第3話 剣術師リオンの刃
「……頼む」
グラードがそう言った直後。
瓦礫の向こうで、青白い光が揺れた。
一つ。
その隣に、もう一つ。
さらに奥で二つ。
四つの魔力核が、暗い遺跡の中で脈打っている。
重い足音が響いた。
一歩。
また一歩。
古い石床を踏むたび、砂と小石が震える。
リオンはグラードの前に立ったまま、動かなかった。
右手は剣の柄に添えられている。
強く握ってはいない。
肩にも力は入っていない。
ただ、見ている。
近づいてくる四体の守護機兵を。
グラードは、その背中を見ていた。
いつもなら、自分がいる場所だった。
敵と仲間の間。
攻撃が最初に届く場所。
そこに今、リオンが立っている。
「グラード」
セラが横から声をかけた。
「座って」
「まだ動ける」
「だから、動かないで」
「だが――」
「前にいるでしょ」
セラの視線がリオンの背中へ向く。
グラードは口を閉じた。
確かにいる。
それも、自分で頼んだ。
ノクスが瓦礫の上へ駆け上がった。
「四体。正面から二、左右から一体ずつ来る」
アルマが弓を構える。
「今のところ、さっきの個体と同型。胸部に魔力核。脚と肩の関節部が比較的薄い」
ヴェルナが杖を持ち上げた。
「だったら、さっきと同じように――」
「待て」
リオンが言った。
ヴェルナの動きが止まる。
「何よ」
「まだ遠い」
「撃てるわよ」
「知っている」
リオンは振り返らない。
「まだだ」
ヴェルナの眉が動いた。
だが、術式を解いた。
グラードは少しだけ目を細めた。
リオンは何かを待っている。
何を。
守護機兵との距離が縮まる。
十五歩。
十二歩。
十歩。
先頭の一体が速度を上げた。
石床を蹴る。
巨体が前へ傾く。
リオンは動かない。
七歩。
五歩。
守護機兵が右腕を上げた。
刃状の腕。
振り下ろすつもりだ。
それでも。
リオンは動かない。
「おい」
グラードの手が、無意識に盾へ伸びる。
その瞬間だった。
リオンの左足が、わずかに動いた。
一歩ではない。
半歩。
それだけで、立っている場所が変わった。
守護機兵の刃腕が振り下ろされる。
いや。
振り下ろされようとした。
リオンの剣が抜かれた。
金属音は、ほとんど聞こえなかった。
光が一本。
守護機兵の肩を通り抜ける。
次の瞬間。
振り上げられていた腕が落ちた。
刃腕が石床へ突き刺さる。
守護機兵の身体が傾いた。
リオンは、すでに剣を戻し始めている。
ノクスが目を丸くした。
「……今、向こうが振る前に斬った?」
アルマが答える。
「違う」
弓を構えたまま、リオンを見ている。
「振ろうとした瞬間」
グラードにも分かった。
リオンは速さだけで勝ったのではない。
守護機兵の肩が動いた。
重心が前へ移った。
刃腕へ力が集まった。
攻撃が始まる、その兆し。
そこへ剣を置いた。
敵の一撃が完成する前に。
「……なるほどな」
グラードが呟く。
リオンの耳には届いたらしい。
だが、返事はない。
二体目が来る。
今度は低い。
巨腕を横へ振り、リオンの胴を薙ぎ払おうとする。
リオンは剣を抜かない。
半歩。
後ろではない。
斜め前。
巨腕の軌道、その内側へ入った。
拳が背後を通過する。
リオンの衣服が風圧で揺れた。
そこで初めて剣が走る。
一閃。
膝関節。
細い亀裂。
もう一閃――。
は、なかった。
リオンは追わない。
「え?」
ノクスが声を漏らす。
守護機兵が一歩踏み出した。
亀裂の入った膝へ、巨体の重量が乗る。
関節が砕けた。
機兵が前へ倒れる。
リオンはその横を通り過ぎた。
「自分で壊させた……?」
セラが呟く。
グラードは答えなかった。
見ていた。
リオンの足を。
剣だけではない。
あの半歩。
敵との距離を測り、攻撃が最も強くなる場所から外れ、自分の刃だけが届く位置へ身体を置いている。
力ではない。
速さだけでもない。
間合い。
呼吸。
重心。
相手が動く、その起こり。
それらを一つずつ拾っている。
そして。
必要なものだけを斬る。
「剣術師……か」
グラードが小さく呟いた。
自分とは違う。
グラードは受ける。
流す。
止める。
敵の力そのものを盾で制御する。
リオンは違う。
力が生まれる前に、その線を断つ。
三体目。
左側から回り込んでいた機兵が動いた。
だが、狙いはリオンではない。
後方。
アルマ。
「左!」
ノクスが叫ぶ。
アルマが矢を向ける。
だが、射線上に崩れた石柱がある。
撃てない。
守護機兵が踏み込んだ。
リオンが顔を向ける。
距離がある。
間に合わない。
グラードの身体が先に動いた。
「っ――!」
セラが止めるより早い。
グラードは盾を持ち上げた。
走らない。
走れない。
《鎮怒》が身体の奥に残っている。
それでも二歩だけ前へ出る。
アルマと機兵の間へ。
左足を引く。
腰を落とす。
盾を傾ける。
巨腕が叩き込まれた。
ドンッ!
衝撃。
腕が軋む。
だが、正面では受けない。
盾の面を滑らせる。
拳が外へ流れた。
「リオン!」
呼ぶ必要さえなかった。
すでに来ている。
グラードの盾の横。
そのわずかな隙間を通って、リオンが入った。
二人の肩が触れそうな距離。
グラードが作った一瞬。
リオンは、その一瞬を迷わず使う。
機兵が流された腕を戻そうとする。
肩が動く。
腰が回る。
次の攻撃へ移ろうとする。
その起こり。
リオンの足が半歩進んだ。
剣が抜かれる。
「――零に帰す」
一閃。
肩から胸部へ。
刃が魔力核の縁を通過する。
リオンは斬り抜けない。
その場で剣を返す。
最小の軌道。
二度目の光。
魔力核に亀裂が走った。
アルマが即座に矢を放つ。
亀裂へ突き刺さる。
青白い光が弾けた。
守護機兵が崩れる。
グラードは盾を下ろした。
左腕が痺れている。
セラが駆け寄ってきた。
「二歩」
「ん?」
「今、二歩動いた」
「数えてたのか」
「数えてる」
「……そうか」
「次は一歩だから」
「減るのか」
「当たり前でしょ」
ノクスが吹き出した。
ヴェルナも口元を緩める。
だが。
リオンだけは前を見たままだった。
「まだ一体いる」
最後の守護機兵。
先ほどまで動かなかった一体が、回廊の中央に立っている。
青白い光帯がリオンを捉えた。
リオンも機兵を見る。
今度は、どちらも動かない。
静寂。
砂が一粒、石床を転がった。
カラ。
小さな音が、妙に大きく響く。
守護機兵の右脚が沈んだ。
来る。
グラードにも分かった。
今までより速い。
機兵が地面を蹴った。
同時に。
リオンも動いた。
今度は待たない。
「……先に出た?」
ノクスが呟く。
そうだった。
これまでのリオンは、相手が動く瞬間を取っていた。
だが今は違う。
自分から間合いへ入った。
守護機兵が反応する。
刃腕を上げる。
リオンへ向ける。
その動きを見て。
リオンの進路が変わった。
ほんのわずか。
半歩にも満たない。
だが、それだけで機兵の刃はリオンの身体から外れた。
振り下ろされる。
空を斬る。
リオンは、その横にいた。
剣の柄へ手を置いたまま。
グラードは目を細めた。
先に動いたのはリオン。
だが。
機兵に攻撃を選ばせたのも、リオンだった。
自分から仕掛け。
相手を動かし。
その動きを取る。
「……そういうことか」
守護機兵が身体を戻そうとする。
遅い。
リオンの呼吸が消えた。
肩から力が抜ける。
腰が沈む。
前足が、石床を捉える。
剣はまだ鞘の中。
機兵の魔力核が明滅した。
一度。
二度。
その間。
リオンは動かない。
そして。
三度目。
抜刀。
音はなかった。
いや。
音が生まれるより先に、すべてが終わっていた。
リオンは守護機兵の横を通り過ぎている。
剣を納める。
鍔が鞘口へ触れた。
小さな音。
カチン。
その瞬間。
守護機兵の胸部に一本の線が走った。
青白い光が漏れる。
線が広がる。
魔力核が、二つに割れた。
巨体が膝をつく。
そして。
倒れた。
轟音が回廊を揺らす。
舞い上がった砂埃の中で、リオンは振り返らない。
剣を納めたまま立っている。
ノクスが口笛を吹こうとして。
やめた。
「……なんか、今はやめといた方がいい気がした」
ヴェルナが頷く。
「珍しく空気を読んだわね」
「珍しくは余計だ」
アルマは倒れた機兵を見ていた。
「最初の三体と違った」
リオンが振り返る。
「何がだ」
「最後。向こうが動くのを待たなかった」
「ああ」
「でも、先に攻撃したわけでもない」
リオンは少しだけ考えた。
「先に入っただけだ」
アルマが首を傾げる。
リオンはそれ以上説明しなかった。
グラードは笑った。
なんとなく分かる。
相手を待つこともできる。
自分から動くこともできる。
どちらが先か。
そんな単純な話ではない。
戦いの中で。
どちらが先に、その場を自分のものにするか。
リオンは、それを剣でやっている。
グラードは盾を支えにして立ち上がった。
セラがすぐ横を見る。
「三歩目は?」
「歩いてない」
「これから歩こうとしてる」
「移動は必要だろ」
「休憩も必要」
「……厳しいな」
「誰のせい?」
また返す言葉がなくなった。
リオンが戻ってくる。
グラードの前で止まった。
「どうだった」
「何がだ」
「背中だ」
グラードは一瞬、黙った。
それから。
「悪くない」
「そうか」
「だが細い」
リオンの眉がわずかに動く。
「関係あるか?」
「俺よりは頼りなく見える」
「斬るぞ」
ノクスが今度こそ吹き出した。
セラも笑いを堪えている。
ヴェルナは隠す気すらない。
アルマだけが真面目な顔で二人を見比べた。
「実際、横幅はかなり違う」
「アルマ」
リオンの声が少し低くなった。
「事実」
グラードが笑った。
久しぶりに。
身体の痛みを忘れるくらいには。
やがて笑いが収まる。
グラードは倒れた守護機兵を見る。
そして、自分の盾を見る。
ずっと。
前に立つことが、守ることだと思っていた。
誰より先に攻撃を受ける。
誰より先に危険へ踏み込む。
自分の背中の後ろへ、仲間を置く。
それが自分の役割だった。
間違ってはいない。
これからも変わらない。
だが。
それだけではないらしい。
前を預ける。
誰かの背中を見る。
必要なときだけ、自分の盾を差し込む。
それでも。
守ることはできる。
リオンが剣の柄へ手を置いた。
「次は、お前が前だ」
グラードは盾を持ち直す。
《鎮怒》はまだ残っている。
だから、今すぐではない。
それでも。
「分かってる」
二人は並んだ。
一人は盾。
一人は刃。
同じ戦い方ではない。
同じ役割でもない。
だが。
どちらも、仲間と敵の間に立つ。
ノクスが先へ進み、再び床を調べ始めた。
アルマが倒れた機兵の魔力核を確認する。
ヴェルナは壁面の古代紋へ杖を近づけた。
セラはグラードの腕を掴んだまま離さない。
「歩くのはいいけど、前には出ない」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「グラード」
「分かった。分かったから」
六人は再び進み始めた。
回廊の奥は暗い。
壁面では、古代紋が低く明滅している。
その光を追うように、六つの影が伸びていく。
先頭を進むノクス。
その少し後ろに、リオン。
そしてグラード。
振り返らない背中が、今は一つではない。
守るために前へ出る者。
斬るために間合いへ入る者。
方法は違う。
それでも。
互いの一歩が、互いの足りない場所を埋めていく。
そのとき。
さらに奥の暗闇で。
青白い光が灯った。
一つ。
二つ。
三つ。
だが。
今度の光は、これまでとは違った。
ばらばらに動かない。
三つが一定の間隔を保ったまま、同時に前へ進み始める。
ノクスが足を止めた。
耳が立つ。
アルマも顔を上げる。
「……待って」
リオンの手が、再び剣の柄へ添えられた。
グラードも盾へ手をかける。
暗闇の中。
三つの青白い光は、隊列を崩さない。
まるで。
誰かに教えられたように。
六人は、その異様な動きを見つめた。




