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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第14章 再会 ―メゼル―
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14-4.優先順位(江間)

 オルゲィの妻、サハリーダを見送った後、江間は自室で着替えを済ませて、すぐ横にある宮部とリカルィデの部屋のドアを叩いた。少しかすれた声が返ってきて、六畳ほどの部屋の中に入れば、リカルィデのベッド脇に宮部が付き添っている。部屋の隅の火鉢にかけられた薬缶から出る湯気のせいか、室内の空気は温かい。

「……洗ってくる」

 入れ違いに宮部がこっち風の粥が入っていた器と、ヨチュの皮を持って出て行った。目は合わなかったが、少し耳が赤かった気がする。

(少しは意識してくれるようになったってことか)

 江間は小さく笑うと、リカルィデのベッドの端に腰掛けた。

「食欲、出てきたか?」

「うん、ヨチュ、ありがとう。三つも食べちゃった」

 ベッドのヘッドレストにもたれたリカルィデは、ナイトテーブルの上にある蜜柑に似た形の桃色の果物を指さす。顔色も今朝に比べてずいぶんよくなっていて、江間は安堵の息を吐き出した。

「そういえば、ミヤベとなんかあった?」

「……なんで?」

「なんとなく、かな。ミヤベ、なんか落ち着かないし、エマもだ」

 ディケセル国王女として生まれたのに、性別を偽らされ、それを周囲に悟られないよう強要されてきた“アーシャル王子”ことリカルィデは、周りの人間の表情や仕草のちょっとした変化を敏感に読み取る。

 真っ青な瞳に見据えられると何もかも見透かされそうで、少し居心地が悪い。

「ミヤベはともかくエマのは嬉しくてって感じだ。となると……この前言っていた、付き合っているふりをサハリーダさんの前でやって、でもやりすぎてミヤベが怒った?」

「……別に嬉しがってない」

 顔を引きつらせた江間に、リカルィデは「そう? でもミヤベが怒っているのは確かだと思うよ」と肩をすくめた。

「別に宮部も怒っていない……はず。……そんなには」

「だといいね」

 含みの有る笑いを見せるその顔が、なんだか宮部に似てきた気がして、江間は苦笑を零した。

「なあ、その宮部のことだけどさ、夜どんな感じだ?」

「…………エマはやっぱり知ってたんだね」

「うなされてる――寝ながら苦しんでる?」

 リカルィデは眉を下げて頷くと、「私は知らなかった」と視線を伏せた。

「ここのところ熱で眠りが浅かったんだ。これまで気付かなかっただけで、毎日なのかもしれない」

 ギャプフ村からメゼルに移る話が出た頃からだ。江間は夜、宮部がうなされるようになったことに気づいた。あの頃の寝床はカーテンをはさんですぐ横に並んでいた。布越しに隣に手を伸ばして宥めようと頭を撫でれば、その手が頬を伝う雫に触れることもあった。抱きしめる権利がないことをその度につきつけられた。

 何かに苦しんでいるのは確かなのに、相変わらず宮部は何も言わない。何も望まない。

≪なんで言わない、なんで望まない。宮部が言えば、望めば、助ける、必ず≫

 江間が願うことは、あの頃から何も変わっていないのに。

「なんで話してくれないんだろう……。昨日もう、うなされて? 飛び起きたくせに、すぐ私の具合を確かめにきたんだ。自分だってしんどいだろうに」

 心配そうな顔をしているリカルィデの頭を、江間はぐしゃぐしゃっと撫でる。

「んな顔するな。話してくれないなら、その辺も探ればいいだけだろ?」

「探る……エマ、最近ものすごく、なんだっけ? 押し?が強くない?」

「あいつ相手に妙な遠慮しても、進まないからな」

 もっと望んでほしい、なぜ望まないと言っても、あの頑固者には全く響かないのはもうはっきりした。なら、彼女の人の良さと押され弱さに付け込んで、強引にズケズケと踏み込んでいけばいい――無理やり宮部についていくことにしてすべてか動き出した、あの晩のように。


 戸が開いて、冷気と共に宮部が戻ってきた。表情はもう冷静そのものに戻っていて、江間は複雑な気分になる。

「少し話がしたい。大事なことだから、リカルィデにも聞いて欲しいけど、辛くなったら言ってね?」

 そう言いながら宮部はリカルィデに近寄り、額に手を置いた。

「大丈夫」

「……リカルィデの大丈夫は、あまりあてにならない」

 そう顔をしかめてすぐ横の自分のベッドの枕を取ると、彼女の背とヘッドレストの間に差し込み、肩を押した。

「もう熱も下がったのに」

 そう文句を言いつつも、リカルィデは大人しく背を枕に預けた。宮部は小さく微笑んでその頭を撫でる。

「……」

 最初意外に思えていた、こういう光景にも慣れた。この世界に来るまでの宮部は、助けを求められれば応じるが、誰に対してもそっけなくて、「面倒見がいい」という形容とは全く無縁に見えていた。だが、こっちが素の彼女なのだろう。話を聞くだけでも、宮部の祖父母は彼女をとても大事にしていたようだから。

 知らず口角をあげながら、江間は宮部のベッドの足側に移動する。宮部が横に座り、微かな振動が伝わってきた。


「王弟が今日城に帰ってきて、俺に接触してきた。それで今後について確認しておきたい」

 リカルィデは表情を硬くしただけで、落ち着いた様子で頷いた。

「第一に優先すべきは、リカルィデの正体がばれないようにすること――お前の素性は絶対に隠すし、お前も他に何をおいても隠せ。ばれれば、捕まって利用されるか、殺されるかだ」

「わかってる」

 動揺するかと思ったのに、リカルィデは平静なままだった。それこそが不憫で江間は小さく息を吐き出した。

 それにも気づいたのだろう、彼女は「大丈夫、そういうのは得意だ」と悟ったような顔で笑い、宮部が「そこ、笑うとこじゃない」と口をへの字に曲げた。そして、「決めた。絶対に連れて帰る、首に縄付けてでも」とリカルィデの頬を摘まんだ。「痛い痛い」と言いながらリカルィデが泣きそうな顔をしたのは、きっと痛みのせいじゃないのだろう。

「二つ目は、宮部がトゥアンナ・ディケセル王女の血を引くとばれないようにすること。最後は、俺と宮部が稀人だと大衆に知られないようにすること」

 眉根を寄せたリカルィデが宮部を見る。

「“大衆”は多くの人、特に王弟とか高い地位にいる人たちじゃない、ごく普通の人たちのこと。逆に言えば、江間は王弟などに私たちが稀人だとばれるのは仕方がないと言っている――合ってる?」

「ああ」

「……え、え? ちょっと待って、なんで? 今日何かあったの? まだばれてない?んだよね……?」

 リカルィデはここで初めて動揺を露わにした。順を追って説明していく。

「今日鉄処から戻ってオルゲィの所に行く途中で、今朝王都から帰ったばかりの王弟に待ち伏せされた。正体を隠して一人で、偶然を装って目の前に現れたことを考えると、“何か”を探りたかったんだろう。それで鉄の改良について聞かれながら、一緒に内務処長の所に行ってあれこれ質問された挙げ句、めでたく明日も呼び出し」

「明日も……。で、でも、なんで王弟はそんなにエマにだけ……ええと、注意?っていうのかな、してるの? 色々やっていると言うなら、ミヤベだって同じでしょう?」

「今日城にいたのが、俺だけだったってのもあるだろうが……まあ、俺、自分に注意、ってより注目だな、注目が来るようにしてたから、ある意味当然だ」

「……そんなこと考えてたの」

 宮部が息を止めた後、非難の視線で見てきた。江間はそこに心配が含まれているのを感じとる。リカルィデほどじゃないにしても、江間もちゃんと気にかけられているらしい。ほんと素直じゃねえ、と呆れ笑いを零してしまって、宮部には余計睨まれたが。

「見た目や言動が江間の方が目を引くから、ある程度は仕方がないとは思っていたけど……。あとは言葉の問題だと思う」

「完全なディケセル語を話せる宮部を稀人だとは、普通思わないからな」

「じゃあ、王弟殿下はやっぱり稀人としてエマを疑ってる……」

 そう呟いて、リカルィデは視線を伏せた。

「殿下はサチコをすごく気に入ってた。サチコは言わなかったけど、多分自分の所に来る? おいで? じゃなくて……ま、まねくこう?としていたんじゃないかな。それで多分エマも」

「招こうとしていた……あの性格なら確かに執着するかも」と眉間に皺を寄せて宮部が呟いた。

 さっき帰ってきた時の彼女の反応も王弟その人より、彼の江間への態度を気にするものだったし、今の様子を見ても好意的じゃないのがわかる。けれど、やはりかなり親しかったようだ、と江間は複雑な気分になる。

 静かに息を吐き出すと、「まあ、その辺は想定内だ」と言い、宮部に「だろ?」とにやりと笑って見せた。

 宮部が頷く。いつもの無表情と思いきや、よく見れば顔に「ごめん」と書いてある。それに気付けるようになったのは、この世界に来たからだろう。

「江間の言う通り、今は“危ない橋を渡る”という状況にいる。私たちがこの世界とは違う知識を持った人間だと見せれば、王弟は食いついてくる。そうすれば、ばれる危険もあるけど、帰る方法にも近づける。何より……」

 そして、宮部は、「バルドゥーバに鉄を与えたのは、私たちと同じ稀人だから」と悲しそうに顔を歪め、江間も「自分の身可愛さに、できることをしないのは無しだな……」と相槌を返した。

 江間はオルゲィの所で王弟から国が一つ滅ぼされたことと、その原因が改良されたバルドゥーバの鉄にあり、凄惨な殺戮が起きたと聞かされた。生き残った者も少なくない者が奴隷に落とされたという。

 福地は悪気なく、他人への共感に乏しいタイプだ。頭のいいやつだから、表面上はうまく取り繕えているが、付き合いが長くなると嫌でもわかる。

 自分の利益になるとなれば、他人を使い捨てることに何の罪悪感も抱かないだろう彼は、自らの知識で人が死んでも、気にしないだろう。異世界人の自分や宮部はもちろん、同世界人のリカルィデやヒュリエルが憤る奴隷の存在にしても、多ければそれだけ多く使えるとしか考えないはずだ。彼のその感覚が恐ろしい。

「俺たちが対抗できる鉄のきっかけを作ったことも、正しいのか、わからないんだけどな……」

 向こうの世界の戦争がいつだってそうだったように、競争に次ぐ競争で際限なく軍拡が進んで、結局悲劇が訪れる、そんな未来が来る可能性も高いのだ。

 未来の悲劇を恐れて口を噤むか、目の前の悲劇を恐れて口を開くか――後者を選んだけれど、それが正しかったのか、江間にはまったく自信がない。

「っ」

「連帯責任」

 左手をぎゅっと握られて顔を跳ね上げれば、横の宮部が視線を床に落としたまま、そう呟いた。

 この世界に来て、三日目のことだった。持っていた菓子なども食べつくし、まともな道具もスキルもない中ろくな食べ物が取れず、六人とも飢えてギスギスし出していた。そんな時、試しに仕掛けていた罠にウサギに似た動物がかかった。

 食べなければいい加減まずいとわかっていたが、当然誰も絞めたがらない。いつものことだ、自分がやるしかないと江間が腹をくくり、「じゃあ、まあ、俺が」と言った瞬間、宮部は「食べなければ死ぬ」とそのウサギの四つ耳を鷲掴みにして、車載工具にあったレンチを手に、皆から離れて行った。

「俺がやる」

「いらない。向こうで待っていて」

 慌てて追いかけた江間の申し出を断り、ウサギを抑えつけた宮部はいつもの通り無表情だったが、顔色は真っ青で、よく見ればレンチを握る手も震えていた。

 宮部は江間も内心嫌がっていることに気付いて、自分がやると言い出したのだろう。

 江間はできることが多い方だと自分でも思っている。そして、周囲もそう思うのだろう、悪気なく色々なことを押し付けて来るのに、宮部だけがいつも違っていた。彼女は誰も気づかない江間の負担に気付き、その度に手を差し伸べてくる。代わりに引き受けようとする。こっちに来てからは特にそうだった。

 そのくせ絶対にそうは見せないし、それどころか「一人で十分。足手まといだ」とか、憎まれ口を叩いたりもする。あの日も「邪魔」と言われた。

 どこまでも要領の悪い、馬鹿な奴だと思う。でも、宮部が重荷を引き受けようとしてくれると気付く度に、江間の気持ちは確かに軽くなる。今もそうだ。

「……」

 あの夜宮部と一緒に森に出られたこと、それ以上の幸運はきっと見つけられない――江間は無言のまま、重ねられた手を握り返した。


「悪い、話が逸れたな」

 江間は改めてリカルィデに向き直った。

「つまり、王弟とかオルゲィとか一部の人間は、いずれ俺たちが稀人だと悟る。どうしても隠そうとは思っていないからな。ただ、できるだけ引き延ばして、その間に帰る方法を探る」

「王弟なら良くて、普通の人たちにばれたくないのは……」

「流行り病の時に稀人が来たせいだって噂が出てたの、知ってるだろ? あの時ばれてたら、下手をすれば嬲り殺しだ」

「やっぱり……。サチコも言っていたんだ。悲しいことだけど、人間は自分と違う人を排除したがるって。だから慎重に行動しなきゃいけないって。でも……例えば、知った王弟殿下がみんなにばらそうとたら?」

 リカルィデが悲愴な顔をする。

「王弟の口を封じる。王弟だけじゃない、王弟以外の誰がばらそうとしても同じだ。彼を利用して黙らせる」

「だまらせる……って『黙らせる』だよね? あの王弟殿下を?」

 顔をひきつらせたリカルィデに、宮部は淡々と頷いた。

「稀人だとばれている場合は、稀人の知識を大きく見せかけて、協力して欲しければ話すなと口を封じる。もう一つの方法は私が私――コトゥド・リィアーレの孫、アヤだと告げて……」

「はぁ? トゥアンナの孫だってこともばれるじゃないか!」

「確実に王弟を抑えるためには仕方ない」

「……抑える」

「王弟は内務処長のオルゲィを始め、リィアーレ一族をあちこちで重用している――コトゥド・リィアーレの“罪”により追放された彼の一族を“寛容”に迎え入れて、彼らの忠誠を勝ち取って。でも……」

 ――その“罪”がそもそも濡れ衣で、かつ王弟がそれを知りながら、リィアーレ一族の忠誠を受けているとしたら?

「リィアーレ一族は、オルゲィは、どんな反応をするかな」

 そう宮部が皮肉を口の端に載せた。

「トゥアンナが向こうに行ったのは、ミヤベのお爺さんのせいだと王弟殿下が未だに信じてたら? 弱みにならなくない?」

「この件に関しては真実はどうでもいい。リィアーレ一族に疑念を持たれること自体が王弟のリスク、危険に繋がる」

「ミヤベ、悪者っぽいよ……。やってみたいって顔に書いてある」

 口調からも表情からも本気で王弟が嫌いなことが伝わってきて安堵する一方、自分の趣味を思い、江間はさらに複雑な気分になった。呆れたような顔をしているリカルィデがこの三人の中では一番の善人だ。

「エマはそれでいいの?」

「あまり良くない。王弟がしつこい性格なら、猶更宮部を近づけたくない」

「……江間」

 宮部の困惑を含んだ視線に、「近づけば、気付かれやすくなる。そうならないに越したことはないだろ?」と江間はもっともらしく理由を付けて返した。

「だから、限界まで俺のほうに引きつける。大丈夫。やりようは色々はある」

「江間の大丈夫もあてにならない」

「お前の大丈夫よりはあてになるぞ」

 思わずといった様子でふき出したリカルィデを睨んで黙らせると、宮部はもう一度江間を見た。

「楽観的なのもそこまで行くと、馬鹿と紙一重だ」

「やることが一緒なら、悩んでも仕方ないだろ」

「……江間のそういうところが嫌いだ」

「上等だ。お前が嫌いだと言われていた頃より、進歩した」

 鼻で笑って見せれば、宮部はむっとした顔で口を噤んだ。馬鹿は宮部だ、口には出さないけど、と江間は小さく舌を出す。

 リカルィデじゃなくったって、睨んでくる瞳に心配が含まれていることぐらい気付く。

(本当に素直じゃねえな。けど、それも……)

「?」

 宮部に「江間、まさかとは思うけど……」と再び真剣な顔を向けられて、江間は眉を跳ね上げた。

「正式に結婚を、とかいう状況を狙うつもりじゃ……」

「わけあるか!」

「そう? 『夫妃』って言うんだけど、ない話じゃないよ? 江間と王弟なら普通にあり得そうだし、そこも気を付けたほうがいいと思う」

「……お前らな」

 髪の色や目の色は全く違う。けど、宮部とリカルィデは姉妹と言っても通じる程度には似てきている。


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