12-2.浸潤(江間)
メゼルに来てすぐ、オルゲィに伴われて城を訪れていた時のことだ。宮部の陰に隠れるようにしていたリカルィデに目敏く目を止めた初老の男、あとで土木司の副官だと知ったが、そいつが『彼女を我が家に。金は出す。家族も喜ぶだろう』と言ってきた。
『生活力と判断力がまだ足りぬだろう年少者に、“家族のために”と自らを差し出すよう仕向ける……――男として、大人として、何より人としてのあなたの品性を疑う』
真っ向からその男を見据え、宮部は『慎んでいただきたい』と低い声で言い放った。
身分や地位を笠に着るつもりだっただろう男と、彼を窘めようと渋面で口を開いたオルゲィ、屈辱に顔を真っ赤にして激昂していたリカルィデ、その三人が一瞬で押し黙ったあの空気には、文字通り殺気が入っていた。
基本的に口数が少なく物静か、向こうで人との争いをできるだけ避けようとしていた宮部は、こっちの世界に来てから少し変わった。
人、特にリカルィデのためであれば、口でも物理的なものでも彼女は衝突を厭わない。実は気も意志も強いと知っていたが、これほどとは思わなかった。
(まあ、それだけリカルィデが可愛いんだろうけど、俺にもあの半分、いやせめて四分の一くらい……ああでも、ギャプフで俺が体調を崩した時は、なんだかんだでずっと側にいたっけ)
いつものごとく不愛想だったけど、これは食べられるかとか、喉は乾いていないかとか、熱はどうかとか、ひどく甲斐甲斐しくて驚いた。試しに少し咳き込んでみたら慌てて駆け寄ってきて顔を覗き込んできた。
その時見た、彼女には珍しい表情を思い出して、また口元が緩みそうになったところで、江間は慌てて首を振った。
『ミヤベかあ。頭良さそうだし、冷静でカッコいいんだよな、あいつ。スオッキも妙な癖があってやりにくいし、何よりあの体術だよな……両剣落として絶対勝ったと思ったのに、俺、気付いたら宙に浮いてたもん』
ついこの間の話だ。内務処手伝いの手が空いたという宮部は、『勘が鈍らないように』と言って、グルドザたちの訓練に混ぜてもらっていた。
腕の立つ人間の方がうまく手加減できるだろうということで、コルトナが相手をしたのだが、彼にやられてスオッキと剣を失ってからが宮部の本領だった。
冷静にコルトナの剣とスオッキを掻い潜り、グルドザがするように突きと蹴りでの攻撃に転じたが、それらすべては囮。本命は投げ技や関節技だったらしく、自分の倍はありそうなコルトナを隙をついて背負い投げた。
音を立てて地面に叩きつけられたコルトナはもちろん、周囲も江間も唖然とした。それなりに身を守れそうだとは思っていたが、本職の中でも結構強い方のコルトナまで、と。
『リカルィデの好みがミヤベみたいな男なら、俺、きついかな……正反対だし』
『そこは気にしなくていいと思うが……』
長かった髪をバッサリ斬り落とし、男性用の巻頭衣を身につけた宮部は、愛想のなさと言動の容赦のなさも相まって、今のところ完全に男だと思われている。
百九十センチをゆうに越えるだろう大柄な体をしゅんと縮めたコルトナを前にそれを再確認して、江間はひそかに安堵した。
王弟の目を宮部から逸らすためには、彼女が男だと思われているほうがいい。宮部が夢で何年も会っていた幼馴染であると、王弟に気づかれたくない。下手に会わせたくもない。
稀人もしくはトゥアンナの孫として、宮部が利用されるのを防ぎたいというだけではなく、ごく個人的な感情がその理由だという自覚がある江間は、乾いた自嘲を漏らした。
『そっか、お前とミヤベも仲いいもんな? 実際、どっちがどうなんだ?』
『俺にとっても宮部にとってもリカルィデは妹だ』
いつもの習慣で宮部との関係については濁した後で、いつまでもこんなことをしている場合じゃないと気づき、江間は唇を引き結んだ。その王弟が帰って来るのだ。
宮部と疎遠になって五年、捉えようとしても捉えられず、かといって決定的に拒絶されるのも怖くて強く踏み込むことができなかった。ずっとイライラしていたが、この世界に来てこれまで知らなかった宮部の色々が少しずつ見えるようになってきた。
だが、理由が違うだけでイライラさせられることに変わりはない、と江間はため息を吐く。
彼女は何を考えているのか、相変わらずわかりにくい。それでも、その近寄りがたい、怜悧な空気が何気ない瞬間に剥がれ落ちる。
「じゃあ、江間、また夕方」
今朝内務処に向かう宮部と別れた際に、彼女が小さく見せた笑顔を思い出して、江間は頭に載せたままだった好水布を急いで引き下ろすと顔を覆った。「……違うだろ、今は宮部じゃなくて、リカルィデの話だ」と独りごち、気を取り直す。
『まあ、リカルィデの後見人も内務処長だし、下手に触ると土木司のおっさんみたいになるぜ』
宮部の激怒の後、オルゲィは即立ち直り、『言動にはその人の価値観が映る――君が職位を利用して他者に無理を強いているという噂の真偽を調べるよう、殿下と土木司長に進言する』と静かに告げた。結果、彼は首にこそならなかったものの、降格の上、ギャプフ村の要塞づくりへと派遣されたらしい。
『内務処長のお嬢さんと仲がいいんだったな。けど、下手じゃないんだが……』
「……」
好水布をずらして横を見れば、コルトナは真剣に落ち込んでいる。
彼は監視としては明らかに失格だ。だが、自分の好意を認めて、誠実に相手に向ける様子に好感を持った。自分がこれまでできなかったことだから、なおさらだった。
『じゃあ、せめてリカルィデ本人に振られないように頑張れ』
江間は再度苦笑を漏らし、その肩を叩いた。
『やあ、エマ。さっきの試合、見学させてもらった。話には聞いていたけど、本当に独特の闘術だな』
『みたいだな。ミヤベもリカルィデも使わないし』
コルトナと二人で休む木陰にもう一人入ってきて、『エナシャ・リィアーレだ』と名乗った。内務処長オルゲィ・リィアーレの息子であり、アムルゼの弟でもある、さっき噂されていたグルドザだ。
王弟シャツェランに従ってディケセル王国の首都セルに滞在していたが、半月ほど先に決まった王弟の帰還を告げる先触れとして、一昨日戻ってきたばかりだという。
『……』
彼が近づいてきた瞬間、側にいたグルドザ、特に年嵩の者たちが眉をひそめて離れて行った。それに気づいたらしいエナシャの顔に苦笑が浮かび、コルトナが口を尖らせる。
五十年ほど前に“護衛していた王女を無理に攫って”、国に仇したグルドザ、コトゥド・リィアーレの血縁として、リィアーレ一族が一部の者たちから今なお疎まれているというのは事実らしく、時折こういう場面を見聞きする。
(宮部が見たら悲しむか怒るか、どっちかな……)
いずれにせよ彼女にはあまり見せたくない。江間はオルゲィと自分の関係に気付いた時の宮部の動揺を思い出して眉を寄せた。
『その、なんて言ったっけ? 「ケンド」? ミヤベはともかくリカルィデが使わないのは当たり前だろ?』
『ああ、そっか。グルドザに女性は少ないんだっけ。いや、俺たちのところでは、女の子でも望めば習えるから、やりたければリカルィデも』
『あんな可憐な子に?』
(可憐ねえ、リカルィデはリカルィデで気がおそろしく強いと思うが)
驚きと非難が混ざったコルトナの目線に、江間は肩をすくめる。
『てことは、エマは一族相伝の武術、終の継承者――ってことになるな』
『おお、すげえカッコいい。俺もそんな二つ名が欲しい……っ』
『じゃ、つけてやる。そうだな、失恋の女神の愛し子とかどうだ』
『……それ、おれが四人連続で振られたことを言ってるんだよな』
『五人だろ、エマの妹も入れて』
『まだ振られてねえよっ』
賑やかなやりとりにつられてか、似た年代のグルドザたちが集まってくる。皆でくだらないやり取りをしてゲラゲラと笑い合ううちに、ここが異世界だということを忘れそうになる。だが、周囲の彼らの頭は緑に紫、黄、ピンク、色々で、笑った時に見える犬歯の数や大きさも違う。耳のサイズや形も様々だ。
『なあ、エマ、そろそろ言葉の方もいいんだろ? だったら、お前、軍に入れよ。第一師団、いいぞー』
『エマなら俺も歓迎する。第三に来いって』
『いや、待て、エマは俺たちと一緒に内務処付きだ』
『内務処なんか行ったら、護衛ばっかだぞ。近衛の方が面白い』
『近衛こそ護衛ばっかだろ! その点外務処付きはいいぞー。外国に行けるし、異国の女と遊びたい放題』
『あー……どうかな』
『お前ら、あんま強引に勧誘すると、内務処長に睨まれるぞ。内務処はエマをミヤベ同様内務処官に、という考えらしい』
王弟の私軍において直接的な戦闘を受け持つ部隊のトップである、第一師団の筆頭兵士団長シドアードが苦笑しながら、声をかけてきた。
『えー、グルドザですらないんですか、もったいねえ』
『そういえば、そもそもお前ら、流行り病の件で内務処長に見出されたんだもんなあ』
『あー、何か聞いた。鉄とか農具とかにも詳しいんだろ。食料司にも出入りしてるしな』
会話に加わっている者の他に、周りで耳をそばだてている者がいる。それなりに有能だと示さなくては必要な情報に近づけない。だが、目立ち過ぎてもまずい。
そう判断すると、江間は『単に常識……で通じるか? 常識が違うんだろ』と肩をすくめた。
『俺らの親たちが、ええと、なんつったっけ、博学?でね。けど、文官の登用試験に受かるのは無理だな。試験の最中に寝る自信がある。ディケセル文字は眠り薬だ。一万テペル賭けてもいい』
『それ、賭けになんねえから』
周りがどっと笑ったことで話をうまく逸らせたことを確認し、江間は内心で息を吐いた。




