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第43話 因果とカルマ③

 世界が、反転した。


 床に刻まれていた魔法陣が裏返るように黒く染まり、空間そのものが軋む。

 まるで現実が自分の内側を覗き込み、あざ笑っているかのようだった。


【反照フェーズ:因果反響】


 無機質なシステムログが流れた。

 僕の背筋に、冷たいものが走る。


 ロゴスフォールが、崩れた。

 これまで宙に浮かんでいた、背後の「目玉」、ステージ中央の「円形異空間」、空に刻まれていた無数の「文字列」。


 それらが、音もなく引き寄せられていく。

 溶け合うように、絡み合い、圧縮され、やがて一つの塊となった。


 次の瞬間。


 それは、巨大な悪魔の形をとった。

 頭部は人のそれに近いが、輪郭は曖昧で、表情と呼べるものは存在しない。


 胸部には割れた水晶のような中核が露出し、そこに無数の数式と文字列が、脈打つ血管の代わりのように流れている。

 背中から伸びる翼は左右非対称で、片方は眼球の集合体、もう片方は崩れた魔法陣そのものだった。


『自らの行いが、返ってくる。それが因果というものだねぇ』


 ロゴスフォールが、感情のない声で告げた。

 けれど、混乱していた僕は、状況の理解が追いつかない。


 ――彬良くん。


 視界の端に、【レムナント:OFFLINE】の表示が、まだ消えずに残っていた。

 止めることも、代わることもできたはずなのに――僕は、間に合わなかった。


 これは、ゲームのログアウトだ。現実で命を落としたわけじゃない。

 そもそも、彬良くんは既に死者となっていて、今はきっと彼の残滓が僕たちに協力してくれているような状態なんだろう。


 そんなこと、わかってる。

 でも、悔恨が遅れて押し寄せる。


 もし、僕がもっと早くギミックを理解していれば。

 彼を2度も死なせるなんてこと、なかったんじゃないか。


 リーダー失格だ。こんな体たらくで、この強敵に勝てるのか。

 負けたら「皆の干渉が敵に知られる」という、大きなリスクを、僕は背負っているというのに――


「ボサっとすんな、リブート!」


 低く、苛立ちを孕んだ声が飛んできた。

 顔を上げる前に、わかる。レイブンだ。


 すると、ロックが僕の隣に並ぶ。


「落ち込んでる場合じゃねーだろ。

 ここで全滅したら、今までの努力が全部パァになるぞ。レムナントの犠牲を無駄にすんな!」


 そう言って、敵にリュートボウガンを連射し始めた。

 続けて、スカーレットが一瞬で間合いを詰めて、ボスに斬りかかる。


「しっかりして、リブート! お兄ちゃんの最後、あんたも見たでしょ?

 あたしたちを信じて、託してくれたんじゃない!」


 これまで支援に専念していた2人が、ロゴスフォールに猛攻をかける。


 レムナントがログアウトし、総火力が減った。残りMPがわずかなセラフィムも、もう攻撃には回れない。

 味方にバフをかけるより、各々が攻撃に集中するべき、という判断なんだろう。


 ……皆、まだ諦めてないんだ。


 このままでいいのか。

 リーダーである僕が、このままで――


 ――いいわけ、ない。


「うおぉぉぉ!」


 僕は、ロゴスフォールに突撃する。

 ヘイトを維持するために、残されたスキルをありったけ使った。


 その刹那だった。


 ロゴスフォールの胸部――割れた水晶状のコアが、脈動を始める。

 数式と文字列が流れていたはずの内部が、急激に赤黒く染まり、まるで心臓の鼓動のように収縮と膨張を繰り返した。


 嫌な予感が、背骨を駆け上がる。


【警告:因果回帰(カルマ・リターン)、詠唱開始】


 システムログが、赤く点滅した。


「――来るぞ! 大技だ!」


 レイブンが叫ぶと同時に、ロゴスフォールが腕を広げる。

 翼の眼球が一斉にこちらを向き、魔法陣の翼が展開された。


『与えられたものを、返そう。受け取った結果を、そのまま』


 中核が、限界まで輝いた。

 僕やレムナントの剣撃、レイブンの刺突、サイレント魔法が、水晶体に浮かび上がる。


 これまで僕たちがロゴスフォールに叩き込んできた「すべて」が、一本の収束光となり、僕に向かって放たれた。


 ――世界が、白に塗り潰される。


「――ぐっ!」


 直撃。

 HPバーが、恐ろしい勢いで削れていく。


 一撃で、瀕死。

 視界が、一瞬で赤に染まった。


「……今までの私たちの攻撃が、返されている」


 サイレントが、静かに言った。

 僕は、敵の胸もとにある水晶を見る。


 ――なるほど。あそこに浮かぶ映像は、これまでの僕たちの攻撃を表しているのか……


 反照フェーズという名称。これはきっと、僕たちの攻撃を「反射」するというギミックだ。

 相手を激しく攻めるほど、因果回帰(カルマ・リターン)という大技の威力が上がる?


 ――元々、僕たちのパーティー構成はDPSに偏っていた。

 だからこそ、たった一撃の反射で瀕死に至るまで、状況が悪化してしまっているんじゃないか。


 だとすれば、このまま考えなしに攻め続けるのは危険だ。

 特に、サイレント。ボスのコアに浮かぶ映像は、彼女の魔法が圧倒的に多い――


「サイレント、攻撃を控えて!

 火力が高いきみの魔法では、フェーズが進み過ぎる!」


「……わかってる。でもダメ。それでは間に合わない……」


 と、サイレントが言うのと同時に。

 セラフィムの回復魔法が、僕に届く。


「ごめん。これで最後……」


 彼女のMPが、完全に底を尽きた。

 つまりこれ以上、回復は望めないということだ。


 ――火力調整なんて、してる場合じゃない。


「もう、押しきるしかありません。全員、総攻撃をっ!!」


「「「了解、リーダー!」」」


 僕だけじゃない。レイブンが、ロックが、スカーレットが、最後の力を振り絞って攻撃を畳みかける。

 セラフィムもまた、杖を持ってボスを叩き始めた。


 幸い、敵のHPは限界が近づいている。あと少し……


【警告:因果回帰(カルマ・リターン)、詠唱開始】


 ロゴスフォールが再び、大技の準備を始めた。


 そこで、サイレントがふわりと宙に浮いた。

 初めて見せる、長時間の詠唱。大魔法の予感。周囲を震わせるほどの強大な闇の魔力が、彼女の体に集まる――


闇影魔法(アンブラ)


 そう言って、サイレントが杖を振りかざした。


 闇が、落ちた。

 光を塗り潰すような黒が、天井から降り注ぎ、ロゴスフォールの巨体を丸ごと包み込む。


 それは影ではない。質量を持った「不在」そのものが、世界に穿たれたかのようだった。

 数式も文字列も、音も気配も、すべてが闇に呑まれていく。


 なんて威力……

 たった1人で、敵のHPをごっそりと削った。


「――やったか?」


 レイブンが呟いた、その瞬間。

 ボスのコアに、光が収束するのが目に入った。


 ――まだだ。


 敵の大技がくる。

 でも、もう避けられない……


 すると、サイレントが僕の前に立った。

 こちらを振り向いて、一言。


「――MP切れ。あとは、お願い」


 そう、彼女はほんの少しだけ、笑った。

 その直後、敵の因果回帰(カルマ・リターン)が、彼女の体を薙いだ。


【サイレントが、ログアウトしました】


「……っ!」


 喉の奥が、焼けるように痛んだ。

 叫びたかった。止めたかった。せめて――ありがとう、と言いたかった。


 でも、時間は待ってくれない。

 ロゴスフォールの中核が、最後の輝きを放つ。


【警告:因果回帰(カルマ・リターン)、詠唱開始】


「……続けましょう!」


 声が、震えた。

 それでも、僕は前を向く。


「あと少しだ、行けぇ!」

「アンタら、手を止めんな!」

「勝つよ、みんな!」


 レイブン、ロック、スカーレットが、口々にメンバーを鼓舞した。

 ロゴスフォールのHPバーは、残り数mmというところまで来ている。


 ――悲しむのは、後だ。

 ここで止まったら、彼女たちのログアウトは、ただの無意味になる。


「リブート、止めをっ!」


 セラフィムの声に、僕は頷く。


 胸の奥が、冷たく静まっていくのを感じた。

 恐怖も、迷いも、後悔も――すべてを切り離す。


 僕は、剣を構え直す。

 刃の表面に、世界そのものが映り込んでいた。反転し、歪み、因果を巻き戻そうとする、この空間すべてが。


 ――なら。


 因果そのものを、ここで断ち切る。


「――断罪・ゼロカット!」


 世界が、音を失った。


 剣閃は一筋。中核の水晶が、抵抗する間もなく分断される。

 数式が崩れ、文字列が意味を失い、因果回帰のループが完全に遮断された。


『……因果は、逃げ場を選ばない。悪意を追った、その理由さえも……』


 ロゴスフォールの声は、そこで途切れた。


 次の瞬間、巨大な悪魔の身体が、静かに崩壊する。

 光でも闇でもない、ただの情報の残骸となって、空間に溶けていった。

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