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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第14章 再会 ―メゼル―
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14-6.異物(江間)

『バルドゥーバの鉄をどう思う?』

『首鉄師の爺さん以上のことが、俺に言えるわけないでしょう』

 王弟シャツェランの問いに、江間は顔の片方を顰めた。

 それは紛れもない事実だった。現代科学は、あちらの世界の現代にいるからこそ有用なのだ。この世界では無用の長物……とまでは言わないが、何かを実現するまでにそれなりのステップが必要で、そのステップそれぞれにまた解決すべき問題があって、それにまた時間がかかり、という具合で、実質的に役に立たない。宮部とそう何回ぼやきあったかわからない。

 そもそもその現代科学ですら、自分が専門に学んだこと以外は「教科書で原理を見た」もしくは「どっかで聞いた読んだ」レベルのことしか知らないし、そのなけなしの知識を活かそうにも、材料となるものを自然の中からどう調達すればいいか、さらにあやふやな知識しかない。

 たとえば、せっけんだ。“家庭でできる科学”とかでよくある有名な話だから知識だけはあったが、こっちでは一から材料探しだ。比較的材料が少なくて工程も単純、加えてわかりやすい石灰岩がたまたまあったから何とかなっただけで、そうでなければあのスピードで材料をそろえ、疫病対策に用いるなんて不可能だったはずだ。

 鉄にしたって、一気に固体の鉄、鋼を取り出す方法と、まず液体状の銑鉄を得て、その後銑鉄から炭素を抜く、二段階にわたる方法があるという程度の知識と、材料の鉄鉱石の質によって添加物や工程を変えるなどの工夫がいるという知識ぐらい。

 鉄鉱石の質やできた鉄の質を調べる方法、その結果に応じた改良方法を知らない以上、色々試してみるしかないはずで、それは鉄師たちの方がうまくやれるだろう。

 彼らの協力が得られたのも、江間に日本刀の知識があったからで完全に運、もしくは祖父さんの加護だ。こっちのは、宮部んとこの祖父さんと違って死んでないが。

 じゃあ、できた鉄で何か新しいものを作るアイディアを、と思って、例えばステンレスを作ろうとしても、鉄に加えるクロムやニッケルをどう探せばいいか見当がつかないし、仮に鉱石が見つかったとしても、どう取り出してどう添加すればいいのか……。

 今一番欲しいのは強い磁石だ。鉄に他の金属を添加するはずなのだが、確か希少金属だったはず……自分達の知識とここの技術では不可能な気がしてならない。

(何をどう考えても、現代科学より中世の錬金術的な知識の方がまだ役に立つような……)

と江間はため息をついた。

『この短剣はお前からアイディアを得たと聞いたが?』

『私の知っているやり方と微妙に似ていたので。前段とその先は違っていたので色々話して、それを元にあれこれ試して、あの剣にしたのは鉄師たちです』

 ハリウッド映画とかで王子様役があれば確実に抜擢されそうな美貌の主に、明らかに失望した、という顔をされたが、仕方がない、これも事実だ。

『……炉の方は?』

『今のやり方だといちいち炉を壊さなきゃいけないのと、熱の……ええと、伝わり?で通じますか? 伝わりの問題があって、たくさんは作れないと聞いたので、風送……逆か、送風の量を増やしつつ、大型炉を作ってはどうかと。送風に水車を使えばいいというアイディアは川がすぐそこにあったので』

『今どうなっている?』

『ええと、水みたいな、形が決まってなくて、どろどろした状態の鉄が取れるようになりました。問題はこの鉄が武器にするには弱い……じゃなくて、もろいだっけ? もろいので、ベゴフォの爺さんがどうにかすると熱くなってます』

 以前より鉄に炭素が入ってしまっている。それを抜くのに反射炉や転炉などを作って液体状の鉄、銑鉄を再加熱し、攪拌するなどしてはどうかと提案し、話し合っているのだが、そこについては素知らぬ顔をし、江間は目の前に置かれたサッ茶に手を付け……後悔した。やっぱりまずい。


 江間は今、内務処長オルゲィに伴われ、城の中央に位置する本塔の四階、ディケセル王弟シャツェランの執務室にいる。

 権力者というのは、高いところに部屋を構えたがるものだというイメージがあったから、少し意外だった。

 ここに入ってあいさつした後、『てっきり一番上だと思っていました。上の方が眺め、良くないですか?』と聞いてみた。

『いちいち上がったり下がったりするのも、させるのも無駄だ。もっと低くてもいいんだが、威厳がどうのとか、私の上の空間など使いにくいとか言う者がいてな』と小気味のいい答えが返ってきた。

 ただ苦笑しただけだったオルゲィはともかく、側に控えていた王弟の補佐官と思しき人間が、江間の質問にぎょっとした顔をしたのを見ると、そういう質問をするのは多分普通ではないのだろう。なのに、シャツェランには咎める様子がなかった。


 江間が座る長椅子の目の前には、巨大な木を輪切りにしたテーブルがある。中央には直径一メートルほどの巨大な火鉢、ゴーゴが埋め込まれている。ただ、よく見かけるゴーゴとは違って中には灰ではなく、透明なガラス質の砂が入っていた。そこの中央に炭がくべられていて、暖を取れるようになっている。

 江間はその火鉢を挟んで向かいに座り、何かを考えこんでいる王弟の顔をしげしげと眺めた。

≪あんな傲慢な人間にあなたを会わせたくない。素性がばれたら最悪殺されるし、殺されなくてもどんな風に利用されるかわかったものじゃない≫

 今朝、やっぱり江間と一緒に行くと言い出したリカルィデに向けた宮部の言葉に、江間は内心で首をひねる。

 今までのやり取りを考えると、王弟の性格は宮部の印象ほどひどくはないのかもしれない。だが、「その面白そうなやつは、一存で私たちを殺せる」という点では宮部が正しい。

「……」

 江間は王弟への安易な好感を封じ、そのまま沈黙を保った。


『エマ、お前は稀人を知っているか』

『ここに来て耳にしました』

 前触れなく核心に踏み込まれたが、江間は素で返した。何も嘘は吐いていない。この世界に来て自分がそこに分類されることになったという事実も含めて、宮部から聞いた。

『異なる世界から来て病をもたらす、と』

 これも嘘じゃない。キャンプでそう噂されていた。

 これまで静かに話を聞いていたオルゲィが、『疫病の時にだな』と確認してきたのに頷く。

(だから、エマは自分が稀人であることを隠す――そう思え)

 王弟がオルゲィ目配せをかわしたのを見、江間は事が自分の思惑通りに進んでいることを確信する。

『他に、幸福や恵みをもたらすなどとも言われているんだが、困ったことに良くない噂の方がよく伝わるというのは本当だ』

 だが、そう苦笑した王弟が続けた言葉は、完全に予想になかった。

『実際にバルドゥーバにわたった稀人が疫病の責を押し付けられて、処刑、は難しいか、殺されたらしい。しかも聖クルーシデのドルラーザによる嬲り殺しだそうだ』

(疫病の責任、『ショケイ』、殺された――つまり、処刑、された……? ドルラーザって……あれだ、巨大な双頭の生物。に、食われた……?)

『……かの国の新しい鉄は、稀人によるものでは』

 江間は一瞬止まった息を即座に再開させた。驚きが声に出過ぎないように、必死で声音を調整する。そして、動揺の代わりに疑問を顔に貼り付けた。

(――死んだ? 殺されて? 誰が?)

 福地と寺下、菊田と佐野、四人の顔が浮かんでは消えていく。誰だ?

 早まった心臓を、祖父や父に教わったように静かに深く呼吸をすることで何とか抑える。

『それとは別の稀人だ』

『……そうでしたか』

 突っ込んで聞きそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。王弟の視線には探る意図がある。下手な質問はできない。

『あの女王の元では、他の稀人もいつまでもつか』

『ですね』

 どんな人間なのか? そう喉元まで出てきたが、咄嗟に思い直し、同意を返す。イゥローニャ人という触れ込みでいるのだ、自分たちは。ならば、あの国の王が非道だというのは、当たり前のこととして扱わなくてはならない。

「……」

 額に汗が滲んできたのを悟られないよう、前髪をかき上げながら、江間は嫌悪を顔に載せてみせた。

『お前はどう思う? 処刑された稀人と、鉄を生み出した稀人――明暗を分けたのは何かな』

『すみません、『メイアン』の意味が分かりません』

 探る意図を隠そうともしない王弟の質問を、言葉に不慣れなことに託けて時間を稼ぎ、最適な答えを探す。

『普通に考えれば、役に立つか立たないかだったのではないかと』

 答えながら、四人のうち一人の顔が脳裏から消えた。福地ではない。

(となると菊田、寺下、佐野のうちの誰か――誰だ?)

『とはいえ、俺たちも異物? ですから、他人事ではないですね』

 そう苦笑して見せると、江間はシャツェランを正面から見据えた。

『――せいぜいお役に立てるよう、努力します』

『……』

 美しい金の髪の間から覗く、サファイアのような瞳がまっすぐ見返してくる。

 数拍後、男性らしさを感じさせる唇が横に引き伸ばされ、両の口角が上を向いた。おそらくこちらの「協力はする。代わりに詮索するな」という意図は通じたはずだ。どこまでそれを尊重してくれるかはわからないが。

 頭の中では、相変わらず三人の顔がぐるぐると回っている。

『そういえば、妹の具合はどうだ?』

『熱が引きました。明日には雑貨店の方にも顔を出すと言っています』

 江間はオルゲィに向き直り、『内務処長ご夫人にもお気遣いいただきました。お礼が遅れて申し訳ない。この場をお借りして、お礼申し上げます』と頭を下げ……そうになって、思いとどまると、こちらふうに胸の前で拳をつき合わせた。

 彼女に付き添っている宮部のことを聞いてくるかと内心身構えていたが、王弟はただ頷いただけだった。



 王弟の部屋を辞して、江間はオルゲィと共に本塔の螺旋階段を下る。

『リカルィデが元気になってよかった』

『ありがとうございます』

 宮部の従伯父にあたるという彼は、彼女に輪をかけて寡黙な人だ。仕事に関わらない時は特に。だが、少ない発言にはいつも深い思慮と思いやりがうかがえる。それは彼の妻や子供たち、部下に対する態度を見ていてもわかった。王弟の側近でなければ、こうして警戒をすることはきっとなかっただろう。

 石造りの階段の窓には、不均質ながらもこの世界ではまだ貴重だというガラスがふんだんに使われていて、ここが王弟の塔であることをうかがわせた。

 二人分の足音が階段を取り囲む壁に反響して、散っていく。

『ミヤベは明日は城に来るかね?』

『リカルィデが大丈夫なようであれば、その予定だと思います』

 きっと王弟の指示だろう、と江間は用意していた通りに返した。宮部が明日内務処に行けば、おそらく今日の江間のように王弟と面会することになる。

 顔が歪みそうになるのを抑えながら、『そうか』と呟いたオルゲィを何の気なしに見、江間は目をみはった。ほんの一瞬まったく予想になかった類の表情が、オルゲィの生真面目な造りの顔に浮かんだ気がする。

『無理はしなくてよいと伝えてくれ』

 確かめようと目を凝らしてみたが、見間違いだったのか、その時には何の片鱗も見当たらなかった。


『ではまた』

『今日はありがとうございました』

 本塔と内務処塔を繋ぐ渡り廊下の伸びる二階で、オルゲィと挨拶をかわして別れた。さらに階段を下って一階の出口から外に出たところで、足を止める。

「……」

 そこで初めて顔に貼り付けていた笑顔を消すと、江間は大きく息を吐き出した。

「まいったな」

 天を仰げば、ひさしの向こうに秋らしい、澄んだ青空が広がっている。

 王弟との面会――聴取というべきかもしれないが――は、自分たちのことに限って言えば上々だったと言える。だが……。

 江間は視線を天から地に移しながら、もう一度大きく息を吐いた。

 あの晩、惑いの森で別れた四人のうち、誰かが死んだ――。

 あの時何かできただろうかと思い返し、結局首を横に振る。同情を覚えるとともに、あり得ると思って警戒し続けてきたことが実際に起こったと実感して身震いした。

 とりあえず食堂に行こうと再び歩き始める。

 今日は特に、できるだけ普通に過ごさなくてはならない。昼食を取ったら、あとはグルドザの鍛錬に入れてもらって、夕刻までの時間をやり過ごそう。

(処刑? ――冗談じゃない)

「……」

 脳裏に血の中に倒れ伏す宮部の姿が浮かんで、江間は眉間に強く皺を寄せる。

 惑いの森の闇の中、血塗れで立つ彼女を見た瞬間、目の前が真っ暗になった。あんなのはもう二度とごめんだ。

 脳裏にこびり付いた、忌まわしい以外の言葉がない記憶を振り払おうと、もう一度首を振って――凍り付いた。

「……み、やべ?」

 渡り廊下に囲まれた、バスケットコートほどの中庭の向こうに、今日ここにいるはずがない姿を見つけて江間は全身から血の気を失った。


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