10-4.“性悪”(リカルィデ)
『お帰り、リカルィデ』
『……』
八つ当たり気味に家の入口の扉を乱暴に押し開いたリカルィデは、宮部にディケセル語で迎えられて面食らった。
小さな窓が二つしかないこの小屋は昼でも薄暗い。徐々に暗がりになれていく目に、宮部の横に立つ、彼女と同じぐらい背丈の影が映った。
『……誰?』
『こんにちは』
リカルィデが問いを発するのと、その人物が含みのある笑みと挨拶をよこすのは同時だった。
『……こん、にちは』
何とか挨拶を返したが、彼の横に立つ宮部の顔が固かったこともあって小声になってしまった。
『リカルィデ、こちらはメゼルディセル領内務処のアルムゼ・リィアーレさん』
『リィアーレ?』
『はい、先日ミヤベとエマに会ったのは、私の父オルゲィです。皆様を領都へご案内する役目を仰せつかりました』
(案内のために迎えに来た……? 内務処長の息子がわざわざ?)
混乱するリカルィデへとその男が歩み寄ってきた。
『あなたがリカルィデさんですね? まだ十二歳と聞いていますが、噂通り美人ですね。瞳が実に美しい、御髪も』
そう顔を覗き込まれて息を呑んだ。言葉は自分を褒めるものだが、何かを探るような目つきをしている。
(ばれた? もしくは疑われている? 私がアーシャルだと……?)
金の髪に青の瞳は珍しくないが、ディケセル王も王弟も同じだったはずだ。
宮部が刺すような視線をアルムゼの背に注いだこともあって、背筋が寒くなる。体が細かく震え出したのを感じて、縋るように彼女を見つめれば、それに気づいてくれたのだろう、宮部は眉を跳ね上げた後、柔らかく笑った。
『十三になりました。申し訳ないのですが、年頃の女の子ですのでご配慮いただければ』
『……これは失礼』
『中身はまだなんですが、外見が成長してきてしまって……。外で嫌な目に遭うことが増えて、大人の男性が今ちょっと苦手なようです』
静かに歩み寄ってきた宮部に引き寄せられ、さりげなく背に回される。その陰に隠れて、リカルィデは止めていた息を吐き出した。女の子だと強調されるのは複雑だが、アーシャルを連想されないようにしているのだろう。
『そうでしたか。ますます申し訳ない。しかし……親戚だと聞いていますが、あまり似ていませんね。あなたともエマとも』
『血も繋がっていないわけではないですが、私たちの場合場所の繋がりの方が大きいので』
冷や汗を流すリカルィデの前で、宮部は平坦にそう言い、『あれ、アルムゼさんは江間をご存じなのですか?』と首を傾げて見せた。
『……ええ、まあ』
『あれは派手な男ですからね。十分の一でも似ていれば、私ももう少しモテるんですが』
肩をすくめてそう言って、宮部はアルムゼからも笑いを引き出した。
『ああ、こちらこそ失礼いたしました。リカルィデ、お茶をお出ししてくれるかな?』
『あ、うん』
宮部に入り口から見て右、煮炊きに使うゴーゴの置かれている方へとそっと背を押された。おずおずとそちらに行き、陶製の容器の中の種火を取り出して、ゴーゴの火を起こす。煙が立ち、ぱちぱちと木が爆ぜ始めた。
その音を縫って漏れてくる、少しだけ離れた場所の会話を聞き取ろうと、リカルィデは耳に神経を凝らした。自分の心臓からいつになく速い鼓動が聞こえて来て邪魔をするのが苛立たしい。
『二人で会話するときもディケセル語なのですね』
『残念ながら、あの子は私たちの言葉がそう得意ではありませんから』
『エマとも?』
『半々です。江間は逆にディケセル語が不得意ですから、その練習もかねて』
『慣れない言葉を常に使うのは大変でしょう? 私が同道する際にはイゥローニャ語、あなた方の言葉でお話しくださって結構ですよ』
探られているのは気のせいではない――そう悟ってリカルィデは全身を震わせた。自分だけじゃない、宮部たちも稀人だと疑われている。
(どうして? 内務処長をやり過ごしたと、王弟の許に誘われはしたものの、行くも行かないも宮部たち次第という態度で、何をするわけでもなく帰っていったと聞いていたのに)
『お気遣いありがとうございます。ですが、できるだけ周囲の人間がわかる言葉で話しなさいと両親に戒められています』
困ったように眉を顰め、宮部は頬をかく仕草をする。
『ディケセルに下りた際に、周りの人にわからない言葉を使ってトラブルになったことがあったようで……もちろん、オルゲィ様やアルムゼ様はそんな方でないと存じておりますが、周りがどう思うか。ただでさえ、私たちは目立ってしまいましたし』
『双月教徒、バルドゥーバ人との軋轢は聞いています』
『それもありますが、今回のも、なのです。王弟殿下のおられる領都に憧れる人はやはり多いですから。とても華やかな場所だと口々に聞かされています』
『そうでしたか……』
苦笑してみせた宮部に、アルムゼの顔に申し訳なさが浮かび、次いでそこに誇らしさが紛れ込んだ。
『……』
(あれだ、「宮部は性質がわるい」とエマが愚痴っていた……)
今朝汲んできた水を甕から掬い取って火にかけながら、リカルィデは二人の様子を盗み見る。
アルムゼには確かに索敵の意志があった。それに気づいている宮部は、警戒も敵意もあるはずなのに、そうと見せない。
普段ならあり得ないほど様々な表情を見せるのも口数がいつになく多いのも、アムルゼを騙す気だからだ。
『そういえば、オルゲィ様が私の師はリィアーレ一族の出ではないかと』
『あ、ああ、それで父も私もその方の名前を聞きたいと思っているのだが……』
アルムゼは宮部の“師”について詳しく質問することで、稀人かそうでないかを判別するつもりだったのだろう。宮部の方から話を持ち出されて、彼は面食らった顔をした。気づいていないはずはないのに、宮部は彼の様子を無視し、考え込むような表情を作っている。
『そうですか……。実はずっとリィアーレ先生とお呼びしていたので、オルゲィ様にお心当たりがあれば、詳しく教えていただきたいと思っていました。先生は勉学だけでなく、人として大切なことを私に授けてくださった大恩人なのです』
『……尊敬していたのですね』
『はい。自分がなすべきと信ずることをせよ、と。迷った時はいつも師の言葉を思い出します』
『……一族の者が皆教えられる言葉だ。私も父に聞かされました』
『ではやはり……』
感慨深げに呟いたアルムゼに宮部も小さく、だが感極まったように聞こえる声を返した。
『……』
リカルィデが帰ってきた時には、確かにアルムゼのペースで事が進んでいたのに、いつの間にか流れが変わっている。
江間の「性質の悪さ」が生まれつきのものだとしたら、宮部の「性質の悪さ」は後天的なものだ。完全に計算している。
つまり彼女の普段の口数の少なさは、話せないんじゃなくて話さない――面倒くさがりミヤベめ、そういう意味でも「性質が悪い」ぞ、と眉を顰めつつ、リカルィデは、ゴーゴにくべた片手の薬缶を手にした。
『……』
けど、そんな宮部や江間のしたたかさにいつも助けられているのは、他ならぬリカルィデだ。
(このまま“お荷物”で良いのか……?)
江間の取り巻きの女性に言われた言葉を思い出し、リカルィデはお湯を茶皿の茶葉に注ぎながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。
≪おまじないをあげる。あなたはちゃんとやれる。必要なことは全部教えた。あなたは誰より努力してそれを身に付けた。だから時が来たら、大きく息を吸ってこう言いなさい――≫
「大丈夫、私はやれる……」
それから深呼吸して、サチコから授かったおまじないの日本語を唱えた。
『……どうぞ』
『ああ、ありがとう』
アルムゼにお茶を差し出しながら、リカルィデは緊張に手を震わせる。宮部達が自分を助けようとしてくれるように、自分だって彼らの役に立ちたい。
(やれ――ミヤベだってあんなに完璧に男のふり、稀人じゃないふりをしているじゃないか。サチコが大丈夫って言ったんだ、私、私だって……)
『……』
聞き咎められないように、息を吸い込む。確かこんな風、だったはず――。
『……ど、ういたしまして』
口の端を小さく上げて少し頬を染め、目を潤ませて上目遣い。目が合ったらサッと視線を下へ逸らしつつ、さらに頬を赤くして、口元を軽く握った手で隠す。
『……あ、ああ、なるほど、統官やミヤベが心配するはずですね』
少女らしく見えるように振舞おうと、江間を囲む女性たちの仕草をまねてみれば、なんとか成功したらしい。アムルゼは放心したように自分に見た後、茶を飲もうとして、熱さに慌てた。
『……』
成功した、ような気がする。喜ぶべきか否か複雑な気持ちになるが、まあいい。問題は、宮部がぽかんと口を開けて静止した後、盛大に眉をひそめて額を抑えたことだろう。
戸口に足音が近づいてきた。
「……」
宮部の目配せを受けて、リカルィデは即気を取り直すと、そちらに向かった。
「宮部、ちょっと話があ」
『お帰り、エマ。お客さんがいらしてるよ、オルゲィ様の息子さんだって』
リカルィデは思いつめたような顔で入ってきた江間を強引に遮る。できるだけ無邪気に見えるように、できるだけ明るくみえるように。
『江間、こちらはアルムゼ・リィアーレ様だ。領都にご一緒してくださると』
リカルィデの後ろからそう声をかける宮部の顔には、普段なら絶対に見せない類の微笑が浮かんでいる。
面食らったような顔をしていたのに、今回も江間は宮部の意図を正確に読み取った。すぐに感じのいい笑みを浮かべて、江間はアルムゼに歩み寄る。
『本当ですか、ありがとうございます。私たちだけで大丈夫かと、思っていたところだった、でした。本当に嬉しいです。な、宮部』
『ああ』
『慣れない?ことが多いと思います。ごし、ご指導、よろしくお願いします……って、こうするんだっけ?』
江間は背が高くて、筋肉もしっかりしている。ともすれば相手に威圧感を与えるだろうに、その人懐っこい笑顔と仕草で、そう感じさせない。
ディケセルのグルドザ式の略礼をまねて見せた江間に、アルムゼは素で笑顔を見せた。




