第44話 因果とカルマ④
長門とのバトルがあった、2日後。
僕は、花燈庵の畳に腰を下ろし、湯呑みから立ちのぼる湯気をぼんやりと眺めていた。
低いテーブルを挟んで、燈と朱里が向かい合っている。
誰も祝杯の言葉を口にしない。勝利を噛み締めるには、あまりにも静かすぎた。
縁側の向こう。夜気の中に、カラスのヤマトがいる。
外と内、その境界にいるかのように、鳴きもせず佇んでいた。
「一件落着、なんだよね?」
燈が、確かめるように言った。
問いかけは、誰に向けられたものでもない。
それでも、部屋の空気がわずかに揺れる。
「一応は、ね……」
朱里が答えた。
声音は落ち着いているが、納得しきれていない色が混じっていた。
スマホから、ヤマトの声がする。
『長門の晒し動画はアップされた。
グリーンアイやクラッシュ・スマイルほどではないが、再生数もそこそこ回り、ヤツの悪意スコアも大幅に下がった。
ここだけ見れば、まずまずの結果と言えなくはないが――』
そう。僕たちVALGATEは、長門の晒し動画を作成し、昨日付けで世間に公開した。
内容は、彼の悪意ログからダウンロードした動画が中心で、「有名大学 准教授のパワハラ疑惑」という趣旨のものだ。
けれど、想像していたより、再生数は振るわなかった。
過去の2回が万単位だったのに対し、今回は5000回を少し超えた程度で落ち着いている。
――まあ、バズらせるのが目的ではないしね。
僕たちの狙いは、悪意ある対象者の行いを世間に晒して、悪意スコアを下げること。
その点において、目的は既に達していた。
元々、悪意スコアが52だった長門は、今は警戒域を下回り、MALICEの監視対象ではなくなっていた。
だから、僕たちはもう、彼の最新情報をアプリで見ることはできない。
現在、確認できるのは、彼の悪意スコアが警戒域にあった当時の情報。
そして――『五十鈴零士に関する情報』に対し、《クエリ申請》をした結果だ。
【五十鈴零士に関する情報:現在の居住地――京都府京都市下京区】
そう。長門とのバトルに勝利したことで、零士さんの居住地情報を得ることができた。
あとは、彼の氏名と生年月日を入力すれば、悪意アーカイブで検索することができる。
零士さんの生年月日は、元から知っていた。
だから僕たちは、彼のここ最近の悪意ログや、現在地の補足に成功しているのだ。
「まさか、五十鈴零士が京都にいるなんてね……」
「うん。ここ数日、何かされるんじゃないかって怯えてたのが、バカみたい」
燈と朱里が、口々に言った。
『五十鈴零士の現在地が、補足できるようになった。
こまめに監視していれば不意打ちを食らうことはないし、むしろこちらから仕掛けることもできるようになったってことだ。
成果としては、上々だろうぜ』
ヤマトの言葉に、僕はうなずく。
そう。完全解決とは言い難いけど、零士さんに何かをされるリスクは大幅に減ったと思っていいんじゃないだろうか。
「夜のおかげだよ。きみがいなければ、この勝利はなかった」
と、僕はスマホに向かって話した。
『……いい』
スピーカーから、彼女の短い返事があった。
この店で打ち上げをすることは伝えたものの、夜の返事は「行けない」だった。
「一応、わたしも頑張ったんだけどなぁ……」
「そうよ、悠。あたしたちに対するねぎらいの言葉はないの?」
2人が、不満そうに僕を見た。
「も、もちろん、2人のおかげでもあります。
当然、ヤマトやライゲイ、彬良くんも……」
別に、忘れてたわけじゃない。
その証拠に、今回アップした動画のエンディングには、長門とのバトルに参加した全メンバーを記載してある。
【――MISSION RESULT――
ターゲット:LOGOS FALL
ステータス:COMPLETED
メンバー:REBOOT / RAVEN / SERAPHIM / SCARLET / SILENT / ROCK / REMNANT
チーム:VALGATE】
「……まぁ、かた苦しい話はこれくらいでいいんじゃない?
打ち上げってことで、せっかく集まってるんだし」
朱里が、少しだけ力を抜いた声で言った。
『いいわけあるか。
やっと五十鈴零士の情報が掴めたんだ。ここから攻勢に出るぞ。
だよな、悠?』
「んー。でもここ最近、わたしもずっと気を張ってから、正直疲れちゃった。
今日はもう、いいんじゃないかな?」
そう言って、燈は湯呑みを手に取った。
確かに、疲れていた。ロゴスフォールとの戦いも、長門の晒しも。
一段落はついたはずなのに――心だけが、まだ戻りきっていない。
『……ちっ。わかった。今日は休め』
「やった! ねえ赤城さん、これ新作のメニューなの。注文してみない?」
「うん!」
燈と朱里が、堰を切ったように会話を始めた。
それは、緊張から解放されたということもあるだろうけれど、皆を活気づけようと、あえて明るく振る舞っているようにも見えた。
――零士さん。
彼との戦いは、まだ何も終わってない。
今回は大事には至らなかったけれど、僕は危うく、燈や皆を危険に晒すところだった。
――もっと気を引き締めないと。
そう思った、次の瞬間。
「いたいた」
不意に、聞き慣れた女性の声がした。
「――えっ、奏さん?」
と、朱里が驚きの声を上げた。
なぜここに? というこちらの疑問を意に介さず、強引に僕の隣席へ腰を下ろす。
すると、奏の背後にいた男が、僕たちのテーブルのそばに立った。
「……長門先生」
燈が、緊張した声音で言った。
朱里の顔が、あからさまに引きつる。
僕もまた、何も発することができなかった。
隣にいる従姉に、助けを求めるような視線を送る。
「いや、叔父さん頼まれてさ~。長門先生が、悠くんにどうしても会いたいって」
奏が、呑気な声で口にした。
――長門が、僕に会いたい? それで、父さんに相談?
おそるおそる、長門の顔を見た。
すると、彼は穏やかな表情で、優しく話し始める。
「こんばんは、諸君。
こんないい夜に、すまないねぇ。
零士のこと、動画のこと、VALGATEのこと――
尋ねたいことは山ほどあるが、まずは最も知りたいことから問おう」
一体、何が起きているのだろう。
固唾を呑んで見守る僕たちに、長門はこう言った。
「私の『悪意スコア』は、現在いくつかね?」
僕たちの戦いは、まだまだ終わらない。
そんな確信を、抱かざるを得なかった。
【第1部・完】




