14-8.逃げ損ねる
『――説明してもらおうか』
メゼル城主シャツェランの執務室。直々にそこに召喚された郁は、幼馴染であり、はとこでもある彼の疑いをいかにかわすかと考えていたのだが、状況は同じ場所に押しかけて来た財務司長のおかげで随分ましなものになっている。気がする。
広々とした部屋の窓際には微妙に弧を描く、横幅三メートルほどの執務机があって、その前に十人以上が座れるだろうという年輪作りのテーブルと長椅子がセットで設置されている。
テーブルの真ん中に埋め込まれた火鉢には赤々と炭が燃えていて、その脇に無造作に転がされているのが、郁が以前地下倉庫で見つけた千歯扱き――これが呼び出しの理由だった。正直、わざわざ呼び出すようなことじゃないだろう、と思う。
『燃えます』
江間に何かあったのかと私もリカルィデも生きた心地がしなかったのに、と内心で愚痴りながら、郁は千歯扱きを火から遠ざけた。
『そんなことは聞いてないっ。この怪しげな物体を持ち出し、何を企んでいるのかと尋ねているんだっ』
真正面に座り、顔とその上の見通しのいい頭までを真っ赤にして怒鳴っているのは、内務処の下部組織である財務司の長、確かボルバナという男だ。その横には見たことのない男が座り、爬虫類を思わせる目で郁を見ている。
『怪しい、企む……これで何を企てろと?』
今やただの壊れた木片となった千歯扱きを指先でつつき、逆に問い返せば、右横の江間からため息が聞こえた。
『っ、馬鹿にしているのか! メゼルディセルの貴重な資料を集めた倉庫でこそこそしているのだ、怪しまれるのは当然だろう!』
怒鳴るボルバナに憎々し気に睨まれて、『倉庫整理を命じたのは、あなたでしょうに』と郁は肩をすくめた。
そもそもあのガラクタ群を資料と言われてもピンとこないし、貴重だと言うなら目録ぐらい最初から完備しておけと思う。
それが伝わったのか、ボルバナは頭のてっぺんに至るまで、ゆでだこのようになった。なるほど、察しのいい人ではあるらしい。
彼らのさらに後方、書類が山と積み上げられた執務机の向こうでは、長い腕と足を組んだシャツェランが窓辺にもたれ、黙ってこちらの様子を見ている。
その目には、先ほど中庭では存在した、子供の頃毎晩見ていた親しみがない。ほっとするのと同時に、少し寂しく感じた自分に気づいて、郁は眉間に皺を寄せた。
『これで何をするのかとおたずねであれば、用途を調べるつもりです』
小さくかぶりを振って気を取り直すと、巻頭衣の上着のポケットから紙包みを取り出した。
『これを解体したところ、櫛の――』
『貴重な資料を勝手に解体しただと!?』
『今そう言いました。そして、この通り、元通りに組み立て直しています。話を続けても?』
淡々と告げれば、ボルバナの額に青筋が浮いた。
横で江間が『あまり煽るな』と小さく囁く。ディケセル語なのは、おそらくボルバナの背後にいるシャツェランを警戒してのことだろう。
『解体したところ、櫛の根元と胴体部分の間にこれが十数粒挟まっていました』
開いた紙包みを財務司長に見せれば、案の定すごい勢いでひったくろうとしてきたので、郁はひょいっと包みを上にあげてかわす。目論見を外した財務司長が勢い余って、テーブルにつんのめった。いよいよ恐ろしい顔つきになる。
『……種か。なぜ黙っていた?』
『内務処、いや財務司というべきですかね? で、目下製作中の目録には記載済みです』
代わって静かに問うてきた財務司長の横の男の顔には、何の感情もないように見える。が、雰囲気は威圧的。態度を見ても体型を見ても、彼は財務司の人間では明らかにない。郁はそうと悟られないよう、彼に警戒を向ける。
『勝手に持ち出したのは?』
『倉庫の管理担当に現物を見せ、口頭ですが許可を取りました。目的は栽培です』
『それが何か知った上でやっているのか?』
知っている、米の種籾だ、とはもちろん言わない。
『さあ? でも仰る通り何かの種、しかも栽培用の作物かな、と』
木で鼻をくくったような郁の答えに、目論見通り爬虫類似の男の表情が少し動いた。『なぜ?』と薄い唇が動く。
『同種の粒が複数これに引っかかっていたので。おそらくこの粒をこの櫛でしごき取ったのではないかと』
『それが何かなどどうでもいい。言われたことだけをやればいいのだ、どうせなんにでも首を突っ込んでくるオルゲィの指図だろう……!』
『……』
会話に割り込んできた財務司長に、「一応上司だろうに呼び捨て……なるほど、言いたいのはそれか」と郁は半眼を向ける。
思い返せば、彼に地下倉庫の整理を言いつけられたのはオルゲィのいない時、しかも彼が嫌う、“女の分際で”内務処官見習いをやっているタグィロと一緒に、とのことだった。行ってみれば、ただのガラクタ置き場だったし、最初から嫌がらせのつもりだったのだろう。
適当に返しておこうと口を開いた瞬間、『お前もリィアーレなのだろう』と吐き捨てるように言われて、郁は目を眇めた。
『忠義面をしておきながら仇をなすのが得意だからな、リィア――』
『――その続きを口にする気なら、相応の覚悟を持っていただこう』
郁は憎しみを露にボルバナを遮る。
王弟に重用されているリィアーレ一族を妬む声を、ここに来てから何度となく耳にした。それはほぼ例外なく郁の祖父コトゥド・リィアーレへの侮蔑と、それに起因する彼の一族への嘲弄がセットだった。
「……」
その原因となったトゥアンナたち、ディケセル王家への憎悪が膨れ上がり、郁はついシャツェランへと目を向けてしまう。
『き、さま……っ、だ、誰に向かって口をきいて』
『――ボルバナ、他者を批判するなら、推測以外の根拠を出せ』
ずっと黙っていたシャツェランが口を開いた。
『で、ですが、殿下、まともに文字も読めぬくせにぬけぬけと城に出入りし、挙げ句あちこちで勝手な真似をしているこやつらの態度はいい加減目に余ります。オルゲィ内務処長が咎めぬのは、贔屓以外の何物でもない』
顔を真っ赤にして郁を指さし、非難するボルバナと、その向こう、怜悧な表情を保ったままのシャツェラン。
「……」
癇に障る光景に、郁は目を殊更に眇めた――瞬間、まるで天啓を受けたかのように閃いた。
『では、去ります』
『あ、じゃあ、俺も』
思いつきのまま発した言葉に、江間が即応する。横を見れば、「それでいいんじゃん!」と顔に書いてある江間と目が合った。
もう少し殊勝な顔をしろ、と思うものの、正直に認めるなら、郁も江間とハイタッチでもしたい気分だ。
笑い出しそうになるのを抑え、郁は『文盲は不適格とのこと。抗弁しようがございません』と神妙な顔で頷いてみせた。
さっと周囲に視線を走らせれば、室内の全員の視線が自分たちに集まっていた。どの顔にも驚きが載っていて、財務司長に至っては口をぽかんと開けている。シャツェランも目をみはっていて、先ほどまでの冷たい雰囲気が嘘のように子供じみた顔になっていた。少しだけ懐かしさを覚える。
『というわけで、お返しいたします』
(ちょっともったいないけど)
郁は種籾の紙包みを財務司長の前に置くと、江間と二人、まったく同じタイミングで立ち上がり、長椅子の両脇にそれぞれ片膝をついた。
『失礼いたします』
『王弟殿下とメゼルディセルに、ええと……幸多からんこと、で合ってるか? 幸多からんことをお祈り申し上げます』
そもそも郁たちがここに来たのは来いと言われたから、そして帰るための情報を探すためだ。当初期待していた王弟からの情報はとれていないが、オルゲィの妻のサハリーダから郁の祖父コトゥドの姉が生きて神殿にいることは聞いた。
何も素性がばれることを恐れながら、こんなところにこだわる必要はない。自分の大叔母の罪をかぶせて、郁の祖父をあれだけ罵っていたくせに、ぬけぬけと彼の一族を利用している、窓際のあの忌々しい男と顔を合わせる必要も金輪際なくなる。
(ああ、せいせいする――)
郁は殊勝な顔を作るのにひどく苦労しながら、別れの礼を終えて立ち上がり、踵を返した。
『――待て、許可しない』
「……ちっ」
扉まであと一歩というところで背後から響いた声に、郁と江間は同時に小さな舌打ちを零した。祖母の桜子が見れば、「少しお行儀、というより柄ね、柄が悪い気がするわ」ときっと眉を顰めるだろう。
『殿下』
一足遅れて我に返ったらしい、財務司長がシャツェランに抗議の視線を向ける。
それに乗じようとしてか、江間も『読み書きできない私たちの存在がおかしいというご、指摘?は、正しい、まっとう? です。オルゲィ内務処長にもボルバナ財務司長にもご負担をかけたくありません』と殊勝に言ってみせた。実に胡散臭いが、郁は心の中で「頑張れ、江間」と全力で応援する。
だが、シャツセランは意にも介さず、笑みを浮かべた。
『役に立つのであれば、読み書きは無論、素性すらどうでもいい――なあ、ミヤベ?』
そして、郁を見据えてそう言い放った。
「……」
逃げ損ねた、と郁は内心で歯噛みする。
だが、最善ではないが、次善ではあるわけだ――無念さで顔が歪みそうになるのを抑えながら横目で江間を見れば、彼も微妙な顔で小さくうなずいた。
『しかし、殿下』
『では、役に立つと示してもらおうではないか』
口を開いた財務司長を遮る形で、爬虫類似の男がテーブル上の紙包みを郁へと押し出した。
『ミヤベ、予定通りこれの栽培を』
テーブルに歩み寄って包みを受け取りながら、次善の中の最善を狙って郁は計算を巡らせる。
『三つ、お願いがございます』
『金なら出さん』
唸る財務司長を無視し、郁は爬虫類を思わせる男の緑の瞳を見据えた。
『一つ目に、食料司に協力を仰ぐことをお許しいただきますよう。次に、リバル村に行かせてください。内務処官見習いのタグィロがそこでこれと同じ道具を見たことがある、と。できるだけ多くの情報と、可能であればもう少し種子の数が欲しい』
――そのついでを装って、なんとか大神殿にいる祖父の姉、シハラ・リィアーレに会えないか。タグィロは、リバル村と神殿は、ホダでなんとか日帰りできる距離だと言っていた。
誰も知るはずがない企みなのに、やはり緊張を覚える。だが、爬虫類似の男や財務司長が何かを言う前に、シャツェランがあっさり頷いたことで、郁は笑い出しそうになった。
『三つ目に、城の書物棟にこの道具と作物についての記録がないか、調べさせてください』
知りたいのはもちろん米と千歯扱きのことじゃない。それらを持ち込んだ稀人、そして世界の渡り方についての情報だ。
『そんなものを見ても、文盲の身ではわかるまい』
馬鹿にしたような財務処長の声に、問題は確かにそこだ、と宮部は眉根を寄せた。
『はい。ですので、辞書もお願いします』
江間の明るい肯定の声に、郁のみならずボルバナも面食らったような顔をした。
(ああ、江間はどこまでも江間だ)
と、つい笑いを漏らした瞬間――
『妹を連れてきてはどうだ』
爬虫類似の男が発した言葉に、郁も江間も目をみはった。
『妹、ですか?』
顔が引きつりそうになるのを全力で押しとどめて、怪訝な顔をしてみせる。
『ああ、妹――正確には親戚だと言っていたか、その彼女だ。随分とディケセル語に堪能だそうだな、お前たちと違って。城からの公的な通知文も難なく読める、と』
『ありがとうございます、自慢の妹です』
キャンプの「ガッコウ」での話だ、完全に把握されている、調べられている――固まった郁と対照的に、江間は嬉しそうに笑ってみせた。
『とても勉強熱心なので、書物棟に入る許可がいただけるなら本当に喜びます』
江間と視線が交わって、郁は口内にたまった唾液を飲み込む。
記録を見るのがリカルィデであればありがたいし、あまり強く反対すれば、なぜかと怪しまれる。だから江間の応答はこれでいい。
かといって、今現在彼女を城に連れてこない理由が、「人見知り」なのだから、ここで二人とも賛成すれば、怪しまれる。
『反対だ。あの人見知りっぷりを考えろ、城なんかに連れてこられるか』
素早く計算して反対してみせるが、本音でもそのとおり反対だった。
出会った頃とまるっきり別人のようになったとはいえ、シャツェランを含め“アーシャル王子”を見たことのある者もこの城にはいるだろう。そんな場所にリカルィデを来させたくない。あの子が一番危うい立場にいる――。
爬虫類似の男は、探るような暗い視線で郁と江間を見ている。
疑われているのだろう、リカルィデも。だが、その疑いはなんだ? 稀人として? それとも稀人に付き従っている者の素性として? まさかアーシャル、として……?
『配慮してやれ』
『畏まりました』
王弟の声であっさりとリカルィデの登城が決まり、横の江間が感謝の言葉を口にする。内心でシャツェランを罵りながらも、それに合わせて郁も胸の前で両の拳をつき合わせた。
伏せた視線をあげれば、シャツェランは気やすい様子で、江間に話しかけてくる。
『お前たちは変わっているな』
『俺たちからすると、ディケセル人の方が変わって見えますからね』
『……そういうものか。しかし、お前は本当に遠慮がないな』
『そ、そうだ、殿下に対して無礼にもほどがあるぞ、お前と言い、ミヤベと言い』
『あー、すみません、そこも変わっているところってことで』
『開き直るな!』
江間とボルバナの言い合いを前に、目を丸くした後ククっと喉の奥を鳴らして笑ったシャツェランを見て、郁はもう何度目かしれないため息を吐いた。
ふとシャツェランの視線が郁に向いた。が、表情が読めない。直情的な性格をしていたのもあって昔は手に取るようにわかったのに、と思いながら目礼すれば、得体のしれないものを見る目が返ってきた。
(なるほど、向こうも警戒を覚えているわけだ)
彼の背後、広い窓越しに見える湖からは、昼の月が一つ顔を出しつつあった。




