8-3.幼馴染(シャツェラン)
メゼル湖畔の自城の執務室。オルゲィ・リィアーレからの報告に目を通した王弟シャツェランは、不機嫌な溜息を吐きながら、書類を執務机の上に放り出した。
半年ほど前に現れた稀人のうち、行方不明の男女を探して、既に数か月経とうとしている。
彼らはこの世界とは異なる知識を持っているはずだ。前回のサチコほどでないにしても、過去の多くの稀人が、皆それなりに有用な者であったことを示す記録が、数多く残されていた。そうでない者は暫くの後、神などへの贄とされることもあったようだが。
『生きているはずだ……』
そう呟いて、シャツェランは眉間の皺を深くした。
ゼイギャクの城に見舞いに行き、稀人の女が残したと言う髪を見た瞬間、少なくとも彼女は生きていると確信した。あれは『切り裂くもの』によって切られた髪ではなく、事前に人の手で切られたものだ。
稀人は異物、生きているのであれば、そのうち存在が浮かび上がってくるはず――シャツェランはそう見ている。
だが、今のところ神殿をはじめとする反バルドゥーバ派が、稀人を有している気配も、それらしき者に助力している気配もない。バルドゥーバの動向も探っているが、そちらも先に得た四人のみのようだ。
時間が経過する程、稀人が自力で逃げたという説に、シャツェランは確信を持つようになっていった。
一体どんな奴らなのか? “切り裂くもの”に遭遇していながら、他の稀人から離れること、この世界の人間の保護を受けることを拒み、自分たちであの森を抜ける決断をする連中だ。頭が切れることは確かだろうが、同時にイカれていることも間違いない。
オルゲィに、その後死んだ可能性を指摘され、少し頭は冷えたが、諦めきれないシャツェランはこの数か月、不審な人物の情報や新しい技術や知識の流布がないか、市中を探らせていた。
どれもこれも外ればかりの中、流行り出した忌まわしい疫病を収める術を見つけた村があるとの報告を受けて、今度こそ、と思っていたのだが……。
『イゥローニャの生き残り、か』
オルゲィの報告によれば、流行り病の終息に貢献した者たちの素性と言い分は、完璧につじつまが合っている。
合い過ぎているが故に逆に疑いたくなる性分のシャツェランは、何者かの入れ知恵を疑ったが、イゥローニャの事情にこれほど精通している者は、この国の政治や歴史に関わる者の中でも、かなり博識な者に限られる。
自分がそうであるように、王族のアーシャルであれば可能か、と思ったが、みすぼらしく、陰気な甥の姿を思い浮かべ、シャツェランはその考えを即座に笑い捨てた。仮に彼らがアーシャルを攫ったのだとしても、周囲の人間に手取り足取り指示を受けねば、挨拶や儀式の際の定型文の暗唱すらまともにこなせないアーシャルだ、ありえない。バルドゥーバ派が必死になって隠していたのに、知能という意味で太子として欠格であると、城の園芸師までもが知っていたぐらいだ。
三人のうちの子供が女だという事実、美しく利発な子供という評判も手伝って、シャツェランの頭から、女児の存在が消える。
大人二人のうち、一人は黒髪短髪。日本人と仮定しようにも、ディケセル人としか思えない、訛りのないディケセル語を話し、言葉に不自由している様子は一切ないという。ならば、この男が事実イゥローニャの生き残りとすれば、どうだ? 個人戦であれば、無敵と謳われた民族だ。稀人を助けようと、切り裂くものを殺すことぐらい余裕だろう。イゥローニャを騙って、稀人の素性を隠すことも当然できる。だが、そもそもイゥローニャ族は絶滅寸前、彼らが独自に、稀人が来たと知る術があるはずもない。
もう一人は言葉が不自由だと言うから、稀人である可能性は残っている。だが、茶髪……少なくとも、あの森の髪の主ではない。彼が行方不明の稀人の内の一人だとするなら、髪の主の行方は? あの後死んだ? ならば、髪をもう一人の男のものだと仮定すればどうだ。だが、その場合は何のために髪を残したのかわからなくなる……。
『推測と疑問ばかりだな……』
イゥローニャ族を探し出して彼らと会話をさせてみればよいのだろうが、そもそもイゥローニャ族自体少ない上に、バルドゥーバの追跡を避けて、素性を隠している者がほとんどのはずだ。簡単に見つかるとも思えない。
そもそもその三人の中に稀人がいるとして、なぜ稀人がそんな嘘をついてまで、まったく縁のない保護区で自ら感染する危険を冒し、有象無象の避難民の救済にあたるのか、全く説明がつかない。ディケセルなりバルドゥーバなりに保護されれば、相当の待遇と名誉が受けられるのだ。
オルゲィと同時に村に遣った見聞処の間者によれば、彼らが保護区に入るまでの足跡は不明だが、その後は一貫して子供一人を含めた三人であり、ひどく仲睦まじい兄弟として評判だという。相談事など、特に親しく付き合っているのは、村の雑貨店主だが、それも疫病が流行り始めてからのことで、他に気にかかるようなやり取りしている人間はいない、とのことだった。
(彼らが山から下りた先として申告した村は、惑いの森に呑まれて、既に滅んでいるはずだ……)
これだけ揃うと、確かめようもない。オルゲィの言う通り、稀人ではないという気がしてくる。
『バルドゥーバに行った者が欲しいな』
シャツェランはそう零すと、椅子の背もたれに深々と体を預けた。
バルドゥーバは聖クシールデ国との国境に向けて、着々と兵を集めつつある。つまり例の鉄を用いた武器を相当数手に入れている、ということだろう。
(それを可能にした、女王ウフェルのお気に入りだという男が手に入れば、良いのだが……)
そう思ったところで、あの心身ともに並外れて精力的な傲慢女の贔屓など、自分であれば死んでもごめんだ、とシャツェランは喉の奥で低く笑った。
まあ、ある意味悲惨な状況だろうから、話の持っていきようではこっちに乗り代えてくるかもしれない、可能性を探ってやろう、と笑いを収めたところで、戸槌の音が響いた。
『オルゲィ、ご苦労だった』
礼をとって入室してきた自分の父親ほどの年の男をねぎらう。
『申し訳ございません。ご希望に添えませんでした』
『お前のせいではない』
眉間に皺を寄せて謝罪するオルゲィに、シャツェランは苦笑を零した。
彼をはじめとするリィアーレ家の者には、並外れて真面目な気質の者が多い。加えて優秀で忠実――トゥアンナの罪を擦り付け、この一族をディケセルの政治から追放した先々王、シャツェランの祖父も、兄ほどではないにしても暗愚というしかない。
『だが、よくやった。優秀な人材は、稀人でなくても……“喉から手が出るほど”欲しい』
『…は?』
混乱の只中にあるだろう民をなだめて、流行り病を収束させられる者たちだ。その手のこと以外にも使えるだろう。そう思って、自分の中にある語彙の中から、最も適切と思われるものを選べば、聞き慣れぬ表現に、生真面目な側近は目を白黒させた。
その顔に笑いを漏らした瞬間、その言葉を自分に教えた少女の黒茶の瞳が、脳裏に浮かんだ。
(そういえば、リィアーレ一族を探すきっかけになったのも彼女だった……)
とシャツェランはオルゲィを見つめた。
自分たちディケセル王家に伝わる、あちらの世界とこちらの世界を結びつける力は、シャツェランにもあった。大叔母であるトゥアンナ以来だと聞いて、最初は誇らしく、その後は忌々しく思ったものだった。あの愚かな王女には世界を越える力があったのに、自分にあったのは、せいぜい夢で向こうの人間と会話をするぐらい。これが屈辱でなくてなんだというのだろう。
シャツェランがその力を知ったのは、物心つく頃だったように思う。世界が交わる際の霧の夢の中で出会ったのが彼女、アヤだった。
最初はお互いの言葉がわからなかったはずなのに、気付いた時には、アヤはディケセル語を巧みに話すようになっていた。それもそのはず、彼女は選び抜かれて、シャツェランの学友として連れてこられた誰より聡明で、母国語どころか生きる世界すら違うというのに、誰より話が通じた。
一国の王子である自分を前に、堂々と自分の意見を口にし、笑いたければ笑い、怒りたければ怒る生意気さが、時々本気でむかついた。だが、同時に、自分を王子や神の子孫としてではなく、ただの人間、友達として扱い、損得など一切なく、無償で心配してきたりもする。
そのすべてが新鮮で、彼女を毎晩のように夢の中に呼び、話し、遊んだ。喧嘩もしょっちゅうだったが、誰にも零せない弱音や愚痴も、彼女には話せた。
日常のちょっとしたことを語り合い、向こうとの差を思い知らされることも多かった。そういう時、彼女はシャツェランの疑問や悩みに答えようと、様々調べ物をして、夜に教えてくれた。この自分が教えを乞う立場というのは、なんとなく面白くなかったが、彼女はそれで偉そうにすることもなかった。
≪友達だもん、困っていたら助けるよ≫
何でもないことのようにそう言った彼女の顔を思い出し、シャツェランは眉根を寄せた。なぜ自分はそれを当たり前だと思ったのだろう――何千回目かの後悔に襲われる。
彼女がトゥアンナ、そして彼女を連れ去ったグルドザの孫だと分かったのは、お互いの話がかなり理解できるようになってしばらく経った頃だ。その時シャツェランは、彼女の祖父をひどく罵倒したが、彼女は彼女で『王家の恥を隠すために、臣下に全部罪を押し付けただけだ』というようなことを言い、逆に非難し返してきた。
そのあとは、その話題を避けたまま過ごしてきたが、数年後、アヤではなく、アヤの妹が夢に立て続けに現れるようになった。
≪――わかった。もういい≫
ある晩、久しぶりに出会ったアヤは、妹の話を信じて、その祖父のみならずアヤのことも罵倒したシャツェランに静かにそう言い、それきりだ。もう十年以上前の話で、それから二度と出会えていない。
自分に率直に物を言い、ストレートに感情を見せ、計算なく自分を思いやってくる人間は、その後二度と現れなかった。
アヤと比べるべくもないほど美しかった妹も、ただそれだけの人間で、すぐ飽きた。
同じ日本人だと聞いて、セルに幽閉されていた稀人のサチコと、無理を押して面会を重ねたが、似てはいるものの、彼女はやはりアヤではない。
自分が愚かだったと思う。サチコに「冤罪」という考え方、そして「権力」というものを教えられて、ますますそう思った。
散り散りになっていたリィアーレ一族を探したのは、そうすれば、自分の愚かさが少しは薄れるのでは、と思ったからだ。それで結局、助けられている。
アヤがもし今の状況を見れば、なんと言うだろう…? 怒り、罵るだろうか、それ見たことかと笑うだろうか?
(いや、多分どっちでもないな……)
シャツェランは、彼女が最後に見せた、失望に満ちた瞳の記憶を封じ込んだ。
『リィアーレたるお前が見出した者だ。期待している』
『我らリィアーレ一族は、殿下の御恩に報いるためであれば、命をも惜しみません』
オルゲィの言葉に後ろめたさを交えた苦笑を返すと、シャツェランは彼に退出の許可を与えた。
戸口で、オルゲィが思い出したように振り返る。
『そういえば、その者のうち一人、ミヤベは我が一族出身者の教えを受けたようです。彼が来ましたら、詳しく聞いて、彼の師についても探してみたいと思うのですが……』
『リィアメ……彼自身がお前の一族なのではなく?』
『いえ、私たちが発音すると似てしまいますが、イゥローニャ式には、ミ、ヤ、ベ、という発音のようで』
言いにくそうに彼の名前を何度か復唱したオルゲィに、短く許可の応えを返した。
退出していく彼を見送った後、何かが引っ掛かった気がして、シャツェランは柳眉を寄せる。
『ミヤベ……』
どこかで耳にしたような気がする。耳慣れない言葉だ。一体どこで……?
シャツェランは眉根を寄せながら、側仕えの侍従を振り返った。
『オルゲィを呼び戻せ』
それは本当になんとなく、だった。




