3. シラベ
目が覚めると顔を洗って歯を磨く。
ベッドメイクの後は、朝食を作る。異世界にも卵はある。目玉焼きに、ハムを少量。ブレッドを用意して胃袋へと入れる。
昨日借りた部屋だが、勝手知ったる我が家のように扱える。
朝食が済めば、準備運動だ。
手首を回し、指を畳んだり開いたりと感覚を確かめる。肩から肘、腕、手首にかけての筋肉を動かす。
右腕と左腕。ゆっくりと、されど強かに。夢想に過ぎないが、物体の軌道をイメージして狙い通りに命中できるように。
小気味良く骨が鳴る。
両腕全体のウォームアップが終われば実践だ。
的は魔物の肉。
部屋の端に設置した標的へと、投げる。
何でもいい。
銀貨から、羽ペン、木くずに、ナイフやフォーク。
風切り音と共に命中すると鈍麻に響く。
直線、カーブ、跳弾。全てを試して、打ち損じはない。
ならばと、【模倣複製】を起動して剣を生成する。
滞りなく【権能】から投擲の動作を完了させて。オレの朝のルーティンは完遂される。
延べ一時間と三十分。
長いと思うだろう。オレもそう思う。
しかし、これが地下空間から脱出したオレに与えられた安息を確かめる術なのだ。
敵影はなく、ある一定の安全が担保された空間で研鑽を積む。
一種の精神安定済と言えるだろう。
じんわりと汗をかいたオレは息を整えるように椅子へ座る。
オレの脳内には絶えず昨晩の音だけが反芻されていた。一晩眠ればマシにもなるかと思ったが、どうやら逆効果だったらしい。
もう一度聞きたい、今一度あの音の壁に触れてみたい。
首をもたげた好奇心と興奮に、強引にでも蓋をする。
一曲でオレの心を鷲掴みにしたトランペット奏者、ライラ=サマルディはあの後三曲目以降を合わせることなく舞台を降りた。
そのまま店から飛び出した彼女の背中を、オレは追う気にはなれなかった。
臆病で内気な性格。弱弱しい表情に、ハノ字に曲がった眉。
脆弱な雰囲気とは合わない彼女の様相からはイメージできない圧倒的な演奏。
「未練がましいな…………会いたいのならば、オレから探せばいいだけの話なのにな」
独白は一人だけの部屋に染みる。
「気分を変えよう。やるべきことは決まっている」
机の上にリュックから素材を取り出す。
昨日の内に買い出しは終えている。
作るべきものは杖とローブ。リサーチしたサクラの好みから概算して、曖昧ながらイメージは固まった。
後は細部を詰めるだけだが。
先ずは形にしないと進まない。
「【創造生成】」
イメージと物体。
乖離はしていない。【創造生成】を発動する際には目を細めてしまいそうな眩い光が迸るものの、【模倣複製】にはない。
同じ【権能】だが、差異はある。
「身長には合ってるはずだ。飾り気がないと不格好だな」
オレの右手には一本の木の棒があった。
サクラの上背に合うように生成してみたが、穂先に魔石やその他の装飾を付けるのならば短い方がいいだろう。
さて、ここからはオレのセンスに全てがかかっている。
彼女の好みは昨日リサーチしたばかりだ。
オレの手持ちの素材で生成は可能だが、些か急ごしらえで早急な感がしてならない。
ここからは試行錯誤の段階だろう。
先ずは魔石。
種類は様々存在するが、やはりサクラは生粋の魔法使いという訳ではない。魔法は使えないのだ。
代わりに、魔法に準ずる奇蹟を起こすことができる。
例えば、火球を呼び出す魔法と、サクラの生じさせる火球には違いがある。
感覚や感性の話になるが、前者は魔力を利用して現実へ干渉しているが、サクラは魔力を介することなく結果だけを現実へ反映している。
つまり、過程をすっとばしている訳だ。
されど、魔法を使ったという結果に変わりはない。
だから並の魔法使いでは使用できない支援強化や、索敵、回復術式を使える。
顕現速度が桁外れ。
途中に一つの段階を踏むか無視できるか。違いはそれだけだが、道中で恩恵に与ったオレからしてみればむざむざと分からされた気分だ。
故に、取りつけるべき魔石は魔力強化や魔法強化とは別にすべきだろう。
彼女の長所を活かせる……魔法顕現速度の上昇と、威力増加あたりが打倒だな。
威力増加に関しても、サクラ自身が攻撃魔法や殲滅魔法を得意としていない点から、支援系統の魔法を主軸と添えるべきだ。
確か、三十の魔石を操る超高位霊術師から鹵獲した魔石が保存されていたはず。中には詠唱速度上昇と威力増大の魔石もあった。
素体には十分すぎる。
「魔石は片付いた。杖自体の方向性は定まった。後は……」
装飾だ。
ただの杖では面白くない。
そうだな、仕込み刀のように内部へ刃を入れておこう。
穂先には魔石を、正反対の地面と接地する部分には短刀を内蔵する。
刃に関しては彷徨龍の牙でいいだろう。“”の切れ味と付与効果は常識外れだからな。
杖の上と下は解決。
杖全体のイメージはシックな色合いに落ち着いた寒色系統。
今一度イメージを込めて。
【創造生成】を発動する。
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行き詰まった。
かなり、どん詰まりだ。
三時間。既に、日も頂点に達している。
というかそもそもオレに装飾など、どだい無理な注文だったのだ。
オレの専門じゃない。
むしろ、真逆だ。
机の上には残骸が所狭しと生き斃れていた。
穂先と仕込み刀はあっさりと完成した。
紫紺に輝く魔石は成人女性の頭程の巨大さを誇り、内蔵された短刀は柄から拵えまで無骨ながらも洒落っ気が出ている。
しかし、どこまでいっても杖全体を統一するテーマ、イメージだけは固まらなかった。
試行錯誤はしたさ。
中世ヨーロッパの魔法使い風だとか、テミスの掲げる荘厳さだとか、いっそ魔法少女風とか。
どれも、ダメだった。
サクラには全く合わない。
何かが欠落しているのだ。
本来ならあって然るべき、サクラ・ヨルミヤがない。
「…………ダメだな、こりゃ。八方塞がりだ」
溜息を吐きながら、ゆっくりと身を起こす。
立ち上がると身体中の筋肉が悲鳴を上げている。脳内も、蜘蛛の巣が張ったように粘着質で鬱屈とした思考しかできない。
何時間も同じ姿勢のまま【権能】を使い続けたのだ。
当然だろう。
ふと、窓から陽光が指しているのに気が付いた。
雨季だからと言って、必ずしも毎日降雨に見舞われる訳もないか。
「気分転換だ。憂さ晴らしにでもいこう」
首を回して凝りを取る。
コートに袖を通して、一応、全身鏡(【模倣複製】謹製)の前で身だしなみを確認。
地下空間ではいざ知らず、地上では姿恰好一つで衛兵に呼び止められる。
制服なら素通りだが、私服に着替えた瞬間に職務質問されるのと同じ原理だ。
笑えねえよな。
宿屋から出ると、照り付ける太陽が眩しい。
昔から外で遊ぶというよりは、室内に籠って一人で過ごすのが好きだった。
だからだろうか、散歩は新鮮だ。
懐かしき故郷ではなく、異世界の街で。
何かに追われることもなく、悠々自適に。
ワジェンキは町中に奔る水路によって雨季対策は万全だ。
ドニエストル川はワジェンキよりも西にある大きな川だが、一本の河川が支流としてワジェンキに流れる以外は。
宿屋からザオバーグ川までは片道数分の道のりだ。
石畳の街並みと、側溝のような洪水対策を眺めながら歩くとすぐに辿り着いた。
自然堤防だろうか、盛り上がった草原の河川敷には多くの人がいた。
老若男女、久方ぶりの晴れ間を祝福して誰もが一時の休息に感謝している。
陽光を反射して光り輝くザオバーグ川の景観も見事なものだ。
濁流の如く押し寄せるだろう上流の気配を刹那も感じさせない。川底が見える程の透明度。
余程、環境が良いのだろう。
常人ならば朗らかで陽気に包まれた空間にホッと息を吐くだろう。
だが、オレは。
モンスター並に強化された感覚機能で、拾ってしまったのだ。
耳朶を打つ、自然とは相いれない人為的な音を。
誘蛾灯に引き寄せられる蛾の如く。
フラフラと覚束ない足取りで音源を探し惑う。
忘れていた音色。
記憶から、脳内から、追い出したかった音圧。
鮮烈に蘇る昨晩の光景。
光に照らされた小さく狭いステージで、万来の拍手を望まずただ一人で音を奏でる巨人の姿が。
彼女は、一人だった。
石橋の下。
日陰になっているスペースで、一心不乱に吹いていた。
スケールは単調。音も粒が揃っていて、指も滑らかで、河川敷を支配している空気にマッチしている。
しかし、オレの知っている彼女の音は、それを良しとしない。
転調。
音が、変わった。
忙しなく動く指。転ぶことなく、踏み違えることもなく、吹き続けられる。
熱を帯びているようだ。
錬成される、精錬される、鋳造される刀のように。
沸々と煮えたぎる灼熱の中に、一本筋の通った鋼鉄が。
そう思ったら、なんと雰囲気が一変する。
音は長く、低音域を這うように進む。
にじり寄るかのような接近。薄氷の上でタップダンスを踊るかのような豪胆さ。
すると、また曲調が変わる。
今度は激しく、ビリビリと音の壁を全身に打ち付けられたかのような錯覚を覚える。
かと思えば、またもスローダウンしてバラードを口ずさむかのような、なだらかな小道を獣に怯えながら歩く綱渡りの危急存亡を思わせる。
コーダに差し掛かっても、怯懦と弱気な音は変わらなかった。
しかし、最後の一音。
死者が生者に渇を入れるように、ボンッ! と音が破裂した。
まるで、夢から覚めたように。
オレは現実へと引き戻された。
時間にして僅か数分。たった、それだけの時間でオレは彼女のトランペットに釘付けになった。
当の本人は肩で息をして、額を伝う汗をうざったそうに拭った。
そのまま足元に置いてあったコップへと、何やら呟いて水を注ぎ。
一息に呷った。
成程、あれが魔法だ。
龍族と同等に強化された視覚と触覚が、魔力の胎動を確認した。
「あんた、良い腕してるな」
「ば……ぇっ!?」
盛大に咳き込んだ。
器官に入ったらしい彼女は何度も苦しそうにえずいた。
肩口まで伸びた長髪を一括りに纏め、薄手のシャツ一枚とジーンズといった女性にしては無防備に過ぎる恰好だ。
「ふぅ……ふぅ…………ぇと、いつから?」
「先刻からだ。あんたは、いつからいるんだ」
「……………………さあ」
胡乱な瞳は警戒心の裏返しだ。
だが、それもそのはず。
オレは一言もかけることなく演奏を聴いた。
そして、労うでもなく、感想を口にするでもなく、話しかけたのだから。
ただでさえ、こんな悪人面に興味を持たれると成人だろうと泣いて腰を抜かすのだ。
怪訝にこそ思い、憲兵に通報されないだけ良かったと思うべきだろう。
「あんたの演奏、昨晩も聞いた」
「は、はぁ…………貴方は、ワジェンキの人ではありませんね?」
「旅の途中だ。ヴァリアス半島まで行きたいんだがな、雨季で足止めを喰らった」
変わらず警戒心を露にする彼女はケースを包んでいたジャケットに袖を通した。
いつでも走り抜けられるように。
手を出された瞬間に、脱兎の如く逃げられるように。
「ライラ=サマルディ。そうだな」
「……っ! は、はい。そうですけど…………」
ひりひりと恐怖が伝わる。
まさか、名前まで憶えられていると思わなかったのだろう。
「率直に言おう。あんたは良いプレイヤーだ」
「……………………へ?」
「それだけだ。邪魔したな」
拍子抜けだろう。
呆気にとられたライラに背を向けて、オレは元来た道を引き返す。
彼女とは偶然会っただけだ。
言葉を交わそうなどとは思わない。
そも、オレの言いたいこととやらは、既に口にした。
昨晩の一曲だけのライブ。
ああ、あれは。確かに素晴らしいものだった。
魂を揺さぶられる、熱烈で激烈な演奏だった。
まぐれではない。
先の音を聴いて、彼女の実力だと知れた。
ならば、これ以上、深入りすべきではない。
そう、足早に立ち去れ。
振り返るな。もう、あの世界は、心惹かれる世界には。
「ちょっと、待ってください!」
だから、止まるな。
必死に頭を振るい、静止する理性に耳を傾けて。
牽強付会に足を止めようとする本能から目を逸らして。
視界一杯に現れた純白と、柑橘系の香り、そして。雲のような感覚を顔全体に受けて。
オレは後悔を覚えた。
❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐❒❐
「はしたない真似を……ごめんなさい」
頬と耳を朱に染めて俯く女性。
手元にはトランペットケース。
中には、見る者が見れば相当に使いこまれた黄金の楽器が収められている。
瞳を伏せて俯く彼女の手は細く、極力怪我や傷の類から守っているように思える。
しかし、オレは知っている。
陶器のように白く、しなやかな彼女の指から奏でられる激情の音を。
「気にしちゃいない。それで、あんたはオレに何の用だ」
オレは比較的、客観的に自分を見れている。
長身で悪人面の三白眼。不愛想で、いつ見ても不機嫌そうな額の皺が深く刻まれている。
造詣は悪くないが、如何せん恐ろしさの方が強い。
強面の成人男性。
よくサクラはオレをパートナーにして冒険者を続けてくれたな。
純白のコートに物々しい服装、両手は漆黒の革手袋に包まれてポケットの中。
『龍殺し』のおかげで潜在的な恐怖すら煽る。
眼前の少女もまた、当初は警戒していたはずだが。
「……………………私の音、どうでしたか」
長い沈黙の果てに紡がれた問いかけは、オレの思考に間隙を作った。
見ず知らずの人間に、それも初対面の相手へ投げかける質問ではないだろうに。
「何故、オレに訊く」
「……造詣が深いんじゃないかなって…………その、直感です」
今度は目を逸らさなかった。
ライラもまた巨躯だ。身長は百七十前後。サクラよりは頭二つ分高い身長を誇る。
だからだろうか、彼女自身、見上げるのに慣れていない。
上目遣いで、不安に揺れる瞳を一直線に。
オレを捉えている。
お為ごかしは通用しない。
彼女は、オレの本心を問うている。
「あんたの音は……そうだな。力強い。滅多なことじゃあ潰れない。音の粒もそうだが、旋律も、音調も。際立って聞こえる」
「…………もし、私のライブがあれば、あなたは幾ら払いますか」
「一万エール」
「……っ! い、一万も、ですか……!?」
「忌憚ないオレの意見だろう? 正直、一万でも安い方だ」
目を白黒させて愕然としているライラには悪いが、三万エールは固いと見ている。
彼女の演奏は、ただ上手いだけじゃない。楽譜や音符をなぞっているだけ、小手先の技術で無知な観衆を沸かせるだけ。
そんな、多数派に迎合したような音じゃない。
正真正銘の、心揺さぶる演奏だった。
だが、彼女自身が信じられないと驚愕するように。
ワジェンキでは、ライラ=サマルディに十分な報酬が支払われていない。
「なあ、あんたはどうして音楽を続ける」
オレの問いかけに、ライラは水を打ったかのように静まった。
言外に、「どうして好意的に受け入れられないと知っていても、続けられるのか?」と。オレが無意識に滲ませた意図を読み取ったのだろう。
「…………帝国軍軍楽隊ってご存じですか?」
「知らん。“黒天部隊”なら知っている」
「え、あの税金の無駄飯喰らいですか?」
「……散々だな」
「少なくない公金を湯水のように使ったにも関わらず、無名の盗賊に半壊させられた元最強部隊ですよね」
ライラの声音には幾許かの苛立ちが含まれているように思える。
容赦なく他国に攻め入り、財物の一切を巻き上げる帝国の子飼いたる“黒天部隊”に好印象は持っていない。
やもすると、これが一般的な解釈なのかもしれない。
「済まない。話の腰を折ったな。続けてくれ」
“黒天部隊”は本題ではないだろう。
無名の盗賊にしてみれば、復讐鬼のように地の果てまで追ってきそうな連中は恐ろしいんだ。
「今、北方に展開してる帝国軍軍楽隊の第二指揮者はガルザード=サマルディ。同じく軍楽隊の指揮者はベンジャミン=サマルディ」
「家族か」
「はい。兄と父です」
苦々しく唇を噛むライラ。どうやら、拗れているようだな。
家族は一番の他人とも言える。
諍いの一つや二つ、あって当然だ。
だが、まさか身内自慢に終始する訳ではないだろう。
彼女の表情が雄弁に語っている。
親愛を伝えたい訳じゃないと。
「音楽は、戦争を助長する道具じゃありません。あなたなら、それが分かるでしょう」
音楽家だから、ミュージシャンだから、奏者だから。
一つ屋根の下に暮らす家族に思うところがある。
人一倍音楽に真摯に向き合っているのは、彼女の演奏と練習量から一目瞭然だ。
牽強付会には語らない。
純粋なまでの理想主義者。
どこぞのお嬢様を思い出すな。
故に。
オレの返答は決まっている。
「理想だけ語るなら狗でも出来る。あんたの真意は他にある」
「……っ」
心拍数が上昇した。
体温も上がり、発汗も確認された。
図星だろう。
「オレに何かをしてほしくて、オレを何かに使いたくて。聞こえだけは良い理想論を振りかざしている。今一度聞こう、ライラ=サマルディ。オレに何を望む」
オレは運命論者ではない。
予め行動が決まっていた。それは己の決断の上にではなく、予定調和の結末だった。
稚拙で、度し難い。
澄まし顔で運命とやらを定める連中に何が分かるのかと悪罵をぶつけたい気分だ。
決意や覚悟は時として当人の予想を超えた結果を呼ぶ。
眼前のライラが典型だ。
彼女は見ず知らずの男に声をかけた。そして、訳も分からぬままに身の上を語り、一つの提案を模索している。
オレは軍楽隊が戦争を助長し、扇動しているなどとは思わない。
そういう側面もある。ライラには、それが際立って見えた。
誰にもである意見の相違、立場の差異、視座の変容。だから、オレに彼女の行動原理を批判する気はない。
大仰な大儀名分で着飾ってはいるが。
畢竟、ライラ=サマルディは。
「…………わ、私と……コンサートに出てくれませんか……!」
ただ、純粋に音楽を愛しているのだ。




