10-7.旧友
「とりあえずやり過ごせたな、お疲れ」
「でも……でも、やっぱり時間の問題だと思う。エマがイゥローニャ語を話せないのもじきにばれるだろうし、領都に行ってもまだ疑われているようだったらさらに厳しい。日本語がわかる王弟か、ヤテノッリのお爺さんたちみたいな、イゥローニャの老人とかカッサスルの元住民とか出てきたらすぐわかっちゃうと思う」
「だな」
「そんなあっさり……エマはなんかいつも、ええとなんだっけ、」
「軽い?」
「そう、ミヤベの言う通りだ、かるい!!」
「重苦しくしたからって、状況が変わるわけじゃないからなー」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
郁は江間とリカルィデと家路を辿る。村の大きな通りだが、そろそろ店じまいのようで、そこかしこの商店から外明かりを落とそうと従業員が出てきていた。
酔っ払いがそこかしこで騒いでいて、千鳥足の五人連れの一人が郁にぶつかりそうになった。隣の江間に何気なく肩を引き寄せられる。
足を大股に運んでその手からも男からもするりと逃れながら、郁はアムルゼ・リィアーレの様子を思い返した。
アムルゼも彼の父であるオルゲィ内務所長も、おそらくひどく真面目で善良な人間だ。自分が人をだまさないから、人を疑うのも得意じゃないのだろう。確かに彼らは祖父の血縁だと郁は苦笑する。
では、一度疑惑をぬぐったはずのオルゲィが、なぜまた息子をよこしたか? しかも、傍らにはイゥローニャ族。彼がイゥローニャとして自信なさげだったことを考えれば、無理を押して連れてきたのではないか。ならば、おそらくオルゲィやアムルゼの思惑ではない。
(シャツェランだな)
軽く癖のある金色の髪と、意志の強さを秘めたサファイアのような瞳を脳裏に浮かべる。
彼、王弟シャツェランには、一を聞いて十を悟る聡さがあった。夢でお互いの姿を見るようになった当初は、当然まったく言葉が通じなかった。それでなお何とか意思疎通ができたのは、彼の察しの良さによるところが大きかったように思う。
自分の信念に忠実で、納得がいくまで追求する執拗さもあった。
身分が身分だから仕方がないのかもしれないが、ナチュラルに他者を自分より劣ると見なす傾向があって、それが良く出れば、弱者への寛容さになり、悪く出れば、他者の話を聞かない尊大さとなる。
つまり彼の性格を考えれば、信頼する部下の言葉であっても鵜呑みにしない可能性は高い。
アムルゼをよこしたのは彼で間違いない、と結論して、郁は目を眇める。
あいつはこの後どう出てくるだろう、と考えて、今の彼を思い描いてみた。
十二の頃に喧嘩別れしたきりで、顔貌はもうはっきりとは思い出せない。でも、美形は美形のままのはずだ。だから、外見で嫌な思いをして自尊心が折れるということは、間違ってもない。
(性格は変わったかな)
傲岸不遜を地で行く性格だったが、一緒にいて不快になることばかりではもちろんなかった。霧の中お互いしか見えない状況で、お互いのことや世界の話をすることもあれば、ジェスチャーゲームなんかをして一緒に馬鹿笑いすることもあった。彼が簡単に激昂することもあって喧嘩することも珍しくなかったが、その度になんとなくであっても仲直りすることもできたのだ。
向こうの世界にある、こっちでも作れそうな物や応用できそうなことの話もたくさんした。トイレを含む排水設備や自転車、製紙、病気や治療、食品衛生など日常のことから、政治や社会の仕組み、進化論や世界・宇宙の成り立ちなどにいたるまで……。だからこそ喧嘩別れするまで、眠りにつくのに苦労するほど、会えるのを楽しみにしていた。
そんな関係が終わった最後の喧嘩で、彼は郁の妹の言葉を信じて、郁の祖父コトゥド・リィアーレを痛罵していた。なのに、大人になった彼は、わざわざリィアーレ一族を探し出して重用しているという。
あの後、彼は郁を二度と“呼ばなかった”。だから祖父とその一族を変わらず蔑み続けていると思っていたのだが……。
(そういえば、あれから一年くらいの間、電話をかけて来たりわざわざ訪問して来たりで、佳乃からマウンティングを受け続けたんだっけ……)
ところがある日、妹は幽鬼のようになって郁を訪ねてきて、シャツェランに会わせてくれと泣き喚いた。ちょうど祖母が入院した時で激怒して追い返したが、あの時何かが起きていたのだろうか?
「……」
妹のことを考えるたびに寄ってしまう眉間の皺を指で広げながら、少し我慢して話を聞いておけばよかった、と郁はため息をついた。
村やキャンプの人間から聞く、メゼルディセル領主としてのシャツェランの評判は、かなりいい。若く美しく、聡明で慈悲深く、有能。同時に、バルドゥーバに対抗できる唯一の存在として期待されている。サチコから彼の話を聞いたというリカルィデが持っている印象も、似たようなものだった。
つまり、郁がそうであるように、シャツェランにも変わった部分と変わっていない部分がある――妹とトゥアンナへの好意と無条件の信頼、自分と祖父コトゥドへの罵倒と蔑視を思い出す度に嫌悪と怒りがこみあげるが、これに惑わされ過ぎれば、おそらく判断を間違える。
「なあ、宮部、王弟のこと、聞かせてくれ」
「っ」
突然話しかけてきた江間に自分の頭の中を言い当てられて、郁は息を止めた。
視線を横にスライドさせて江間を見れば、点在する店の明かりに鋭い印象の顔が淡く照らされている。
「悪いが状況が変わった。あの時、オルゲィは俺たちを稀人疑惑から外していたはずだ。なのに改めて人をよこしたってことは、オルゲィの報告を聞いて尚、疑い続けてる奴がいるということになる」
「それで、その、内務処長の判断を覆せるとなると、やはり王弟しかいないかな、と思って……」
悪びれず言い放つ江間の横にいると、「この間聞かないって言ったところなのに、ごめん……」と、顔に書いてあるリカルィデの可愛さが際立つ。
(江間のこういうところが嫌なんだ)
彼はどこまでも合理的に、自由に物を考えて行動する。必要だと思えば、常識も前言もあっさり手放してしまう。
郁は長々と息を吐き出し、口を開いた。
「夢で会った」
「……はあ?」
「夢で会っていた――信じられないだろう?」
だから言わなかったんだ、とばかりに郁は肩をすくめる。
その傍ら、核心を隠すべく計算を巡らせた。おそらくシャツェランをだますより、江間をだます方が難しい――最新の注意を払って“罠”を張らなくては。
「……こんな場所に現実に来てんだ、信じないわけじゃない。話せ」
「物心つくかつかないかの時から見ていた夢だ。夢と言っても話ができたし、手を触れるぐらいの感覚ならあった。最後に会ったのは、中学に入るくらいの時。トゥアンナがあっちに逃げた責任が彼女にあるか祖父にあるかで揉めて、憎み合ってそれきりだ」
「……」
最初の衝撃をかわしたらしい江間も、流石に言葉が見つけられなくなったのだろう、口を噤んだ。




