第32話 ダンジョンへ④
翌日、巣鴨翠雲高校の昼休み。
生徒会室のテーブルに、僕と燈は向かい合って座っていた。
窓から差し込む冬の光が、どこか色の薄い静けさを作っている。
「ヤマトの言う『アテ』って、何だろうね?」
「さぁ……。ちょっと見当がつかないですね」
机に置いたスマホは、MALICEが起動してある。
そこへ通知が入ると、燈がすかさずタップした。
『――聞こえるか?』
雑音と共に、ヤマトの低い声がスピーカーから響いた。
朱里の声も続く。
『あたしもいるわよ。悠、夕波さん、聞こえる?』
「聞こえるよー」
そう燈が返事をして、少し間が空く。
すると、ヤマトは静かに切り出した。
『ここ数日間、オレは「マスター」と交渉していた』
僕と燈が、思わず顔を見合わせる。
「――マスターって、ヤマトの主人ってこと? つまり飼い主?」
「ヤマトって、ペットだったの? その人、MALICEに詳しい?」
『待って。そもそもヤマトって、一体どういう存在なの?』
僕・燈・朱里が、立て続けに質問をした。
彼は自身の素性について、普段は何も話してくれないからだ。
ヤマトが、不機嫌そうに話を始める。
『……いつも言ってるだろ。オレのことは、自分でもよくわからねぇ。
マスターについても、実際のところ知っていることは何もないんだ。
だが、巣で眠っていると時々、そう名乗るヤツが夢に出て会話することがある。
そしてようやく昨日、話がまとまって、MALICEの新機能追加を約束させた』
――新機能?
『聞け。その名も「悪意ダンジョン」だ』
生徒会室の空気が、わずかに張り詰めた。
「……ダンジョン? ゲームの話?」
燈が、眉をひそめて言った。
『冗談でも、ふざけてもねぇ』
と、ヤマトが深く息をつく。
通話越しでも、疲労と緊張の混じった声だとわかる。
『悪意ホットスポット――特定の人物に由来し、濃い悪意が停滞する場所。
そこに、MALICEが仮想の迷宮を生成し、ユーザーが侵入できるようにした』
『悪意を……形にするってこと……?』
スマホから、朱里の強ばった声がした。
『あぁ。クリアすれば、その悪意の発信源である対象者の情報が、不完全だが手に入る。
たとえ、相手の顔認証が済んでいなくてもな』
事実だとしたら、とんでもない進化だ。
それほどの変更を、こんなにたやすく実現してしまうなんて、まるでMALICEを中心とした「悪意システム」の創造主じゃないか。
ヤマトのマスターって、何者?
「つまり、こないだ見つけた零士さんの悪意ホットスポットから、ダンジョンに入って情報を得ようってこと?」と僕。
『そうだ。昨日、大学で得られた情報は乏しかった。
ヤツを裁くには、もっと深部に触れる必要がある』
「『クリアすれば』って言ったけど、失敗したら?」と心配げな燈。
「いつものバトルと一緒だ。深層意識に干渉されたという情報が、対象者の記憶に残っちまう。
オレたちの仕業だと、相手に気づかれる可能性があるな」
『……ちょっと。危険すぎない?』
朱里が、怯えるように言った。
僕も、思わず息を呑む。
『だが、他に手はあるか?
五十鈴零士の悪意スコアは、高すぎる。放っておくわけにはいかないが、現状じゃヤツの居場所もSNSアカウントも不明だ。
やるしかねぇんだ。覚悟を決めろ』
ヤマトの声は落ち着いているが、その奥に焦りのようなものが透けていた。
悪意スコアが極臨界に達した零士さんは、既に「犯罪者」の可能性が高いらしい。
このまま彼を野放しにすることは、それだけ危険ということなんだろうか。
『……ごめん。あたしは今日、付き合えない。
ここ最近、さすがに部活を休みすぎたから』
朱里が、すまなそうに言った。
無理もない。確かに最近、巻き込みすぎた。試合も近いというのに。
――それだけじゃないかもしれないけど。
零士さんを追うことに、朱里はあまり乗り気じゃない気がする。
『わかった。なら残りは放課後、巣鴨翠雲の校門前に集合だ。オレも行く』
そう告げられたのを最後に、通話が途切れた。
生徒会室に静けさが戻ったのも束の間、昼休みの終わりを告げるチャイムがあたりに響いた。
◇ ◇ ◇
『……オイ。こりゃあどういうことだ?』
ヤマトの不服そうな声が、スマホのスピーカーから聞こえた。
カラス姿の彼は、後部座席で燈の膝に乗っている。
「言いたいことはわかるけど、僕としても不可抗力で……」
「ちょっと〜。何よ悠くん、不可抗力って! ――で、電話の相手は誰?」
運転席の奏が、そう楽しそうに言って、助手席の僕を小突く。
ルームミラー越しに、燈が引きつった笑みを浮かべるのが見えた。
「わざわざ迎えに来なくてもよかったのに……今日は非番なの?」
「う〜ん。違うんだけど、特に大きな仕事もなくてさぁ。
暇だったから、来ちゃった」
いや。非番じゃないなら、ちゃんと職場にいなよ……
そんなに緩いの? 警察って。
「それにしても、悠くん。
いつの間にか朱里ちゃんだけじゃなく、燈ちゃんみたいな可愛いガールフレンドもできちゃって。
やるわね。従姉として、鼻が高いわ」
――何が「やる」というのだろう。
「うふふ。ありがとうございます、奏さん」
燈が、嬉しそうに返事をした。
「なのに……こんな美少女を連れているのに……
何をするのかと思えば、スマホゲームだなんて。
位置情報ゲームってよく知らないけど、『ノケモンGO』みたいなやつ?」
奏の問いに、テキトーに相槌を打つ。
悪意ダンジョンの話を正直にするわけにもいかず、彼女には「ゲームをする」と説明していた。
僕は痺れを切らし、
「奏さん、そろそろ出発しよう。夕波先輩の帰りが遅くなっちゃう」
「はいはい、了解〜。
――ライゲイ、朝日家に向かって」
『朝日家を、目的地に設定しました。自動運転を開始します』
車内のスピーカーから、奏によく似た声がした。
この車のAIで、名前や声質についてはユーザーが自由にカスタマイズできるらしい。
ちなみに「ライゲイ」は、彼女が昔組んでいたバンドの名前だ。
そんな名がついたこの車の内装は、高級アンプやスピーカーが並ぶロック仕様となっている。
公用車なのに……
『オイ、悠。この車、喋るのか?』
ヤマトが、驚いた様子で言った。
これからダンジョンへ突入するというのに、既に疲れてしまった僕は、しばらく黙っていることにした。




