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第36話 0 -ゼロ- ④

【朽壊演算 ネットワーク回廊

 第三層:蒼雨シグナル漏出域

 難易度:Rank 3】


 灰色の雨が降っていた。


 通常の雨とは違う。粒のひとつひとつがログの断片で、触れるたびに耳元でノイズが弾ける。

 地面には幾重にも光の水たまりが広がり、踏むごとに過去の誰かの声が微かに再生された。


 宙に浮いた円形の、ステージのような空間。

 それを覗き込むように、黒い巨影が周りを囲んでいる。


 人型だけど、虚ろな姿。まるで悪意を具現化した巨人のよう。

 まったく動かない。ただ、こちらを見ている気配だけが重い。


「――オイ。コイツらにまとめて襲われたら、さすがにヤベーって」


 ロックが、低く呟いた。

 構えたリュートボウガンが、しっとりと雨に濡れている。


「まだ動いてない。オマエら、刺激するなよ」


 レイブンの声が、いつになく緊張していた。


 その時、視界の中心がにじんだ。

 雨の濃度が一段と増し、まるでそこだけ世界が深く沈むように。


「……ねぇ。あれ、誰かな?」


 そう言って、セラフィムが指をさした。


 広場の中央に、幼い少年がうずくまっていた。

 肩を震わせ、雨に濡れ、嗚咽を漏らしながら、両腕で頭を抱え込んでいる。


 五十鈴零士。

 その幼少の姿だと、直感でわかった。


 そして、その隣に――長門がいた。


 現実で見る彼よりも、少しだけ若く見えた。

 無表情のまま、雨に濡れる少年に背を向けて、淡々と語りかけている。


『悪意は、必ずしも犯罪として顕在化するわけではない。むしろ、多くは観測されないまま蓄積されるものだ』

『そして臨界に達したとき、集積点を探して一気に噴き出す』

『悪意は伝播する。ならば、悪意を追う者が悪意に染まっていくのも、また必然』


 授業のような口調だった。

 涙を流す子どもの隣で、悪意の構造を事務的に語る教師――不気味なほど温度がない。


『嫌だよ、お父さん。行かないで……』


 少年零士のその声に、僕たちは息を呑んだ。


 ――お父さん?


 問いただす暇もなく、長門の姿は雨に紛れて、霧散する。


 途端に、巨人たちが動いた。

 無数の巨腕が、少年零士へ向けて、雨を裂きながら振り下ろされる。


「――止めよう!」


 思わず、僕は駆け出していた。

 それが正しいかは、わからない。でも、そうしなければならない気がした。


 けれど、距離が遠い。

 巨人の動きは、こちらの全力疾走を軽く凌駕していた。


 間に合わない――そう思った瞬間。


 空間が、一閃で切り裂かれた。

 青白い魔力光が弧を描き、巨腕がまとめて宙を舞う。


 切断面からは、ノイズも悲鳴も出ない。

 ただ、巨大な影が「処理された」ように崩れ落ちた。


 少年の姿は、すでになかった。

 中央に立っていたのは、一人の男。


 長い外套を着て、静かな微笑み浮かべる彼。

 雨に濡れながら、まるでこの階層の一部であるかのように、自然と佇んでいる。


 ――零士さん。


「……左手に魔力石のグローブ、右手に魔導刃のレイピア。

 その姿――オマエ、マジックフェンサーだな?」


 レイヴンが、男に向けて言った。

 MALICEにおけるジョブだろう、と察しがついた。


 ――つまり、零士さんも適性があるということ?


『JUSTICE::ECHO――いや、リブート。

 私の操り人形だったお前が、今や世界の傀儡となるか』


 ――傀儡? 操り人形?


 違う。誰にも操られてなんかない。


 僕はかつて、零士さんの相棒で、右腕だった。

 それは、決して正しいことではなかったかもしれない。けれど、少なくとも自分の意思によるものだ。


「この人、リブートの正体を認識してる……」


 セラフィムの言葉に、ロックとレイヴンが顔を見合わせる。


「つまり、この戦いに負けちまうってことは――」


「ああ。オレたちの干渉が素性ごと、五十鈴零士にバレるってことだぜ」


 パーティー全員が、凍りつく。


 過去に「天才」とまで称され、かつ膨大な悪意を溜め込んだ零士さん。

 彼に、僕たちの行動が認知される。そのリスクは、はたしてどれほどのものか――


『お喋りは終わりだ』


 零士さん――ファントム・ゼロが、片手をあげた。

 すると、周囲の巨人たちが、一斉に腕を振り上げる。


『散れ。哀れな人形たち』


 巨岩のような拳が、五月雨のごとく降り注いた。


「ぐあぁっ――クソがっ!」


 ロックの顔が、苦痛で歪んだ。


「ヘイト無視の攻撃だ! とにかくかわせ!」


 レイヴンが叫んだ。

 全員が散り散りになり、回避に専念する。


 けれど、ステージを埋め尽くさんとする巨人たちの攻撃に、どうしても被弾は避けられない。

 皆のHPが、ゴリゴリ削られていく。


「クイックスペル――第2位階範囲回復魔法セカンド・エリアヒール!」


 セラフィムが無詠唱スキルを使い、即座に範囲回復魔法を放った。

 これにより、パーティーは一時的に持ち直したかのように見えた。


 しかし――


『邪魔だ』


 ファントム・ゼロが、高速で移動した。

 セラフィムとの間合いを、一瞬で詰めたと思った瞬間――


 レイピアで、彼女の体を貫いた。


「あ……」


「セラフィム!」


 突然のことに、事態を飲み込めていない様子の彼女。

 僕は、降り注ぐ巨拳にも構わず、全力で駆け抜ける。


「零士さん!」


 ファントム・ゼロに一太刀入れようとした、その時。


 彼は宙返りをして、僕たちから大きく距離をとった。

 着地をするなり、左手のグローブを振るって、怒涛の連続攻撃を始める。


風魔法(ウィンド)雷魔法(サンダー)風魔法(ウィンド)雷魔法(サンダー)


 放たれた風塊と稲妻が、容赦なくセラフィムに襲いかかる。

 彼女のHPゲージが、瞬く間に短くなっていった。


「――くっ。やだ――」


 半ばパニック状態のセラフィム。

 だめだ。このままじゃ持たない……


「やめてください! 相手なら僕が!」


 セラフィムをかばるように立ち、そうファントム・ゼロに叫んだ。


 それに対し、彼はただ不敵な笑みを返す。

 右手のレイピアに左手を添えると、グローブの魔石から魔力が迸った。


 光と闇。正反対の魔力が、刀身を包み込む。


『終わりだ。――デュアル・ポラリティ』


 ファントム・ゼロが突き出した細剣から、白と黒の奔流が放たれる。

 2つの魔力が渦をなし、大きな槍となって、僕とセラフィムを貫いた。


【セラフィムが、ログアウトしました】


 システムログが、淡々と告げた。

 それと同時に、彼女は無言のまま、膝から崩れ落ちる。


「ファントム・ゼロぉぉ!」


 そう叫ぶや否や、目の前が赤く染まった。

 僕のHPもまた、既に瀕死の状態となっていた。


『さらばだ、リブート』


 その声に呼応するかのように、巨拳の雨が、ステージ中を叩きつけた。

 巻き込まれた僕は、瞬時にHPが底をつき、視界が真っ暗になる――


【――MISSION FAILURE――

 対象∶朽壊演算 ネットワーク回廊

 結果:パーティー全滅

 影響:深層同期(断片付与)

 備考:対象は戦闘の断片を現実に記憶する可能性があります。

 付随:次回以降、難易度が上昇します。】

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