1. プロローグ
月光が湖を照らしている。
豪雨のように叩きつけられる音符の嵐が、戦慄く和音の様子が、騒めく観衆の反応が目に浮かぶ。
耳朶を通して魂へ響く旋律。
情景は容易に想像できる。
何てことはない。超絶技巧の持ち主が表現力を持たないはずがない。
聴く者全てに作曲家の落とし込んだ感情を届ける役割を、このピアニストは見事に果たしている。
五分弱の音楽が終幕を迎える。変ニ長調の帳は既に降り、感傷的な散歩道と銘打たれる理由にも納得がいく。
さて次は何だったかと、夢想した刹那。
ドンドンッ──! とイメージではなく現実の世界で覚醒せざるを得ない音と振動が響いた。
瞼を開けると見慣れた天井が飛び込んでくる。
木製の天蓋。身を起こしてイヤホンを外して周囲を見渡すと、三畳にも満たない長方形の空間が目に留まる。
酒瓶が転がり、据えた香りが鼻孔を刺激する。
お世辞にも小綺麗だとは言えない。
それもそのはず。
一時の安らぎと午睡を愉しんでいたこの空間は、寝室でもなければ部屋ですならい。
ただの荷台だ。それも、馬車の。
「おい……! ヴィリー! 早く来い!」
しゃがれた大声が反響する。
喧噪に支配された市場の様子が想像できる。ついでに、怒り心頭でがなりちらすボスの様相も。
きっと誰振り構わず苛立ちをぶつけていることだろう。
だから新人が三日と持たずに辞めるんだ。
とはいえ、グチグチと内心で垂れても意味がない。
耽美なメロディーを奏でるアイポッドの電源を切り、自分の荷物の中へと強引にねじ込む。
飽きずに怒鳴り散らすボスの怒りは引き伸ばさない方がいい。
さもなければストレス発散の矛先が無関係の従業員へと向いてしまう。
如何に褒められない仕事をしているとはいえ、得も知れない理不尽を受けるのは哀れだと思う。
ボスがオレを呼ぶ場合は仕事の依頼が入ったということ。
ならば多少は身なりに気を遣うべきだろう。
馬車の荷台とはいえ、平均的成人男性一人が直立しても尚余る縦尺が猶予されている。
分厚い革製のズボンに、軍靴と見紛う黒のアウトドアブーツ、薄手のシャツの上から防刃ジャケットを羽織る。
薄汚れた鏡に覗く顔は目元の隈や生来の悪人面に三白眼と、一見やつれて見えるが、どこからどう見ても好青年である。
外界と荷台を仕切るのはカーテンのような布一枚。
暖簾をくぐるように布を押し上げ、階段もスロープもないバリアだらけの荷台から飛び降りると。
孤独で落ち着くオレだけの空間から、人の往来で溢れ返った市場へと景色は一変する。
「やっと来やがったか。依頼だ。そら、目とおせ」
無精ひげにつり上がった眉。恰幅の良い金剛力士像の生き写しと言うべきか、とてもじゃないが輩の見本のような親爺が数枚の資料を手渡してくれる。本名も素性も知らない。
だが、それでいい。互いに親密な仲でなくとも回るようにできている。
何の変哲もない、ルーティンになっている仕事の割り振りだ。
市場から裏路地へ少し。
馬車を障壁代わりに衆目を遮断した親爺は目深にフードを被って俯く二人組を顎で示す。
「依頼人は二人。行先はヴァリアス半島」
「遠いな」
オレたちのいるここ、ホーエルン大陸ダルタニアス帝国からヴァリアス半島は馬車で二週間、海路で一か月と相当な遠出となる。
「つべこべ言うな。結構な額もらってんだ。半端な仕事はできねえだろうがよ」
吐き捨てるように流儀を口にする親爺の姿は、オレの数少ない尊敬できる側面だ。
金さえ積めばどんな違法行為にも手を染める親爺だが、人身売買と奴隷輸送だけには手を染めない。
風前の灯火のような良心の表れか、さもなければ矜持か。
どちらにせよ、親爺は十分な金さえ貰えれば信義則に基づき完璧な仕事で応えようとする。
そこが気に入ってるんだがな。
「御者はギメルが務める。最短でも二ヶ月弱ってとこだろうな」
「…………本気なんだな、親爺」
「たりめーだろうが。何のためにお前を呼んだと思ってんだ」
親爺の持てる最高の手札って訳か。
ギメルはオレの知る限り最高の御者だ。馬の調子を巧みに操る。
三週間の道のりも、ギメルが先導すると半分の日程で到着できる。
それだけ、親爺は今回の依頼に賭けているのか。
「これでいいか。あんたら、急ぎなんだろ。早く乗りな」
まさか、もう出立するのか? 些か拙速の感は否めないが、親爺のことだ。大まかな話はギメルと済ませているのだろう。
ならば、オレはそれを信じて職務を全うするしかないな。
生まれもっての勤勉性ともいうべきか。
はたまた国民柄と嘆くべきか。
「…………護衛は一人か」
ポツリと零れた独白を聞き漏らす親爺じゃない。
まるで食って掛かるように口を開く。
「大所帯だと不要な連中の目に留まる。それに、こいつは……業腹だが、うちじゃあ最強の護衛だぜ?」
「ご紹介に預かりました、ヴィリーです。どうぞ、お見知りおきを、レディ」
おどけるように一礼すると、息を呑む様子が窺える。
ピリリと緊張の走るオレと依頼人の間で親爺が辟易するように溜息を吐く。
「……ッ、貴様…………!」
声調に抑揚、ローブで隠しきれない起伏、フードから覗く碧眼。
如何に身元を隠蔽しようと誤魔化しきれない情報はある。
例えば、オレを睨む彼女が一流の剣士ってことも。
「安心してくれ。オレはあんたより弱いが……仕事はする」
「そういうことだ。そら、他に行く当てもないんだろ? とっとと乗ってくれ」
「ぐ…………ッ」
不承不承といった形で頷いた依頼人は首肯を一つした後、オレを睨みつけたまま背後の荷台へと乗り込んだ。
まるで、もう一人を庇うかのように。
オレは運び屋の護衛だ。余計な詮索は避けるべきだが、必要最低限の情報は保有しておくべきだろう。
いつまでも不機嫌そうな面持ちの親爺に話しかけるのは億劫だが、致し方あるまい。
「親爺、厄介事か?」
「ああ、そうだ」
「なら、あんたとはこれでさよならだな」
「お前には随分稼がせてもらったな。そら、今回の報酬だ」
放り投げられた巾着には目も眩むほどの金貨がぎっしりと詰められていた。
重量だけで分かる。
これで帝都の一等地に家を建てられる程の金額だ。
オレの驚愕を感じ取ったのか、親爺が不敵に嗤った。
「阿保らしい上に、厄介種ときた。だが、お前なら何とかなるんじゃねえか?」
「…………なった時はもう一度雇ってくれよ」
「応ともさ」
大仰に頷いた親爺に、曖昧な返答をしてオレは荷台へと歩を進める。
あの依頼人二人は超抜級の危険を孕んでいる。
違法の運び屋である親爺へと、馬鹿馬鹿しいくらいの金額を払うんだから。
だから、互いに分かっていた。
依頼が達成されようと、されまいと、然るべき相手から命を狙われると。
オレが親爺を気に入っている理由、最後の一つ。
あの人は嘘を吐かない。
矢庭に馬車が動き出し、帝都の景色が徐々に移ろい行く。
このまま裏路地を進み、帝都を出る。
そのままひたすらに西へと向かって港へと向かう。
道中の想像は付かないが、少なくとも気を張っておく必要があるだろう。
親爺の姿は、もう見えなかった。
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ホーエルン大陸ダルタニアス帝国。
東西に長い大陸の中心部に位置する軍事国家。
周辺国家は一致団結して帝国の一元支配に対抗しようとしているが、理想の結果には恵まれていないようだ。
つい数週間前にはディーリア王国とラクレイン神聖国の同盟が瓦礫して、神聖国は大義名分をかざした帝国に蹂躙されたと聞く。
剣術の腕前と魔法の技術が国力に比例する世界で、オレは平和ボケした学生という身分を捨てざるを得なかった。
平凡で、どこにでもある話だ。
異世界に召喚されたと思ったら、要求値に合わずに追放されるっていう。
どこの誰かもわからない爺さんに不要だと切り捨てられ、野に放たれる。
右も左も分からない野蛮で野卑な世界は無情で非情だった。最初は戸惑ったし、相応に悩みもしたが。
一年も荒波に揉まれれば多少は諦観もできる。
それが慣例だろうな。
だが、オレの場合は一層質が悪い。
何せ、本当に何も持っていなかったのだから。
人生逆転、起死回生、覚醒。そんなものは眉唾だ。
勿論、オレにだって特技の一つはあった。しかし、【技能】と魔法の優劣で階級の定まる世界において、オレに許された能力は皆無だ。
オレと共に召喚された──らしい。詳しく聞く前にお役御免にされたため半信半疑だがーー仲間は一級の【技能】に恵まれて今や勇者の代表格ときた。
だから、オレは生き残るために死力を尽くした。
持てる力を全力で振りかざし、時には下劣で見下げ果てられるであろう行為にも手を染めた。
他人を蹴落としてもオレは生き永らえてやる。そう一人誓い、ようやくオレは辛うじて小さな息を吐けるだけの地盤を手にした。
それが、運び屋の護衛だ。
「…………君、今はどこだ」
「まだ出立して三日だぞ。帝国だって出ちゃいない」
歯噛みするように俯く依頼人の様子から、二人組が如何に焦燥に身を焼いているのかがよく分かる。
今すぐにでも叫びだしたいだろうに。
現実は思い通りにいかないと理解しているのだろう。
「気休めだろうが、あんたらの素性を問おうとは思わない。だが、金払いやその他諸々の事情から断言しよう。あんたらの思うような、最悪の結果にはならないだろうよ」
「…………理由は」
「ない。何故なら、そう思うしかないからな」
「精神論も真っ青な暴論じゃないか……」
「だが論理だ。暴論も、屁理屈も、理屈であり理論がある。なら、正論と何が違う」
「………………気狂いか、貴様」
「そんな気狂いに安心させられてるあんたは…………さしずめ狂人か?」
「な、なに…………!」
いきり立つように威嚇する依頼人だが、柄に伸びた彼女の腕が振りかぶられることはなかった。
くすくすと、蚊の鳴くような声音だったが確かに。
表情を見せないローブに包まれたもう一人の人物が、笑ったために。
毒気を抜かれた様子の剣士は腰を下ろし、もう一人は気の向くままに微笑みを携える。
「貴方は楽観主義者なのですね」
花のような少女だった。
フードを脱ぎ去り、微笑を携えた端正な顔目立ちは生ける女神とすら思える。
パーツ一つ取っても見事な造形美だが、互いに調和を乱すことなく童顔だが怜悧な面持ちを形成している。
流れるような金髪は天の川のように煌めき、胸元まで伸びている。
齢は十四程だろうが、碧眼の瞳から覗く思慮深い眼差しは見る者全てを威圧するかのように爛々と輝いている。
可憐、純真。楚々とした雰囲気からは気品を感じさせる。
「……? どうしました?」
こてんと首を傾げる仕草が可愛らしく、優美を誇る面影からは想像もできない程に子どもらしい。
だが、却って彼女の魅力を引き出し、蠱惑的なまでに印象を一変させる。
「な……っ!? 何をしているのですか…………! 人前で姿を晒すなんて……!」
「いいのです。わたくしは、この方を信じてみようと思います」
狼狽する依頼人…………恐らくは従者であろう女性が声を張り上げる中、彼女はくすりと笑ってどこ吹く風とやり過ごすしている。
まるで扱い方を心得ているように。
「名乗り遅れました。わたくしはミカエラと申します。家名は……明かすことはできません。失礼は承知の上です。お許しください」
「……、そうか」
内心の動揺を悟られないように神妙に頷き返答の代わりとする。
しかし、一拍遅れてしまったおかげでさしたる意味はない。
「ローズ、貴女も」
「で、ですが……!」
「最低限の礼節を欠いたままでご一緒することは、わたくしの道理に反します」
「…………っ、わ……かり、ました────ローズだ」
嫌々ながらも名乗るローズとやらは、ミカエラを倣うようにローブを脱ぐ。
短髪に切りそろえた金髪に、重苦しそうな白金の全身鎧。
立てかける両手剣からも分かってはいたが、やはり腕利きの騎士のようだ。
こちらを睨め上げる眼光は敵意と害意がありありと窺え、友好のへったくれもない。
だからこそ、オレは却って安堵できる。
アウェイの空間で見知った仲間を見出したように。
「何度も言うようだがな。オレは護衛で、あんたらは依頼主だ。それ以上でもそれ以下でもない。必要以上の信頼関係は重荷にしかならない」
「同感だな。貴様のような粗忽者とはこれっきりだ」
「存外、清濁併せ吞む性質なんだな。てっきり頭の固い懐古主義者かと思った」
「言い当て妙だな。確かめてみるか?」
殺気が肌を刺す。
夾雑物の中で一際存在感を示す暴威の筵。
この女騎士は本気だ。
オレの返答次第では容赦なく斬り殺し、馬車ごと簒奪する気でいる。
殺意が蜷局を巻く中、凛然として声音が光明のように差し込んだ。
「ローズ。矛を収めなさい。わたくしたちは諍いに来たのではありません」
信じられないことだが、彼女は本心で語っている。
まだ女騎士の方が話が通じる。
二人にとってみれば、ここでオレから馬車を奪って思い通りに動かす方が遥かに良い。
得体の知れない相手に名を名乗り、あまつさえ反撃の余地すら自ら潰すとは。
彼女はオレを楽観主義者だと決めつけたが、ミカエラの方がよっぽど能天気だ。
「ごめんなさい、ヴィリーさん。気分を害したでしょう」
「…………いや、大したことじゃない」
「そうですか…………心が広いのですね」
周囲に花が咲き乱れるように感じる。
彼女が微笑むと空気が朗らかに変化する。
得難い性質だ。
底なしの善意と、嘘偽りのない潔白さがある。
成程、今回の依頼は酷く気疲れするらしい。
際限なく殺意を向けてくる騎士と、悪寒を催す善人。
装飾や装備からしてどこぞの国の要人、はたまた貴族か。
どちらにせよ、内外に敵がいる。
目立つことなく迅速に。
隠すことなく堂々と、先に待ち受けるであろう困難を憂いて。
オレは渾身の溜息を吐いた。
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満点の星空の下で、ぱちぱちと爆ぜる薪を眺めながら保存食の干し肉を食む。
味のないガムを噛んでいるような気分だが、ないよりはましだ。
手ごろな岩を椅子代わりに、オレは息を吐く。
馬車に揺られること二週間余り。
決して楽な旅路とは言い難いが、しかして過酷とも言えなかった。
ギメルの腕は確かだ。
おかげで本来の想定日数を数日程巻いてヴァリアス半島への定期便の出ている港まで辿り着けるだろう。
帝国領は広大だが、大陸全土に権力が及ぶかと言えば否だ。
大陸の中心に位置する帝国は周辺諸国を圧倒するだけの国土と国力を維持するが、反面、四面楚歌に変わりはない。
大陸東海岸の海洋資源を資本として成立したラクレイン神聖国に、大陸南東のオアシス都市から発展したディーリア王国の同盟に睨まれつつ。
南西部は小国が乱立し、海を挟んだヴァリアス半島に根を張る国は大陸北部の土地を占有している。
そのため、オレが里程標として目途を置くのはヴァリアス半島ではなく、半島と大陸を繋ぐ北部平原だ。
如何に依頼人の二人が複雑で面倒な背景を抱えていようと、広範な帝国領を避けて通りたい時点で対帝国は想像に難くない。
「この進度なら一か月程度か。衆目を避けるために山道を駆けるとして……さて、ひと悶着もなく通過できるかね」
羊皮紙の大陸図は、今までの依頼で書き込まれた様々な街道や裏道の数々が夥しい赤となり、オレに最適の道筋を教えてくれる。
オレたちの現在地は帝国領南部。明日にでも南西部の密林地帯まで出られるだろう。
小国と帝国が睨みを利かせる南西部の街道は治安も悪く、魔獣も絶えない。しかし、安全と引き換えに更なる安寧を得られるなら安いものだ。
そろそろ見張りの交代だと、女騎士を起こすために荷台へと向き直ったオレは、耳朶を打つ物音に動きを止める。
地図へ意識を向けていたとはいえ、見張りを怠ったつもりはない。
帝国周辺にたむろしている野盗は凄腕ばかりだ。
足音を消して接近する程度、造作もないだろう。しかし、オレだって場数を踏んでいる。
それに耳には自信がある。
ならば、魔獣かモンスターか…………どちらにせよ、接近されていることは事実。
音源は荷台の裏。馬が起きていない点を踏まえると、魔獣やモンスターではない。
ならば、十中八九、人間だ。
ジャケットの裏に手を伸ばす。
短剣の柄を握り、意を決して戦闘態勢に入ろうとしたオレは。
心を震わす唄に足を止めてしまった。
流れるような旋律に、透き通る歌声。帝国語ではない。異国の言語だろうか、歌詞を文字に起こすことはできなかった。
だが、これに歌詞など蛇足でしかない。
声なき聲。
音が、音色が、戦慄が。陰鬱な空気を払拭するかのように、一筋の光が照らすように。
静謐に支配された漆黒の世界に、ただ一人舞い降りた天使を彷彿とさせる。
血みどろの戦場で涙を流す女神か、はたまた民衆を先導する革命の申し子か。荒涼と寂寥感に満ちた心中に水が沁みるように。
思わず聞き入ってしまった。
たっぷりと数分。
静かに幕を閉じた小さなステージで、オレは我に返る。
襲撃者か、若しくは魔獣か。
考えるだけ馬鹿らしくなった。
能天気にも美声を響かせる人間に、心当たりがあったから。
「おい、あんた。不用心にも程があるぞ」
「……っ!? び、ヴィリーさん……っ!?」
眼を白黒させながら、肩を跳ね上げて愕然とする金髪の少女。
純白のワンピースに身を包み、月光に照らされる姿はどこか異国めいていて、幻想的でこちらが気後れしてしまう。
「も、もしかして……いまの…………」
「ああ、聴いた」
「ひゃぁぁぁ……恥ずかしいぃ…………」
耳まで真っ赤に赤面して両手で顔を覆うミカエラ。
先刻の毅然と、堂々と声を届けていた様子とは裏腹に、自信なさげに俯く少女とは同一人物と思えない。
「その…………ヴィリーさん。差し出がましいとは思うのですが、どうでした……?」
ミカエラとローズの二人組と日々を共にして、オレは一つの仮説と確信を抱いていた。
「歌は普段から歌うのか?」
「へ? そうですね……歌うことは好きです。ですが、人前では……あまりありませんね。ですが、一度だけ讃美歌を大聖堂で歌わせて頂きました」
自信満々に胸を張って断言する姿は、自分の手柄を自慢する者ではなく、親に褒めてもらいたいだけの子どもを思わせた。
質問の返答ではないにも関わらず、気を悪くするどころか愉快そうに頬をほころばせる様子は無邪気さと清廉さを内包している。
「歌に関わらず、音楽は少なからず演者、奏者の心の裡を明け透けにする。あんたの歌からは……善意が透けて見えた」
「………………もしかして、お昼のことを気にしていますか?」
「オレは一言も責めちゃいない。真っ先にそれが飛び出てくるなら、図星だってことだろう」
それっきり、ミカエラは黙りこくった。
つい数時間前のことだ。
帝国南部は砂漠や乾燥した大地のおかげで農耕には向かない。もっぱら狩猟で生計を立てるのだが、自然を相手にするのだ。一律に獲物が手に入るかというと、断言はできない。
丁度オレたちの通りかかった街では不猟が続いていた。
飢餓に喘ぐ者も、空腹に耐えかねて強盗紛いの手段に出る者もいた。
帝国領の統括なのだから、本来ならば件の大国が手を打つべき事案だ。
だが、狭量にも強者の国である帝国が、そう簡単に手を差し伸べるはずもない。
ディーリア王国もまた下手に帝国を刺激する訳にもいかず、ただでさえ厳戒態勢が敷かれている上で行動は起こせない。
大国の利害に挟まれた街の末路は往々にして、破滅か併合かだ。
「あんたの行動を非難するつもりはない。だが、浅慮だったと言わざるを得ない」
こともあろうに。
眼前の少女は、有り余る正義を振りかざして。潤沢とは言えないオレたちの食糧を分け始めたのだ。
「……あんな小さな子どもを、放っておくなんて…………」
誰だって一欠片のパンを求めて暴力に身を染める状況で、最も弱者に近しい者に肉など与えてみろ。
結果は押して図るべし。
目の前で繰り広げられた惨状に、彼女が何を思ったのか。
愉快な話ではないことは、確かだろう。
「公平と平等を履き違えるなよ。不幸を理不尽だと嘆くのは当事者だけの権利だ。憐憫を、施しを受けない権利ってのもある」
弱者に厳しい世界では当然の摂理だ。
帝国が膨張し始めている国家情勢ならば、歴史には刻まれない地獄がそこかしこで展開される。
それを呑み下し、受け止め、牙を磨く。
それか、許容して弱者のまま朽ちるか。
ミカエラはどちらも選ばない。属さない。
立場が、精神が、信条が。
彼女の背を押して、分け目も振らず走らせるのだろう。
「あんたは善かれと思って成した行動が裏目に出る。せめて、人目の付かない所で渡すべきだったな」
「………………、辛辣なんですね」
「オレは嘘を吐かない。吐けないんだよ」
閉口したミカエラが何を考えているのか。
間接的ながらも己が手を下したと同義の凄惨な現実を思い知って。何ができるのか、試行錯誤することだろう。
そして、気が付く。
たった一人の手が届く範囲なんて、精々が視界の限りだと。
嫌に痛い沈黙はオレには耐えきれない。
そろそろ世も明ける。
強行軍にもなるだろう行程を考えれば、そろそろ睡眠時間を確保する必要がある。
去り際。俯いたまま微動だにしない背中を一瞥して。
せめて、慰めの言葉でもかけるべきだろうが。生憎と、気の利いた台詞が思い付かず。
視線だけが残ってしまった。
「……、あんたの歌。良かったよ」
「ぇ…………?」
困惑と当惑の末に絞り出した言葉は月並みで、されど平然と口にできるはずもなく。
居たたまれなくなったオレは、苛立ち交じりにローズを叩き起こして。
脳内で流れ続けるリズムと音色に耳を貸して。
深い眠りに落ちていった。
ステータスーーレベル32
・筋力79
・体力125
・速力60
・知力102
【技能】なし




