12-3.四十センチ(江間)
『なあ、エマ、一緒に昼飯食わないか?』
午後オルゲィのもとに行くまでの今日の“付き添い”は、エナシャらしい。
『もちろん』
彼の陽気な誘い声に頷き、共に食堂へと歩き出した。これだけ腹がすいているのだ、どくだみ風味の料理もきっと楽しめるだろう。
『なあ、さっき話に出てたけど、噂になってるバルドゥーバの新しい鉄、エマは心当たり、あるのか?』
(オルゲィもしくは王弟に指示されて探りに来たか……?)
江間は柔和に見えるはずの表情を張り付けたまま、エナシャの様子を慎重に探る。
『聖クルーシデ、結局ぼろ負けだったんだ。俺が王都を出た時はまだ降伏してなかったけど、多分今頃はもう……』
『……こっちにも避難してきてる人がいる』
眉を寄せ、浮かない表情で呟いたエナシャの様子に、曖昧に頷く。
『見てもいないし、詳しい情報もないから、役に立てるのかどうかも含めて分からん。俺たちも色々聞かされているだけなんだ』
王弟が自領を空けているのは、王命のためというより、現在行われている聖クルーシデとバルドゥーバの戦争についての情報を王都で得るためだろう。バルドゥーバが稀人により新しい鉄を手に入れたと聞き及んでのことだ。
これまでの武器では歯が立たなかった、巨大な双頭の生物を傷つけることができるというその鉄は、おそらく向こうに行った連中、たぶん福地あたりの入れ知恵の成果だろうと江間と宮部は見ている。
戦闘の詳細は分からないが、その生物故にこれまで戦禍と無縁だった聖クルーシデ国は、今回の戦で無残な敗戦を重ね、聖都も陥落寸前だと聞いた。
戦禍から逃れてきた人々の話は、暗澹たるものだ。バルドゥーバ軍は兵のみならず市民も躊躇なく殺し、財を奪い、男女見境なく犯し、子供を攫って行き、家々や田畑に火をつける。その後は過酷な搾取と、改宗など文化面での迫害も待っているという。
それに加担しているのが稀人――もちろん自分たちがやったことじゃない。けれど、どうにかできるかもしれないのに、放っておいていいのか。
宮部はやはりというか、放っておくという答えを今回も出さなかった。
(人に向かってお人よしだのなんだの言うけど、あいつこそマジで馬鹿だろ)
だが、江間がその宮部を放っておく気になれないのも事実で……ひどく癪だ。
『稀人が作ったって鉄だろ? 不気味だよなあ。俺、なんとなく稀人ってもっと平和で、みんなを幸せにしてくれるもんだと思ってた』
『群れで暮らす生き物である以上、どこに行ったって人なんてそう変わらないってことだろ。縄張り意識もあれば、順位付けにもこだわる』
(って、やべ)
稀人への偏見を口にされて、思わずこの世界に来て実感していることを口にしてしまった。
『だから手前勝手な理由で争いにもなりますってか。あー、ヤダヤダ』
だが、微妙に焦る江間に気付かず、エナシャは思いっきり嫌そうな顔で首を横に振った。子供のようなあっさりした反応に思わず吹き出す。どうも彼は父親のオルゲィ内務処長や兄のアムルゼとは、少し違うタイプらしい。
『お、兄貴。ってことは、あれがミヤベかあ』
『確かにそうだけど……なんで、兄貴で即宮部になるんだ?』
城の下方に広がる湖から吹いてくる風の中、渡り廊下で話し込んでいる二人連れを、エナシャが興味津々という顔で見つめている。
宮部は顔に土をつけ、脇に筒状に丸めた紙と鍬を抱えていた。食料司官たちと農具について話すと言っていたから、きっと圃場帰りなのだろう。
アムルゼの背丈は百七十ちょっとくらいで、宮部と同じくらいだ。はとこのはずだが、似ているのはすらっとしている体型ぐらいで、容貌はあまり似ていない。
『兄貴、結構気難しいんだけど、ミヤベのことは珍しく気に入っているみたいだったから。数か月前に初めて会った気がしない、気が合って話すのが楽しいんだと』
『へえ』
(アムルゼたちは知らないだけで、宮部と彼らは血が繋がっているわけだし、そんなもんか)
そう納得したところで、エナシャが『でもミヤベの方にその気はあまりなさそうだな。兄貴は仕事行くのが楽しみでしょうがないって感じだったけど』と呟き、江間はピキリと固まった。
『……気が合うって、好くとか好かないとかの意味?』
『? ああ、イゥローニャ族は異性愛しか認めない感じ? なら、その辺の感覚は東国寄りなんだな。ディケセルじゃ多くはないけど、珍しくもないぞ。俺の母方の叔母も同性と結婚してる』
そうだった、こっちではけっこう同性の夫婦や恋人がいる。前、宮部が男だと思われてギャプフ村のグルドザの男に言い寄られていた時、リカルィデもごく普通の顔をしていた。
(マジかよ……)
顔を引きつらせながら、アムルゼと話す宮部へと視線を向けた。
白みを帯びた石柱が並ぶ渡り廊下。秋の澄んだ日差しを受けたアムルゼの横顔は柔らかく笑っている。
対する宮部は冷たく見えるほど無表情で、相変わらず愛想のかけらもない。それでもあちらの世界にいた時に見せていた他者への拒絶や警戒は見当たらなくなっていて、複雑な感情が湧き上がってきた。
(こっちには、あのいかれた妹がいないからな……)
妹が迷惑をかけることを恐れてか、宮部は誰に話しかけられても、たとえ悪口や嫌味を言われても、常に無表情で最低限の口しかきかなかった。遊びや飲み会の誘いどころか、連絡先の交換も無下に断る。助けを求められれば応じるが、自分からは絶対に請わない。宮部はあっちでいつも一人だった。
知り合ってからこれまでのことを思い出して、江間は眉根を寄せた。
それまでかなりいい感じだったのに、一年の秋頃突然宮部は江間の連絡に反応しなくなった。先日ようやくその理由を知ったが、当時は心当たりがなくて、戸惑ったりイラついたりしているうちに意地になって江間も連絡を絶った。話したくなれば授業か図書室で捕まえればいい、宮部が休むことはまずないのだから、と。
ところが、その二年後彼女は突然大学に来なくなった。何かあったのかと焦って久しぶりに連絡を取ろうとしたが、番号もメルアドも既に使われていない。他の誰に聞いても、彼女の連絡先を知っている人間はいない。
佐川教授に聞きにいけば、二週間ほど前に祖父が亡くなったという連絡が来たが、それ以後まったく来ていないという。一週間前に気になって電話したが、「大丈夫です、ありがとうございます」と繰り返すだけで、大学にもそろそろ行くと言っていたのに、まったく顔を出さないと困惑していた。
教授にその場で電話してもらい、通話を変わってもらったが、宮部は少し驚いただけで泣き言ひとつ言わず、「何もない」と繰り返す。それでも明らかに様子がおかしくて、無理に家に押しかけてみれば、夜なのに明かり一つつけず、縁側でぼうっとしている彼女を見つけた。放っておけなくて、拒まれないのをいいことに様子を見るためと自分に言い訳をしながら、しばらく一緒にいて……だが、それだけだ。それで何かが変わることも変えることもできなかった。
本当は必要がないくせに、試験前にはいつもノートを借りた。普段彼女を遠巻きにするか見下してる奴らが、そういう時だけ都合よく彼女を利用するのが嫌だったというのもあるが、接点を持っていたかった。
同じ研究室になって近いテーマを割り当てられ、共同で研究するようになってからは、実験に託けて話をし、同じタイミングで泊まり込んだり、徹夜したりした。その合間に古い学棟の屋上に一方的に呼び出して、一時だけ一緒に過ごす。
宮部に助けられたことも何度もある。体調不良や困難をつい隠してしまう江間に彼女だけは気付いて、江間にも周りにも悟られないよう感じ悪く、でも確実に助けを差し伸べてくる。でも、それ以上は決して近づいてこないし、礼すら拒絶される。
一人にしておきたくなくて近づいて、なのに結局一人にしておくことしかできない。それを何回繰り返しただろう。
うまくいかない苛立ちを宮部本人にしょっちゅうぶつけた。普段無視しているくせに、その時だけは彼女も苛立ちを露にする。誰にも見せない反応を見せてくれてほっとして、でもそれでまたむかついて、を繰り返して、どんどん険悪になっていった。そのくせ離れることもできなくて……。
「……」
何度味わったか数えきれない苦味が、また口の中に広がっていく。
宮部は「恩は返す」というが、そんなものはそもそも存在しない。自分こそ宮部に借りだらけなのだから。
「江間」
「っ」
低めの声に呼ばれて、江間は無意識に伏せていた顔を跳ね上げた。
目が合った瞬間、宮部が微かに表情を綻ばせたことに気づいて、胸を詰まらせる。この世界に来てしばらくしてから見られるようになったあの顔を見るたびに、自分でも大げさだと思うのに、いい加減慣れろよと思うのに、毎回しつこく感動する。
≪一緒に探そう、じゃないんだね≫
そして、入学直後、桜の花びらが舞う中で見たあの顔を思い出す。このいかれた世界に来たのもそう悪くない、そう思ってしまう。
『……よお、今から食事か?』
コクリと頷いた宮部の顔に目線を定めつつ、二人に歩み寄っていく。
三メートル、二、一――視野に入るアムルゼの顔が微妙に歪んだ。
七十センチ――アムルゼのいる距離を越えて、さらに踏み込む。
五十センチ、三十――そこでようやく歩みを止めれば、宮部は少し怪訝そうに江間を見上げてきた。それでも不快ではないようで、江間は思わず顔を綻ばせる。今アムルゼのいる位置が、あっちの世界で江間に許されていた最短の距離だった。
四十センチだ。五年もの間、縮まらなかったその距離が、ここに来て縮まった。
『じゃあ、午後の打ち合わせを兼ねて一緒に食べよう。せっかくですし、アムルゼさんも……なんだっけ?』
『ご同席?』
『それだ、ありがとう――ご同席ください。いいだろ、エナシャ?』
『あーと、いいかな、兄貴?』
『……ああ、もちろん』
食堂へと促すために宮部の背に触れれば、一瞬固くなる。それに気づかないふりをして、横に並んだ。
惑いの森での最初の夜から今に至るまで、日夜問わずずっと一緒にいられるようになった。日中こうしてすぐ傍らで話をし、事ある毎に頭に、頬に、背に触れている。夜話しているうちに、一緒に寝入ってしまうこともある。
なのに、宮部はいつまでも慣れないで戸惑い、そのくせそれをこちらに気づかれまいとふるまう。
自ら勝手に縮めた距離を勝手に解釈して彼女面してくる女が珍しくない中で、人として好感が持てるし、そんなところも可愛いと思うのだが、正直接しにくいと感じることも多くて、実にめんどくさい。
『……何?』
『……何でもない』
静かに吐いたはずのため息に宮部が視線を向けてきて、苦笑を返せば、あからさまな疑いのまなざしに変わった。
そう、宮部は聡い。時々呆れ、時々嫌になるくらいに。となると、全部知っていて、知らない顔をしているのではないか――自分がそうであるように。
だから、まだ言えない。言ってもおそらく拒絶しか返ってこない。自業自得だという自覚なら嫌というほどある。
『何でもないって言いながら、なんで見る?』
片眉を器用に顰めた宮部を見つめる。
化粧っ気のない顔はそれでも白く透き通っていて、切れ長の目に収まる黒茶の瞳の理知的な光を際立たせる。睫毛もかなり長い。出てくる言葉は愛想も容赦もないが、薄めの唇は艶めいて色づき、形も悪くない。鼻梁も高過ぎず低すぎず、特に問題ない。江間の趣味もあるが、けっこう美人だと思う。
大学の口さがない連中があれこれ言うように、世間一般には宮部の妹の方が派手で人目を惹くのだろうが、単に整っただけの顔を望むなら、鏡を見るか実家で妹弟の顔を見れば事足りる。
『間違えた。何もないってわけじゃなかった』
『っ』
宮部、そして宮部の薫陶を受けたリカルィデ曰くの「胡散臭い」顔でにこりと笑うと、宮部の頬についた土をぬぐう。音を立てるかのように硬直した隙に、江間は触れるか触れないかの場所にあった彼女の右手を捉え、指と指を絡めた。
そして、唖然とする彼女に含みのある顔で微笑みかける。
「……離せ」
そう睨むくせに、無理に振り払ったりしないあたりも実にめんどくさい性格をしている。
「断る」
もっとも、彼女が振り払おうとしたところで大人しく放してやる気はもうないという自分も、相当めんどくさい性格だ、と江間は笑いを深めた。
(もっと早く放せないと気づいて、覚悟を決めればよかったんだ。そうすれば、一緒に過ごせてたはずだった――今みたいに)
微かな抵抗を無視して握った手を持ち上げる。身を屈めて、その白い指に口付ければ、宮部は信じられない物を見るかのように目と口を開いた。見る間に全身を染めていく様子に笑みを零すと、江間は背後を振り返る。
『――というわけなんだ』
パクリと口を開けたアムルゼと、目を丸くしたエナシャに笑いかける。
『あー、まあ、なんだ、傷が浅いうちでよかったじゃん』
『……なぐさめどうも』
(はとこたちの方には、そういう意味での聡さがあってくれて助かった)
後ろの兄弟の会話を聞いて、江間は小さく舌を出した。




