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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第14章 再会 ―メゼル―
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14-7.再会

 内務処から、郁の元に『至急登城せよ』という使者が来たのは、昼前のことだった。

『ミヤベ……』

 回復して台所で白湯を呑んでいたリカルィデの顔色は、一気に戻ってしまった。多分郁の顔も同じだったのだろう。

 江間に何か起きたのだろうかと用件を尋ねても、使者は何も知らないという。

 自分も行くと半ばパニックを起こしていたリカルィデを何とか宥めて、郁は慌てて城に向かった。歩いて十五分ほどの距離がひどく長い。ちょうど昼時で、正門もそこを抜けた先の広場も庶務棟も人でごった返していて、それも焦りに拍車をかけた。

 人の流れに逆らい、時々人にぶつかって罵声を浴びせられながら、内務処棟を目指す。

 焦りすぎてはいけない、不審に思われる――そう知っているのに、徐々に足が早まり、もう秋も深いというのに汗が滲んできた。

「っ、江間っ」

 庶務棟と内務処棟、本塔に囲まれた中庭で、見慣れた姿を視界に入れた瞬間、郁は彼の名を叫んでいた。

 拘束されたわけでも、ひどいけがをしているわけでも、死んだわけでもない――安堵で膝が笑い出しそうになる。

 だが、遠目にわかるほどの驚きを見せた後、急いで走り寄ってくる彼の顔が強張っていることに気づいて、また緊張が戻ってきた。

「宮部、なんで来た?」

「内務処から呼び出しがあった。江間は? 何もない?」

 最近では珍しくなった厳しい顔と声――縋るように江間の両腕を捉えて、顔を覗き込んだ。

「……」

 普段ならあり得ないことに彼が言葉をつかえさせる。その瞬間、郁は顔色を失った。

「あー、待て、そうじゃない、何もないぞ、その、俺は」

「本当に? 隠してない?」

「ああ、大丈夫」

「そう、なのか……」

 ほっと息を吐き出せば、全身から力が抜けた。ずり落ちた郁の手を自由になった江間の腕がすくい上げる。

「……江間?」

 彼には珍しい表情でまじまじと見つめられて、思考が止まった。

 背後から冷たい風が吹いてきて、彼の黒が過半を占めるようになった髪をさらさらと揺らす。

 考えるべきことがいくらでもあるはずなのに、あっちの世界では、しょっちゅう髪の色が変わっていたけど、この色の方が江間っぽいな、とぼんやり思う。

 男性らしさを感じさせる口元が小さく動き、「宮部」と音を出した。

「なんでよりによって今来たんだ、とか、リカルィデは、とか、内務処の用件は、とか、色々、本当に色々、気になることはあるんだが……すまん、お前の顔が見られて、すごく嬉しい」

「……」

 あり得ないことを聞いた気がして、その顔を見つめてしまった。いつものような皮肉やからかいはなく、真剣だ。

 大丈夫というのは多分本当なのだろう。けど、何かが――。


『っ、アヤっっ』


 唐突に響いた声に、時間が、空間が歪んだ。全身の毛が逆立つ。

≪アヤ、聞けっ。今日ゼイギャクが私にはグルドザの才能があると。あのゼイギャクが、だ!≫

≪アヤ、その髪は一体どうした? 元気もないようだが……≫

≪アヤは無礼すぎるんだ。こっちの世界にいたら、すぐにでも牢獄行きだぞ?≫

≪ああ、またな、アヤ≫

 ――あれから十年、もう顔もよく思い出せない。なのに、彼だ、とわかった。

「……」

 目を見開いたまま、郁は硬直する。

 どうやって空気を吸うのだったか思い出せない。動かなくては、と思うのに手の、足の動かし方が思いつかない。どうするべきか考えようとするのに何も頭に浮かばない。

 額に汗が滲んでくる。このままじゃまずいと分かるのに、大切なもの、どうしても守りたいものを失くしてしまうことになるのに――

「宮部」

「っ」

 緊張を含んだ江間の低い声にようやく目が動いた。

「……」

 まっすぐに自分を見つめる黒い瞳を認識した瞬間、呼吸が戻った。気管は震えてしまったが、体の力も抜けていく。

(大丈夫、動ける、大丈夫、やれる、やる――)

 口内にたまったつばを飲み込むと、江間の腕にかけたままだった手にぎゅっと力を込め、もう一度深呼吸する。そして、郁は不思議そうな顔を作り上げ、声の方向へと向き直った。

『アヤ、アヤだろう?』

 本塔の入り口からこちらに駆けてくる姿が古い記憶に重なった。

 光を放つように見える金の髪も、高く晴れ渡った夏空を思わせる青い目も、何一つ変わっていない。ただ、大人になっていた。郁と同じぐらいだった背は伸び、肩幅も広くなっている。

 そして、郁を覚えていてくれた……――あんなことをしておきながら。

「……」

 込み上げてきた懐かしさと、それを上回る激情を抑えつけ、郁は無言のまま片膝を落とすと握った左手を右肩にあて、首を垂れた。

『……アヤ?』

 伏せた視線に、二メートルほど先で歩みを止めたシャツェランのブーツが目に入る。そこに金の鋲が打たれているのも自分を呼ばう声音も、十年前とまったく同じだった。

『お初にお目にかかります、王弟殿下。ミヤベと申します』

 早鐘を打ち続ける心臓をひた隠しに隠し、戸惑ったような、申し訳なさそうな表情を作り上げて、少しだけ顔をあげた。

 昔毎晩のように見ていた青い瞳と目を合わせ、彼の内心を読みとろうと全力を尽くす。

(……大丈夫、確信しているわけではない)

 彼の表情に戸惑いと疑念が射したのを見てそう確信すると、郁は郁で疑念を顔に張り付けた。

 ならば、絶対に騙し通してやる――江間とリカルィデには、刺し違えてでも手出しさせない。

『その、先ほどのアヤ? というお言葉ですが、申し訳ありません、私は周囲を明るく照らすものという意味のアヤしか存じ上げず……ご無礼にあたりましたら、お詫び申し上げます』

『……』

 シャツェランの眉が寄るのに合わせて、小さく首を傾げてみせた。だが、そのまま彼は郁を凝視し続けている。顔が歪みそうになるのはなんとか抑えたが、指先が震えることまでは止められない。

 心臓の音がどうしようもなくうるさい。脳裏に江間とリカルィデの顔が浮かんできて、握った左拳に力がこもった。

『えーと、私も状況が良く分かっているとは言い難いのですが、王弟殿下、この者が話しておりましたミヤベです』

 江間の緩い声に、シャツェランが『ミヤベ……』と呟いた。

『はい』

 郁はすべての表情を消して、シャツェランを見つめ返す。それから、固まったままの彼に戸惑っているかのようなふりをしつつ、江間に視線を向けた。

『ところでその挨拶――そうやって膝をつくの、なんだ?』

 応じて江間も片眉をひそめ、首を傾げる。とぼけた、人を食ったような態度で話を逸らすのは彼の得意技だが、目の端がいつものように笑っていない。

『何って……最上位の方に対する挨拶。ひょっとして、知らなかったとか?』

 江間の意図を読んで、郁も顔を引きつらせながら答えれば、彼は『知らなかった……そういうことは殿下の所に行く前に教えておいてくれ』と肩を落としてみせた。郁に並んで片膝をつく。

『これまでのご無礼、許し……じゃないな、お許し?ください、殿下』

 にこっとシャツェランに笑いかけて、江間も跪礼を取った。

 微妙に呆けた感じでその様子を見ていたシャツェランの視線が、再び郁に落ちる。黙ったままの彼に再度見つめられてまた緊張を覚えたが、今度は余裕があった。

(大丈夫、揺らいでいる、とりあえずは騙せる――)

『……』

 郁の見込み通り、王弟は何事かをぼそっとつぶやくと、ガラッと表情を変えた。

『いや、私の勘違いだったようだ。そして、エマ、お前のは今更だ』

 そう言って肩をすくめた顔から、十年前の幼い顔の面影が消え失せる。

『ちょうどいい、ミヤベ、お前にも話がある』

 そうして自らの執務室への召喚を郁に命じる声と姿は、威厳ある若きメゼルディセル領主のものだった。


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