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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第17章 明年の期 ―メゼル―
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17-10.狸(オルゲィ)

 立ち上がったシャツェランが窓辺へと歩いていき、外を眺める。

 その動きを追い、オルゲィも外を見遣った。

 遥か彼方、透き通る空気の向こうに、はっきりと影を見せているのは、惑いの森だ。霧の気配はない。それもそのはず、ディケセル南部に位置するメゼル近郊で霧が出ることは滅多にないからだ。

 だが、神殿、そしてリバル界隈では多発するはずだ。

『――あいつは何も変わっていない』

 同じ森を見つめ、苛立たし気に呟いた主君の顔を、オルゲィは慎重にうかがう。

 彼はしばらくそうしていた後、おもむろに口を開いた。

『リバル村とコントゥシャ大神殿に使いを出すという件だが、エマと娘だけを行かせて、ミヤベは残せ』

『人質として、でしょうか?』

 彼に宮部を気にかけている様子があるのは、知っている。だが、それは江間の比ではないはずだ。

(なのに、残すのは江間ではなく宮部……?)

 オルゲィは目を眇める。

『文盲の身で見習い職にあることをボルバナに追及された時、あれほどあっさりと出ていくことを選んだ奴だからな』

『つまり、逃げるかもしれないとお考えに?』

『ああ。逃げる確率が高いのは、ミヤベの方だ』

『確かにエマがミヤベを置いて逃げることは、想像できませんが……』

 オルゲィは自身の目のみならず、妻のサハリーダや子供たちから聞かされている、彼の宮部への態度を思い返して頷いた。

 ただ、シャツェランと違い、逆もないと思っている。

 オルゲィは、感情を滅多に表に出さない宮部の顔に、自分が幼い頃、不器用ながらも確かに可愛がってくれた青年の顔を重ねる。出会って駆け寄るたびに、自分の両脇に手を差し込んで空へと抱え上げ、小さく笑っていたあの顔だ。非常に内心の読みにくい人ではあった。だが、思いやりに満ちた優しい人だった。

『……』

 複雑な顔をして黙ったシャツェランを前に、オルゲィは膝上に組んだ自分の手を見つめた。

『殿下は、エマを稀人だとお考えですか?』

『十中八九な。考え方が違い過ぎる。それに――エマだけじゃない』

 シャツェランは、一瞬どこか遠くを見るような目をした。シャツェランはシャツェランで、そう確信する何かを持っているのだろう、オルゲィと同様に。

 オルゲィは、彼の言葉を静かに受け止め、胸元にずっと忍ばせている父の形見の首飾りに思いを馳せた。


『ここでもわからないのは、あの娘、リカルィデだな。一体どこで拾ったのだか……いや、互いにあれほど親身になる間柄だ。あいつの本物の身内の可能性もあるか』

 直後にシャツェランは曲げた人差し指を口元にあて、『分かれた直後に生まれた……? 血の出方が違ったのであれば、見た目の違いも……』とぶつぶつ呟いた。

 主君の言う『あいつ』は、江間ではなく宮部の方なのだろう、と当たりを付けつつ、最後の言葉を聞こえないふりをする。

『少ないのではないかと。まず、彼女も稀人だとすれば、数が合いません』

 納得しかけていた様子のシャツェランは、オルゲィの言葉に眉を顰め、無念そうに頷いた。

『何よりリカルィデは、エマはもちろんミヤベと比べても、“常識”を弁えています』

『並外れたあの美貌はともかく、奴らのような異物感はあれには確かにない。やはり神殿の関係者という線が一番濃いか』

 稀人のようでありながら、この国にも精通している――本来疑う余地があってはならないはずの条件を一つひっくり返せば、思い当たる人物がいる。

 オルゲィはそれに敢えて触れず、話を元に戻した。


『エマとミヤベの素性が推測の通りであれば、彼らに無理強いをするのは、逆に危険ではないかと』

『……』

 シャツェランの青い目が続きを促す。

『彼らが稀人であるとすれば、我々や国、この地に忠誠心を持っていないでしょう。稀人であることを隠していながら、彼らが洗衛石や鉄の製法、作物などに関する知識を我々に提供しているのは、おそらくですが、ただの善意ではないかと』

『善意で疫病に身をさらす、か……。愚かではあるが、奴らなら違和感がないな』

 シャツェランはどこか遠くを見るような目をして、『その意味ではあまり頭は良くなさそうだ』と小さく苦笑を零した。

『権力を手にする気なら、そもそも稀人であることを隠さないだろうしな』

『ええ。彼らの能力なら、バルドゥーバの新宮宰と同様の地位を望めるにもかかわらず、です』

『エマの性格を見るに、そういった野心はなさそうだ。ミヤベは単なる面倒くさがり……』

 シャツェランが最後、苦笑を零したことに気付きつつ、オルゲィはそ知らぬ顔をする。

『なるほど、逃げられずとも、我々に協力する気がなくなれば、元も子もなくなるというわけか』

 ため息をつきながら、シャツェランは長椅子の背もたれに身を預けた。


『稀人であることを盾に脅すというのはどうだ?』

『あの二人、いえ三人が、そういった脅しにやすやすと屈するとは』

『それこそ互いを人質とするという手もある』

『ええ。ですが……殿下はそれをお望みになりますか?』

 オルゲィは若き主君の青い瞳を、正面から見つめた。

『……いや』

 しばらくの沈黙の後、シャツェランが否定の言葉を発し、オルゲィは静かに息を吐き出す。

 あの三人のためであるという以上に、シャツェラン個人にとって、それは賢明な選択だと思われた。


『大神殿に行くとの件に関してですが、私からもお耳に入れておきたいことがございます』

 まだしかと確認できていないのですが、とオルゲィは前置きしながら、シャツェランの横に並んだ。

 広い窓、眼下にはメゼル湖が広がっている。湖面を渡ってきた風にさざ波が立ち、午後の陽光に煌めいた。

『大神殿の行者が稀人らしき女を保護した、と』

『稀人?らしき? どういうことだ、新たな到来があったのか?』

 小声にシャツェランが顔色を変えた。

『月の石の触れがなかったこと、その者がニホン語を話すこと、身なりがバルドゥーバ式であったこと、そして、これは極秘ですが、保護した場所がバルドゥーバ国内、バル河と支流の合流地点だったことを合わせると、先の稀人のうちの一人で間違いないとのことです。ただ、問題は記憶がないとのことで』

『記憶がない? ……随分と都合のいい話だな。それこそ間者ではないのか?』

『大神殿も扱いあぐねているようで、セルへの報告も見合わせているようです。もっとも、今更神殿が稀人にかかる情報をセルに出すとは思えませんので、ただの言い訳かもしれませんが』

 オルゲィの台詞に、シャツェランは『大神殿の“行者”がバルドゥーバ国内にいたんだ、そうだろうな』と皮肉を口の端に浮かべた。

 ディケセル国王は、完全に神殿に見限られた――。


『バルドゥーバの稀人は、宮宰に取り立てられた「フクチ」、宰相の手駒となっている「テラシタ」、あとはイェリカ・ローダの馴化を行っている女、そして先に処刑された女……イェリカ・ローダの女なら、手に入れておいた方がいいか』

『その処刑ですが、ハプニングがあったらしいことはお聞きに? バルドゥーバは隠していますが、処刑に用いたドルラーザが囲いを壊して暴れたようで』

『その隙に逃げた、処刑対象の女の可能性もあると? 確かにバルドゥーバの都を流れる川は、バル河に繋がるな……』

『見聞処長であれば、さらに詳しくご存知かもしれません』

『今、アドガンは出払っているからな……』

 シャツェランは『さて、どうするか』と呟いて、窓枠に後ろ手をつき、肩越しに湖岸に目をやった。


『……』

『?』

 身を窓に向け直し、目を見開いて彼が見つめる先をオルゲィも目で追った。

(……エマとミヤベ?)

 湖畔の遊歩道に、黒髪の二人連れがいる。手を繋ぎ、自然さの中にぎこちなさを不自然に織り交ぜて歩いている。

『……エマとミヤベ、をその女に会わせるか。両方の正体が一気につかめる』

『……その場合は、ミヤベがいいかと』

 提案にシャツェランの目が向いた。

『エマでない理由はなんだ?』

『その女が稀人だと仮定しての話ですが、ミヤベとエマが共に稀人であるとすれば、彼らだけが惑いの森ではぐれた理由が気になります。ミヤベとエマであれば、ミヤベが残る稀人と友好的でなかったという可能性が高いかと』

『つまり……嫌われていた?』

 呆気にとられた顔をしたシャツェランは、顔を引きつらせると、『それは……まあ、ありそうか、あの性格だとな……』とぶつぶつ呟いた。

『嫌っていた、かもしれませんが、いずれにせよそれがただの思い過ごしであれば、それで。思い過ごしでない場合、神殿の女がバルドゥーバに通じていたとしても、ミヤベならば、引き合わせても問題はないでしょう』

『仲が悪い方を会わせるのか?』

『自分の手札を隠して相手の手札を探り、逆手を取ることに関しては、エマよりミヤベが上です。彼女のディケセル語能力も、武器になるでしょう』

『自分の正体は誤魔化しながら、相手は丸裸にするというわけか……つくづく性格が悪いな』

 シャツェランはなぜか痛そうな顔で呟いた。

『“腹黒い”程度にしておいてやってください。本当の意味で性格が悪いのであれば、防病師たちも第四師団長も態度を軟化させないでしょうし、首鉄師も受け入れません。何より、エマはミヤベにあれほどのめり込まない』

『……随分はっきりと言い切るな?』

『二人が信頼し合っているのは、殿下もご覧のとおりです』

 広い室内に沈黙が降る。

『ちょっかいをかけるなとでも言いたいのか』

『双翼鳥を切り離す者は、流れた血で魂を焼かれるという故事もありますが、夫妃を持つのは、臣下としてお勧めできません』

 国が乱れます、とオルゲィは真剣にシャツェランを見つめた。

『……安心しろ、夫妃を娶る趣味はない』

 シャツェランはオルゲィから視線を逸らし、再び窓へと向き直る。

 そして、眼下の二人連れの距離が、先ほどより縮まっていることに気づいてか、目を鋭く眇めた。


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