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宰相なんてやめてやる!! -若き令尹、蔿艾猟の苦難-  作者: ペンギンの下僕


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楚王との語らい

 翌日も蔿艾猟いがいりょうは朝議に参列した。といっても、楚王に命じられた課題はまだ何も手を付けておらず、ただ置き物のように立って廷臣たちの話を聞いているだけなのだが。

 そもそも蔿艾猟が令尹れいいんとなってまだ三日しか経っていない。申叔時しんしゅくじと別れてからの半日は、官衙に積まれた書簡に目を通し、人を遣って所領から家人を呼び寄せる算段をつけているうちに終わってしまった。

 何も発言しない蔿艾猟は廷臣から懐疑と不審の目を向けられたが、蔿艾猟はどこ吹く風である。


 ――文句があるならば、このような性急な抜擢をした王に言ってもらいたいものだ。


 不遜な想いを抱きつつ、一応は議論に耳を傾けている。

 議題は変わらず、ていについてのことである。先日、蔿艾猟に食って掛かっていた()という男は依然として強硬策を推していた。


「令尹どのはどう思われますかな?」


 しかも、事あるごとに蔿艾猟の意見を求めてくる。その度に蔿艾猟は、


「今の私は語る言葉を持ちません」


 と返していたが、伍という男はしつこい。明らかに目の敵にされている。

 廷臣たちによく思われていないのはよい。しかし、伍という男はあまりにも露骨だった。段々と嫌気が差してきた蔿艾猟は、王に一礼すると、


「王と百官の皆さまに語るべき言葉を用意できるまでこちらには参らぬことに致します」


 と言って、さっさと退廷してしまったのである。

 朝議の最中で臣――それも、最高位たる令尹が場を去るなど異例のことであり、楚王への不敬である。即座に首を刎ねられてもおかしくない振る舞いだが、楚王は特に咎めなかった。それどころか、朝議はこれまでと打ち切って、自らも奥へ退いたのである。


 **


 退廷した蔿艾猟は王宮の廊下を歩いていた。さっさと外に出て、自身の邸宅に戻るためである。


 ――帰って、何をやるか。


 読みかけの書物を読むか。それとも令尹らしく、訴状や帳面と向き合うか。

 早く辞めてしまいたいというのは本音だが、生真面目なこの男は、それがどれだけ己の意に添わぬままに積まれたものであろうと、やるべきことを子供のように投げ出してしまうことには後ろめたさを覚えるのであった。


「お待ちください、令尹どの」


 その時、背後から呼び止められた。振り向くとそこには、蔿艾猟と同じくらいの齢の男がいる。礼服を着ているところから察するに廷臣の一人だろう。昨日今日の朝議にいただろうか、と軽く首を捻った。齢の近そうな者がいれば覚えているはずなのだが、蔿艾猟には心当たりがない。


「失礼ながら、私はまだ廷臣の方々の氏名と顔とが一致しません。貴殿は?」

「私のことは後にいたしましょう。それよりも、王が及びです」

「朝議に戻れということであれば、お断り致します」

「いいえ、本日の朝議は終わりました。王は令尹どのと二人で話をしたいと望んでおられます」


 その男は気弱な声をしていた。

 思えば、まだ蔿艾猟は自身を大抜擢した楚王と話してはいなかった。並の臣であればそのような機会はないが、王と令尹ならば密議を行うこともあるだろう。


 ――王が何を考えているか知るにはよい機会かもしれない。


 そう思った蔿艾猟は、大人しく楚王の下へ向かった。

 王の離宮に案内されると、そこでは楚王が、既に平服に着替えていた。重苦しい冠も、幾重もの礼服も取り払ったその姿は、とても一国の王らしからぬものである。


「おう、来たか令尹。箴尹(しんいん)も、大儀であった」


 蔿艾猟をここまで連れてきた男を、楚王は箴尹と呼んだ。これは名前ではなく官職である。

 箴尹の男は蔿艾猟を案内するとそのまま下がった。部屋には楚王と蔿艾猟の二人きりである。


「まあ掛けよ、令尹。酒でも呑むか?」

「昼日中からでございますか?」

「そう堅いことを言うな。ここには私と令尹しかおらぬ。それにまだ、おぬしとはまともに話していなかったからな。酒でも酌み交わしつつ、腹を割って語らおうではないか」


 そういうことならばと、蔿艾猟は付き合うことにした。運ばれてきた酒杯を手に取り軽く喉を潤すと、ずっと気になっていたことを切り出した。


「王は何故に、私を令尹となさったのですか?」

「いきなりだな」

「腹を割って語らおう、と仰せになったのは王でございます」


 それはそうだが、あまりに捻りのない聞き方であったので、楚王は苦笑した。しかしやがて真面目な顔をして、


「それは無論、おぬしの父の遺功に報いるためである」


 と答えた。


「ですが私は国に功なく、しかもまだ若造にございます。いずれというのであれば分からなくもありませんが、物事には順序というものがあるでしょう」

「なんじゃ、不満か」

「はい。私は、令尹などになりたいと思ったことはありません。そもそも、父の遺功を顕彰されたいとさえ思ってはおりません」


 そもそも、蔿賈の功に報いるためにという楚王の言葉からして、蔿艾猟は疑っている。


「それに、虞丘子の推挙もあった」


 これも分からないところである。虞丘子もそう言っていたが、ならば虞丘子は蔿艾猟の人となりをどこで知ったのだろうか。

 蔿艾猟はあの日、始めて虞丘子と会ったのである。それ以前に面識はないし、蔿艾猟は蔿賈の子ではあるが、人に知られるような名声などなかったのだ。


「しかし、わざわざ出仕を拒んでいた私を強引な手段で令尹にするには足らぬと思います。虞丘子や申氏など、私よりも相応しい人は他におられるでしょう」

「相応しいかどうかは私が決めることだ。私の令尹はそなたの他におらぬ。父がそうであったように、私を支えよ」


 言葉には傲慢さがあるが、蔿艾猟を高く評価しているとも取れる言葉である。しかし蔿艾猟の心は動かなかった。


 ――申氏は殷の受王か周の武王と言ったが、この人は斉の桓公か晋の文公だな。なるほど、覇者にならばなれる人かもしれない。


 斉の桓公、晋の文公は楚王より少し前の君主であり、諸侯を率いて周を補佐する覇者という立場になった人たちである。

 褒め言葉のようであるが、蔿艾猟の所感は皮肉を多分に含んでいた。

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