9. 余熱
繊細で緻密な人だと思った。
初めて会った時から、どこか危なっかしかった。
舐るようにミルクセーキを味わって、彼らに絡まれた瞬間だって眉を顰めただけで一瞥で終わらせた。
前野君たちの暴走を止めたのだって、いつの間にやら彼がナイフを手に持っていて、まるで躊躇いもなく突き刺すかのように思えたから。気づいたら、身体が動いていた。
彼を依頼に誘ったのだって。
彼に悲劇を打ち明けたのだって。
彼が、わたしの仇を取ってくれたのだって。
ラファエル=ヴィリーという男性に対して、わたしが説明できる事柄は少ない。
驚く程、彼は自分の多くを語らない。
泰然自若、悠々自適。朴訥然としていて、霞を喰う仙人のように達観している。
彼の言葉は一から十まで堂に入っていて合理と道理に支配されている。
されど、堅物のように通り一辺倒の正論を口にする訳ではない。
核心から遠ざける軽口に、飄々と本題から逸らされる。
大樹のようにどっしりとしているけど、枯れ木のように頼りない時もある。
齢十七の世間知らずの少女にとって、彼の存在は衝撃が大きすぎた。
日本のいち学生だったわたしが別段親しかった訳でもないクラスメイトたちと異世界に召喚されて、乖離した価値観や常識に右往左往しながら。
唯一心の許せる親友との離別を経験して。初めて誰かを本気で憎むという過程を経て。
私はラファエルに出会った。
正直な話。わたしは、きっと恋焦がれていたのかもしれない。
たった二日。彼のことは毛ほども知らないのに。
それでも、ラファエルの在り方に、屈強な身体に。怜悧で底知れない悪意を秘める瞳に。
ラファエルとの縁が切れないように。
彼ならば絶対に見捨てるはずもないという楽観的な、都合の良い妄想で彼を縛ってしまった。
わたしの青臭い幻想が砕かれるまでに、そう時間はかからなかった。
ラファエルは自分に素直で、一種純粋な人だ。
けれど、精密機械に水が厳禁であるように。
彼にとっての水は、闘争だった。
いや、これは正確ではない。
彼は強かった。
途方もなく、理解の及ばない次元で。原人に冥王星や、太陽系の解説をするくらい。
常識外れでいっそのこと笑い飛ばしたくもなった。
わたしに真実の恐怖と拭いきれないトラウマを植え付けた『獣魔帝』を、瞬く間に惨殺したのだから。
開戦に用いられた音速を凌駕する一撃。幾らわたしの施した強化があったとしても。
彼ならば自力で音速の壁を越えられたのではないかと詮索してしまう。
ショックウェーブすら生じさせる合図で、始まった戦闘は。しかして、一方的だった。
崖下で弄ばれる『獣魔帝』の痴態と、感慨もなく攻撃を繰り返すラファエルとの温度差に驚愕した。
そもそも、戦闘にすらなっていなかった。主導権は常にラファエルにあって、『獣魔帝』は彼の掌で良いように動かされていただけだ。
毒を打ち込み、謀略を用いて、目を潰す。
考え得る限りの弱体化を実行して、正々堂々とは戦わず裏をかく。
騎士道精神なんて持ち合わせていない。
けれど、彼の驚嘆に値すべき点はまだあった。
「【権能】ってやつだ。【技能】とは別物らしい」
退屈そうに呟いて、彼は目の前で【権能】の真価を見せつけてくれた。
苦しそうに呻いたまま絶命した『獣魔帝』の死体に手をかざした途端、死体が光を放って消えたのだ。
後には純白の剣が、ラファエルの手に収められていた。
無尽蔵に武器を生成できる途轍もない力が【権能】であると理解できて、わたしは安堵した。
縦横無尽に空を斬る超絶技巧とも神業とも思える技術が【権能】ではないと知って、わたしは絶望した。
何が勇者パーティだ。何が、選ばれた【技能】だ。
彼の投擲技術の前には、どんな宝石もいしっころに過ぎない。
わたしは固唾を呑んで見守ることしかできなかった。
『獣魔帝』がみるみるうちに串刺しにされていく様子を、ラファエルが無感情に剣を投げる様子を。
彼はわたしの支援があったから勝てたと言ってけれど。
例え、強化がなかろうと。彼は快勝できただろう。
「……、よし。行こう」
薄暗い部屋で、わたしは決意を固めた。
昨日の情景は幾度反芻してもわたしの脳内から消えてなくなってくれない。
壊れたテープのように『獣魔帝』の命を屠った景色が間歇的に再生されている。
わたしの復讐は呆気なく終わった。
人生をかけると決めた報復は、通りすがりの青年の手によって終止符が打たれた。
残ったのは虚無だ。
胸にぽっかりと穴が開いたように。鉄扉を穿たれて強引に外界へと連れ出されたように。
途方に暮れている。
軋む階段を降りると徐々に喧噪が聞こえる。
わたしの借りた宿はギルドの上階。このまま降り続ければギルドと酒場に出る。
昨日の今日で彼と会うのは嫌に恐ろしい。
しかし、避けては通れない。
務めて平静を装いながら、広間を見渡す。
個性的な装備に身を包む雑多な空間にあっても、彼は一際目を惹いた。
純白のコートに、ミリタリーブーツ。
傍らには空になったグラスがある。きっと彼のことだ。ミルクセーキでも飲んでいたのだろう。
「早いな。よく眠れたか?」
まるで示し合わしたように。
俯き加減の彼からわたしの姿は見えなかったはずなのに。
にこりともせず、気遣いをたかが社交辞令程度にしか捉えていないぶっきらぼうな態度。
浮世離れした彼は幽霊のように存在感がないにも関わらず、どうしてか、わたしの意識を集中させる。
「ラファエルこそ、しっかり休めたかしら?」
核心には迫らない。
理由はない。ただ、わたしが臆病なだけだ。
けど、いつか伝えなければならない。
だから、今は。
機会を窺うしか、できない。
わたしは、ラファエルの隣にいたい。
そう、伝えられる覚悟が決まるまでは。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
甘く滑らかな味わいが口腔を刺激する。
しつこくなく、されどあっさりもしていない。
地下脱出の記念に愛飲していたが、離れがたい依存性がある。
流石ミルクセーキだ。
「甘露かんろ」
飲み干したグラスを脇に追いやり、オレはギルドの四人席で息を吐く。
懐から擦り切れたカードを取り出すと数年前からは想像もつかない数字が並んでいる。
『獣魔帝』を討伐したおかげでレベルが三十程上昇した。
二百を超えても朗々と上がる数値に、すわ青天井かとすら思う。
レベルアップに伴い、付随する能力値も向上しているが。何より驚いたのは『称号』だ。
『悪魔殺し』。
『獣魔帝』は『魔帝眷属』だと聞いたが、俗称ではなく種族として悪魔だった。
『称号』に関しては【権能】よりも不可解な点が多い。なにせ、能動的なのだ。
自覚なく作用している手前、自分を根本的に客観視しない限り不明瞭なままだ。
だが、憶測程度ならばある。
例えば、『龍殺し』はあらゆる生命体への優越だとか。
地下空間で彷徨龍か、同等の怪物共を相手取ったが、レベル差も相まって激闘ではあれど死闘にはならなかった。
対『獣魔帝』戦でも一撃の損傷が想定よりも大きいダメージに変化していた。
故に、『悪魔殺し』も類似の『称号』だろうが……如何せんサンプルが少なすぎる。
“賢者の短剣”は猛毒の剣。“虹龍の咆哮”や“可惜夜の漆黒”にもそれぞれ固有の効力がある。
『獣魔帝』を素材にした“戦場征服”もまた一つの固有能力が付与されていた。
気性の荒い『獣魔帝』から生成したおかげで、中々威力の高い能力だった。
これで、オレの武器は四本。
状況によって使い分けられるのが強みだな。須らく投擲に依存しているが、今更剣術や魔法を学ぼうとは思わない。
「兄ちゃん、お代わりは要るか?」
思索に耽っていたオレは、頭上から投げられた言葉によって現実へと戻ってきた。
「そうだな……頼む」
「クリームはどうする」
「つけない人いるのか?」
憮然とした表情のまま空のグラスが下げられる。
小気味の良い醸成の音を聞きながら、代金を準備する。
『獣魔帝』討伐後に試し打ちも兼ねて魔獣を倒したのだが、哀れ実験体から生成したローブやナイフが思いのほか高値で売れた。
おかげで資金は潤沢だ。
ミルクセーキの追加は頭を捻ることなく即断できる。
「はい、お待ち」
「五百エールだったな」
「四百でいいよ。お得意さんだからな」
「遠慮はしないぞ。厚顔無恥なんでな」
「いいさ。最近は勇者パーティの面々も消えてくれて軌道に乗り始めたんだ」
満足顔で代金を受け取った店主はそのまま他の客からのオーダーを取りに去った。
確かに、数日前とは比較にならない活気が戻ってきている。
駆け出しだろう申し訳程度の装備に身を包んだ少年少女たちや、ベテランの風格を漂わせる三人組。誰もかれもが思い思いの恰好をしている。
良心の呵責に苛まれることはない。
オレは見殺しにした『獣魔帝』の気を逸らすための生贄に選択した。
絡まれたから、バカにされたから、腹いせに捨て置いた訳ではない。
かといって、絶対に助けねばと正義感に駆られたはずもない。
つまるところ、オレは黙殺したのだ。
眼前で命を散らす無情に、弱肉強食を当然のものとして。
どうやら、オレの思考は地下空間の正存を経て大きく歪んでしまったらしい。
「はっ。合わせる顔がないな」
一人ごちても、同意はない。
不意に、不安が首をもたげた。残虐で無慈悲。非道で悪辣。
彼女と再会したとして、オレは。
彼女の知るヴィリーと一致するだろうか。
「…………考えるだけ無駄だ」
強引に思考を引き剥す。
たらればを論じたところで机上の空論でしかない。
常識や倫理観や諸々を犠牲にしてオレは地下から這い上がってきた。
代償は無視できないが、それでも、命からがら生き延びたのだ。
今のオレを否定することは、生きて帰ってくると信じてくれた彼女の信頼を裏切ると同義だ。
許容されようが、拒絶されようが。
先ずは、約束を果たそう。
そのためには。
「早いな。よく眠れたか?」
「ラファエルこそ、しっかり休めたかしら?」
疲労は隠しきれていない。
黒髪は色艶を損ない、目元の隈は心労を表している。
緋色のバトルドレスを着ているものの、鉄の塊を背負うだけの体力は残されていないのか心なしか重苦しそうだ。
だが、声音だけは軽やかだ。
肩の荷が降りたからか、強張っていた頬は緩くなり、眉根は穏健に下がっている。
「何か飲むか」
「そうね……ラファエルに任せるわ」
「マスター、バナナミルクセーキを二つ」
「貴方、まだ飲むの?」
若干、引き気味のサクラだが、何に対して引いているのかは不明だ。
「わざわざ早朝に悪いな」
「これっぽっちも申し訳なさそうじゃないわね」
「目聡いな。これが、昨日の報酬だ」
「……っ? こ、こんなに…………?」
勇者パーティで活躍していたサクラですら目を疑う金額。
巾着に収められた三万エールに驚愕している。
“戦場征服”の試し打ちで四散した魔獣の素材から生成した武器類を売却したものだが、これでも折半している。
「バナナミルクセーキお待ち」
やや辟易した店主に今度は規定通りに代金を支払い、再びサクラへと視線を戻す。
早朝に彼女を呼び出したのは一秒でも早く出立するためだ。
オレには目的があり、道程も確かだ。
「さて、サクラ。これからの話をしよう」
「……っ、ええ」
居ずまいを正すサクラに疑問を抱く。
何故彼女は緊張しているのだろうか。
昨日の疲労がたたっている……訳ではないだろうが。
「オレはヴァリアス半島へ向かう。極力、早く」
「それは……聞いたわ」
「オレとしては君にも来てほしい」
「ええ、分かってるわ。わたしは貴方と臨時で組んだだけの──え?」
素っ頓狂で裏返った声音のまま、鳩が豆鉄砲を食ったように動きを止めるサクラ。
怪訝そうにオレの瞳を覗き込む様子は、真意を探ろうとする探偵の仕草だ。
まだ完全復活には時間がかかるだろう。
返事を聞く前に、畳み掛けるようにオレはプレゼンテーションへと移行する。
「君は勇者パーティの一員で、凄腕の支援術士だ」
「身をもって体験したオレだから断言しよう。君ならば最前線で引く手あまたの戦士になれるだろう。今オレが渡した報酬とは比べ物にならない見返りだってもらえる」
「だから、これはオレの我儘だ。君が手を貸してくれると、とても助かる」
一人ならばとっくに出発している。
わざわざ一晩の時間を空けて彼女と向かい合うのは、オレなりに準備期間が必要だったから。
オレはミカエラのようにカリスマがない。
オレはローズのように直情径行ではない。
オレはサクラのように真摯で純粋ではない。
だから、言葉を尽くしても、誠意を見せても、本心を開示しても。
振り向かせるには足りないかもしれない。
「君さえ良ければだが。耳目を集めるだけの見返りも報酬も用意できない。泥船に誘うようなものだ。君に名誉を捨てろというのだから」
柄ではない。
以前までのオレなら信じられたものじゃないとそっぽを向いただろう。
悪い影響だ。
純朴で猜疑心を持たないどこぞの娘に感化された。
気恥ずかしさと面映ゆさがオレを襲うのが分かる。
今すぐにでも視線を逸らして、穴があったら入りたい程度には羞恥を感じる。
慣れない行動をするものじゃないな。
しかし、一度でも発した言葉は戻せない。
じりじりと身を焼かれるような沈黙の時間。
一秒が一時間にも感じられる刹那の期間で。
見惚れる程に可憐で凛然とした微笑みに。
首肯して、鈴を転がすような軽快な声音で承諾してくれた。
サクラの姿を、言葉を受けて。
素直に己の心へ従うのも、悪くないと思えた。




