17-9.水面下(オルゲィ)
『呼び出してすまないな』
『いえ』
年が明けて二日目、内務処長オルゲィ・リィアーレは、メゼルディセル領主にして、ディケセル国王弟である、シャツェラン・ディケセルの元を訪れた。
『ヘミジェルフ殿下のお話は、やはりご縁談でしたか』
『……まあな。叔母上もやることがないんだろうな。次から次へとよくもまあ見つけてくるものだ。明年の会を開かないことも、随分嫌味を言われた。出会いを探す気すらないのかと』
年末からメゼルの南にある神殿に参拝に来ていた叔母を無事見送った主君の顔に、明らかな倦怠が漂っているのを見て、オルゲィは苦笑を零した。
『まあ、バルドゥーバの女王を勧めてくるセルの方々よりは、ましでしょう』
『最悪と最低の違いは、どこかという話でしかない』
『ウフェル陛下を籠絡できれば、労せずしてすべて手に入れることが、できるかもしれませんが?』
『籠絡されて言いなりになる女ではなかろう…と前なら言っていたが、アドガンの話によると、そうでもないらしいな』
『例の稀人ですか』
『ああ、宮宰の位を与えられたようだ。あの蛇宰相とどう渡り合うか、見ものだな。種付けが成功すれば、なお面白いのに』
くつくつと人の悪い笑いを漏らしたシャツェランに、オルゲィは呆れのため息を吐き出した。よほどストレスが溜まっているらしい。
年老いた侍女が、サッ茶を運んで来た。
手が細かく震えていて、茶皿から注ぐ液体が揺れる。カップからこぼれるのではないかと、オルゲィは思わず彼女の手元を注視してしまった。
無事注ぎ切られて、オルゲィは息を吐き出すと、差し出された茶を受け取った。
明年の期の今、城に残っているのは、帰る場所のない者、帰っても待つ者がいない者のはずだ。
『終わったら下がって休んでいい』
シャツェランは、動作も明らかに遅い彼女を特に気にするわけでもなく、そう声をかけた。
メゼルディセル領主の執務室の奥、壁一面に広がる玻璃の窓の向こうに見える日はまだ若く、高く澄んだ青空が美しい。
その下には、空の青さを映したメゼル湖が広がり、吹いてきた冬風に湖面をきらめかせている。
『エマとミヤベはどうしている?』
茶を口に含み、実蜜漬けのヨチュに手を伸ばしながら、シャツェランがオルゲィに問うた。
『参拝や買い物などに出かける以外は、ずっと家にいるようです』
『何者かと接触している形跡はあるか?』
『雑貨店、薫風堂の主人に、顔見知りの防病師の他、街の娘たちなどに声をかけられております。明年の市で接触した夜店や屋台などの主についても、素性を洗っていますが、今のところは何も。ただ……』
オルゲィは眉を顰めながら、首を傾げた。
『彼らというべきか、彼らと関わりの深い薫風堂というべきか、その辺を探る者がおります。内務処の手の者だけではなく、軍の方にも確認しましたが、明らかに素人臭いとのことで、商売関係ではないかとは思うのですが』
『薫風堂の評判はそんなに高いのか』
『女主人が中々の商売上手でして、同業者と大きく揉めることもなく、メゼルの地に根を張りつつあります。トッカの油と遥白草の香油を混ぜた洗衛石や、聖クルーシデ産の糸で作った好水布、新しい髪留めなどで、貴族や富裕層の女性たちの話題をさらっております。ご結婚なされば、そのような話題もおのずと入って来るかと』
『なるほど、それだけ注目を集めたなら、開発者にも目が行くだろうが、あまり探られたくはないな』
シャツェランは都合の悪い部分を聞かなかったことにしたらしい。顔を顰めた後、目を鋭く眇めた。
『バルドゥーバにかぎつけられると面倒だ』
『では、攪乱いたしましょう』
なぜバルドゥーバなのかと、オルゲィは敢えて問わない。
シャツェランは頷くと、側仕えの者に『後でアドガン……はいないか、副長を呼べ』と言いつけた。
そのやりとりの間に、オルゲィは茶を喉で潤す。
『それで、リカルィデとかいうあの妙な娘は?』
『日中は薫風堂で、それ以外は基本彼らと共に。ただ今日は、チシュアがうちに招いております』
『チシュアと? ……仲がいいのか? あの娘はかなり内向的に見えたが』
自分の娘の気の強さを言われているのだ、と悟って、オルゲィは苦笑を零した。
『控えめな性格ではあるようですが、娘曰く、賢く芯が強い、と。話題も豊富で、話をしていて楽しいのだそうです。実際書物棟の蔵書師からも公用文はおろか、古語も問題なく読めるようだ、と報告がありました』
『だろうな。見かけるたびに観察しているが、あれの言動は知性と教養ある者のものだ。それに……毎回緊張を見せる。他の二人と違ってな』
シャツェランはそう言って目を眇めた。
『……やはり神殿が怪しいな。そうであれば、イゥローニャについての入れ知恵をしたのが、あれであってもおかしくない』
『神殿に確認の連絡を入れておりますが、のらりくらりとかわされております』
『意図的にやっている可能性もあるな』
『はい。今晩は泊まりですので、神殿の意図を含めて私からも探ってみます』
『……泊まり? 一人で?』
机の前の応接用のソファに座り、涼やかな顔と仕草で茶を飲んでいたシャツェランに、呆然と見つめられて、オルゲィは眉を跳ね上げた。
『何か問題が?』
『……いや』
そう言いながら、顔を顰めたシャツェランは、不機嫌を露に実蜜漬けを、再度口に放り込む。
その拍子に巻頭衣の袖から、包帯の巻かれた手首が露になった。
『そういえば、怪我の具合はいかがですか?』
先日、グルドザたちの集まる鍛錬場で、シャツェランと江間が手合わせをしたという。随分と白熱したらしく、オルゲィはエナシャやコルトナを始め、様々な人間から、いかに素晴らしい内容だったかを、興奮気味に聞かされた。
だた、ショックを受けたリカルィデが、気を失って内務処の休憩室に運び込まれていることを知り、その事情を聴くうちに、二人が軽症ながら怪我を負ったと知らされた。
『私は体を動かすことがからっきしなので、理解しにくいのですが、対戦するうちに、熱中しすぎることは、よくあることなのですか?』
目の前の主君は、城内の噂になりつつあるレベルで江間を気に入っているはずだ。暇さえあれば、いや、なくても彼を執務室に呼びつけ、世間話から政治に関わる話題まで、様々な話に突き合わせ、意見を求めている。笑いながら、気軽に軽口を叩き合っていることも、珍しくなくなった。
その二人がなぜ? というのが、オルゲィの疑問だ。
シャツェランは、元々はかなり血の気が多いはずだ。だが、それをコントロールする術にも長けている。王都の国王はもちろん、王妃を始めとするバルドゥーバ派とも、双月教とも、内心を読ませず応対できるし、三年前、ディケセル国王と現王妃の婚姻に伴って、バルドゥーバ女王に見えた際も、無礼極まりない女王との婚姻話を、にこやかにかわし切った。
対する江間は、感情的になることがほとんどない男だ。いや、明るく笑うし、喜びの表現もストレートではあるが、怒っているのを見たことがないのだ。むしろ、笑うことすらほとんどない宮部の方が、激昂するときは激昂する。
江間はとにかく目立つ。容貌もだが、その人懐っこさ、行動、素性の珍しさ、優秀さ、偏屈者の多い鉄師との縁、そこに領主シャツェランに気に入られたことが拍車をかけた。妬んでの誹謗中傷はおろか、物理的な手段に出られることもあるようだが、苦笑するくらいで、いつも適当にいなしている。
そんな二人がなぜ我を忘れて、互いに怪我を負うような羽目に陥ったのか?
『……対戦のせいで熱くなったわけじゃない』
ぐっと声を漏らした後、嫌そうな顔でそう返し、シャツェランは『まあ、事故のようなものだ。その証拠に、その後は普通にしているだろう、私もエマも』とぶっきらぼうに言うと、口を噤んだ。
(事故? かの戦神の化身の弟子が…?)
オルゲィは目を丸くしたが、主君が殊更に自分から顔を背けたので、追及をあきらめた。こうなると、何を言おうが、この人は口を割らない。
(頑固と思いきや柔軟、柔軟かと思いきや頑固、仕方のないお人だ)
オルゲィは自分の息子たちと変わらない年頃の青年を見つめ、小さく苦笑を零した。




