8-1.従伯父(オルゲィ)
ディケセル王弟シャツェランの元で、メゼルディセル領内の内務処長を務めるオルゲィ・リィアーレは、開け放たれた窓から外を見遣った。
ここギャフプ村は、バルドゥーバとモッペルゲ、他二カ国の計四か国に接している。バルドゥーバ以外は小国で、長くディケセル国と友好関係にあったし、バルドゥーバについても国境の向こうに、人の渡れない不毛の砂漠が広がっていて、メゼルディセルの脅威とならなかった。だが、これまで友好関係にあった、南に接するモッペルゲの前王の逝去に伴う跡目争いがバルドゥーバ派の王子の即位で決着した今、事態は変わってしまった。
ギャプフでは彼の国の侵攻に備えるため、役場の要塞化を急ピッチで進めており、もう暗くなろうとしているのに、鎚の音は止む気配がない。
外郭は村を囲むように作られる予定で、避難民の保護区はその外になる。戦火を逃れてこの地に辿り着いた彼らも保護してやりたいのは山々だが、素性の分からぬ者があまた溢れている保護区を要塞内に取り込むことはできない。
それはこれから面会する予定のイゥローニャ族の生き残りについても言えることだった。統官の話によれば、彼らは四十年ほど前にバルドゥーバによって滅ぼされた、イゥローニャ山脈に点在していた民族の子孫だという。
『……』
爪で簡単に削れる洗衛石を指でいじりながら、オルゲィは眉間に小さくしわを寄せた。
イゥローニャ族は勇猛果敢さで名を馳せた民族だったが、氏族間の対立が激しく、団結することができないまま、兵数と謀略に長けたバルドゥーバに敗れた。
戦後イゥローニャ族の扱いは凄惨を極めたと聞いている。通常バルドゥーバは敗者を国内で奴隷とするが、イゥローニャ族の剛勇を恐れた当時のバルドゥーバ王は、女子供を含めて皆殺しを試みる。繰り返し山狩りを行うと同時に、ディケセルなど他国に逃げてきたイゥローニャ族にも刺客を送り込み、その後二十年近くにわたって、掃討を図る念の入れようだった。
イゥローニャ山脈の超高山地帯に逃げた氏族を中心に、その都度凄まじい抵抗を見せたと言われているが、元の数の少なさもあって彼らも直に離散したと聞く。
『……入れ』
戸槌の音に続いて、入室の許可を求める統官の声が響いた。続いて入ってきた二人をオルゲィは警戒心を抱かせないように、だが注意深く観察する。かなり若い。
一人は背の高めの男でオルゲィと目が合うなり、その整った顔に人懐っこい、好感の持てる笑みを浮かべた。体つきは細身だが、しなやかな筋肉がついているようだ。スオッキをはじめとする武術がからっきしなオルゲィですらそう感じられるのだから、統官が言っていた通り武にも長けているのだろう。
もう一人の背は高くも低くもなく、ひょろりとしている。感情の見えない目つきでオルゲィを見ると、左の拳を胸に当てた。ディケセルのグルドザ式の挨拶だ。こっちが子供の頃に山を下りたほうか、とオルゲィはあたりをつけた。中々のスオッキの使い手で、双月教徒に襲われた時も、難なく切り抜けたと聞いている。
『内務処長、こちらがエマ、こちらがミヤベです』
『はじめまして、エマと申します』
『ミヤベです』
二人とも統官の紹介とはかなり異なる発音で自らの名を名乗った。統官のディケセル式発音では背の高い方の名は『エンバ』、背の低い方の名はオルゲィの一族と同じ『リィアーレ』に近く聞こえるが、本人たちの発音だとまったくの別物だ。
笑みを浮かべながら、挨拶する江間の傍ら、宮部の方はにこりともしない。
『流行り病を抑えるのに尽力してくれたと聞いた。まずは領主、シャツェラン様に代わって礼を言う』
『ディケセル、そして、メゼルディセル領主様よりいただいたご恩には及びません』
淡々とよどみなく答えた宮部に、統官は満足そうに頷いた。
ディケセル式の教育を受けたようだ、と彼が宮部を評していたことを思い出す。そして、スオッキを使うことと併せて、おそらく流れのグルドザ崩れによるものではないか、と。
『メゼルディセル領主はともかく、ディケセルとは?』
『忌まわしの国より祖を庇っていただいたと』
無表情のまま、宮部が答えた。
忌まわしの国とは、バルドゥーバのことだろう。逃げるために山から下りたイゥローニャ族に追撃をかけようとしたバルドゥーバから、ディケセルが彼らを保護した件を言っているらしい。
『……』
稀人だという確信に疑念が射した。行方不明の稀人は二人だというから、ちょうどこの二人かと思ったのだが、宮部が稀人なのであれば、ここまで流ちょうに話せるわけはない。そもそも稀人は男女一名ずつだと聞いた。
惑いの森には、稀人の他、ディケセルとバルドゥーバ以外の第三者がいた可能性があると言う。宮部がそれだとすれば、稀人の可能性があるのは、と江間に視線を向ける。
『君たちは流行り病について詳しいようだな』
『特別に詳しいとは思いません。うつる病が出た時にどうすべきか、先達から教えられた通りに行動しました』
『ここでは、ええと、教え?がまったく違っていて、びっくりしました。双月教の人たちとも、違います』
江間の方の言葉はたどたどしく、訛がある。だが、どこの訛か見当がつかない。
『生ものや生水を取ること、病人や死人に軽々しく接することは危険だと私たちは教わっていたのですが、こちらでは逆の習慣だったようです』
江間の言葉を宮部が補足する。双月教徒が売りつけている“聖水”や、死人の衣服を切り取ってお守りにすると良いという流言を指しているのだろう。
『……この洗衛石だが、これも親から聞いたのかね』
『これの……材料、で合ってるか? 材料は、山でも見つかります』
江間はあやふやな言葉を堂々と宮部に訊ね、宮部はそれを咎めることなく、普通に教えている。江間が稀人であるとして、行動を共にする宮部がそれを知っていて隠そうとしているのであれば、江間が話すのを嫌がるかと観察しているが、そんな様子はない。
『体を、きれいにするため、に使います。傷が、ついた時も。だから、人の病気を防ぐ?ためにも使えると』
『ドルラの加護という触れ込みがついていると聞いたのだが……イゥローニャ族にドルラ信仰があったとは知らなくてね』
ドルラはここからホダで三刻ほど南にあるセジナ洞窟の主とされ、ディケセルの南部であるここメゼルディセル領で主に信仰されている土地神だ。なぜ北部のイゥローニャ山脈の彼らが、という疑念をぶつけてみる。
『嫌がらせです』
真面目な顔のまま、宮部が即答した。
『バルドゥーバ人が流行り病をドルラのせいだと言って、双月教を広げようとしていたので、面目をつぶしてやろうと思いました』
『まったく、の嘘でもないです。こちらの役所の人たちが、ドルラの洞窟から、とってきてくれた石で、作ったので』
しれっと後を受けた江間が宮部を見、二人同時に人の悪い笑みを浮かべた。
二人の顔に、ざまあみろ、と書いてあるのを見て、オルゲィは二重の意味で苦笑を零した。彼らの反応は、イゥローニャ族としてはごく自然なものに思える。
『笑っている場合ではないだろう。結果、君たちは何度もあいつらに殺されかかっている』
彼らの横に立つ統官などは、そう言っているくせに、隠すことなく笑っている。
稀人かそうでないか――他に確かめるすべはないかとオルゲィは思案したが、咄嗟に思いつかなかった。
イゥローニャ族はバルドゥーバとの戦の後、急減した。ディケセルなどに降りた者も、その素性を隠していたせいもあって、現地の民衆にほぼ同化してしまったという。文化としてはもう滅んだと言っていい。
となると、彼らが使うという独特の言葉や江間の独特の闘術が、真にイゥローニャのものなのか確かめる方法はゼロではないにせよ、ごく限られている。
山脈に人をやって、点在すると噂のイゥローニャ族を探し出すことも難しいはずだ。今なお生き延び、彼の地に暮らし続けている者たちはひどく警戒が強く、攻撃的だと聞いた。
『ところで、イゥローニャだということを、隠す者は多いと聞いたが、明かしていいのか?』
『時は移ろいます。考え方も同じです』
『つまり、君たちはバルドゥーバを恐れていない……?』
淡々と受け答えしていた宮部の顔に、嫌悪と呼んでいいものが見えた気がした。彼の横で終始陽気な空気を見せていた江間は、オルゲィの確認に、ただ不敵としか言いようのない笑みを浮かべる。
(彼らが稀人、もしくは稀人を隠しているのであれば、やり取りの中で何かしらの動揺を見せるかと思ったのだが……)
確かに掴んだ、と思った稀人の姿が、泡沫となって消えていく幻影を江間と宮部に重ね、オルゲィは落胆する。
だが、優秀な者たちであることは、間違いない。
統官と目を合わせたオルゲィは、頷いてみせる。
『エマ、ミヤベ、もしよければ、なのだが』
オルゲィは彼らを中央――オルゲィにとっては、自分たちリィアーレ一族にすべてを負わせ、挙句切り捨てたディケセル王家はもう中央ではない――領都メゼルへ連れて行くべく、説得を試みることにした。
『メゼルのシャツェラン様の元で働く気はないか?』
訝しむかのように片眉をひそめた宮部と、目を丸くした江間に、オルゲィは知らず微笑んだ。ひどく素直な反応に思えた。
『統官から君たちの身の安全のためにも、と推薦を受けていてね』
二人は顔を見合わせると、同じタイミングで統官を見る。
『行きなさい、これはチャンスだよ。内務処長であるオルゲィ様もだが、ご領主のシャツェラン殿下も人の生まれではなく、働きを評価してくださる』
その言葉に一瞬宮部が目を鋭く細めた。だが、感慨深げに自分へと目線を向けて来るのを見て、オルゲィの疑念は霧散した。
『ですが、私たちには……ええと、妹、じゃなくて、なんだっけ?』
『親戚と言いたい? 私たちで面倒を見ている子がいます』
『……もちろん彼女も一緒につれてきたらいい』
『リカルィデも聡明な子だ。美人だし、きっと領都でもうまくやっていけるさ』
惑いの森で行方不明になったアーシャル王子が稀人と共にいる可能性があると聞かされていたオルゲィは、その点でも彼と同じ年ごろの子と暮らしているというこの二人を疑っていた。だが、妹か――内心で苦笑を零す。残念ではあるが、致し方ない。
そもそも、シャツェランの推測通り稀人とアーシャルが何者かに連れ去られ、市中に潜んでいるとしてそれが彼らだとすれば、メゼルに誘われても行き渋るはずだ。あっさりメゼル行きを決めたあたりも、彼らが稀人ではない証に思えた。
『少し待ちなさい』
統官に促されて退室していく彼らを呼び止めると、オルゲィは書付けを渡した。
『準備ができたら、領都の私の屋敷を訪ねてきなさい。リィアーレ家と言えば、それなりに通じるはずだ。……どうかしたのかね、ミヤベ』
『いえ、その、私は、の、そ…師も、リィアーレと…』
終始落ち着いていた宮部が、青ざめた顔で書付けを食い入るように見つめている。
『ああ。五十年ほど前に、国を揺るがす不祥事を犯した者が出て、まあ、私の叔父なのだが、その結果一族は末端の末端に至るまで、すべて離散させられたんだ。君の師という人もそのうちの一人かもしれない』
『何という名前の人だった?』と声をかけたのに、『りさん、いちぞく、の…』と呆然と呟く宮部の耳には届かないようだった。
『宮部、そろそろ帰ろう。リィアーレ様、統官様、心より感謝しま……いたします?』
江間は宮部の肩を押すと、整った顔に人好きのする笑みを載せた。
殿下以外の男の顔を美しいと思うことがあるとは世界は広いな、と妙な感慨を持ちながら笑い返したオルゲィの耳に、『失礼いたします、リィアーレ様』という宮部の平坦な声が響く。視線を戻せば、彼は元通り落ち着いた顔つきでオルゲィを見、グルドザ式の別れの礼をとった。




