10-8.虎除け
「多分ディケセル王族には、珍しい能力じゃない。リカルィデも夢であっちの世界を見たこととかない?」
郁はリカルィデを誘導しようと話を振る。
「……薄い、霧の中、で、綺麗な、カピカピ、じゃない、ピカピカ?な光る赤色の箱……輪がついた、サチコが「クルマ」と言っていたのが、つなぎ目のない石の道、を走っていて……」
(――あたった)
半ば放心したようにリカルィデが話し始めるのを見て、郁は胸をなでおろす。
「男の子、私より少し年上の子が、小さな柵の中で、茶色い丸いの、ボール……?で、遊んでいた……。ショータ、サチコ、の息子は、あんなふうかもって……」
「一回だけ?」
「そ、のあと、二回……で、でも、あれは、私の想像だと……」
リカルィデはもごもごと言って視線を伏せた。
それが真実サチコさんの息子の姿か、リカルィデが言う通りサチコさんの話から彼女が頭の中だけで作った姿かは、現時点でははっきりわからない。だが、郁にとって重要なのは、江間とリカルィデの目を最も隠すべきことに向けさせないことだ。
「私の血縁上の妹も、王弟に夢で会って話したと言っていた。ゆかりのある人間とつながりやすいんじゃないかと推測している」
嘘は何一つついていない。ただ、話していないことがあるだけ――
「……あ。じゃあ、私が森で誘った時、王弟のところに行くのを嫌がったのは……」
「一番は彼を信頼できる人間だと思っていないから。二番目は、ごめん、個人的な事情だった。万が一私だと気付かれたら、稀人だとばれるだけじゃすまないかもしれ」
「っ、何考えてんだっ、それで王弟の城に潜り込む? どう考えたってお前が一番まずいだろうっ。このっ馬鹿っ、やっぱ無理にでも聞き出すべきだった!」
「……」
常に余裕を見せている江間が突然怒鳴ったことに、郁は面食らった。
(……ああ、江間こそ本物の馬鹿だ。私にそんな価値はないのに)
怒っているのに悲しんでいるようにも見える江間の顔を見て、泣きそうになるのを「そうまずくもない」と首を振ることで、やり過ごした。
「この髪をしていれば、この国の人間はまず間違いなく私を男だとみなす。ここに来てから私に性別を確認してきたのは、ヒュリェルだけだ。統官もオルゲィも無意識に私を男として話をしている。今日のアムルゼたちもそう。シャツェランは思い込みの激しい性格だったし、規範にもうるさいから、なおさらだと思う」
キャンプに来て更に短くした、あっちの世界ならベリーショートに分類される髪を一筋つまみ、郁はリカルィデを見る。
「……確かに髪の短い女性、特にディケセル人はいないかも。髪の長さが美人の条件だし、髪を切られたり、なくなったりした女の人が、死ぬ、ええと自殺人?したという話も聞くし……」
釣られた江間の視線も受けて、リカルィデはもごもごと返した。
「顔貌も多分大丈夫」
「……なんで?」
「王弟はすさまじい美形だったと記憶している。なのに、もう思い出せない。私が相手なら、向こうは猶更じゃないかな。私の後彼は毎晩のように妹に会っていたらしいから、私の方は絶対に印象に残っていない自信がある」
言ってしまってからあまりの自虐に思わず苦笑すれば、江間と目が合った。
「俺はお前の妹の顔は思い出せなくても、お前の顔は思い出せる」
「そりゃあ、大学から今に至るまで、毎日のように会っているわけだし……」
「十年後でもだ」と不機嫌に呟いて、江間は郁に向き直った。
「宮部、性別を隠せ。絶対に、だ」
いつになく厳しい顔と口調で命令されて、郁は眉を跳ね上げる。偉そうでムカつくことも多いけれど、彼がこんなふうに何かを強要してきたことはなかった、とそれで気付いた。
「ええと、どういうこと?」
「稀人だと疑われないために俺たちが使っているカードは三枚、一つがイゥローニャ族を名乗っていること、二つが女で子供のリカルィデが一緒にいること、そして三つ目が宮部が完璧なディケセル語を話せること。一つ目が崩れてイゥローニャじゃないとばれても、二つ目三つ目が稀人だという疑いから俺たちを隠してくれる。少女が稀人と一緒にいるはずがない、ディケセル語を完璧に話せる稀人はいないってな」
江間は「だが、王弟だけはディケセル語を完璧に話せる女の稀人が、存在しうることを知っている」と続けながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「稀人かもしれないという疑いに言葉ができて、実は女という情報が加われば、王弟はまず間違いなく宮部を連想する」
「え、それって最悪、じゃないか……もし女だってばれたら、稀人ということだけじゃなくて、トゥアンナ王女の子孫だということも明らかになっちゃう……」
「それだけじゃない。リカルィデの正体も一緒くたに疑われる」
「大丈夫、その時はその時でそれを利用する――だからこそ領都に行ってから周囲にイゥローニャじゃないと疑われるなら問題ないし、リカルィデも大丈夫だ」
喘ぐように呟いて蒼褪めたリカルィデの頭をなだめるように叩きながら、郁は「江間も気づいているだろう」と人の悪い笑みを見せた。
「「――リィアーレ」」
綺麗に声が重なって、郁はくすりと笑いを零した。だが、江間のほうは大きく顔を歪めた。
「……自分を身の代にしようって言うのか」
「安全ばかり気にしていたら帰れない。どうせ虎穴に入るなら、虎の寝首をかく算段くらいつける」
「……やっぱり反対すべきだった。一番大事なところをしれっと騙しやがって……性格が悪いにもほどがある」
(……ほんとバカだなあ、気にしなくていいのに)
言葉の上で人を罵っておきながら、江間はひどく苦しそうな顔している。郁は「何を今更」と苦笑を零した。
「ミノシロって何……? コケツ……? 危険なことをしようとしているってこと……?」
動揺するリカルィデに珍しく反応せず、江間は沈んだ口調のまま「王弟はリィアーレを取る性格なのか」と続けた。
「基本的に聡明で合理的だったから、おそらく」
「美形で聡明、ね。王子様そのものだな」
「尊大さが寛容さと残酷さの両方に繋がるあたりも」
「……随分と親しかったんだな」
江間の探るような視線に、郁は自嘲を顔に浮かべた。
「それでも彼も他の人と変わらなかった。私と彼が仲違いしたのは、彼が妹の言うことを信じて私を嘘つきと決めつけ、祖父を罵ったから。その程度の間柄だ」
一瞬で「まずいことを言ってしまった」と申し訳なさそうな顔になるあたり、江間は本当に育ちがいいと思う。
「その時王弟は妹の話のまま、トゥアンナは誘拐された被害者だと祖父を断罪していたんだ。その彼が今何を考えて祖父の親族を探して重用しているのかがわからないけど、せいぜい利用してやるさ。妹とも、一年後ぐらいかな? 仲違いしたらしいというのはなんとなく知ってるけど……」
「彼ら一族の不遇をただ利用しているのか、それとも考えを変えたか」
「腹立たしいのは確かだけど、王弟の性格からすると前者はない気がする」
眉根を寄せつつ「まっすぐな気性で卑怯を嫌う性格だった」と付け足せば、江間も苦々しく顔を顰めた。
「王弟の性格? が、どう関わるんだよ……」
「なあ、あれがお前の周囲の人間に付きまとうようになったの、中学の半ばって言ってなかったか? あれが王子様と会わなくなったって頃と一致してないか?」
「妹? アヤの? だから何なんだよ、わかんないってば」
「そう言えば、そうだね…」
間に立つリカルィデがいらいらと頭を掻きむしり始めたが、直後に続いた彼の言葉に気を取られた。
(あの子がシャツェランと会えなくなったと騒いでいたことと、私の友人たちへの付きまといは関係している……?)
「……」
江間の表情が一層険しくなった。口を開けては閉じると言う行為を何回か繰り返した後、「なあ、王弟はひょっとしてリィアーレというか宮部、お前のこと」と迷うように口にした。
「っ、ぜんっぜんわからないっ。もういいっ、心配してるのに……っ」
「っ」
いきなり涙声で叫んだリカルィデに、郁は慌てて意識を向けた。
「あ、と、ごめん、リカルィデ、ちゃんと説明す」
「もういい、どうせわからない」
むくれて家へと速足で歩き出した彼女を郁は慌てて追いかけるが、江間は来ない。振り返れば、その場に佇んだまま眉間にしわを寄せて何かを考えこんでいた。
「江間?」
「……」
郁の声に顔を上げた江間の表情に、心臓がはねた。
無言で見つめ合っていた時間は、物の数秒だったはず。だが、ひどく長く感じた。楽しければ笑い、ムカつけば怒り、悲しければ悲しいと言う顔をする彼からは、いつもダイレクトにその感情が伝わってくる。なのに、今はわからない。
「やっぱり私は、てあしまといなんだ」
「っ、ちょ、ちょっと待って、誤解。あと、それを言うなら足手まと」
「っ、そんなのは今どうでもいいだろっ」
後ろから響くリカルィデの声は涙交じりだ。様子のおかしい江間とリカルィデ、どちらを優先すべきかまごつけば、その様子を見ていた江間が小さく苦笑を漏らした。
「……」
それになぜかひどく安堵する。
「あー、確かに俺たちが悪かった。ちゃんと話すから」
リカルィデへと歩き出した江間の後を追う。
逃げ出すように再び歩き出したリカルィデの小さな細い背を見ながら、「帰るとこ、どうせ一緒なのに」と呆れ笑う江間の横顔を郁は知らず見つめた。
「……」
黒い瞳がこちらを向く。確かに目が合ったのにすぐに逸らされて、胸のどこかがちくりと傷んだ。
瞬間、隣り合った手を取られ、ぎゅっと力が籠められて、また心臓が大きな音を立てる。
前を向いたまま、無言のまま、握った手を引いたまま――彼は足を動かす。先に先に進んでいく。さっきまでは見えていた横顔すらもう見えない。ただ彼の黒と茶の髪だけが秋風に靡いている。
「……」
振り払おうか、と思う。振り払うべきだ、とも。
(誰かと手を繋いだの、いつ以来だったっけ……)
けれど、握られた手から伝わってくる感触に意識を囚われて、結局できなかった。




