第37話 サイレント・パーティー①
ダンジョン攻略に失敗した、翌日。
気づけば、部屋の中は夕方の色に沈んでいた。
カーテン越しの光は鈍く、外では雨が途切れなく地面を叩いている。
今日は、どこにも行かなかった。
制服は椅子に掛けたまま、カバンも手つかずで床に置かれている。
朝、学校を休む連絡をしたあと、昼過ぎまで寝ていた。
それなのに、体の奥に残った重さが、どうしても抜けない。
ベッドに寝転がりながら、スマホを手に取る。
無意識のまま、SNSを開き、動画サイトを眺める。
トレンドは平常運転だった。誰かの炎上、誰かの謝罪、誰かの正義。
昨日の全滅なんて、世界には最初から存在しなかったみたいだ。
――静かすぎる。
それが、余計に落ち着かなかった。
零士さんが、何か行動を起こしてくるのでないか。とても平静ではいられなかった。
検索窓を開き、指が止まる。
昨日、第一層で知った名前。
『PHANTOM/ZERO』
エンターキーを押す。
結果は、ほとんど何もなかった。
無関係な単語、こじつけのまとめ、意味のない羅列。
ダンジョンでの情報が確かなら、零士さんはこのアカウントで、どこかに書き込みをしているはず。
なのに、見つからない。まさか、僕たちの干渉を察知して、削除した?
スマホを伏せた、その時。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。
一瞬、本気で思った。とうとう来た、と。
おそるおそるインターホンを覗くと、そこにいたのは見慣れた顔だった。
『――悠、生きてる? 雨が降ってて寒いんだから、早く中に入れてよね』
朱里が、濡れた前髪を払って言った。
その後ろには、ヤマトを抱きかかえた燈もいる。2人とも、学校帰りの制服姿だ。
「……えっ? ちょ――片づけるから、少しだけ待って!」
◇ ◇ ◇
「朱里ちゃん、久しぶり~。元気だった?」
2人と1羽を部屋に入れ、しばらくすると奏がお茶を運んできた。
この人、なんで今日も家にいるんだろう……
「げ、元気です! ……奏さん、今日はお休みですか?」
朱里が、上ずった声で言った。
奏のヤンキー時代を知る朱里は、彼女を少し怖がっていた。
「うん、そんなとこ~」
ほんとかな……
奏が退室すると、燈がスマホをテーブルに置いた。
そのスマホから、ヤマトの声がする。
『昨日は奏って女がいたから、あのあとロクに話もできなかったけどよ……
すまなかった。まさかダンジョンがあんなに危険だとは思わなかったぜ』
と、珍しく落ち込んだ調子で言った。
そう。ダンジョンで全滅した直後、まるでタイミングを見計らったかのように、奏が車へ戻ってきてしまった。
その他、とにかく疲れ切っていたせいもあって、僕たちは大した会話もせず、その日は解散となった。
燈が、伏し目がちに言う。
「……ヤマトだけのせいじゃないよ。わたしも正直、甘く見てた。
きっといつもみたいに、最後はどうにかなるんじゃないかって」
「――僕も、同じです。『Rank 2』はクラッシュ・スマイルの時に、一度クリアしたことがあると思って油断しました。
第二層をもっと慎重に進んでいれば、あれだけの敵に包囲されることも、きっと避けられたはず……
さらに言えば、第三層へ進もうと言ったのは、僕です。
結果論ですが、あそこへ進むくらいなら、第二層にとどまって起死回生のチャンスを狙ったほうが――」
「はいはい。反省会はそれくらいにしてよね」
朱里が、呆れたように口を挟む。
「起きてしまったことを嘆くより、今は先を考えるほうが大切でしょ。
あたしたちがしていること、もう零士さんに伝わったってことよね?」
本人は、明るく言ったつもりかもしれない。
けれど、現実を突きつけるその言葉で、部屋の空気は一段と重くなった。
『少なくとも、侵入者の1人が悠だってことは、確実に伝わっただろうな……
ただ、それを本人がどう受け止めるかは、正直わからねぇ。
単に「リアルな夢だった」で終わるかもしれないし、何かの啓示と捉えて、新たなアクションを起こすってこともありえる――』
僕は、うなずく。
「――そこで、僕から提案なんだけど。
しばらくこの家に集まるのは、やめたほうがいいと思う。零士さんがまた、近くに来るかもしれないから」
燈が、こちらを見る。
「一応、このあたりの悪意ホットスポットは、調べてみたよ。
五十鈴零士のもので、新しいのはなさそうだったけど……」
「でも、これから来るかもしれません。
特に夕波先輩は、アバターとはいえ、彼に顔を見られているでしょうから――」
そこまで言って、僕は胸が苦しくなる。
自分の軽率な行動で、燈を巻き込んでしまった。彼女を危険に晒してしまった。
正直、怖い。零士さんのことが、もはや自分の知る人間じゃないように思えた。
東京でも有数の高・悪意スコアを持つ彼は、今や街に潜む強大なモンスターだ。
「――夕波先輩の登下校は、当面の間、僕が付き添います。
僕といるほうが、目印になって逆に危ないという可能性もありますが……
零士さんに接近されたら、アプリが反応するはずです。
その時、狙われているのが夕波先輩なら、2人でいたほうが安全です。
もし狙われているのが僕だったら、先輩は逃げてください」
僕の申し出に、燈は無言のまま視線を伏せるだけだった。
「ねぇ。奏さんは、大丈夫なの?
一緒にダンジョンへ行ったロックって、奏さんにそっくりだったんでしょ?」
朱里が、不安げに言った。
たしかに、警戒はしたほうがいいかもしれない。
MALICEのパーティリストを見る。
ロックの名前はあるけれど、表示は〈オフライン〉となっていた。
どうもAIであるライゲイには、このアプリのチャットや通話に参加するすべがないみたいだ。
なのにダンジョンへ同行できる理屈は、僕にはよくわからないけど。
『奏って女の周囲は、しばらくオレが見張ってやる。
今回の件を本人に説明するってのも、難しいだろうからな……
それよりも、次の一手を決めようぜ。
今のままじゃ、五十鈴零士に対して防戦一方になる。ジリ貧だ』
ヤマトの言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。
防戦一方。
その表現が、現状を嫌になるほど正確に言い表している。
「……だったら。次に攻める人は、もう決まってるんじゃないかな?」
沈黙を破ったのは、燈だった。
彼女が、テーブルに置かれたスマホを操作する。
映し出したのは、MALICEのマップ画面だった。
その中央に、ある人物の現在地を示す点がある。
【モンスターネーム:ロゴスフォール
悪意スコア:52(警戒域)
悪意タグ:分析 狂信 反照】
「……長門」
朱里が、息を呑んだ。
彼に対し、良い印象がないんだと思う。同感だけど。
でも、燈の提案はもっともだ。
零士さんの所在が知れない今、彼と僕たちを繋ぐ人物は、この男をおいて他にないように思えた。
けれど……
『前回の邂逅時、MALICEに登録しておいたのが、功を奏したな。でかしたぜ、燈』
決まりだな。
そんなヤマトの言葉を、この時の僕は、すぐには飲み込めなかった。




