2. 理想主義者
ヴァリアス半島は北方に位置する島嶼国である。
独特な風向きと暖流のおかげで、年中通して温暖な地域だ。
エルダランド、コーレルン・ハーグリーブス両国と同盟を結んでヴァリアス連合王国を築く一大勢力。
総称してヴァリアス王国。
帝国とは国土を共にしない影響で独自の文化を発展させているものの、軍事力の増強に伴い積極的に侵略戦争を行っている帝国と一触即発となっている。
既に、帝国を包囲する王国や神聖国が劣勢に陥っていることから、ヴァリアス王国も魔の手にかかる寸前だと言えよう。
オレたちの現在地がダルタニアス帝国北西。ゴスペル小公国との国境沿いの山岳地帯を北進している状況にある。
このままの調子と速力でいけば数日後には北方平原に出られる。
後は街道沿いに港まで辿り着ければ、ヴァリアス半島への定期便に乗り込むことができる。
半島に入ってから幾つかの島を経由して首都まで向かう必要があるのだが…………それはオレが考えるべきではない。
オレはあくまで護衛。
運び屋として、依頼人を安全安心に目的地まで先導するだけだ。
そして、常識外れの金額を提示して超特急で半島まで運べという危険極まりない依頼主はと言うと。
「止めてください、馬車を停めてください……!」
中肉中背のシャイガイ。御年二十四の御者、ギメルの肩を揺らして必死に馬を停止させるように叫んでいた。
「おい、お守りはあんただろ」
「ああなったミカエラ様は梃子でも動かん。私では不相応だ」
「マジかよ。ギメルはあれだぞ、生粋のコミュ障だからな…………肯定も否定もできやしない」
ゆさゆさと前後左右に揺られながらも手綱だけは握り締めて馬が暴れないように制御している律儀な御者。
目元をすっぽりと覆う茶髪の前髪に、質素な麻の服。
どこの街にでもいる青年。
それがギメルだ。
街道に生い茂る木々が次々に流れる速度の中でも、彼は平然と馬車を曳き、ミカエラは構わずギメルを妨害する。
何を思って止めろと叫ぶかは皆目見当がつかないが、従者でも手が付けられないのなら仕方がない。
「ギメル。止めろ」
「…………了解」
消え入りそうな声で頷いたギメルは、呼吸をするように馬を引き留め、馬車を街道の隅に寄せる。
熟練の御者ですら停止には手こずるというのに、彼はものの数秒で停めて見せた。
流石の腕前と言えよう。
「ありがとうございます、ヴィリーさん」
恭しく感謝を口にする態度と携えた表情を前に、オレは平常心を取り繕っている自分に気が付いた。
漣が立っている。本来ならば、諫めるべきだ。依頼主であろうと、勝手な行動は慎むべきだと。
護衛には過ぎた口でも、状況が悪すぎると。
しかし、オレの口から飛び出してきたのは見当違いの疑問だった。
「あんた、何故とめた」
「ヴィリーさんには見えないのですか?」
哀し気に瞳を伏せてこちらを一瞥したアリアナは、颯爽と荷台から降りる。
自信に満ちた足取りに、傲慢さを感じさせない横顔。
小さなはずの背中が大きく見えるのは、やはり彼女の心根が気高いからだろうか。
「まさかな……」
ここ数日の旅路で依頼主について分かったことがある。
眼前の少女、御者台から荷台に戻ってきたアリアナの信条は頗る健気だ。
良く言えば滅私奉公、悪く言えば直情径行。
兎にも角にも利益度外視で善悪だけを基準に物事を考えている。
東に病気の子どもあれば行って看病してしまう勢いでお人よしだ。
「あんた、あの子にここいらの情勢を教えたことがあるか」
「……? ゴスペル小公国のことならご存知のはずだ」
「なら、この街道のことも頭に入ってるはずだよな」
「無論だ。ミカエラ様は高等学院を主席で入学されたのだ」
こいつは自分が何を口走ったのか理解できていないらしい。
主人の功績を自分のことのように得意げに話すのは構わないが…………高等学院は神聖国の貴族学校であり、入学するだけでも桁外れな金額を請求されることで有名だ。
つまり、神聖国のお貴族様でも限られた一部の者しか立ち入れない上に、主席となると。
だが、今考えるべきはそれではない。
「なら、常識に疎いのも頷けるな」
根っからの善人。
開けっ広げで明け透けな善性。ならば、彼女の行動は推測ではなく断定できる。
「どういうことだ。ミカエラ様への侮辱は許さないぞ」
「あんたも含めて罵ってんだ。頼むから手伝ってくれよ」
判然としている騎士は放置して、オレは荷台から降りる。
鬱蒼と生い茂った木々によって日の光が遮られている。おけげで、ここらは常に陰鬱としていて、誰も好き好んで通行しようとしない。
故に、この街道を通るのはお天道様に顔向けできない連中に限られ、そういった手合いは揃いも揃って莫大な利益も持つ代物を運搬するためつけ狙う者が後を絶たない。
だが、治安の悪さは周知の事実であり、通行人は万全の対策をして駆け抜ける。
ならば負けじと追い剥ぎや野盗は工夫を凝らす。
例えば──
「具合は大丈夫ですか? 立てますか?」
箱庭で蝶よ花よと育てられた世間知らずのお嬢様が、まんまと釣れるように。
病人を演じて街道へ突っ伏し、手を差し伸べる善人を標的にするといった風に。
「ミカエラ様……!」
感服する警戒心の高さだ。
既にオレたちを包囲した連中を気取ったのであろう、弾かれたようにミカエラへと駆け寄るローズ。
しかし、時すでに遅し。
待ってましたと言わんばかりに俊敏な動きで身を起こした病人紛いが獰猛な笑みと共に刃を片手に、ミカエラの細首へと脅威を突き立てる寸前で──
「そろそろ、現実を見たらどうだ?」
パスッ──! と。人が死んだとは思えない程に微かな音と共に、大根役者は事切れた。
「ひっ……!」
「ミカエラ様ッ!」
噴き出る血潮に驚愕し、腰を砕いたミカエラを支えるようにローズが抱き寄せる。
鉄の香りが充満して鼻を衝く中、ミカエラの視線は死体から殺人者の方へと動いた。
信じられないと言った風に、まるで責め立てるように鋭い目線が感情を叩きつけてくれる。
当たり所が悪かっただけとは言わない。
オレの投擲したナイフが、喉を裂き、動脈から深紅の花を咲かせている。
狙いは正確。
日に千と投げ続けた成果は火を見るよりも明らかに結果を見せつけてくれる。
一難は去った。
依頼人の命を奪おうとした野盗の一人は殺した。
だが、問題はここからだ。
「…………ヴィリーさん。どうしてこの方を……」
「殺したかって? 高飛車なお嬢様に忠告しておこう。あんたが生き永らえたのは誰の判断あってのことかってよ」
「ですが……っ、手段は幾らでも…………!」
「あるだろうな。そうだな……いつも通りに食料をばらまくか? それとも金を渡すか? なあ、あんたは何様のつもりだ。施すだけで万事解決とでも言いたいのか?」
「ヴィリー殿、矛を収めてください。これ以上は──」
「あんたがその体たらくなら、納得だな」
反駁したいのだろう、ローズは歯噛みするように俯く。
しかし、現に主人を危険に晒してしまった負い目からか、はたまた正論だと分かっているのか狂犬のように噛みつかれることはなかった。
引き換えに、ミカエラが矢継ぎ早に言葉を紡いでいるが。
生憎とオレの耳には届いていなかった。
捕捉すべき情報は他にある。例えば、大地を揺さぶる数多の足音や、馬の戦慄きとかな。
早々に立ち去れば良かった。
と言うよりは、それが定石だ。この街道に碌な対策もせずに長居するなど正気の沙汰ではない。
ゴスペル小公国近辺は帝国との紛争地域でもある。
だからこそ治安も悪く、野盗や追い剥ぎの巣窟にもなり得るのだが。
本来、密林を開拓して整備した街道には、土着の生態系があった。
そも街道自体は獣道を基準にして広げたのだから当然だが。血で血を洗う戦闘を続けて、生来の生き場や生息域を侵された動物や、肉食獣に輪をかけて気性の荒い魔獣は。
一体どこで生き、何を喰らっているのだろうか。
「~~~~! ヴィリーさん! 訊いていますかっ!」
「悪いが、何も聞いちゃいなかった」
「……っ!?」
今まで黙殺された経験がないのだろう。
衝撃を受けたように固まりぱくぱくと口を動かすミカエラ。滑稽だとは思うが、それでも絵になる美しさとは……反則だろ。
「頃合いだな。ギメル、行くぞ」
「……………………ヴィリー殿、まさかわざとですか」
「ローズ?」
倫理観や常識、主人可愛さに曇っていたようだが。ローズは優秀な騎士らしい。
騎士とは即ち、戦士と相違なく。
人為的な殺意ではなく、明確な本能に裏打ちされた殺気には敏感のようだ。
「ミカエラ様。火急故、無礼をお詫びします」
「へ……ひきゃぁっ!?」
米俵のように担がれたミカエラがギャーギャーと喚くが、ローズは意に介す様子はない。
ようやく本分に気づいたらしい。
騎士ならば、主人の意志よりも命を優先すべきだと。
当人が彼女の決意を汲めるか否かは…………期待できないがな。
「早く詰めろよ」
「ヴィリー殿は……」
「露払いだ」
駄々をこねるお荷物を詰め込むまでに数分。
馬車が速度を出せるようになるまで更に数分。
延べ五分弱。
オレは孤立無援で、血の匂いに寄ってきた狂暴な魔獣の相手をしなくてはならない。
「────ッ!」
地の底から響くような咆哮が、テリトリーを引っ掻き回した侵入者に警告するような激怒が。
濃密な殺意をなってオレの全身を打つ。
「きゃっ……!?」
背後から息を吞む音が聞こえた。
如何に百戦錬磨の騎士様だろうと、飢えた猛獣の相手を目前にするのは初めてらしい。
数は三。
体長は五メートル超。
四足歩行の虎型、豹型の魔獣。
毒々しい体毛に筋肉質な体躯。
般若を彷彿とさせる形相には慣れていたとしても気圧される。
既に一匹は弱者に気を払う必要がないと言わんばかりに、オレが仕留めた人攫いを貪り喰っている。
充満する悪臭に思わず顔を顰めてしまう。
…………おい、今誰かもどしたな。
見当は付くが。
「いつ見ても荘厳だよな」
見惚れてばかりはいられない。
どこぞのお姫様に現実を教えるために呼び寄せた連中に、まさかオレが無様に負ける訳にはいかない。
同時に三匹。まだ手に負える。
「オレ程度なら後回しにしても喰えるってか…………なら、お前からだ」
ジャケットの中へと手を入れる。
イメージは抜刀だ。空を斬るように。
全力の力を込めて投擲する。
「──……ッ! ?」
ドスッ! と重い音と共に寸分違わず突き刺さった短剣は獣の喉元を見事に裂いた。
狙うは頭蓋ではなく喉。
魔獣の頭を護る骨格は硬すぎて一撃で屠れない。
一匹に時間をかけてはいられない。手間取れば手間取る程、奴らの連帯は強くなり、血の匂いに引き寄せられる魔獣の数だって多くなる。
「左が迅い、か」
ナイフ一本、短剣二振り。
左手でナイフを、右手に短剣を構える。
重量も軌道も異なる二本の刃だが、オレにとっては同じ札束だ。価値は変わらない。
魔獣は狡猾だ。
短剣を直線で投擲しただけでは避けられるのがオチ。
ならば、短剣を直線で飛ばさなければいい。
既に短剣で一匹屠ったが、左側面から駆ける魔獣には軽量で薄いナイフを投げる。
無論、奴にとっては回避する必要すらない。
「ギャン──ッ!?」
情けない絶叫と共に、ナイフによって片目を潰された魔獣が転がる。地面と平行に投擲したからか、そもそもナイフを捕捉すらできなかったようだな。
これで早急に対応すべき一匹は片付いた。
「脇目も振らずか。賢明だな」
右側から牙をぎらつかせて接近する魔獣へは、短剣を投擲する。
狙いは……街道の右に乱立する樹木の一本。
柄が幹へと当たるように回転させて打てば。
「──ッ ! ?」
ゴンッ──! バス──ッ! と異なる2種類の音が静謐な森へと反響する。
跳弾して側面から命を刈り取ることができる。
これで、二匹。
後は、未だにのたうち回っている魔獣へと短剣を刺して終わり。
手慣れた作業とはいえ三分にも満たずに処理できたのは僥倖だ。
おかげで警戒を切らずに撤退できる。
「ギメル。出してくれ」
ミカエラは、もはや喚いてすらいなかった。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
まるで通夜のようだ。
普段ならば場を弁えずに軽快な口調で喋り倒すお嬢様が口を噤んでいるからか、痛いほどの静謐が横たわっている。
ギメルは生来寡黙な男で、ローズもまた必要以上に軽口を叩いたりはしない。
オレは言うに及ばず。
先の情景と出来事もあってか、責任感に溢れた騎士様は自責に夢中で。
伝播したのか、一文字に引き締めたミカエラの様子は沈痛にも思える。
「…………ヴィリー殿。先ほどは有り難う。貴方のおかげで命が助かった」
「護衛だからな。金額相当の働きはしよう」
「どうやら、私は貴方を誤解していたようだ」
ふっと表情を緩めたローズの面持ちは年相応に思えた。
堅実に、堅牢に。
無理して気を張っていたのだろう。だからこそ、刹那に魅せた本心が輝いて見えた。
「それにしても、先の戦闘。素晴らしかった」
「社交辞令は受け取らない主義なんだ」
「世辞なものか! 計算し尽くされた迎撃に、肉眼では捉えられない速度、それに最後の一撃。悔しいが思わず感嘆してしまった……!」
「そうかい。だが、過大評価だけはしてくれるなよ。あれがオレの精一杯だ」
「十分ではないか?」
「不十分だよ。相手が魔獣だったから良かったものの。例えば、あんたなら……オレが投擲する間に間合いに入って斬り殺せるだろう?」
「………………正否は置いておいて。私は貴方を尊敬する。一芸をあれ程の練度に極めるのは並大抵の努力ではなかっただろうからな」
真っ直ぐにオレを見つめて離さない瞳。
逸らしたい一心だが、ちっぽけな意地を信じて見つめ返す。
揺らいでしまった信条が、大して素性も知らない他人の賛辞程度で緩めてしまいそうになった頬が、少しでも自分を赦してやりたくて仕方のない本心が。
自尊心が少しでも満たされたなどと。
オレは認められない。
「────それだけの力がありながら、どうして貴方は……あんな風にしか使えないのですか?」
冷や水を浴びせられた気分だ。
それが却って有難く感じている自分に戸惑いを覚える。
平常心と猜疑心。
それが、オレを律する最後の防波堤だ。
「あんな風とはな。随分な言われ様じゃないか」
「茶化さないでください。貴方の技術はわたくしの常識では計れません。だから、もっと使い道があるはずです」
「あんたの尺度で計れないなら断定するなよ」
「いいえ、断じます。貴方は間違っている。何度でも、わたくしは叫びます」
やすりで魂を削られる錯覚を覚える。ざらつく言葉が、理性を研磨する。
平常心だ。
落ち着け、冷静になれ。
オレは正しい。
ほんの数日、数週間だけの他人に何を言われようが、今更崩れる程に脆弱なはずもない。
「ならこうしよう。オレが間違ってるとして、あんたは何が言いたい」
「……、わたくしは浅慮でした。なりふり構わず、考えなしに正しいことをしたいと思っていました」
「打って変わって殊勝じゃないか。憎たらしい傲慢さはどこに消えた」
呻吟するように歪んだ眉根。
言うべきか言わざるべきか。
この期に及んで、彼女はオレを憂いている。慮っている。
オレは一体、何に苛ついているんだ。
「…………貴方だって──」
決意したように言葉を紡ごうとした彼女の声は、最後まで形を成す前に閉ざされた。
「……ッ!? 今度は何だ……ッ!」
ガタンッ! と緊急停止した馬車の動きに遮られたために。
案外短気らしいローズがキッと前方へと睨みを利かせる。
「ギメル、何があった」
「………………封鎖」
「あ?」
荷台と御者台は簡素な仕切りによって区別されている。
立て板を外せば簡単に御者台へと上がれる仕組みになってはいるが、額に冷や汗を滲ませるギメルの様子を見て安易に上がろうとは思えない。
ほんの僅かな隙間から前方の様相を窺う。
魔獣に負われるプレッシャーからか、馬は文字通り馬車馬の如く疾走したのだろう。
ゴスペル小公国など当に超えて、目前の大橋を渡れば帝国領を出られる場所まで辿り着いている。
ここまで来れば後は港まで三日程度で辿り着けるだろう。
ギメルの巧みな操作か、はたまた馬の底力か。どちらにせよ、数日の短縮となったはいいが。
帝国は内外に敵が多い。
特に、内側。政権の中枢に蟲が入り込みやすい。
それ故、関所は神経質に、より注意深く追求される。
だが、それは予想できたことだ。多少早まったところで潜り抜ける方法は腐るほど用意してある。
だから、問題は封鎖という一点にある。
「…………多いな。目視で確認できるだけで百はいる」
チラと背後を垣間見ると、既にローズが臨戦態勢を取っている。
意気揚々と講釈垂れていたミカエラは泰然自若に構えてはいるが、内心の怯懦を隠しきれていない。
無関係なら白を切ればいいものを。馬鹿正直に迎え撃つつもりでいるようだ。
相手は帝国近衛騎士団だ。それも、精鋭だけで編成された“黒天部隊”ときた。
国防の要である連中を迷わず派遣できる当たり、ある程度の目星か確信がない限り決断はできないだろう。
“黒天部隊”の弱点は迅速さにある。騎士団の一存では動かせないため、機を逃す場合が多々ある。
だが、現実はどこまでもオレに厳しいらしい。
「そこの馬車! 止まれ!」
張り裂けんばかりに叫ぶ男は見るからに屈強で、よく言えば熱血、悪く言えば根性論を愛してやまない風貌をしている。
「…………どうする」
「適当にはぐらかせ」
「…………無理だ」
長い前髪に隠れた瞳が、確かに拒絶の色を見せた。
たかが封鎖にしては物々しい。
だが、押し通るまではいかずとも、眼前のバリケードと人数を突破しない限りには話は進まない。
「取り掛かる前から不可能を口にするな」
「……だって、あいつらの目…………! 僕たちを逃がす気はない…………」
珍しくギメルが饒舌だ。
彼は寡黙で不愛想な男だが、御者としては信頼できる。付け加えるならば、【技能】は更に信用できる。
──相手の感情を読み取ることのできる【技能】。
おかげで、ギメルは超の付く人間不信に成れ果てたが。
彼が危険だと言えば、それは疑いようのない事実となる。
「聞いているのか! そこの馬車! 荷物を改める! 止まれ!」
「…………本気だよ。あの人たち」
「ギメル、停めるな。聞こえていない振りをしておけ。牛歩でいい。どれだけ速度を緩めてもいいが、決して止めるなよ」
「わかった。そっちは任せる」
切羽詰まった彼を安堵させてやりたいのは山々だが。
返答は曖昧に濁しながら、オレは直ぐに荷台の最後尾まで戻る。
「何があった……!」
「“黒天部隊”だ。あいつら、待ち伏せしてやがる」
「…………まさか」
「帝国最強の部隊がヤマ張るくらいの相手だ。少なくとも、どこぞの国の要人…………国賓クラスじゃねえと説明が付かない」
唇を噛んで俯くローズには悪いが、彼女を交渉の席には立たせたくないな。
腹芸が不得手すぎる。展開がどう運ぼうと、否が応でも相対せざるを得ない。だが、その場合に弁論を行うのはオレの役割だ。
どのような関係性だろうと、依頼人を矢面には立たせない。
とはいえ、オレも他人に構っていられる余裕はない。
メキメキッ! と短剣で切れ込みを入れた荷台の床板を剥がす。
速度は落ちているが、それでも飛び降りるには速すぎる。
この速度がいつまで保てるかは未知数だが、限りなく大橋に近づいておく必要がある。
大渓谷を繋げる唯一の大橋。
対岸は帝国領ではないため、幾ら“黒天部隊”であろうが容易には踏み込めまい。
目指すは大橋の踏破だろう。
在り合わせの素材で一応の仕掛けを設置し終えたが。
賭けに勝てるかは五分だな。
ましてや、無事に渡りきれるかは更にシビアだ。
これは気合いを入れなくてはならないらしい。
一息つく間もなく、立ち上がり装備を確認する。
先の魔獣討伐で短剣を三本、ナイフを二本失った。
残りは──と指折り数えていると、矢庭に隣に気配を感じた。
「彼らの目的は十中八九、わたくしの身柄でしょう」
もはや疑いもせずに、何の衒いもなく断言した。
ミカエラは神妙な面持ちを崩すことなく、オレを見下ろしている。
悲痛に歪めた表情が何を物語っているのかは預かり知れないが。
オレは気付かないように、興味が向いていないように。一瞥で終わらせる。
「ヴィリーさん。ここまで有り難うございました。ですが、“黒天部隊”となるとヴィリーさんの手には余るかと思います」
思ってもないことをいけしゃあしゃあと。
おまけに愛想笑いまでつけられた。
ソプラノの声音と澱みのない瞳を受けて、体力と気力を大幅に削られたが何とか聞き流せた。
短剣七本に、ナイフ十八本。ナイフはジャケットの内ポケットに、短剣は太股や腰、背中や袖の中に隠し持つ。
カチャカチャと甲高い音を立てる武器たちのおかげでふざけた話を聞かなくて済む。
「後はわたくしにお任せください。ヴィリーさんはギメルさんと一緒に──」
「おい、お前。オレを舐めてるのか?」
「……っ」
存外、低い声音が飛び出してきた。
怖がらせるつもりじゃなかった。だが、生まれつきの悪人面が迫力を生み出してしまったらしい。
言葉を詰まらせたミカエラを、まるで詰問するように睨め上げる。
揺れる碧眼を、怯えを孕む視線を、正面から受け止めて。
オレは熱を帯びないように冷静さを念頭に言葉を紡ぐ。
「オレの仕事はあんたらをヴァリアス半島まで送り届けることだ」
「そんな……っ、お仕事のためだけに命を捨てる必要は──っ!」
「半端に口を突っ込むしかできないなら、黙ってろよ」
「な……っ!」
ああ、そうだろう。
あんたには初めての経験かもな。まともに取り合ってもらえず、話は遮られて。
意見を口にすれば即座に潰されて、反証の余地すらない。
「何度も言うようだがな、あんたに代案があれば遠慮せずに言ってくれていいんだ」
「…………、ヴィリーさんは意地悪です」
ありったけの憎悪。
逆立ちしても好転しない現実を前にして、誰かに八つ当たりをする。ああ、まだまだ若輩に過ぎる。
惨めだろう? 悔しいだろう? 安心しろ、ミカエラ。その道は、既にオレがならした後だ。さぞ歩きやすいことだろう。
「良かった。ようやく正常に現実を視れたんだな。初めてをもらえたのはオレか。光栄だね」
ダメだ、冷静を欠くな…………いや、どだい無理な話か。
相手は“黒天部隊”。百を超える精鋭。聞けば一国の軍事力を遥かに凌駕するらしい。
それらを相手に、こちらの手札はオレだけ。
プロボクサーに八歳児が喧嘩を挑むようなものだ。
力量差は明白。
馬車の動きも静止に近づいている。
喧噪も限界値に達している。
これ以上の抵抗は不信感の火種になる。
「あんたらは何もしなくていい。とにかく、オレの命令通りに動いてくれ」
「誰が貴方の──!」
「分かりました。ヴィリー殿、お任せします」
「ローズ……ッ!?」
意味が分からないと頭を振るミカエラに、諦めたように苦笑するローズ。
たった数時間で印象が丸っきり変わってしまった。
いがみ合っていたオレとローズは月並みの関係性に収まり、歩み寄ってくれたミカエラはオレを親仇のように恨むようになった。
「ギメル、合図したら馬を急発進させろ」
「……ふぁっ!? それって…………いやいやいやいやいや、何でもありませんよ?」
準備は整った。
時間も稼げた。
動悸は激しく、呼吸は浅く、脂汗がシャツと肌を流れて気持ちが悪い。
昼食が逆流しそうだ。
いや、魔獣騒動があったおかげで何も口にしてはいない。なら、せり上がってくる酸っぱいものは胃液か。
絶体絶命に相応しい。オレ史上、背水の陣どころの騒ぎじゃない。
こんな緊張は追放された時でも感じたことはない。
だが、うじうじと背を丸めていても仕方がない。
覚悟を決めて。
反撃といこう。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
狙うは大橋。
敵は“黒天部隊”。
オレの目的はミカエラとローズを対岸へ届けること。
二人は五体満足でければならない。
ギメルの曳く馬車の荷台は天蓋が開閉式になっている。
謂わば見張り台だ。
設計時に丸型に切り取り、蝶番で外へと開く形で最大上半身まで外界へと出せる。
「……ッ! 貴様! 何者だ!」
声を張り上げるのは騎士団長なのか、厳格さを感じさせる髭面をしている。
唾を吐き捨てんばかりに大音声で叫ぶものだから、周囲の騎士たちはしかめっ面で睨んでいる。
しかし、誰一人として抗議しないのは、やはり腕利きだからか。
実力至上主義。ああ、操りやすい。
上下の骨子が硬い組織は頑丈な代わりに、指示がなければ動けない遅滞性を内包する。
「あんた、“黒天部隊”の隊長さんか?」
「いかにも。貴様は。名を名乗れ!」
「どうして騎士ってのは名前に拘泥するのかね……」
オレの知る馬鹿真面目で清々しいまでの誠実さを誇る騎士は、きっと荷台で今も主人を護るために全神経を注いでいることだろう。
「オレはヴィリーだ。ゴスペル小公国からヴァリアス王国へ陶芸品を輸出する途中なんだ。あんまり揺らさないでくれよ? 慎重を喫したとはいえ、割れ物注意なんだからよ」
「ふむ……証書は」
「待ってくれ、いまそっちに行く」
俯瞰して気付いた。
“黒天部隊”は全員が全員、オレたちの動きに注視している訳じゃない。
ほんの一部、三十人程だろうか。
中には見ただけで手練れだと分かる者もいる。
だが、虚を突ければ出し抜ける人数だ。
手が震える。
「そうだ、あんたら。折角だから、オレ個人の商品から買ってくか?」
「……なに?」
「プレミア付く商品を個人的に蒐集しててさ」
「そんなもの興味はない! 早く降りてこんか!」
膝が、全身が振動する。
セールストークとでも思ったのか、数人の視線がオレから明後日の方向へと飛ぶ。
「そう言わずにさ。自信あるぜ?」
「興味はないと言っておろうがッ!」
本能が震える。
隊長の怒鳴り声に数人が眉を顰めてそっぽを向く。
「なあ、あんたさ。マジシャンの左手って知ってるか?」
「…………ふざけてるとたたっ斬るぞ!」
大真面目さ。
ほら、もうオレに注目してるのはあんた含めて十人にも満たない。
苦しさ紛れの言い訳だとでも思ったか? それとも本当にセールスとでも?
だとしたら、理解が浅い。
生き汚いってことを、無様でも生き永らえてやるって性根を。
「ところでさ、なんか…………地面。揺れてね?」
「なに……?」
気が付いたか。
徐々に振動が強くなる感覚。信じていた安定性を一瞬でも疑わざるをえない恐怖。
オレの背後に、あんたの目の前で膨れ上がる砂埃に。
マジシャンは仰々しい仕草で観客を右手に集中させる。
観衆を注目せざるを得ない状況へと引きずり込む。
空いた左手でトリックを仕掛けているというのに。
なあ。あんたはさ。もっと注意深く生きた方がいいぜ?
「……魔獣だとぅ──n ?」
パスッ! と。数十匹の魔獣が進軍するオトに紛れて。
猛り狂っていた髭面の、“黒天部隊”の隊長は。
いとも簡単に事切れた。
マジシャンの左手から意識を逸らしたばっかりに。
「ギメル! 走れ!」
「なっ──!? 隊長ッ!?」
ギメルが馬車を動かすのと、方々に散らばっていた騎士たちが隊長の不在に気付くのは同時だった。
卓越した牽引技術を誇るギメルにとって、たった数秒あれば数十メートル程度一挙に離すことができる。
後に残ったのは、深紅に染まった大地と、物言わぬ屍が一つ。
「これは、血かッ!?」「あいつこれで魔獣を引き寄せたんだ!」「おい! 橋を封鎖しろ!」「いや、いっそのこと堕として──!」「それどころじゃねえ! 魔獣が来るぞ!」「あんの詐欺師! ぶっ殺してやる!」
愉快だね。
快走していると寄ってくる騎士もいるが、全速力で駆ける馬車に身体を張って止める気概はないのか大半の騎士は日和見だ。
しかし、中には車輪を狙う者もいる。
そういった手合いは、灯台下暗し。案外、迫る危難を見過ごしているものだ。
投げれば当たる。面白いくらいに命中する。
打ち損じはなし。
前方では狂乱に満ちた馬が突っ込み海を割るモーセの如く邪魔者はなく、左右では続けざまに斃れる仲間に戦意が折れ、背後では隊列が組めずに騎士たちが魔獣に蹂躙されている。
「ヴィリーさん! 外はどうなってるんですか!?」
阿鼻叫喚が荷台まで響いているのだろう。
ミカエラが半狂乱に問い質してくる。
「凄い! 凄いよヴィリー! 僕は君を過小評価していたかもしれない!」
「ギメル殿が叫ぶとは……策は功を成したようだな」
「論評してる暇があるならそっちにある血袋を持ってきてくれ」
「これかしら?」
あぁ……持ち方に気を付けろよ。
「まっ……! そのままでは零れてしまいます!」
「え、あ。そうね……」
案の定、無知を晒したミカエラがあわや大惨事を引き起こすところだった。
「ヴィリー殿、口を縛っておいたが大丈夫か?」
「ああ、有難い。ちょっとしたプレゼントをやりたかったんだ」
「……?」
オレに麻袋に詰まった拳大の血袋を手渡しただけのローズには見えないだろう。
既に大橋は目前に迫っている。
魔獣の侵攻は後方で止まっており、馬車と魔獣の間には距離が空いてしまった。
討伐されつつある魔獣たちが足踏みする理由は簡単だ。
濃密な血の香りが空白地帯にはないために。
「そら、もう少しだけ働いてくれよ」
振りかぶった血袋は弧を描いて想定通りに空中へと放り出される。
たった数メートル。無風に近しい状況で、阻むものはない。
絶好のタイミングだ。
ジャケットの中から取り出したナイフを、ダーツのように投擲する。
すると、見事に命中し。血潮は五月雨のように大地へと降り注ぐ。
「うわッ! なんだこれ?」
「あいつ…………やりやがったッ!」
気付いた時にはもう遅い。
血の香りに勘付いた魔獣は次々となだれ込む。
未だ、完全に防壁の完成していない騎士たちの隊列に。
百人はいたであろう騎士団は半壊し、息がある上に動ける者は四分の一にも満たないだろう。
最高速度を維持する馬車は速力を緩めることなく大橋へと差し掛かった。
残り十五メートル。
対岸の輪郭がはっきりしだした。
改めて渡ってみると、大渓谷と評されるだけはある。
漆黒の口を開ける深淵からは上方へと生暖かい風が吹いている。
ガタガタと疾走する見張り台から眺める渓谷の景色は余りにも現実離れしていた。
残り七メートル。
やはり帝国領から出ると騎士は駐在できないらしい。
大橋の出口が楽園への入り口にも思える。
残り五メートル。
ギメルが高笑いと共に手綱を曳く。
荷台の隙間から確認しているのだろう、ローズとミカエラが喝采を上げている。
数秒。瞬きの刹那で。
オレたちは王手をかけられる。
「奴らを逃がすなァッ!」
ブワリ──ッ! と。オレはチリつく気配を覚えた。
轟々と吹き荒れる熱源。炎の塊が、木を呑み込み、橋に悲鳴を上げさせている。
「魔法かよ…………そりゃないぜ」
歓喜が絶叫に変わる。
打って変わって情けない悲鳴を上げだしたギメルはダメ押しとばかりに速力を上げる。
だが、オレには分かる。
たった一歩。
されど一歩。
今わの際に等しい、微々たる差異で間に合わない。
馬車が橋を渡りきるまでに、完全に燃え切ってしまうだろう。
今一度、確認しよう。
オレの仕事はミカエラとローズの二人を生きたままヴァリアス半島へと送り届けることだ。
例え、この大橋を無傷でやり過ごしたとしても。
足はいる。
ならば、ギメルは必要だ。
依頼人に戦わせるなど、親爺が聞けば激怒するだろうが。
護衛ならば、ローズでも事足りる。
速度が上がらない? 重量を減らせばコンマ数秒の世界で、生じる変化は大きいだろう。
逡巡はなかった。
躊躇も、なかった。
オレが最後に知覚したのは、重力に従って垂直落下する自分の肉体と。
陽光を反射して煌めく金色だった。
ステータス──レベル32→35
・筋力79→82
・体力125→135
・速力60→76
・知力102→108
【技能】なし




