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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第10章 化 ―ギャプフー
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10-6.芝居

 あれから微妙に気づまりなまま、アムルゼとの約束の時間を迎え、三人で待ち合わせの場所に向かった。

 村役場の近くに数件ある宿のうち、一番高級な宿に併設されている食堂に入る。

 こちらは酒も飲める気楽な雰囲気で、広い店内の一階は村人だけでなく、砦の建設のために地方からきている職人やキャンプ住まいの日雇い労働者など、雑多な人々でひどく賑わっていた。


『リィアーレ様のお連れの方でいらっしゃいますね。こちらへどうぞ』

 予約がされていたようで、喧騒を離れて二階の一室へと通されるが、アムルゼはまだ来ていない。

 二階の窓からは薄暮のただ中にある村が見えた。木造りの平屋が建設中の壁の際まで広がっていて、ぽつぽつと明かりが点り始めた。あの向こうが避難民キャンプで、惑いの森はそのさらに奥の左手にある。

 三人は油に紐を差したランプに照らされた室内で、給仕の勧める木製の椅子に腰かけた。

「……」

 が、薄い壁ごしにこちらを伺っている気配がある気がして、江間を見れば、彼も頷いた。


『サッ茶でございます』

 昔、祖父が沈丁花の匂いに似ていると評した、この世界でのお茶だ。ここに来てヒュリェルの所で一度口にしたが、甘苦いそれが郁は苦手だった。横を見れば、リカルィデが神妙な顔で口にしているのに対し、好き嫌いのないはずの江間が、露骨に眉を顰めている。

『苦手?』

『ちょっと……』

『あんまり飲んだことないよね。温かいところでしかできないって聞いたし、この辺のかな? 美味しいけど、私も香草茶の方がいいかな、特にロカ』

 人の存在の有無に関わらず、ディケセル語で機会をとらえてイゥローニャを匂わせる会話をする――これができるのはリカルィデしかいない。

 おそらく香草茶は北の特産、ロカは山に関係するのだろう。にこやかに話す彼女を見ていると、さっきアルムゼに疑われて動揺していた子だとはとても思えない。


 そうこうするうちにしびれを切らしたのだろう、アルムゼが年若い男を一人伴って現れた。背は郁と同じか少し低いぐらいだが、物腰や仕草が安定していて、何かしらの訓練をしていることを窺わせる。護衛かそうでなければ……。

『やあ、招いておいて遅刻とは面目ない。こちらは私の連れで、ヤテノッリという。同席させてほしい』

『ゼッカテテ、シリヤ』

(――来た)

 リカルィデの読みはあたった。この男、やはりイゥローニャ族の関係者だ。

『……ええと、はじめましてとよろしく?だっけ、ミヤベ?』

『私もそう思うけど、かなり地域差があると聞いたことがあるから……合っていますか?』

 王都セルの城の蔵書庫にあった民俗学の古い本でイゥローニャの風俗に興味を持ち、そこにいた蔵書師から少しだけ言葉も学んだというリカルィデが微妙に硬い声で応じた。

 彼女が事前に、『一口にイゥローニャ族と言っても血縁ごとのまとまり、氏族がいくつもあって、言葉も文化も違う』と言っていたことを思い返し、郁もにこやかに『山の民でいらっしゃいましたか。同氏以外にお会いするのは、私も初めてです』とヤテノッリに話しかけた。

『……はい』

 ヤテノッリは引きつった笑みで微妙に目を泳がせる。リカルィデの知識量に舌を巻きつつ、その彼女を信じることにして郁は腹をくくった。


 純粋なイゥローニャ族、特に文化を継承している人間は、今となってはまずいないという。数が減ったこと、バルドゥーバ国の追手から身を隠すためにイゥローニャであることを隠したこと、氏族間の繋がりが薄かったことが文化の継承を難しくした理由だそうだ。となると、年若いヤテノッリはおそらくイゥローニャ族の二世三世で、文化や言葉にそう詳しくはないはず。そして、王弟側の人間でサチコ、つまりは日本語と日常的に接していた人間は、王弟のみと彼女は言っていた――。

「では、『アリシル ウッティアラ テゥ』?」

「カッサスル です」

 向こうが話し出すのを防ぐべく、敢えて自分たちから日本語交じりのイゥローニャ語を発した。方言による変化が少ないだろう『私たちの』と『言葉』という単語はそのまま、日本語部分は不明瞭にして、極力短く――。

 心臓がバクバク言っていて、イゥローニャ人たる彼とアムルゼに悟られないか、気が気ではない。

『ええと、アリシルは『私たちの』ですね、『ウッテアラ』は『ウテヤラ』、少し違うけど、『言葉』かな? カッサスルは聞き取れました。……高い山、イゥローニャ山脈の最高峰のことです。『テゥ』は私たちの『チュ』にあたる疑問の語尾。『デウ』?は……『エク』? 断定の語尾かと……その辺は結構違いますね。その、私の祖父母は山脈の東方、ケレッスルの出なので、かなり遠いです』

≪カッサスル山の氏族は最後の最後まで山に残って抵抗したはずだから、メゼルディセル領に仕えているイゥローニャ人がいたとしてもそこの氏族ではないはず≫

 そう推量して芝居の筋書きを組み立てたリカルィデが密やかに息を吐き出す傍らで、山の民の子孫はちらりとアムルゼを見た。

『そうでしたか……』

 リカルィデと同様、内心の安堵を押し隠す郁の横で、江間は肩を落として寂しそうな、残念そうな顔をして見せた。その顔で当人だけでなく、アルムゼからも気まずそうな反応を引き出せるあたり、美形は得だと心底思う。

『でも、久しぶりに、ええと、故郷?の言葉が聞けて嬉しいです。ありがとう』

 落としてから救い上げる――彼は本当に性質が悪いが、味方でいる限りは頼もしい。

『私、山に行ったこと、ないんです。その、言葉も全然なので、江間や上の世代の話を聞いてもよく分からなくて……ヤテノッリさんからも色々なお話を聞かせていただけると嬉しいのですが。って、カチナ セロテ テゥ……で通じますか?』

『それだと、話を聞くか、になるな。聞かせてならセロトゥだ』

『うちのほうだとセロチュウになりますね』

『……やっぱりちょっと難しいや』

 リカルィデのおずおずとした申し出とそれに応じた江間の会話も、事前に練られたものだ。その意図がイゥローニャ語での会話を封じることにあると気付かず、根が正直者らしいイゥローニャの若者は微妙に戸惑いつつも頷いた。

『うわあ、ありがとうございます。一族のことを知りたいんです、お母さんがすごく色んな人たちがいたって昔教えてくれて』

 満面の笑みを見せたリカルィデに、彼とアムルゼの雰囲気が和らぐ。

(本気で江間に似てきたな……)

 こっちも頼もしいといえば頼もしい。だが、心配にもなってしまって、郁は誰にもばれないよう小さく息を吐き出した。


『では、師の親族の皆様は、今はご領主さまの許におられる』

『はい、行方をたどれる者の多くが殿下の許に集まりました』

『もしかしたら、師もおられるかも……ご存命であれば七十歳くらいでいらっしゃると思うのですが』

『であれば、私の祖父と同じくらいです。失脚前、つまり質のいい教育を受けられた世代なので、生きておいでなら、シャツェラン様はご存知かもしれません。確認してみます』

『え? ご領主さまご自身が? その、失礼かもしれませんが、臣下、のことですよね?』

 食事をしながらの郁の問いに、アルムゼは『我らもその信頼に身命を賭して答える所存です』と誇らしげな顔で頷いた。

(――あれだけお祖父さまを悪しざまに罵っておきながら、その一族を利用しているというわけか)

 打ち合わせ通りアムルゼと二人で話し込みながら、郁は幼馴染への憎悪を募らせる。

 それから自らのはとこにあたる青年を見つめた。少し青みがかかった髪といい、はしばみ色の目といい、彼の父であり、祖父の甥でもあるオルゲィ内務所長によく似ている。

『そうすることで救われる人たちがたくさんいるはずですから』

 そして、善良で人がいい――静かに話し、柔らかく目元を緩めたアムルゼ・リィアーレから郁はそっと視線を逸らした。印象がそのまま祖父に重なる。自分たちがまっすぐだから他人が、シャツェランが自分たちを利用していることに気付けない、もしくは気づけても気にしない。嘘をつかないから、郁たちが計算しつくして騙しにかかっていることにも気付けない。


『山のロニャ牛のミルク、懐かしいな。本当にうまいんだよなあ』

『ここらでは見かけない』

『ここは暑すぎるからな。俺の育ったスルチカならロニャ牛もちゃんと育ったぞ』

『へえ』

『ただ、ケレッスル山の湖には、ザーモが住んでてなあ。時々呪いの風を吹かせるから、ロニャ牛も山に放しとくと帰ってこない時があるんだ。ちなみに、うちの氏族がスルチカに降りたのもそのせいだよ。バルドゥーバにやられてただでさえ数が減っていたところに、風が吹いてかなりの人数が死んだんだと』

『悪い霊によって呪われた? ってどういうこと?』

『なあ、ヤテノッリさん、その湖のこと、詳しく教えてくれよ』

 横のテーブルでは、リカルィデからさりげない助けを受けつつ、江間がいつの間にかイゥローニャ人と打ち解けていた。だが、実のところ自分は何も情報を出さず、相手から取った情報を次々に広げているだけだ。

(私もひどいけど、江間も大概だな)

 彼は向こうでもずっとそんな風だったと思い出して、郁は唇の端に苦笑を乗せた。口数が多く、うまく会話や場を盛り上げる一方で、自分のことは実はほとんど話さない。実に油断のならない男だった。


『今日は、ありがとうございました』

『明後日からの道中も、よろしくお願いいたします』

『あの、楽しかった、です。ええと、領都も楽しみにしています。ので、その、よろしければ、色々教えてください』

 江間と郁の別れのあいさつに、リカルィデが続いた。はにかむ彼女に、食事が始まった時より打ち解けた雰囲気になっていたアムルゼは、相好を崩して頷いた。ヤテノッリも、柔らかい雰囲気で会話に加わっている。

 美少女の他愛ないお願いを無下にできる人間は逆に信用できないとは思うものの、なんだか心配になってきて、「……あれも教えた?」と小声で江間を横目に見れば、彼は「応用したんじゃね? お前にはできない芸当だな」とくつりと笑った。

「確かに。江間はできるものね、相手が男でも」

「……前々から一回聞こうと思ってたんだが、お前、俺をどんな奴だと思ってるんだ」

「見た目がいい上に、誰にでも愛想がよくて極めて親切。で、男女問わずいつも人を引き連れていて、合コンや飲み会に引っ張りだこ、複数の女性とお付き合い。たまに男性にもそういう意味で声かけられてなかった?」

「はあ? 複数ってなんだよ、それ。俺、大学入ってから、彼女作ったことないぞ? 男も…そりゃ声かけられたことがないわけじゃないけど、付き合ったことはもちろんない」

「一年の学祭で江間の後輩だっていう女子高生に、「和樹に近寄らないで」って。あと、その後もそれぞれ別の子に何回か似たようなことを言われたけど……」

「一年の学祭、女子高生って……まじで? 俺、そいつと大学入ってすぐ別れたけど……てか、他のやつら、誰だよ……」

「そうなの……?」

 驚いて目を丸くすれば、江間も呆然としている。その様子とこっちの世界に来て知った彼の、実は真面目な性格を考えると、きっと本当のことなのだと悟った。

 ストーカーチックなのに付きまとわれる気持ちが痛いほどわかってしまって、同情の気持ちが湧いてくる。


「ひょっとして一年の秋頃、お前がいきなり感じ悪くなったのって、それ?」

「まあ、そう、かな。妹が江間に迷惑かけ始めたというのもあったし……」

「まじか……」

 その直後にあの学科の親睦会だった。それを江間本人には悟られたくなくて、郁は咄嗟に濁す。


≪江間ぐらいモテたら、選びたい放題、遊びたい放題なんだろなー。で、どんな子がタイプなんだ?≫

≪別に決まってねえよ。そんな話よりこの間の≫

≪今話題わざと変えようとしたでしょ? ねえねえ、じゃあ、私は?≫

≪江間はあの堅物宮部とも仲いいし、清楚な真面目系が好みなんじゃね? 処女っぽいし、加藤は無理だろ≫

≪宮部さんは清楚って言うより、地味なだけじゃん。シスコンの妹がちょろちょろしてるみたいだし、ボッチだし、江間君優しいから、ほっとけないんでしょ。大体、今時処女じゃなきゃとか言う男、ダサくない?≫

≪処女だと尽くしてくれそうじゃん。宮部とか、惚れさせたら言いなりになってくれそうだし、俺、狙ってみよっかなー≫

≪そうか? いかにも処女って子は重たすぎて論外。宮部みたいなのとか≫

 かなりの部分で当たっていると思うけど、皆よく好き放題に言ってくれると思った。そして、席を外して戻ろうとしている時に、そんな話を聞いてしまう自分の間の悪さを呪った。


 話題をあの飲み会から逸らしたくて、「あとの江間のイメージは、」と話を戻す。

「遊びまわって授業にも出ないとか? 試験の時にノートとか借りに来るのは、百歩譲っていいとして、その癖成績がいいとか聞いた日には、後ろから蹴り飛ばしてやろうかと真剣に悩んだ」

「ちょ、待てっ、「お役に立つかわからないけど」とか言ってノート貸しときながら、裏でそんなこと思ってやがったのかよっ。一応言っとくけどな、授業はお前ほどじゃないけど、ちゃんと出てたぞ。お前が欠席ゼロだったのも、必ず一番前の席にいたのも、佐川先生と遠藤先生の授業が特に好きだったことも、田垣の授業に耐えかねて舟漕いでたのも、ちゃんと知ってる」

「じゃあ、字が汚すぎて、あとで見たら自分の書いた字すらわからないタイプ?」

 だが、研究ノートは走り書きが多いものの、読めないほどではなかった気がする。昔貸し借りした時のノートだって……。

「……好きに言ってろ」

 むすっとして江間はそっぽを向いたけれど、食事に行く前の重たい空気が消えたことに、郁は胸をなでおろした。


 リカルィデたちの話はまだ弾んでいるようだ。

『ここの友達と別れるのは、寂しいです。せっかく仲良くなれたのに…』

『領都に行ったら、僕の弟妹を紹介するよ。妹はちょうどリカルィデと同じ年なんだ。きっとすぐに友達になれる』

 なるほどアムルゼには妹がいるらしい。リカルィデへの気遣いの理由がわかって、こちらもホッとする。彼女を見つめる彼の瞳は祖父と同じはしばみ色、目元が優しく緩んでいることもあって、既視感を覚えた。

「……」

 その顔が、病室のベッドから傍らの自分へと腕を伸ばしてきた時の顔に置き換わって、郁は慌ててかぶりを振った。

(違う、優しく、気高い人だった。だから、今際のあれは意識が混濁していただけで、本当の祖父ではなく……――ホントウニ?)

 無意識に胸元に手をやり、服越しに月聖石の感触を確かめる。

『……ろう、ミヤベ。ミヤベ? 聞いている?』

「……っ」

 リカルィデに腕を引っ張られて我に返ると、郁は焦りながらもアムルゼたちに再度辞去の挨拶を口にした。


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