黒い森 8
「……行くのですか」
「ああ」
これ以上の会話は出来そうにない。
八年前、彼が置かれた状況を理解もせずに送り出した、あの朝とは違う。
「その……君にばかり子どもたちを任せて申し訳ないな」
「いいえ」
「いつも感謝していて……」
「はい」
「必ず帰ってくるから」
「……っ、約束ですよ」
こういうときには泣かずに見送るものだと、母から学んだつもりだ。
母が泣いている姿を見たことは、一度もない。
それなのに……私には、同じように出来そうもない。
旦那様は、私の前にひざまずいた。
そして、私の手に頬を寄せる。
「君が俺のために泣いてくれるのは、悪くない」
その言葉は、私を幼い頃からがんじがらめにしていた『泣いてはいけない』という呪縛を粉々にしてしまう。
何度も、何度も、旦那様の言葉に私は救われている。
初めて出会った――トーナメントのあの日から。
「だから、泣き終わったら、笑ってくれ」
――精一杯の泣き笑い。
旦那様が、無事に帰ってくると信じ切れたわけではない。
けれど、旦那様に思い浮かべてほしいのは、泣き顔ではなく笑顔だ。
「愛している。君たちは、俺が生きる意味だから……必ず守る」
「ここが、旦那様の帰る場所です」
「――そうだな。守ってきた場所に、確かに居場所があるから」
旦那様が、聖剣を抜いて私に差し出した。
「魔獣との戦いに終止符を打つ。君と約束したからな」
「ええ、信じています」
「さて、子どもたちには、なんて説明しようか」
私の前では凜々しく頼もしかったのに、彼は眉尻を下げた。
「信じて待っているように、それだけでいいと思います」
「そうだな――」
旦那様が苦笑する。
彼は優しくて、頼もしくて、それなのに子どもたちの前では少し頼りない。
「「お父さま……」」
「ルティア、ハルト、レイ」
子どもたちが、部屋に入ってきた。
たぶん、魔剣がタイミングを見計らって声を掛けたのだ。
「「――強い魔獣と戦うの?」」
「レイブランドに聞いたのか? ……そうだ。今度も必ず倒してくるから、待っていてくれ」
「「……」」
ルティアとハルトが、唇をキッと引き結んだ。
「「見ていてお父さま」」
――ハルトが、宝石がついた魔剣を手にする。
「僕が、家族を守る! 魔剣さん、力を貸してくれるよね!?」
ハルトの瞳が、魔剣の宝石と同じように輝いた。
それに呼応するように、魔剣も宝石を輝かせる。
「ぐっ……うぉおおおおお!」
雄叫びを上げ、ハルトは魔剣を鞘から抜いた。
赤色の閃光が、部屋を包み込む。
その光がやんだとき、レイブランドがハルトの後ろに立っていた。
彼も、私や旦那様と同じように、泣き笑いのような表情だった。
「かっこい~!!」
レイが頬を紅潮させて叫んだ。
ハルトは、ちょっぴり自慢げな表情を浮かべる。
――続いて、ルティアが呪剣を手にした。
「ねえ、呪剣さん。一緒に強くなろうよ」
彼女は呪剣に微笑みかけると深呼吸した。
そして、目をつぶり、腕を前に差し出した。
紫色の光は、先ほどの光に比べ、穏やかだ。
「……お願い」
鞘から現れた呪剣の刀身は、まるで氷の結晶のように透明に輝いていた。
刀身の内部で、魔法回路を紫色の光が描き出す。
「……ルティア」
「きれ~!!」
レイが瞳を輝かせた。
ルティアは、ハルトとは対照的に静かに剣を抜いた。
彼女の周囲に、紫色の光が羽が舞うように輝いた。
まるで、剣の乙女が再びこの王国に舞い降りたようでもあった。
「そうか、君たちも、もう七歳か」
旦那様の声は、掠れていた。
だが直後。感慨に満ちた旦那様の声は、いまだかつてなくうわずったハルトの声に阻まれる。
「……るるるるる、ルティー!?」
「……はあ、感動の場面なのに、ハルったら台無し」
ハルトは、呪剣にかじりつくように顔を近づける。
「透明だから魔法回路が完全に見える! め……メモ帳! 魔剣さんと本の中で見た魔法回路に近いけど、二つに分かれずに二種類の魔法回路が完全に融合している! これが神代の技術なの!?」
「でも、これがすごいってことは、私でもわかるからしかたないかぁ……」
「ああああ! 光が消えたら魔法回路が見えなくなっちゃった!?」
多分、今日は王国の歴史で初めて三振りの剣が抜かれた記念すべき日のはずだ。
そして、魔導具開発がようやく神代に近づく始まりの日でもあるのかもしれない。
「それじゃ、行ってくるか」
「旦那様……」
「見送りは、これくらい軽やかな方がいい」
旦那様は、再び聖剣を掲げた。
「君たちが、魔獣と戦わずに済む――それが、俺の望む世界だ」
旦那様が、ハルトとルティア、そしてレイに力強く微笑みかける。
それから、なんとも微妙な表情を浮かべた。
「レイブランド――お前が泣くと、調子が崩れる」
ハルトが手にした魔剣の宝石に視線を向ける。
魔剣の宝石は、結露をまとっていた。ハルトの後ろでうつむく人の姿のレイブランドの瞳も、多分潤んでいるのだろう。
「泣いてないだって? 鼻声じゃないか……ああ、フィアレイアが心配なのか?」
私には見えた。レイブランドは、やはり人の姿を現したフィアレイアに慰められていた。
旦那様は、黒い森に向かった。戦う覚悟を秘めたように淡い水色に輝いた、聖剣とともに――。





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