7. ファイター
小鳥のさえずりが懐かしい。
地下へと潜るまでは馬車の荷台で揺られながら自然の音に聞き惚れていたものだ。
踏みしめる大地は湿気を含んでおり、朝露を弾く新緑の葉を眺めると改めて地底から這い上がってきたのだと実感できる。
木漏れ日を全身に浴びながら歩を進めると、小川のせせらぎが感じられた。
機敏になった感覚のおかげなのか、数キロ先の様子すら把握できる。未知の土地を散策するにはもってこいの能力だ。
彷徨龍に感謝しなければならない。
…………却下。あいつ、性格悪かったからな。
「ち、ちょっと……! 待って…………!」
元ディーリア王国領は海洋権のみならず、少量の森林まで保有していた。
一部の山道は気性の荒い魔獣やモンスターの棲み処となっているらしい。
それも、本来ならばディーリア王国が対処していた問題だが、五年の間に帝国が版図を拡大した影響で手つかずとなっていたと。
今では大陸の九割を占める帝国領は、征服した土地の法整備が追い付いていないことからも、拙速に過ぎたと言えよう。
「ねえ……! 訊いてるの……っ!」
依然として国家の体裁を整えているのはヴァリアス連合王国と、ゴスペル小公国を中心とした小国家連合のみ。
自然の要塞に護れた土地と侵略戦争によってさしたる利益の見込めない両勢力は運が良かったとみるべきだろう。
だが、気運によって救われる者もいれば、見放される者だって存在する。
神聖国や王国は地続きの大陸の構造上、侵略戦争に決定的な敗北を喫して帝国領として完全統治をされる寸前らしい。
元ディーリア王国領で得られた情報まここまでだ。
「待ちなさいよっ!」
まるで親の仇のようにオレを睨め上げる少女。
相応の疲労を感じているはずだが、活発で利発な声音に衰えはない。
肩で息をしながら膝に手を突き息を切らし、挙句の果てには汗で張り付いた前髪を振り払う余裕すら失っている。
それでも、彼女は一切の弱音を吐くことなく、数時間もオレに付いてきている。
体力もそうだが、根気も十分だ。
「あんた、後方支援だと言う割にはしぶといんだな」
「それって……! 褒めて、るんでしょうね…………ッ!」
「ああ。死に体だろうが生きてりゃいい。その点、あんたにはまだ余裕が感じられる。いい戦士だ。背中を預けるに足る」
「ほんっっっっとうに、あんた……、嫌味な奴ね!」
キッとオレを横目で睨みつつ罵倒するサクラは、ふらふらと頼りない足取りでオレを追い越す。
何故、オレと彼女が山中で仲良しこよしのピクニックを楽しいでいるのか。
事の発端は数時間前に遡る。
オレとサクラが出会った酒場はどうやら冒険者ギルドを兼ねているらしく、彼女は依頼を受けて出立する予定だったらしい。
勇者パーティの一員であるはずの彼女が一人で依頼を受ける背景は語るべくもないだろう。
正論を、慎重論を振りかざすサクラを疎まない愚者はいない。
しかし、いざ行かんと意気込んだタイミングで同郷の若気の至りを目にして止めに入ってくれたのだと。
問題はこの後だ。
サクラは本来ならばソロで受けるはずの依頼を、オレと共に受けないかと誘ったのだ。
報酬は多く渡すから、遥かに強いと思われるオレが近くにいると安全だからと言い訳がましく言い連ねていたが。
要はオレの監視だろう。
掲示板に所狭しと張り付けられた依頼から彼女が選んだのは実地調査だった。
「あ……っ! あれを見て……!」
声を潜めて木々の茂みから顔を覗かせたサクラの示す方向には数匹の羊がいた。
雑木林とも思える山道に牧草を食む羊がいる訳もない。あれは魔獣だ。
壮健で猛々しい角に、口元を深紅の血化粧で染め上げる肉食獣も真っ青な肉食主義。
咀嚼を繰り返す間にも油断なく周囲を警戒している点からも、数ある魔獣の群れでも彼らは経験と対策を明瞭に行っている種別だと判断できる。
長命な種は例外なく厄介だ。
従来の法則が通じない。定石も、判例も、知恵も。
何一つとして通用しない。
「人里に近いわね……これ以上接近するようだと討伐もやむなし、か」
サラサラと手元の羊皮紙に書き込むサクラは、元ディーリア王国領の周辺図へ生態系や注意事項を日本語で書き記していた。
オレが一年余りを異世界で生き抜き、五年間地下世界で生存権を賭けて怪物どもと鎬を削っていた、累計六年の間に。
彼女は一年間、こちらの世界で生活をしてきたことだろう。
公用語である帝国語もマスターしているはずだ。
それにも関わらず、必要事項を異世界語で残す意図は明白だ。
安売りはしない。
情報が欲しければ、サクラの口から問い質す必要がある。
「本来ならば正常に機能しているはずの生態系が乱れる…………考えられるのは自然災害か、新たな脅威の襲来か」
「後者よ。勇者パーティが辺境まで派遣された理由とも重なるんだけどね…………『魔帝眷属』がディーリア地区近郊に現れたらしいの」
「何者だ、そいつ」
「……っ!? 『魔帝眷属』を知らないのっ!?」
突如として大声を出してしまったサクラは、しまったと表情を歪めて視線を元に戻す。
だが、時は既に遅かった。
臆病で知られる魔獣は一目散に駆け出し、残ったのは新鮮な生肉のみ。
これ幸いと死体漁りに鳥が啄み始めている。
「なってないな。調査中に気を緩めるなど」
「誰のせいで……っ!」
地団駄を踏む子どものように唇を噛んで悔しさを発露するサクラ。しかし、取り乱したのは一瞬だった。
すぐさま気持ちを切り替えて冷静さを取り戻した。
「はぁ……『魔帝眷属』っていうのはね。七柱いる悪魔の首魁よ」
「悪魔がいるなら天使もいるんだろうな」
「茶化さないで。この悪魔ってのに人類は悩まされ続けてるの。だから勇者パーティが勢力を上げて対抗しているのよ」
悪魔が頭痛の種になっていないオレは人類じゃないってか。
そんな大層な連中が闊歩していたなんて、聞いたことがない。
「勇者の機密事項をペラペラしゃべっていいのか?」
「機密? 有名な話でしょう?」
「ああ、そうかい。あんたは無自覚にもオレを見捨てたぜ」
「は? 何言ってんの?」
こいつ童貞? と言外に非難された気持ちだ。
いいだろ。造詣はいいが面のせいで異性とはまともに喋ったことすらなかったんだ。
「それで、あんたらは『魔帝眷属』とやらを討伐しに来たのかい?」
「いいえ…………口惜しいけど、今の勇者パーティじゃあ到底太刀打ちできないわ」
「えらく悲観的じゃないか。勇者パーティってのは傲慢不遜で、彼我の戦力差を顧みず特攻する馬鹿正直者ばかりと思ってたが」
「貴方の偏見は頗る嫌味ね………………ディーリア地区に潜んでる『魔帝眷属』の強さは、帝国民の皆が知るところだわ。特に勇者パーティにわね」
矢庭に、口調が重苦しく変化した。
歯噛みするように俯いたサクラの表情は傾いた日差しもあって伺えない。
だが、急速に上がった脈拍から、サクラの心中を占める感情が垣間見える。
「『魔帝眷属』の一柱『獣魔帝』は、ここから北西の都市を潰滅させて………………わたしの親友を殺したのよ」
オレは自分の無遠慮さを初めて呪った。
彼女に去来したのは怒りだった。義憤でも、激怒でもない。
怨嗟を絡める自戒にも似た忿怒だったのだ。
『獣魔帝』とやらが、サクラにどう因縁をつけたのかは分からないが。
何故、サクラが嫌々ながらも勇者パーティに加入しているのか、その遠因を知った心持ちだ。
「…………日が落ちるわね。暗夜の行軍は危険だわ。野営しましょう」
諦めたように呟くサクラの瞳に色はなかった。
土褐色の肌は血色を失い、蒼白さを覗かせた。
握り締められた拳からは血が垂れ、足早に立ち去った歩調からは堪えようのない怒りが空気を伝播して伝わる。
どうやらオレはつくづく配慮に欠くらしい。
愁傷な彼女に、気の利いた一言すらかけられないとはな。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
夕食は酷く味気のないものだった。
携帯食の干し肉を二人で食み、見張りの時間だけは決めて交代で眠る。
一秒が一分にも感じられる空間でオレは久しく人間を感じられた。
地下では否が応でも孤独で、語らいも、邪険な雰囲気とやらも味わってこなかった。
泥を口に含んでいるようなザラザラとした感触。軋轢はなく、目に見えた不仲もない。
されど、オレもサクラも、まともに一言だって紡げなかった。
そうこうしているうちに夜も更け、幾度か見張りを交代して休息を取っていた最中だった。
「…………貴方、気配り下手ね」
本来ならば三十分後の見張りであるはずのサクラがオレの隣へ腰を下ろした。
爆ぜる火の粉を眺めながらも、サクラは哀愁を漂わせる横顔を見せた。
「バカみたいに騒がれるよりマシだけどね」
くすりと笑ったのを拍子に、オレたちの間に流れていた曇天はゆっくりと去っていった。
「お悔みの言葉は……止しておこう」
「ええ、賢明だわ」
再び流れ始めたジトリ──とした空気を払拭したくて、目的地を定めないまま矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「君は友人の仇を取りたいんだな」
「勿論よ。もしかして無益だから辞めろって言いたいわけ?」
濃密な殺意が双肩に圧し掛かった。
射殺すような眼光に、酷く濁った双眸に、思わず口を閉ざしたくなる。
これからかける言葉はただのお節介だ。
本来ならば踏み込むべきではない領分だ。
普段のオレなら、昔のオレなら素知らぬ振りをして太平楽を決め込んでいただろう。
だが、今はどうしても。見て見ぬふりなんか、できやしない。
「無益だとは言わない。だが、徒労だとは思う」
オブラートには包まない。歯に衣着せぬ物言いには自信がある。
ささくれた柔肌を徒に刺激するのだけは得意だ。あって間もないまっとうな騎士であるローズを激憤させたのは、他でもないこのオレだ。
「…………わたしに対する侮辱、そう捉えてもいいのよね?」
「不快にしたのなら謝る。所詮は老婆心からの忠告だからな」
「本心はなに? わたしを見くびらないで頂戴……真意が他にあることくらい、よくわかってるわ」
利発で、鋭敏。
まるで心を見透かしたように疑問を口にしてくれる。
「後方支援しかできない君が、それでも自分の手で仇討ちがしたいと望むなら。捨て身で吶喊する他ないだろう」
「ねえ、貴方。一度、殴らせてくれる?」
「悪いが断る。嫁入り前の身体なんでな」
「……軽口も大概にしなさいよ」
「感情を昂らせるということは……図星だったのか?」
「ええ、ええそうよッ! 『獣魔帝』は強かった……ッ! わたしは何もできなくて…………! それで、あの子が……ッ!」
しどろもどろになりながらも、彼女は最後まで叫んだ。
大方の事情は察せられる。
『獣魔帝』とやらを討伐するために、サクラは昼間の五人組と亡き友人の七人で戦闘を始めたのだろう。
そして、思わぬ戦力差に愕然とし、引き際を見誤り尊い命を犠牲にした。
ありふれた、月並みな話だ。
殊に、こちらの世界では死が思わぬ所に潜んでいる。
一時の油断、僅かな慢心、一重の残心。
サクラはそれを知って、それでも尚、腐ることなく再戦を胸に辺境の地まで足を運んだのだろう。
酒場での態度から、かの五人組が『獣魔帝』を討伐する気がないのは明白。
ただ命令に従って訪れただけだ。
しかし、サクラだけは本気だ。
たった一人でも、抗う術がなくても一矢報いるために。
「君が何を背負っているのか。容易には想像できないし、介入すべきではないと思っている」
「ならッ! 黙っていてくれる? わたしは……ッ!」
「無惨に殺された後に、一体君に何が残る?」
「……ッ」
分かっている。
彼女に正論は意味がない。
これは正しいとか、間違っているとか。そんな次元の話じゃない。
善悪ではなく、是非でも、可否でもない。
何より、サクラ自身が認めたくはないのだろう。
聡明な彼女だからこそ、本能で理解しているはずだ。
復讐など、救われる者のいない雪辱など、ただの自己満足であると。
「とある人物の話をしよう」
「……は、ぇ?」
「彼には才能があった。多くの者から将来を渇望されていながらも、彼は道半ばにして姿を消した。ある者は彼を臆病者と罵り、ある者は彼を天才の気まぐれと揶揄した。口さがない者は批判し、舌鋒は彼を簡単に処刑台へと上げた。視界に映る人間全員が、彼に憧れ、焦がれた者は彼の決断を酔狂だと吐き捨てた。当の彼は、一体何と返したと思う?」
「…………もう、決めたことだ……とかかしら」
「中らずと雖も遠からずだな。彼は恬然とこう言い放った──知ったことかと」
「……傲慢極まるわね」
「ああ。だが、当然の話だ。外野で喚くだけの傍観者に一体何ができるんだ、とね。けれど、彼はたった一つだけ欲したものがあった」
「……?」
「理解者だよ。何も護ってほしかった訳じゃない。反論して欲しかった訳でも、擁護も欲しなかった。ただ、背中を押してほしかっただけなんだ」
神妙に思い詰めるサクラには、オレの言わんとしている所が釈然としないのだろう。
唐突に脈絡のない他人の話をされて、それも要領を得ないとなれば腹立たしくもなる。
だから、オレは本心を包み隠さず語ろうと思う。
まったくもって柄ではない。
無関係な他人へとこんなにも注力するなんて、オレのスタイルとは合わない。
「サクラ、オレは君に手を貸そう。君の覚悟を、徒労で終わらせたくはない」
「……ッ!」
そうだな。
もし、理由を考えるのならば。
もし、それらしい動機があるのだとすれば。
「分かってるの? 相手は『獣魔帝』なのよ……!」
「わからないな。だが、悪足掻き程度ならできるだろう」
「……貴方、なんて命知らずなの…………」
命知らずか。
確かに、今までのオレならば火中の栗を拾うような真似はしなかっただろう。
だが、オレは知ってしまった。
たった一人でも、如何なる窮地にでも身を投げる存在を。
「これも拾った命だ。使いどころとしては十分だろうな」
「貴方……、びっくりするくらいお人好しなのね」
お人好しか。
そう見えていれば、誰かの目にそう映っていれば。
「そういえば、名乗っていなかったな。オレはヴィ──」
「……?」
ヴィリーはダメだな。
勇者の一人だとすればオレの悪評だって聞き及んでいるかもしれない。
『獣魔帝』の前にオレが討伐されてしまう。
「オレは、ラファエル。ラファエル=ヴィリーだ」
どこぞのお人好し。
無尽蔵の善意に突き動かされて躊躇も、迷いもなく己が命を投げだせるヒト。
きっと、ミカエラならば。
サクラを諭し、共に戦うのだろう。
オレに他人へ寄り添えるだけの善意があるとは思えない。
だから、行動で示そう。
覚悟を体現する彼女へ、ほんのささやかな祝福を送れるように。
誰にも賞賛されない非業へと身を投じる彼女へ、せめてオレだけは手を差し伸べたい。




