14-2.初対面(シャツェラン)
『稀人だと思うか?』
自らの執務室にオルゲィと共に入るなり、シャツェランは単刀直入に問うた。
『数か月前に出会った際、エマのディケセル語は片言でした。こちらに来て専属の教師をつけたところ、驚くべき速さで言葉を習得していっています。ただそれが彼が稀人だからなのか、単に言語能力に長けているからなのか、区別できません。洗衛石や鉄、農具についても、確たる知識があってやっているのかと言えば、そうでもないようでして……』
迷いなく応じ始めておきながら結局言い淀んだオルゲィに、シャツェランは眉を顰める。不確定な話を基本せず、敢えてするときはその旨を述べた上で、はっきりと話す彼には珍しいことだった。
応接用の長椅子に座り、オルゲィにも仕草で座るよう示しながら、『続けろ』と促す。
『我々が知らないことを知っているのは確かで、その意味では稀人のように思われます。ですが、正しい答えをしかと知っているわけではなく、知らないことは知らないとはっきりと言い、周りの人間を巻き込んで力を借り、物事を成し遂げようとします』
洗衛石を作った時、そして、その効果を確かめたという今回、鉄や炉、農具や農法の改良、すべて共通していると言って、オルゲィはシャツェランの対面へと腰かけた。
『そうなると単に物知り、もしくは我々とは違う文化で育っただけであるようにも思えるのです』
『ミヤベの方はどうだ?』
『彼は元々淀みなく話しますので、言葉の比較はできませんが、優秀さはエマと似ています。ただ、エマより人付き合いを好まないようで、周囲の彼への反応は、好悪が分かれております。そして、本人もそれを気にする気がないようで……』
オルゲィが苦笑して、そういえば、と思い出した。
『リィアーレの関係者ではないかと言っていたな?』
『師事したのは間違いないようですが、それ以上のことは特に。一族の者にも確認していますが、心当たりがある者は、まだ見つかっておりません』
淡々とした返事を聞き、シャツェランは、椅子の背もたれに身を預けた。
『王都で稀人に会った』
『バルドゥーバの使節が来ていたという話は、聞きましたが』
『聖クルーシデとの戦に託けて、稀人を得た優位を見せつける意図で、わざわざ連れてきたようだ。あちらの宰相に随分とあてこすられた』
そうシャツェランは苦々しく吐き捨てる。ゼイギャクには災難だった、と。
『稀人とはお話に?』
『ああ。言葉についてはそれなりだった。それ以外は良く言って、凡庸というところだ』
言葉にまだ不自由さがあると言うのに、それを隠す術を知り、こちらの機嫌を伺い、あからさまにではなく、加減をしてうまくおもねる。が、話に中身がない。同じ稀人と言っても、彼女は郁やサチコではなく、佳乃を思い出させた。外見は比べては哀れとしか言いようのないものだったが。
彼女は宰相の言いなりにふるまい、控えめにではあるが、バルドゥーバがいかに快適で優れているかを語り、美しく着飾らされて、他国の人間の耳目を集めていた。何がみじめと言って、それを本人が望んでやっているようだ、ということだ。おそらくその言語能力と従順さを買われて、今回宰相の供に選ばれたのだろう。
ちょうど郁と同じ年だが、彼女と同じことを郁ができるとはとても思えない。
(アヤであれば、宰相の機嫌を損なうと知っていても、バルドゥーバの長所と短所を淡々と言ってのけただろうな。いや、それ以前にあいつのことだ、あの宰相と気が合うはずがない。となれば、存在ごと無視してもおかしくない)
本気で生意気だった、それで何度も言い合いになったな、と懐かしく思ったところで、シャツェランは首を振った。最近どうも郁を思い出すことが増えた。
似た年頃の稀人が来たせいだ、と結論付け、『どうせ見るなら女王の片翼鳥のほうを見たかった。種付けに勤しんでいるらしいからな』と笑って見せたシャツェランに、オルゲィは『片翼鳥というには、可愛げがなさすぎるかと』と応じた。
『最近、バルドゥーバが惑いの森に出入りしているとの報告が上がってきております。イェリカ・ローダの捕獲を試みている模様です』
『……確かか?』
神に疎まれしもの、だ。あの恐ろしくも醜怪極まりない、不快な生き物を捕らえるという発想がなかったシャツェランは、呆気に取られてオルゲィを見た。
同時に、そういう利用方法があったのに、気付いていなかったという事実を突き付けられて、戦慄する。
『森林境を警備する者たちから報告数件を受けまして調査に入ったところ、点在する“コントゥシャの御許”に野営の跡が確認されました。ソマナ村では、森との境あたりで腕を失った南方人の奴隷を保護し、“切り裂くもの”を捉えようとしていた、と証言を得たとのことです』
『飼い馴らす気か……。聖クルーシデのドルラーザに着想を得たか』
シャツェランがそうであったように、不浄の生き物であるイェリカ・ローダを利用しようなどという発想は、この世界の人間にはない。
『仮に飼い馴らせるとして、それまでどれだけの人命が失われるか……どうせすべて奴隷にやらせる腹積もりでしょうが』
不快極まりないという顔で目を眇めたオルゲィに、シャツェランも眉間にしわを寄せた。
「ジンケン」について説明していたサチコと、人の命や人生を軽く扱うことに嫌悪を露にしていた郁。あの二人であれば、人を犠牲にして、イェリカ・ローダを我が力としようとはしない気がする。
一方で、郁とその祖父の、トゥアンナの護衛だったグルドザを軽んじていた佳乃や、宰相と共に奴隷を侍らせて涼しい顔をしていた寺下のことを考えると、その発想も納得できた。女王の片翼鳥は後者なのだろう。
『……エマはどういう人間だ?』
突然話題が戻ったことに、オルゲィは少し驚いたらしい。目を瞠った後、しばらく沈思し、口を開いた。
『エマであれば、たとえ考えついたとしても実行しないでしょう』
その答えに、オルゲィの江間への好意を感じ取った。キッソニー将軍が釘を刺していた通り、随分肩入れしているらしい。
『今日エマはどこにいる?』
『午前は鉄処と聞いておりますが、そろそろ戻ってくるはずです』
シャツェランは椅子から立ち上がる。
稀人か否か、善意ある人間か悪意ある人間か――すべてはこの目で確かめることにしよう。
メゼルディセル軍は、所属するグルドザのみならず、各処司付きのグルドザたちの訓練もまとめて引き受けている。軍を含めた各処司間の協調を促すと同時に、互いを監視・牽制させて、一か所に権力が集中しないよう図る意図もあって、文官のみならず彼ら武官にも出向や異動は多い。
シャツェランは城の敷地の端、西塔にある彼らの詰め所に顔を出すと、緊張するグルドザたちにかまわず、第一師団の筆頭兵士団長シドアードを捕まえた。
ゼイギャクの弟子でもある彼は、ゼイギャクがシャツェランの剣術の指南役であった時分によく稽古相手にしていて、主従となった今でもごく気安い間柄だ。
『普通に話しかければよいでしょうに、また子供のようなことを……』
そう呆れるシドアードと共に正門へと向かい、シャツェランは手近な物影に身を潜ませる。
メゼル城は、湖に接する山の肌を削って作った台地の上にある。石造りの外郭の周囲の堀には、山から下ってくる水が申し訳程度に廻らされているが、戦時以外は基本空堀と言っていい。城の正門側にはその堀を渡る、平時は降ろしっぱなしの五ガケルもの幅の跳ね橋がかけられていて、その先は緩やかに傾斜しながら、城下町の目抜き通りへとつながる。
シャツェランが朝方に帰城した際は両脇をグルドザたちが固め、その向こうに見物の領民が見えただけで、通りも跳ね橋も無人だった。
その反動なのだろう、今は城仕えと思しき者たちや荷馬車を引いた商人たちが、忙しなく跳ね橋を行ったり来たりしている。城門塔に常駐する警護所のグルドザのもとには、入城証を提示するための列ができ、見回り中と思しきグルドザが周囲を見回しながら、ゆっくりと歩いていた。
『来ました。あの二人連れ、黒毛のホダに乗った方です』
シャツェランは天頂から少し西に下った太陽の日差しを受けて、艶々と光る毛並みのホダに乗った男を観察する。
目立つほどではないが、上背は九ケレルちょっとで比較的大柄。細身ではあるが、鍛えているようで、横にいる内務処付きのグルドザに遜色ない体つきだった。
『……整ってるな』
『来たばかりの頃は、見物に人が集まる騒ぎになっていました。まあ、シャツェラン様まで仰るくらいですしね』
意外だったのはその顔だった。知性と色気を感じさせる、涼し気な目元、通った鼻梁は存在を主張しすぎず、形のいい口元は横のグルドザと話しながらも、余裕のある笑みを湛えている。グルドザにしては少し長めの髪は黒と茶の二色で、彼らに向かって吹く風にさらさらと揺れた。
生まれついての地位故に、見目麗しい男女に囲まれて生きてきたシャツェランが思わず見つめてしまうほどに整っている。
『ミヤベというのは?』
『今日はいないようですね』
跳ね橋の手前でホダから降り、脇に逸れると、彼らはその奥にある厩舎の世話係にホダの手綱を引き渡した。その直後、担当の壮年の男が声を立てて笑い、江間の肩を軽く叩く。それに笑顔で応じて、二人は門に向かって橋を渡り始めた。
『では』
そう言って離れて行ったシドアードが、『コルトナ、ちょっと来い。エマ、オルゲィ内務処長が探していたぞ』と二人に声をかける。
感じのいい笑顔で明るく答えた江間は、内務処棟の方向へと足を向けた。心持ち足を早めた気がして、シャツェランも外套のフードをかぶると、すぐに後を追った。
シャツェランの視線の先で江間は何度か人に声を掛けられるが、慣れた様子で軽く挨拶してかわしていく。シャツェランは中庭を横切ると、江間の進行方向にある柱の影から出た。
身体に軽い衝撃が走る。
『すまない、怪我はないか?』
『大丈夫だ、こちらこそすまない』
ぶつかったのはシャツェランの方だというのに、江間は本当に申し訳なさそうな顔をして、こちらを覗き込んできた。
『君はエマかい?』
『? ああ』
そう答えた江間は、しげしげとシャツェランの顔を見つめた。そして、おもむろにグルドザがする立位の礼をとると、『御用は何でしょう――王弟殿下』とにっと笑った。
『……なぜばれた?』
『今日お帰りになると、噂になっていましたから。お姿の話は、噂で繰り返し聞かされています。主に女から』
『つまらないな』
わざわざ小細工をしてみたというのに、とシャツェランがため息を吐きながら顔をしかめれば、江間は小気味のいい笑い声を立てた。無礼なはずなのに、なぜかそう感じない、不思議な男だった。知らぬ間に苦笑を浮かべてしまう。
『さきほど、お前が鉄を改良したという報告を聞いてな、どんな男か見に来た』
『こんなやつです。でも鉄は誤解ですね』
そう言って屈託なく江間は笑う。
『爺さん、じゃなくて、ええと、首?鉄師、様と鉄師の皆が、あれこれ試してくれたからできたことです』
一緒に笑ってみせながら、シャツェランは江間の笑顔に計算がないかを注意深く観察するが、それらしい様子はない。できないことはできないと言い、人の力を得る、と言っていたオルゲィの説明を思い返す。
『今日は、ミヤベは一緒じゃないのか? いつも一緒にいると聞いたが』
その瞬間、江間の空気が少し固くなった気がした。
『妹が一昨日から熱を出して、看ています』
『早足だったのはそのためか』
『はい、昨日もほとんど寝てないようだったので、早く帰って交代しようと…って、どこから見ていらしたんですか』
『門からだ』
笑いながら、シャツェランが内務処へと歩き出せば、江間も一歩遅れて足を踏み出した。




