として今日までその名声の続く人のことを知りたいと強く思ったことだけは事実である。
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子文は不義の子であり、生まれてすぐに親に捨てられた。しかしたまたま山野の虎に養育され、その乳を飲んで生きながらえたという。やがて捨てた子が虎に育てられたのを知ると、父は子文を家に戻して闘氏の子として育てた。
長じた子文は父を継いで闘氏の長となり、成王という君主の下で令尹となった。
折しも楚の財政は逼迫しており、子文は様々な政策を施行し、また私財を投じて楚の財政難を建て直したのである。そのために闘氏は困窮した。
成王は楚の財政が落ち着くと、子文の功に報いるべく加禄しようとした。だが子文はその度に令尹の職を辞して下野し、成王が加禄を取り消すと戻ってきたのである。
子文のこの行動についてある人が疑問に思い、こう聞いた。
『人は富貴を求めるもの。それなのにどうして貴方は富から逃げるのですか?』
子文はその問いにこう答えたという。
『民には貧しい者が多く、彼らから税を得ておきながら自分だけが富を求めれば死に近づくことになります。私は富から逃げているのではなく、死から逃げているのです』
この話は成王にも伝わり、ついに成王も子文への加禄を諦めるしかなかった。代わりに、子文が登朝するたびに干し肉一束と朝飯一籠を送ったのである。
それらの話を蔿艾猟は、知識としては知っていた。
しかしその直系の人から改めて語られると、蔿艾猟は次第に胸がざわめきだし、目頭が熱くなっていた。
「高位顕職にあるとは、こういうことなのですね」
「真に、我が祖父ながらその高邁な志には敬仰を抱いております。私は生き続けることで、祖父の名声を汚しているように思えてなりません」
語りながら、闘生は泣いていた。
「ありがとうございます、闘生どの。私は、私の目指すべき道が見えました」
「それならばよかったです。しかし令尹どのにそう言っていただけたのは、私の功でなく祖父の徳でしょう。そして、闘氏を残された王の賢慮です」
「闘生どのは謙譲を知る人ですね。私は子文さまに倣い、貴方に学ばせていただきたい」
そう言って再び拝手すると、蔿艾猟は官衙に向かった。そして、何かに取り憑かれたように書簡と向き合ったのである。




