第5話 中枢へ至る道
奥へ進むほど、街は消えていった。
《眠る巨壁》。
その外縁に残っていたのは、かつて人が暮らしていたと思われる廃都市だった。
砂に埋もれた石畳。
崩れた建物。
屋根を失った家々。
そこにはまだ、街だった頃の形が残っていた。
だが、今六人が歩いている場所には、それがない。
道は狭くなり、左右を分厚い石壁が塞いでいる。
天井は高い。
一定の間隔で太い石柱が並び、その表面には古い文字と術式が刻まれていた。
ところどころに残る床の装飾だけが、ここもかつて都市の一部だったことを伝えている。
ノクスが先頭でしゃがみ込んだ。
指先で床の埃をなぞる。
「……増えてるな」
「何が?」
セラが訊く。
「足跡」
ノクスが指を向けた。
床に残る、いくつもの痕跡。
重いものを引きずった跡。
金属の脚が石床を踏んだ跡。
その中に混じって、もっと小さなものがある。
「守護機兵だけじゃないかもしれない」
アルマが隣にしゃがむ。
「いつのものか分かる?」
「そこまでは無理。ただ――」
ノクスは床を軽く叩いた。
「新しいのが混じってる」
六人の視線が、回廊の奥へ向いた。
誰かがいる。
少なくとも。
誰かが、ここを通った。
「やっぱり、いるのかな」
セラが小さく呟く。
「可能性は高くなったわね」
ヴェルナは壁際に立っていた。
指先を、刻まれた術式へ近づける。
触れない。
その手前で止める。
淡い光が、指先と術式の間を流れた。
「こっちも同じ」
「書き換えられてる?」
アルマが訊く。
「ええ。でも……」
ヴェルナが眉を寄せた。
「さっきより酷い」
壁に刻まれた古い術式。
本来そこを流れていたはずの魔力とは別の流れが、その上へ重なるように走っている。
「外から無理やり上書きした感じじゃない」
ヴェルナは術式を目で追う。
「元からある仕組みを使って、流れそのものを曲げてる」
「できるのか?」
グラードが訊いた。
「できてるから困ってるのよ」
即答だった。
グラードは黙った。
ノクスが小さく笑う。
「ヴェルナ、機嫌悪くなってきたな」
「分からないものを目の前に置かれると腹が立つの」
「それ、魔術師としてどうなんだ?」
「分からないから調べるのよ」
「なるほど」
妙に納得した顔で、ノクスが立ち上がった。
アルマは壁面を見上げていた。
防衛術式が増えている。
一つではない。
柱。
壁。
床。
奥へ進むほど、その数が明らかに増している。
「ここから先は、都市じゃないのかもしれない」
グラードがアルマを見る。
「どういう意味だ?」
「人が生活するための場所じゃない」
アルマは周囲を見回した。
「都市を守るための内側。防衛のために造られた区画だと思う」
グラードも改めて回廊を見る。
確かに。
家がない。
広場もない。
生活の跡もない。
あるのは、進む者を限定するような細い道と、閉ざされた横道。
そして。
侵入者を見張るように並ぶ、防衛術式。
《眠る巨壁》の奥。
六人は今、その内側へ入ろうとしている。
「グラード」
セラが呼んだ。
「ん?」
「手」
「手?」
「震えてる」
グラードは自分の右手を見る。
わずかに。
本当にわずかに震えていた。
《鎮怒》。
完全には抜けていない。
「さっきよりはましだ」
「それは私が決めること」
「俺の身体なんだが」
「だから?」
グラードは口を閉じた。
少し前を歩いていたリオンが振り返る。
「学習したな」
「何がだ」
「黙るところだ」
「……先へ行け」
リオンは何も言わず前を向いた。
その肩が、わずかに揺れた。
笑ったらしい。
六人は進む。
ノクスが先行する。
その少し後ろをリオン。
中央にグラードとセラ。
ヴェルナとアルマが後方から周囲を確認する。
いつもの探索陣形。
異常が起きている。
誰かが遺跡を書き換えている。
それでも。
彼らがここにいる理由は変わらない。
依頼を受けた。
だから調べる。
危険があれば対処する。
そして、生きて帰る。
冒険者として。
それだけだ。
どれほど歩いただろう。
先頭のノクスが右手を上げた。
全員が止まる。
音がした。
――ガン。
遠い。
――ガン。
今度は近い。
金属が石床を踏む音。
リオンの右手が剣へ伸びる。
グラードが大盾を前へ出した。
「一体」
アルマが言った。
「たぶん」
「たぶん?」
「見えないんだから仕方ないでしょ」
回廊の奥。
暗がりの中に、光が灯った。
青白い。
一つ。
それが、ゆっくりと近づいてくる。
やがて。
石柱の影から、一体の守護機兵が姿を現した。
これまでのものとは違う。
装甲の継ぎ目が少ない。
破損して修復された跡はある。
だが、その修復は乱雑ではなかった。
まるで。
壊れたものを、以前より良い状態へ組み直したような。
胸部の奥。
核と思われる光が強く燃えている。
頭部を横切る細い光帯が、六人をなぞった。
リオンが一歩前へ出た。
「試す」
「気をつけろ」
グラードが言う。
「お前に言われたくない」
リオンは剣を抜いた。
守護機兵が動く。
速い。
一歩。
床を蹴っただけで、巨体が一気に間合いを詰める。
リオンは退かない。
肩。
腰。
足。
動きの起こりを見る。
半歩。
刃が走る。
金属音。
リオンの剣が弾かれた。
守護機兵の腕を覆う光が、一瞬だけ揺らぐ。
防壁。
リオンは追わない。
一度、間合いを切った。
「……硬い」
グラードが大盾を構える。
リオンは守護機兵を見たまま答えた。
「いや」
剣先が、わずかに下がる。
「違う。速い」
守護機兵の光帯が動く。
リオン。
ノクス。
アルマ。
ヴェルナ。
セラ。
そして。
グラード。
光が止まった。
『侵入者……優先度、上昇』
低く歪んだ声が回廊へ響く。
『目標――オーガ個体』
沈黙。
全員がグラードを見る。
「……俺か」
「みたいね」
ヴェルナが答えた。
ノクスが首を傾げる。
「なんで?」
「俺がでかいからじゃないか」
アルマが即座に返した。
「だったら最初から狙われてる」
「そうか」
「納得するの早いわね」
セラが呆れた。
守護機兵が踏み込んだ。
一直線。
グラードへ。
「来るぞ!」
大盾を構える。
正面では受けない。
左足を引く。
腰を落とす。
盾を傾ける。
激突。
重い。
これまでの機兵より明らかに強い。
だが。
流せる。
グラードは衝撃を盾の面に沿わせ、その巨体をわずかに右へ逸らした。
「ノクス!」
「はいよ!」
死角へ入る。
短剣が脚部の継ぎ目を狙う。
弾かれる。
「アルマ!」
矢が飛ぶ。
同じ場所。
防壁が揺れた。
「ヴェルナ!」
「《穿雷》!」
雷光。
防壁が大きく歪む。
守護機兵が振り返ろうとする。
だが。
その前にグラードが盾を打ちつけた。
「こっちだ」
光帯がグラードを捉える。
再び。
守護機兵はグラードへ向く。
「……なるほど」
アルマが呟いた。
「何だ?」
「本当にグラードしか見てない」
「嬉しくないな」
だが。
使える。
敵が自分だけを狙うなら。
仲間から遠ざければいい。
守るために、攻撃を待つ必要はない。
自分が敵の向きを決めればいい。
グラードは後ろへ下がる。
ただ退くのではない。
守護機兵が追いやすい位置へ。
一歩。
もう一歩。
敵の正面を、自分へ固定する。
「リオン!」
返事はない。
必要もなかった。
グラードが盾で攻撃を外へ流す。
守護機兵の脇が開く。
そこへ。
リオンが入った。
半歩。
刃が走る。
今度は防壁の揺らいだ一点。
斬る。
ノクスの短剣。
アルマの矢。
ヴェルナの雷。
三つが同じ場所へ重なる。
防壁が砕けた。
「今だ!」
グラードは大盾を押しつける。
守護機兵の姿勢が崩れる。
胸部が開く。
青白い核。
リオンの剣が走った。
――零に帰す。
音より先に。
核へ一本の線が入る。
次の瞬間。
光が消えた。
守護機兵の巨体が傾く。
グラードは盾を差し込み、その倒れる方向を変える。
誰もいない側へ。
轟音。
石床が震えた。
しばらく。
誰も動かなかった。
「……終わった?」
セラが訊く。
アルマが弓を下ろす。
「この一体は」
「嫌な言い方するなあ」
ノクスが肩を落とした。
グラードは倒れた機兵を見る。
なぜ。
自分だった。
胸の奥に、まだ熱はある。
《憤怒護界》。
呼べば応えただろう。
だが。
使わなかった。
使う必要がなかった。
仲間がいた。
それで十分だった。
「グラード」
セラの声。
「使わなかったわね」
「ああ」
「よし」
「子供扱いしてないか?」
「してないわよ」
少し間があった。
「今のところは」
「してるだろ」
ノクスが吹き出した。
ヴェルナも笑う。
リオンだけが、倒れた守護機兵を見ていた。
「まだ続いてる」
その言葉で。
空気が戻る。
ノクスが再び床を見る。
足跡。
先ほど見つけたものと同じ痕跡が、さらに奥へ続いている。
アルマは壁を見る。
防衛術式も途切れていない。
むしろ。
奥へ行くほど密度を増している。
ヴェルナが杖を握り直した。
「魔力の流れも向こうへ続いてる」
セラがグラードを見る。
「行ける?」
グラードは右手を開く。
握る。
震えは。
まだ少し残っている。
だが。
「行ける」
今度はセラも止めなかった。
ノクスが奥を見る。
「どうする?」
グラードも、その先を見る。
暗い回廊。
まだ何が待っているのか分からない。
誰が遺跡を書き換えたのかも。
なぜ自分が狙われたのかも。
何一つ分からない。
だが。
「依頼は、まだ終わってない」
リオンが剣を納める。
小さな金属音が、回廊に響いた。
そして。
六人の先頭へ戻る。
「……先へ進むぞ」
誰も異を唱えなかった。
六人は再び歩き出す。
《眠る巨壁》の、さらに奥へ。




