第26話 帝都の影②
昼休みのチャイムが鳴る。
校舎の外からは、グラウンドでボールを蹴る音と、昼風に混じる歓声。
その喧騒から一枚隔てた場所――生徒会室。
古い扇風機が、低く唸りを上げていた。
机の上には、二段の弁当箱と水筒。
燈が自分の箸を動かしながら、穏やかに言う。
「ちょっとだけ、久しぶりね。こうして全員そろって話すの」
僕はスマホを机に立て、MALICEのウィンドウを開く。
画面の向こうでは、朱里とヤマトが並んでいた。
『悠。あんた夕波さんと2人きりだからって、変な気を起こしたりしてないでしょうね?』
「お、起こしてないよ!」
何を言い出すんだ、朱里は――
僕の慌てた様子を見て、燈がクスクスと笑った。
朱里の声のトーンが、柔らかい。
クラッシュ・スマイルの一件が、僕たちの距離をたしかに変えていた。
『おい。じゃれ合うのもいいが、本題に入ろうぜ』
ヤマトの呆れたような声が、割り込む。
『なあ、悠。そろそろ、次の動きに出ねぇか?
グリーンアイやクラッシュ・スマイルみたいな中堅どころじゃなくて、もっと大物を狙いてぇ。
ここ最近の活動で、たしかに街の悪意レベルはわずかに下がった。
が、このままじゃ焼け石に水だ。以前の水準に戻すには、到底足りないぜ』
「……そうだよね」
僕も、薄々感じてはいた。
どちらも強敵ではあったけど、倒したことによる街の悪意レベルへの影響は、ゼロコンマ以下なのだ。
「そうは言っても、あてはある?
クラッシュ・スマイルの時は、近所の悪意ホットスポットを回ったわけだけど……
今のところ、それ以上に有効な手段ってあるかな?」
燈が、視線を宙にさまよわせながら言った。
『ねぇな』
ヤマトの返事に、全員が沈黙する。
昼食の味が、途端に遠のいた気がした。
「……実は、気になってることがあるんだ」
少しして、僕は口を開いた。
燈が顔を上げる。朱里も画面の向こうで目を細めた。
僕はMALICEの画面を操作し、悪意ランキングの一覧を表示する。
「リストの上位に、知ってる名前があるんだ」
『ホントか? 誰だ?』
ヤマトの問いに、意を決して答える。
「――JUSTICE::NULL」
一瞬、空気が止まった。
燈の箸が、完全に硬直する。
『あんた、それって……』
「うん。五十鈴零士さん――僕のインフルエンサーとしての、師匠だよ」
『……まさか、あんたからまたその名を聞くなんてね』
朱里の声が、わずかに震えていた。
まだインフルエンサーの活動を始めたばかりの頃、僕は零士さんを彼女に紹介したことがある。
――その時も、朱里はいい顔をしてなかったな。
「……わたしも、その人の動画、何回か観たことある。
今は削除されたみたいだけど、顔出しもしてたよね。
例の炎上事件の、中心だった人でしょ? 大丈夫?」
燈が言った。
「大丈夫?」とは、僕より朱里を気遣ったのだろう。
「また一緒に活動したい、なんて話じゃないですよ。
むしろ、零士さんは今、世間にとって危険な人物なんだと思います」
彼は、悪意ランキングの13位。
僕は、彼の名前をタッチした。
【モンスターネーム:JUSTICE::NULL
悪意スコア:118(極臨界)
悪意タグ:正義 懲罰 虚無】
『悪意スコアが、 「極臨界」にまで達してるじゃねぇか――
臨界が「犯罪の実行を決意した状態」なら、極臨界は「すでに一線を超えた状態」だ。
罪悪感・倫理観が麻痺し、悪意が「信念」や「正義」として再構成される。
たぶん、五十鈴零士はもう「犯罪者」になっちまってるぜ』
深刻そうに語るヤマトの声音は、どこか嬉しそうだった。
待ち望んでいた「大物」を前に、内心喜んでいるのかもしれない。
――でも、彼の高揚は、少し怖い。
犯罪者。
言葉の重みが、生徒会室の空気をゆっくりと冷やしていく。
『こんな人を相手にするなんて、危険じゃない?』
朱里が心配そうに言った。
「MALICEから、これ以上の情報は得られない?」
燈の問いに、僕は頷く。
「相手の本名・生年月日・居住地がわかれば、『悪意アーカイブ』のサーチ機能が使えるんですが……
今、零士さんは失踪していて、どこに住んでいるのかわからないんです」
『なんだよ。結局ふりだしじゃねぇか』
ヤマトの言葉に、僕は一呼吸置いて、
「だから、僕は今日、零士さんが住んでいた家に行ってみようと思う。
もちろん本人はいないけど、近くの悪意ホットスポットを調べれば、何かわかるかもしれない」
――決して「正義」に溺れるな。
線引きを間違えず、ただやるべきと思ったことをやれ――
父さんの言葉が、ずっと胸に刺さっていた。
その答えを、僕は探さないといけない気がする。
『はぁ!? ダメよ、危ないわ!』
朱里が、スマホ画面いっぱいまで顔を近づけた。
「少し近所を歩くだけだから。平気だよ」
そう僕が言うと、彼女は唇を真一文字に結んでから、
『……あたしも行くわ』
――えっ?
朱里がほんの一瞬、息を呑むように視線をそらす。
迷いなのか、覚悟なのか、判別のつかない仕草。
「でも朱里、部活は? 剣道の大会、近いんじゃないの?」
『まだ、日はあるわよ。それに、今日一日でなまるほど、半端な鍛え方はしてないわ』
それからも朱里は、僕を強引に納得させようとする。
こうなると、彼女は引かない。いや、別に僕はどっちでも構わないけど……
「ごめんなさい。わたしは今日、付き合えないの。
お店の手伝いを頼まれていて」
『いいんじゃねえか。悠と朱里、2人で行け。
オレは、別の線から五十鈴零士を追ってみる』
そう話がまとまったところで、通話は終了となる。
昼休みの時間も終わりに近づき、僕はパンの袋を片付け始めた。
すると、燈がいたずらっぽい視線をこちらに向ける。
「赤城さんと、2人っきりで調査ね。
なんだかデートみたいで、うらやましい」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
僕の返答に、「ふふっ」と笑う彼女。
「冗談。調査、気をつけてね?」
と、柔らかく微笑んだ。
胸の奥に何とも言えない、むず痒い気持ちが広がった。




