第31話 ダンジョンへ③
「……じゃあ、また明日ね」
朱里が、落ち込んだ様子で言った。
彼女が家に入るのを見送って、僕もまたすぐ近くの自宅へ足を向ける。
あたりはもう、すっかり暗くなっていた。
長門とのやりとりで疲れ切った僕たちは、帝都大学を出て早々に解散した。今ごろは燈も家に着いているだろう。
――結局、ほとんど収穫はなかったよね……
最大の目的だった零士さんの情報は、ほぼ得られなかった。
それどころか、「悪意ある対象者」の長門に対し、こちらに関する情報ばかり渡す結果となってしまった気がする。
でも、手がかりが完全になくなったわけじゃない。
大学を出てすぐに、ヤマトはこう言っていた。
『聞け。実は、1つだけアテがある。
まだ準備中だから詳しいことは言えねぇが、明日もう一度集まれ』
どうも、彼は1人で何かをしようと動いていたらしい。
たしかに昨日、零士さんを「別の線から追ってみる」って言ってたっけ。
詳しい内容は聞かされていないし、疲労で頭が回らなくなっていた僕たちも、それ以上の追及はできなかった。
――まぁ、明日になればわかるよね。
それにしても、長門は一体、何者なんだろう。
警戒するあまり、父さんとの関係も最後まで触れずじまいだった。
でも、また会うことになる気がする。
できれば、あまり会いたくないけど――
「ん?」
自宅の前までたどり着く。
すると、家の駐車場に1台の車が停められているのが目に入った。
――げっ。
それは、警視庁の高官である、父の専用車両だった。
けれど、彼自身がこの車を運転することはまずない。担当の運転手がいるからだ。
父がいなくても、堂々と1人でやって来て、うちを宿代わりにするような人。
破天荒で元ヤンで、車とロックをこよなく愛する、警察官にあるまじき従姉。
苦手なんだよな、あの人……
◇ ◇ ◇
「悠くん、お帰りぃ!」
ドアを開けるなり、抱き着いてこようとする彼女。
「……ただいま」
その顔面を掴んで、僕は返事をした。
頬をむにゅっと歪ませたまま、従姉――伊吹奏が不満げな声を漏らす。
「何よ。相変わらず塩対応ね」
「来るなら来るって、先に連絡してといつも言ってるのに。……父さんは?」
「何か、偉そ〜な人たちと、難しそ〜な会議してる。
今日もたぶん泊まりだから、アタシはもう帰っていいって言われて。
だから来たのよ」
だから、の前後が繋がってない気がするけど……
「ねぇ、夕飯まだでしょ?
食材は買ってきたから、アタシが作ってあげる」
その瞬間、過去の惨状が脳裏をよぎった。
生命の危機を感じ、僕の全身が激しく身震いする。
「――いや、いいよ!
僕が作るから、奏さんは先に風呂でも入ったら?」
◇ ◇ ◇
1時間後。鍋の中では、スパイスの香りがふつふつと湧き立っていた。
湯上りの奏は、髪をタオルに挟んだままテーブルで頬杖をついている。
「悠くん。アンタ、いいお嫁さんになるよ」
「ありがとう」
冗談を適当にあしらいつつ、僕はテーブルにカレー皿を並べた。
「いただきま~す。……うまっ! すごいわねこれ。東京で天下とれるよ」
「いや、とれないでしょ」
そうして、黙々とスプーンを口に運ぶ2人。
「学校はどう? ちゃんと行ってる?」
「行ってるよ」
大人はみんなこれを聞くなぁ、と思った。
「そういえば、今日は帰りが遅かったわね。どこか寄り道?」
「うん。ちょっと……」
すると、奏の動きがぴたりと止まる。
「もしかして、帝都大学?」
今度は、僕の手が止まった。
思わず視線を正面に向ける。
「……どうしてそう思うの?」
おそるおそる尋ねると、彼女はふっと微笑んで、
「いや、叔父さんが言ってたのよ。
今日、帝都大学の知り合いから連絡があった、ってね」
――えっ?
このタイミングで、父に連絡をする、帝都大学の人物。
当たってほしくはないけど、1人しか思い当たらない。
「叔父さんから伝言。『長門さんには関わるな』だって」
背骨に、氷を流し込まれたような感覚が走った。
――やっぱり。
父さんと長門先生は、知り合いだったんだ――
一体、どんな関係なのだろう?
そして、わざわざ父に連絡したという、長門の意図は何だったのか?
「……他には? 何か言ってなかった?」
僕の問いに、奏は首をふる。
「叔父さんが無口なの、悠くんもよく知ってるでしょ?
それ以上の説明はまったくなし。
だからアタシも、詳しいことは何にも知らないけど。
このタイミングで悠くんの帰りが遅いのは、そういうことかな~って」
あはは~、と彼女は笑った。
この人は何も考えてないようで、異様に鋭い時が昔からある。
「……悠くん。アンタ、また前みたいなことしてないよね?」
不意に、奏が神妙な顔で言った。
「前みたいなことって、何?」
「知らない人に突撃取材したり、危ない動画を投稿したりとか」
――やっぱり、その話になるよね。
胸の奥が、じんわりと冷えるのを感じた。
零士さんの件、長門の件、そして父さんの伝言。
どれも曖昧で、霧の中みたいに手応えがないくせに。
僕の足を、確実にどこかへ引っ張っている気がする。
前とは違う。
もう無茶はしないつもりだし、周りを巻き込むだけの行動なんてしたくない。
でも、それでも。
誰かが傷つく未来を放っておくほど、僕は割り切れた人間じゃなかった。
そんな迷いを悟ったのか、奏がふっと目を細める。
「まぁ、多少突っ走るくらいは、別にいいと思うけどね。
ほら、若いころの無茶は、買ってでもしろって言うし」
「……言わないよ」
「何かあったら、アタシに相談するのよ?
アンタのケツ持ちくらい、余裕だから。天国の叔母さんも、悲しませたくないしね」
そう優しい声で、彼女はからかうように笑った。
緊張も、不安も、胸のどろっとしたものも――
その笑いで、少しだけ溶けていくのがわかった。




