第27話 帝都の影③
放課後の空気には、夏の名残と秋の匂いがまじっていた。
西日に照らされたアスファルトが、ゆっくりと冷めかけている。
僕は、自宅からほど近い、零士さんが住んでいたマンションの前に立っていた。
築20年以上の中層マンション。外壁の塗装は剥がれ、ポストの名札は半分以上が空白だ。
どこにでもある、寂れた集合住宅――
けれど僕には、ここがまるで「何かが終わったあとの場所」のように見えた。
「待たせたわね、悠!」
聞き慣れた声がして、振り向く。
そこには、片手に竹刀袋を提げた朱里が立っていた。
学校帰りの制服姿のまま、まっすぐな目でこちらを見ている。
「……それ、まさか武器?」
「もちろん、護身用にね。
あんたも持ってきなさいよ。家にあるんでしょ?」
竹刀袋を軽く持ち上げて、肩をすくめる。
たしかに家に帰れば僕もあるけど、もう1年近く振ってない。
「で? ここが、JUSTICE::NULLが住んでいた家ってわけね?」
「うん。もう解約されてるみたいだけど」
僕はスマホを取り出し、MALICEのマップ画面を開く。
地図上に、いくつかの赤い点が瞬いていた。
改めて見ると、これらの点のほとんどは、1年以上前から残存するもののようだった。
零士さんが失踪した時期と、重なる。
「何これ……? いくつかダウンロードしたけど、不鮮明な動画ばかりじゃない」
「悪意ホットスポットの主の、顔認証が済んでないからだよ。
とりあえずひと通りダウンロードして、皆にも共有しよう」
◇ ◇ ◇
「適当に座って。お茶淹れてくる」
そう言って、朱里がキッチンへ向かう。
リビングに残された僕は、何だか落ち着かない気持ちであたりを見回した。
あれから付近を回って、あらかた動画を集め終わった僕たち。
足を休めながら、落ち着いて動画を確認しようと、朱里の家にお邪魔することになった。
――本当に、久しぶりだ。
子どものころは、何度も遊びに来た。
朱里もそうだけど、彬良くんとも仲がよかったから。
隣の和室に、彬良くんの仏壇がある。
僕はそばに寄って、彼の遺影をじっと見つめた。
「ごめんね……」
今さら、どんな言葉をかけたらいいのだろう。
だって……僕が彼を殺したようなものなのに。
『まだそんなこと言ってるの? もうやめなって。いい加減、迷惑だから』
――えっ?
鼓膜の奥に、確かに声が響いた気がした。
呆れたような、でも本当は全然怒ってない、カラッとした口調。
「――彬良くん?」
慌ててスマホを見るけれど、おかしな表示はない。
レムナントのステータスも、オフラインのままだ。
……気のせい?
「どうかした?」
お茶を運んできた朱里が、不思議そうな顔で尋ねた。
僕は、首を横に振る。
「ううん、何でもないよ。それじゃあ、動画を確認しようか」
◇ ◇ ◇
朱里が運んできた湯呑が、テーブルの上に2つ並んで湯気を立てている。
僕はノートPCを開き、スマホから転送した動画データを取り込んだ。
朱里が、画面を覗き込んで言う。
「数が多いわね……どうする?」
「そうだね……ちょっと顔、近くないかな?」
付近にある悪意ホットスポットを片っ端から回り、まずは内容を吟味せずにダウンロードしてきた。
得られた動画の数は、20を超えている。
「零士さんが失踪したのは、1年前くらいだから。
映ってるとしたら、それ以前の動画じゃないかと思う」
そうして、日付が1年前より古いものを先に再生していく。
けれど、顔認証が済んでないこれらの動画では、登場人物の多くが姿をぼかされていて、誰なのかがよくわからない。
「難しいわね、これ。声も変えられているみたいだし。
あんたから見て、零士さんっぽい人、いる?」
「……絶対とは言えないけど、いない気がする」
声も姿も、はっきりとは識別できない。
でも、シルエットや服装、声の抑揚や口調から、零士さんらしき人物は映ってないように思えた。
「うーん。1年前っていうと、これで全部ね」
――だめか。
元々、可能性の乏しい調査ではあったけど――
そんなことを考えながら、僕はつい数日前の動画を、何の気なしに再生した。
――ん?
映像の奥に、見覚えのある街並みが映り込んでいた。
夜。街灯に照らされた住宅街。
角度的に、どこかで見たことのある道だと思った瞬間――心臓がひとつ、跳ねた。
「これ……僕の家だ」
朱里が身を乗り出す。
画面の端、電柱に貼られた住所表示。確かに、僕の家のある通りだった。
撮影者はその向かい側の歩道に立ち、何かをじっと見つめている。
ノイズ混じりの映像の中で、画面中央に人影が立っていた。
「ねえ……この人、零士さんじゃない?」
朱里の目が止まった。瞬きもせず、画面を凝視している。
白っぽいジャケット。長めの影。
顔はモザイクのように歪んで見えない。
けれど――姿勢、輪郭、肩の傾き方。その全部が、記憶の中の彼に重なった。
彼は手に、白い封筒を持っていた。
薄暗い光の中でも、封筒に印刷された文字が読めた。
「――帝都大学」
「お兄ちゃんが通ってた大学……」
そう。
炎上事件のきっかけとなる、僕や零士さんが事実無根の晒し動画を上げてしまった、あの大学だ。
息が詰まる。
画面の零士さん(らしき人物)は、何も言わずに僕の家を見つめていた。
10秒、20秒……やがて、背を向けて歩き去っていく。
封筒を片手に、夜の路地の奥へ。
「……なんで、僕の家を?」
自分でも気づかないうちに、そう呟いていた。
朱里も黙ったまま、画面を見つめている。
その映像が終わる直前、ほんの一瞬だけ、ノイズが走った。
音声データの断片が、ノイズに混じって再生される。
かすれた声――だけど、確かに聞こえた。
『――また、人形を演じるのか? JUSTICE::ECHO――』
ブツッ、と音がして、画面が暗転した。
朱里が顔を上げる。
僕の方を見たまま、言葉を探すように口を開き、そして閉じた。
「……行ってみようか。帝都大学に」
そう、僕はゆっくりと口にした。
けれど、朱里はうつむいたまま、返事がない。
零士さんが最近、僕の家の近くに現れた。
一体、何のために?
僕は、知りたかった。
彼が過去、何を思ってあの事件を起こし、そして今、何をしようとしてるのか。
秋の夜風が、カーテンを揺らしている。
その向こうの街に、まだ見ぬ「悪意の中心」が、息を潜めている気がした。




