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憤怒を背負う者  作者: 縁側×野良猫


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第9話 下層への回廊

扉を潜った先には、緩やかな下り坂が続いていた。

階段ではない。

石を組んで造られた回廊そのものが、僅かな傾斜を保ったまま地下へと伸びている。

明るすぎず、かといって暗すぎもしない。

先は曲がり角に遮られ、その向こうまでは見通せなかった。

ノクスが少し腰を屈め、遠くを見るように片手を額へかざす。

「まだ先があるのか……」

しばらく眺めてから、ため息をひとつ。

「はぁ……」

「依頼遂行中だ」

リオンが淡々と言った。

「仕事だ」

グラードも短く続ける。

「そうよ」

セラの声まで重なり、ノクスは肩を落とした。

その横で、ヴェルナが回廊の奥へ意識を向ける。

「僅かに魔力の流れが変わったわ」

アルマは手元の記録へ視線を落とした。

「状況、位置、記録する」

一行が進もうとした、その時だった。

ノクスがふと後ろを振り返る。

今しがた潜ってきた扉を見つめ、首を傾げた。

「ん……? なんか、この通路に入った時と違わないか?」

「さっきより僅かに魔力の流れが変わっただけよ。どうかした?」

ヴェルナが答える。

グラードとリオンは特に気にした様子もなく、前方へ目を向けたままだ。

「ん……そのくらい。ほとんど誤差はない?」

アルマが尋ねる。

「確かに、そのくらいですね」

セラも頷いた。

「そっか」

ノクスだけが、もう一度回廊を見渡した。

理由は分からない。

だが、斥候としての勘に何かが引っ掛かっている。

「この先、また罠あるかもだから、ちと先行するわ……」

「おう」

「了解」

「任せた」

仲間たちの声を背に、ノクスは一人、回廊を下っていった。

歩幅を狭める。

僅かに腰を落とし、数歩進んでは床へ、壁へ、そして天井へ視線を走らせる。

百メートルほど進んだ。

何もない。

罠らしきものも、魔物の姿もない。

「今んとこ、おかしなとこないな」

ノクスは首を捻った。

「逆になんか不自然だな。ほんと、なんもねぇ。魔物もいねぇ」

もう一度周囲を確認する。

やはり何もない。

「報告に戻るか」

仲間の元へ戻ると、ノクスは確認した範囲を伝えた。

「この先、百メートル先の曲がり角まではなんもなかった。安全だが……ちと不自然な感じがする。勘だが」

「そうか。安全だったんだな」

グラードが頷く。

「進もう」

再びノクスが先頭についた。

その後ろをグラード、僅かにずれた位置をリオン。アルマ、ヴェルナと続き、最後尾をセラが歩く。

互いの動きを邪魔しない程度に間隔を取りながら、回廊の中央を進んでいく。

「俺、魔力わかんねぇから、そこんとこヴェルナに任せる」

「分かってるわ。魔力の流れ方が少しずつ変わってきてるから、気をつけとくわ」

「頼んだ」

アルマも記録から時折顔を上げ、周囲を観察している。

「私も気をつけておく」

「私もそうします」

後方へ一度目を向けたグラードが声を掛けた。

「大丈夫か」

「大丈夫よ」

問題はない。

一行はそのまま最初の曲がり角へ到達した。

すでに一度確認した場所だ。

それでもノクスは足を止める。

腰の投げナイフへ手を伸ばしながら壁際へ寄り、身体を晒しすぎないように曲がり角の向こうを覗き込んだ。

「曲がり角か。もう一回確認するから、皆止まってくれ」

仲間たちも足を止める。

グラードが盾を構えて腰を落とす。

リオンの手が刀へ。

アルマは短弓へ手を添え、ヴェルナとセラもそれぞれ魔法と治癒術へ意識を切り替える。

「変わりなしだ」

ノクスの声で、皆が構えを解いた。

「何もなかったな」

「ああ」

その時、ヴェルナだけが足を止めたまま周囲へ意識を向けていた。

「でも、また魔力の流れが変わってきてるわ。さっきと違って、今は周囲にまで散ってる」

「そうですね。ヴェルナほどは分かりませんが」

セラも周囲を見回す。

アルマが小さく首を傾げた。

「私も……何かまとわりつくような気が」

さらに二百メートル地点までノクスが先行する。

結果は同じだった。

「次の曲がり角までは……やっぱり何もなしだ」

「ふむ。了解した」

グラードが答える。

「また変わった……」

ヴェルナが呟いた。

「すまん。全く分からん」

ノクスが言うと、ヴェルナは一度頷き――途中で顔を上げた。

「うん、そうね……って、でもノクス、魔力あるでしょ! あなたも分からないとか、なんでよ!」

「まあ、あるっちゃある」

ノクスがふっと笑う。

「だが、ほぼゼロだ」

アルマが記録から視線を外した。

「再検査でゼロじゃない。生活魔法使えるかどうかって……」

「あ」

ヴェルナの表情が変わる。

「ごめん」

「謝んな!」

「まあまあ」

セラが苦笑しながら宥める。

ノクスは少しだけ口を尖らせた。

「ちびっとは増えたんだ……」

「どうでもいい」

グラードが真顔で言った。

「また先行頼めるか」

「グラード、言い方……」

「……了解。それが仕事だしな。行ってくる」

「こっちは俺とグラードに任せとけ」

リオンが言う。

「お願いします」

「詳細情報よろしく。記録する」

「ほら、行きなさい」

ヴェルナがしっしと手を振った。

「くっ……」

僅かに肩を落としながら歩き出したノクスだったが、

「フーフッ」

と息を吐く。

数歩も進んだころには表情が変わり

斥候の顔に戻っていた。

床。

壁。

天井。

何もない。

魔物もいない。

仕掛けもない。

それなのに、無意識に腰の武器へ手が伸びる。

「ないな……敵もいねぇ……でも、なんかざわつくな。何だこれ」

答えは出ない。

一度仲間の元へ戻る。

「何もなかったぞ。同じだった」

アルマがその報告を書き留める。

ノクスは黙ったまま、自分たちが来た回廊へ視線を戻した。

「……」

「どうした。何かあったか?」

リオンが問う。

「同じだった……それは変わんねぇ」

一拍。

「なんかな……普通すぎんだよ」

「普通?」

グラードが聞き返した。

「そうだよ。考えてみろ」

ノクスが指を折る。

「遺跡に入ってすぐ、でかいのと戦って。その後の通路やフロアには罠もあった。ギミックもあった」

そして、静かな回廊を見る。

「で、この通路……いや、回廊だな。ここはほんと何もねぇ」

安全である。

それ自体はありがたい。

なのに。

「ひりつくんだよ」

リオンの目が僅かに細くなる。

「ひりつく? 斥候としての勘か?」

ノクスは小さく頷いた。

「……」

グラードが大盾を持ち上げる。

「分かった。何か感じたら言ってくれ。前へ出る」

「分かってる。そん時は任せた」

「先の区間、安全?」

アルマが尋ねた。

「ああ。百パーセントじゃないけどな」

「ありがとう。安全、と」

アルマが記録へ書き込む。

後ろから皆の様子を見ていたセラが、そこで声を掛けた。

「あの……この辺で休憩しませんか? 結構時間も経ちましたし、安全みたいですし」

「ん。そうだな」

「そうね。魔力感知しつつだったから疲れたわ」

「同じく、少し」

「俺もだ」

「んじゃ、休憩すっかー」

回廊の一角。

互いの姿を見渡せる程度の距離を取り、一行は腰を下ろした。

グラードが大盾を置く。

続いて巨大なメイス。

ドン。

ゴン。

石床に重い音が響いた。

それからようやく、グラード自身も胡座をかく。

リオンも静かに腰を下ろし、刀を左側へ置いた。

いつでも右手で抜ける位置だ。

アルマは正座したまま、再び記録を始める。

セラとヴェルナはローブの裾を整えながら腰を下ろした。

最後まで回廊の前後を確認していたノクスも、異常がないことを確かめてから戻ってくる。

「では、俺も」

六人が車座になった。

グラードから左回りに、セラ、ヴェルナ、ノクス、アルマ、リオン。

「腹も空いたし、飯にしとくか」

「確かに」

「だな」

「空いてる」

「ですね」

「そうね」

それぞれが鞄やポーチを開く。

グラードだけは、その巨体に合わせた大ぶりの鞄を傍らへ置いた。

干し肉を一口齧ったアルマが、しばらく咀嚼した後に呟く。

「携帯食……美味しくない」

「携帯食だしな。仕方ない」

「私も、少し……」

セラも困ったように笑う。

ヴェルナは干し肉を睨んだ。

「携帯食だから仕方ないのは置いといて、美味しくないのよね、ほんと。干し肉硬いし、温かくないし」

「そうか?」

グラードが干し肉を齧る。

「あなたねぇ……まあ、グラードだし」

「依頼遂行中だしな」

「俺だしって何だ?」

「あなた何でも美味しそうに食べるじゃない!」

「食えるものだけだ。干し肉もそこまで硬くないが」

「うん、グラード」

アルマが淡々と締めた。

その横で、ノクスだけは自分のポーチを漁っていた。

干し肉。

そして小さな包み。

中から乾燥させた青菜を取り出し、

何気なくぽりぽりと齧り始める。

ヴェルナの視線が止まった。

ノクスの口元。

そして手元。

「……ちょっと。あなた何齧ってるの?」

「んぁ? 青菜物の乾燥したやつだが。これがどうしたんだ?」

「あなた、なんでそんなもの持ってるのよ!」

「携帯食料だけじゃ飽きるし」

ヴェルナの視線が、ノクスのポーチへ移った。

「それ……まだある?」

「あー、そこそこあるかな」

「みんなの分ある?」

「まあ、そのくらいならな」

「……全部出しなさい!」

ノクスが反射的にポーチを胸元へ引き寄せた。

「なんでだよ!」

「あ、私も……」

セラがおずおずと手を上げる。

ヴェルナがノクスを見る。

「だ・し・な・さ・い」

ヴェルナの勢いに負けて、手持ちを出すノクス。

「くそ~……これで全部だよ」

乾燥青菜が並ぶ。

「本当?」

「まだありそうね。それも出しなさい」

「くそ~~! これで全部だよ! 全部!」

隠していた香草まで没収された。

そこへ全員の干し肉まで集まってくる。

齧りかけも含めて。

ヴェルナが青菜を見る。

「この青菜物は戻せるわよね?」

「戻す?」

アルマが一つまみ取り、指先で確かめた。

「水に浸す。もしくは煮る」

「あっ」

ヴェルナの顔が明るくなる。

「これで何か作れないかしら? 香草、干し肉もあるわ」

「作るって誰が?」

「私よ。わ・た・し」

ヴェルナが自分を指差した、その瞬間。

ノクスが身を乗り出した。

「やめろ!」

「なんでよ!」

「炭になるだろが!」

しばし一悶着。

セラたちに宥められ、二人はようやく座り直した。

ヴェルナが腕を組む。

「じゃあ誰が作るのよ?」

その一言だった。

ほぼ同時に。

五本の指が、すっとノクスへ向いた。

正面寄りのグラード、リオン、セラ。

そしてノクスの両脇では、ヴェルナとアルマが上体を斜めに傾けながら、すぐ横のノクスを指差している。

「俺かよ!」

アルマが並べられた香草と青菜を見ながら、当然のように尋ねた。

「それ持ってきてるってことは、食べ方も知ってる?」

「まあ、知ってるが……だが、鍋みたいなのあるか?」

「確かに」

一拍。

グラードが傍らの大きな鞄へ手を突っ込んだ。

ごそごそと中を探り――金属製の鍋を取り出す。

ゴトン。

石床へ置いた。

「あるぞ。これだが」

ヴェルナが鍋とグラードを見比べる。

「持ってたの?」

「俺のポーチなら入るからな」

「入るのか……」

ノクスが食材を手元へ集めた。

「しゃーない。先に言っとくが、火はつけれないからな」

「火くらいならつけてあげるわよ」

「じゃ、頼む」

そこからのノクスの手つきは意外なほど慣れていた。

鼻歌まで交じっている。

「ふんふん……ふふん」

「意外なことに上手ですね」

「あー、それなりにな。一人ん時は自分で作ってるしな」

鍋が、くつくつと音を立て始める。

やがて湯気と香草の匂いが立ち上り、車座になった六人の間へ広がった。

「さて、できたぞ」

乾燥青菜と香草。

塩気のある干し肉。

煮込まれた肉は先ほどまでとは違い、柔らかくなっている。

そこへ硬い黒パンを添える。

器が全員へ渡ったところで、セラが胸元で静かに手を合わせた。

目を閉じる。

仲間たちもそれに倣い、僅かに頭を垂れた。

「主よ、今日の糧と、その恵みに感謝します。この食事と、ここに集う者たちに祝福を」

短い祈り。

「――では、いただきましょう」

「はいよ。冷めないうちに食べてくれ」

一口。

温かなスープが身体へ入る。

これまで硬い黒パンと干し肉をそのまま齧っていたこともあり、それだけで随分と違った。

皆の表情が僅かに緩む。

「割とうまいな」

「美味しい」

「美味しいわね」

ノクスが得意げに笑う。

「だろ」

食事を続けるうち、話題は再び遺跡へ戻っていった。

「この遺跡は、なんでしょう」

セラが呟く。

「魔力の流れが変わるわ、溜まり方、散り方も違う。ほんと何なのよ。普通じゃないとしか言えないわね」

「ここまでの敵も、さっきまでの奴らだけで、罠も他の仕掛けもほとんどなかったんだよな」

「でかいのがいたな」

グラードが言う。

リオンは刀の手入れをしながら口を開いた。

「ゴーレムもどき……遺跡の防衛機兵みたいだったが」

アルマは記録を確認する。

「ここまでの階層、フロア、通路、罠の有無。敵、ギミック。ちゃんと記録してる」

やがて食事も終わった。

「うまかった」

「美味しかったです」

「美味しかったわ」

ノクスが立ち上がる。

「さて、また行ってくる。片付けは任せたー」

「まったく」

それぞれが器を片付け、傍らに置いていた装備を手に取っていく。

グラードが大盾と巨大メイスを持ち上げた。

リオンも刀を腰へ戻す。

「片付けならやっとく」

「任せた」

ノクスは再び一人、先行した。

三百メートル地点。

床、壁、天井。

変わらない。

さらに進む。

「ここも変わらずっと……この先まで確認しとくか」

足を止める。

床。

壁。

天井。

前方の曲がり角。

見える範囲には――やはり何もない。

そして四百メートルほど進んだ頃。

ノクスの歩みが、僅かに鈍った。

曲がり角の先を覗く。

これまでの回廊とは違う。

少し先に――大きな扉があった。

「……」

皮膚の表面を撫でられるような、ひりつく感覚。

首筋に嫌な汗が滲む。

「少し先に、でかい扉があるな」

誰に言うでもなく呟く。

「なんだ……嫌な汗が出やがる」

触らぬ神に祟りなし。

そんな言葉が頭をよぎった。

「一旦戻って報告……だな」

ノクスは急いで仲間の元へ戻った。

「戻った……」

「どうだった」

リオンが聞く。

セラはノクスの顔を見るなり眉を寄せた。

「少し顔色、悪くないですか?」

「何があったの?」

アルマも記録から顔を上げる。

「ちょっと一息つかせてくれ……ふー」

「何があった。話してみろ」

リオンの右手が柄へ。

左親指が鍔へ添えられる。

グラードも無言のまま、大盾を胸元まで持ち上げた。

肘を軽く曲げて盾を身体へ引き寄せ、重心を落とす。

右手の巨大メイスも腰の位置まで上がった。

それを見たアルマも短弓を手にする。

セラとヴェルナの表情からも、先ほどまでの休憩の空気が消えた。

「この先、通路の曲がり角まで変わらんかったんで、その先まで先行してみた。勝手な判断してすまん」

「いや、いい」

グラードはノクスを見る。

「ノクスがそう判断したんだな。ならいい」

他の仲間たちも頷く。

「ありがとよ」

「その先に何を見た?」

「でかい扉があった」

ノクスは一拍置いた。

「で、その扉の先から……嫌な感じ? 気配を感じた」

「嫌な気配?」

「魔力は? どうだったのかしら?」

「分からん……とにかく、嫌な感じってだけ言える。だから皆もそこまで来てくれ」

一行は戦闘へ移れる状態のまま、ノクスについて進んだ。

四百メートル地点。

ノクスが腰のショートソードへ手を伸ばす。

「この角の先だ……」

全員が止まった。

間隔を詰めすぎず、周囲を警戒する。

ヴェルナは前方へ意識を集中し、魔力の流れを探っている。

グラードが大盾を構え直した。

リオンは無言のまま、左親指で鍔を押す。

右手が柄へ添えられ――僅かに刃が覗いた。

鯉口を切る。

左足を半歩前へ。

僅かに腰を落とす。

視線はただ、前方へ。

「大きな扉。グラードより大きい」

アルマが呟く。

「だな」

「魔力の流れも、この先から来てるわ」

「ここの先が……今回の最奥?」

「分からない。ただ、今までとは明らかに違うわ」

グラードがヴェルナを見る。

「その先もあるということか?」

「中に入ってみないと分からないわ」

「扉を確認したい。グラード、いいか?」

「あそこまで行こう」

「了解」

一行は大扉の前まで進んだ。

ノクスが罠や仕掛けを調べる。

ヴェルナも魔力を探る。

その間、アルマは扉そのものを観察し、記録していた。

「ヴェルナ。魔力感知ではどうだ? 何かありそうか?」

「ないわね」

「ないか……」

ノクスが扉を調べ直す。

「罠……なし。ギミック的なものもなし? なんだこれ。このまま開くのか?」

「扉に、模様だか……風化したレリーフらしいのある」

アルマが指差す。

「みんな分かる?」

全員の視線がそこへ集まった。

「うーん……覚えている記憶にはないわ」

「俺も」

「私もです」

アルマは短く記録する。

「治癒術師、魔術師系に記憶、記録なし。現在のところ――」

その横で。

グラードが、さらに大盾を引き上げた。

腕が膨らむ。

脚へ力が入り、巨体を支える筋肉が鎧の下で張り詰める。

大扉を見据える。

「なら、中に入ってみないとな」

一拍。

「いくぞ」


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